コクワガタ飼育記 ⑥ トリカワ講義
「あ、それは大丈夫っす」
『エアコン切ると家が高温』事件の翌日。運よく定時上がりだった私は例のペットショップでトリカワ君に相談を持ちかけた。
そして帰って来た答えがコレである。
「大丈夫とは、何を持って大丈夫なのだろうか? 私が調べた限り、クワガタムシは高温に弱いそうじゃないか。夏の風物詩だと思っていたのに、真夏は涼を求めて隠れているらしいじゃないか。閉塞した30度超えの環境で、ウチのチョキに万が一の事があったら責任を取れるのかな。ん?」
ショップ店員のトリカワ君に当たるのは筋違い。それが分かっていても、軽薄な雰囲気を漂わす若者に少なからず苛つきを覚えた。
「誤解しないで欲しいっす。ネットの情報は責任回避の為に安全マージンを取った情報っす。実際は国産オオクワガタ、本土ヒラタクワガタ、本土コクワガタは短時間なら30度を超えても死にません」
「そうは言ってもね、トリカワ君」
「お客さん、自分も国産オオクワガタを飼ってるんすよ。んで、自分はお金がなくてエアコン付けっぱなしは出来ないんで、常温飼育っす。それでも工夫すれば無問題っす」
トリカワ君は語る。
第一。オオクワガタに代表されるドルクス属。コクワガタも含まれるこれらは、クワガタの中では強く長寿である。本州の低地で採集出来るドルクス属は短時間なら35度でも耐えられる。
(年老いた個体、栄養失調の個体、飼育環境が悪い場合は別)
第二。飼育ケース内の湿度が適切ならば30度を超えても簡単に死ぬ事はない。
悪い例。乾燥は論外。水分でベチャベチャも危険。
第三。冷却機械を使わない冷却方法として。
クーラーボックスに保冷剤と共に入れる。これなら数時間のあいだ低温を保てる。
注意点として。クーラーボックスを完全密閉すると酸欠で死ぬ。保冷剤を飼育ケースに密着させると冷え過ぎる。保冷剤の効果時間を超えるとすぐに高温になる。産卵中のメスが冷え過ぎで産卵を止める可能がある。
第四。自宅に庭かベランダがある場合。
まず風通しの良い、完全な日陰を作る。飼育ケースを土に埋める。(プランターでも代用可)土を水でよく濡らす。これは気化熱現象を利用した方法であり、注意点として埋めすぎによる酸欠。うっかり忘れて乾燥。など。
「どっすか? エアコンなしでもやりようはあるっすよ」
「う〜む。確かに」
トリカワ君の話はとても勉強になり、限られた予算の中で創意工夫する姿勢に共感が持てる。さすがは昆虫担当店員だ。
「それで、トリカワ君はエアコンが使えない時、どの方法で夏場を乗り切っているんだい?」
「自分っすか? 自分はですね、アパートに格子付きの小窓があるんで、出掛ける前にそこを開けて換気扇を回すっす。そうすれば外から空気の流れが出来て、外気温以上に室温が上がる事はないっす」
「なるほど。でもそれだと、外気温が35度を超えたらヤバくないかい?」
「そんな日は滅多にないっすよ。それに最高気温は1日の内、3〜4時間だけです。そのくらいの時間なら、まぁ」
「まぁ、て。駄目じゃないのか?」
「そこは今後の課題にしたいっす! それに今まで、我が家では高温で死んだオオクワガタはいないっす! それよりお客さん、コクワちゃんは産卵セットに入れたっすか?」
「おっ、そうだった。今朝見た時にはゼリーが残り2割になってたよ。もう産卵セットに移しても良いかな?」
「そっすね。朝でそれなら今夜投入しても良いかもっす」
「ならそうしよう」
「はい! 産卵セットに投入したら後は祈るだけっすよ」
「祈るだけしか出来ないのかい?」
「そっす。コバエシャットは空気は通すけど、コバエは通さないし、水分の蒸発も少ないんす。だから最初に餌ゼリーを3〜4個入れたら加水の必要もなし。1カ月程度は静かな場所で放置して欲しいっす」
「餌ゼリーを3〜4個だって? 4〜5日で16gを食べ切るのに、30日だと計算が合わないじゃないか」
「あ、それは誤解っす。メスは産卵行動を始めると数日間ゼリーを食べずに産卵に集中するんす。それで、一段落してからゼリーを食べて栄養補給。また産卵。これを繰り返します」
「そうなのか。それは、メスは凄いんだな」
「はい。女性は偉大で尊いッすよね」
トリカワ君が良い事を言った。女性に敬意を払うその考えには大いに好感が持てる。見た目は軽そうだが、彼とは気が合いそうだ。
「1カ月程度と言うが、それでどのくらい卵を産むものなんだい?」
「そ〜すっね。メスちゃんの個体差によるんすけど、だいたい10〜20って感じっす」
「20。そんなにかい」
「もっと多い時もあります。逆にゼロの時もあります」
「そうか。生き物だものな。そういう事もあるだろう」
「コクワガタは産卵木に特徴的な産卵マークを付けるんで分かりやすいです」
「ああ、あれか。ネットで調べたよ、不思議な物だね」
「産卵マーク1つに卵1個とは限らないんですよ。産卵マーク無しで産んでいる事も良くあるので、1つマークを見つけたら×0.5だと考えてもらっても良いっす」
「ほうほう。それはトリカワ君的見解かな?」
「鳥川的見解っす。産卵マークを目安に飼い切れるだけの幼虫を産ませると良いっす。沢山欲しければ産卵木を交換してやれば良いっすよ」
「だが、沢山産ませると寿命が縮むんだろう? ネットではそう言われていたぞ」
「その通りっす。死ぬまで産ませるか、ほどほどにするか。そこはブリーダー個人の考え方なので。……それとは別に、WDのメスちゃんは産むだけ産んでお星様になる事も少なくないんで、そこはご了承下さい」
「なん、だと?」
「野外個体は採集した時点で老齢な場合も多いっす。そもそもドルクス属は長生きっすけど、ノコギリクワガタやミヤマクワガタはその夏活動したらそれで終わりっすから」
確かにそうだ。昆虫の年齢など人間には分からないのだから、我が家のチョキも既に高齢かもしれないのだ。
ならば、チョキに悔いが残らないよう子孫は多めに産ませるべきだろうか? 悩む。
35度を超えてドルクス属が生存可能かはあくまでトリカワ的見解です。重ねて念を押させて頂きますが、短時間なら耐えられると言う話です。高地生息性のヒメオオクワガタやアカアシクワガタなどは、同じドルクス属でも特に高温に弱いのでご注意下さい。ミヤマクワガタなどは30度でも死にます。




