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コクワガタ飼育記 〜 禁断の累代飼育 40代から沼るニッチな趣味生活 〜  作者: 和三盆光吉


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コクワガタ飼育記 ⑦ その時が、今


 仕事中のトリカワ君をいつまでも独占しては悪い。

 私は話を切り上げると、お礼に飼育用品を2つ購入した。

 

 デジタルクッキングスケール。これは幼虫の体重を測定して成長記録を付けるのに役立つそうだ。

 ノギス。こちらは成虫の体長を計測するのに使う。YouTubeチャンネルでも配信者がカブクワの体長を測るのに使っていた。かく言う私も、仕事でノギスとマイクロは良く使う。


「ありがとうございました! またいつでも来て下さい!」

「本当に助かったよ。これからもよろしく頼む」

「はい! 虫好きの方が増えるのは自分も嬉しいっす!」

「ではまた」


 飼育温度問題はひとまず保留とする。

 トリカワ君のGOサインが出て、いよいよチョキを産卵セットに投入する日がやって来たのだ。胸躍らせて帰宅する。家族への帰宅の挨拶をそこそこに。お風呂も後回しにして。さっそくコバエシャットミニを開けてチョキを確認すると、マットに潜って隠れていた。昆虫ゼリーはほぼほぼなくなっている。良し。


 指でクヌギマットをほじくってチョキを探す。

 人差し指でちょいちょいやると、いた。

 2センチあるかないかの丸みを帯びた黒い体が、驚いて手足を引っ込めて硬直している。これは擬死と言って、身を守る行動の1つらしい。一見死んでいるのかと心配になるが、むしろ元気な証拠らしい。


「チョキよ、これから卵を産んでもらうぞ」


 チョキに話しかけても返答はない。擬死を解いて、指の隙間に隠れようとして藻掻くだけだ。だがそれでいい、そのくらいの関係性が丁度いい。私は人とクワガタの在り方に納得すると、チョキを産卵セットにそっと移したのである。


「後は祈るだけ。か」


 大慌てでクヌギマットに潜っていくチョキを見送り、静かに産卵セットの蓋を閉じる。それから今日の日付をメモする事も忘れない。6月20日。コクワガタ♀チョキ。産卵セット投入。と。


 ◇◇◇◇◇


 あの日から3日間。私はチョキに何もしなかった。

 産卵セットを刺激せず、ただ温度の計測だけを日課に加える。家の温度計のみならず、日々の天気予報や気象庁の過去データも調べた結果、昨今の日本の夏は暑すぎる事がよく分かった。


 7月と8月のいわゆる夏の季節には、30度を超えるのが日が当たり前。35度のに達する日も珍しくなく、それ以上の猛暑日を観測する事も多々あったし、場所によっては40度を超える酷暑日となっていた。


 私は職場の工場がそもそも暑い事もあり、暑さに関して諦めに近い境地にあり、これまで外気温に注意を向けた事が余りなかった。ニュースを見ても「うわぁ〜」程度である。しかし改めて調べてみると、地球がヤバいと実感してしまう。


 さて。そんなこんなで3日目の月曜日の朝。たまには様子を見ても良いだろうと、出勤前に産卵セットを覗いてみた。すると。


「お? 埋め込んだ産卵木の周りがほじ繰り返されている。あの小さなチョキがこれをやったのか」


 産卵木は埋め込みマットに8割埋まっていたはずだ。それが荒らされて、産卵木の周りが穴だらけ。これは調べたところ、産卵行動の始まりであるらしい。メスが産卵に適した環境かどうか確かめているのだ。小さなチョキにとって大変な労力であろう。働き者だ。子孫を残すという事は、虫でも人でも変わらず苦労が絶えないものなのだ。


(瑠璃も小さな頃は手が掛かって苦労した。でも「パパ大好き〜」と可愛かった。いや、今でも可愛い娘には変わりないが、何と言おうか。うん。思春期の娘は父親に塩辛い。この前も私の靴下が一足、娘の洗濯物に紛れ込んでいたとかで妻に怒りをぶつけていたな。たかが一足ではないか。何かの拍子に間違えて紛れ込んだだけではないか。それなのに、あんなに嫌そうに怒らなくともいいではないか)


 おっさん心の愚痴。閑話休題それはさておき


 子を産み育てる。それは動物の基本行動であり、根幹の本能だ。クワガタは子育てしないだろうが、産みの苦労を厭わないチョキに対し、同じ親として親近感が湧いていた。


 ◇◇◇◇◇


 それからさらに時間が過ぎて金曜日の朝。出勤前に久々の様子見をした時である。産卵セットの蓋を開けた私の目に、待ちに待った痕跡が飛び込んで来た。


「さ、産卵マークだ。チョキが卵を産んだのか? やったぞ」


 クヌギかコナラか知らないが、片方の産卵木の表面に例のマークが付いていた。実物を見るのは生まれて初めてだが、なるほど「こ」の字。或いは中途半端な丸。その傷の中心部に小さな点があり、卵は中心部の点の中に産み付けられているらしい。

 穴は卵を産む一カ所だけで良いだろうに、わざわざ労力を割いて「こ」型の傷を付けるのは、おかしな習性だと不思議に思う。


「チョキの姿は見えないな。産卵木の下に隠れているのだろうか? うん。触るのはやめておこう。ここは我慢してそっとしておくぞ。良し良し」


 いつの間にか独り言が普通に出るようになっている。

 もはや気するのも面倒くさいが、私は一応自己分析してみたのだ。そうしなければ老化が速まると感じたから。


 つまりこれは、寂しくて独り言を言っているのではない。目の前で起こっている興味深い現象を、口に出す事で精神を静め、思考の整理に役立てているのだ。だからコレで良いのだ。うん。


「ここからスタートして、1カ月後にチョキを取り出す。その後20日放置して、全部の卵が孵化してから産卵木を割って幼虫を取り出すのか」


 いつも持ち歩いているメモ帳のカレンダーを確かめて今後のスケジュールを組んでいくのだ。

 7月27日。チョキを産卵セットから取り出す。

 8月16日。産卵木から幼虫を取り出す。

 うん。8月16日は丁度土曜日で都合が良い。


(この喜びを誰かに話したい。もちろん妻には話すが反応は薄いだろう。瑠璃に至っては塩辛で相手にもされないだろう。会社の休憩時間に同僚に雑談してもいいが、微妙だな。そうなると、やはりトリカワ君だ。幼虫の餌の相談もしなきゃだし。今夜か明日にペットショップにお邪魔してみよう。そうだ、相談ばかりで申し訳ない。食事でも誘って奢ってやろう。うん。それが良い)


 その日は朝から、とても機嫌良く過ごせたのであった。


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