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11525過去の話

 明日夜までに帰ればいいと、のんびりした答えが返ってきた。


(じゃあ、今夜はここに二人きり……?)


 短い瞬きを繰り返す葵に、沖田は眉を下げる。


「そんなに身構えなくても」


 葵はふるふると首を振る。


「……違うんです。一緒にいられるのが、嬉しくて」


「今日はずいぶん素直なんだね」


 葵を見ていた瞳はますます甘やかすような色を帯びる。

 彼は押し出すように息を吐いた。

 

「俺も、一緒にいられて嬉しいよ。せっかくだから、未来の面白い話じゃなくて、葵さん自身のことが知りたい」


「私の話ですか? あまりお話するようなことは……」


「葵さんを形作ってきたようなことなら、全部知りたい」


 熱く望まれると、ますます何から話していいのか戸惑ってしまい。それがわかるのか、沖田はじゃあ……と腕枕のままに天井を見る。

 

「墓で、大切な人が自分のせいでいなくなる、って言ったのはどうして?」


(あ……)


 急に、開きかけた心を狭い入れ物に押し込めたくなった。

 だけど、


(言ってもいいの?)


 すぐ近くで注がれる陽のような眼差しに、心の氷が()み出した。

 

「……子供の頃に、私が乗り物に向かって飛び出してしまって、それを庇って母が……」


 続きが出てこない。

 背中をさすってくれる手が、取り繕わなくていい、と先を促す。


「皆、私のせいじゃないって言ってくれるんです。事故だって。……でも、本当は誰のせいかなんて、私が一番わかっているから」


「俺も、葵さんのせいじゃないとは思う。ただ、五歳か……

そんな小さいときから重いものを背負ってたんだね」


 沈黙が心地良い。

 ゆっくり背中の手が止まった。


「……もしも幸せになっちゃいけないとか、価値を低く見積もることで、葵さんが自分を罰するなら。それだけは……いや……」


 言葉に詰まる横顔は、葵を説得して癒そうというより、なんと言えば傷つけないかを第一に悩んでいるように見えた。


 それだけで、心の氷が少しずつ、ぽつぽつと水を滴らせていく。


「ありがとうございます。話して、楽になりました」


「またそうやって……すぐ白黒つけなくてもいい。簡単には軽くならないでしょ」


 そう返され、沖田になら、この件でどんなふうされても良かったんだと感じた。

 例え黙り込まれても、叱責されても。

 その裏にある情がこんなに深いのだから。


「……沖田さんもご両親を亡くされているのに、ごめんなさい」


「どうして謝るの?」

 沖田は驚いた顔をする。


「皆……いろいろ抱えているのに。自分だけ辛いと言っているみたいで……」


「俺が知りたいのは皆じゃなくて、葵さんだから、他の誰かと比べて遠慮することはない。辛いならそのままを言えばいい」


 真っ直ぐな言葉で伝えてくれるから、見合う返事ができなくて、ただただ頷く。 

 

「誰にでも弱いところはあるよ」

 

 誰にでも……と葵が呟くと、沖田はくすっと喉を鳴らした。


「俺もそうだよ。幻を、夜に見ることもある」


 微笑みながら言うから余計に胸が痛む。


 亡くした家族や同志――時には手にかけた人々――そういった者たちがまどろみをさすらい、時に彼にうわ言を口にさせるのか。



 彼には辛いことも痛むことも、できることならずっと無縁でいてほしい。


(刀を取る沖田さんにそう望むのは……酷いこと?)


 じっと考え込む葵に、沖田は言う。


「葵さんも、夜は辛かったりする?」

 

「私は夜は……沖田さんがいてくれれば……」


 身を寄せると、(ひたい)に、掠るくらいの優しい口づけが落ちた。


「同じだよ。いてくれるとよく眠れる」 

 

 ぬくもりを分けるように、沖田の手のひらに何度も頬ずりした。

 

「一番、近くにいさせてください……」

 

――"ずっと"とは、消える息で言った。


 身体をかたむけて、唇を重ねる。

 控えめな、押し当てるような口づけにしかならなかったが、身体中の水分が蒸発したように渇いた。


 彼の心をもう一欠片だけもらいたいと、

 口を開きかけて、胸の内で深呼吸する。




 




 


「――総司さん」


  

 沖田の弧を描いていた唇が止まり、瞳が大きく動いた。


「って……呼んでもいいですか?」


 葵は頬を朱く染め、恥じらうようにまつ毛を伏せる。

 沖田は、色素の薄い瞳を縁取る黒を、しばらく時を忘れたように見ていた。


「……もちろん」


「総司、さん……」

 

 ずっと呼んでみたくて、だけとこっそり呼んでみることさえ恥ずかしかった沖田の名前。

 なのでおどおどしてしまう。


 もっと落ち着いた余裕ある響きで、彼の名前を紡ぎたかった。


「すみません、練習しますね」


「……うん?」


「そう、じさん、そうじさん、総司……」


 真面目に唱え始める葵の横で、沖田は静かに立ち上がり、行灯の前に移動した。


「……できました。って、あれ?」


 油を足し終わっているのに、沖田は行灯の前に腰を下ろし、じっと炎を目にしている。


 葵も隣に行って膝を着いた。行灯の橙色(だいだいいろ)の炎が、彼の顔をほのかに赤く照らしている。


「総司さん?」


 覗き込むと、ぐらりと視界が揺れる。


 一瞬状況が把握できなくて。

 知った時には既に押し倒されていた。


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