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コクワガタ飼育記 〜 禁断の累代飼育 40代から沼るニッチな趣味生活 〜  作者: 和三盆光吉


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コクワガタ飼育記 ③ 産卵セットと家族への報告


「幼虫、飼ってみたい。どうすれば良いのかな?」


 私は二つ返事でトリカワ君に問う。

 生き物を飼うという事は、たとえ小さなコクワガタであっても中途半端にはできない。知らないのなら、素直に専門家に教えを請えば良いのだ。


「ありがとうございます! 今飼育用品一式ご購入頂ければ、サービスで産卵セットを組むっす。30分くらいかかりますけど良いっすか?」


 トリカワ君が笑顔で応えてくれた。営業スマイルとは思えない、なかなか人懐っこい笑顔だ。たぶん彼は、カブクワが好きなのだろう。


「大丈夫。よろしく頼むよ。やり方を教わりながらでも良いかな?」

「もちろんっす。夕方でお客さんも少ないので無問題っす。ではまずは、産卵木っす」


 そう言って、商品棚に積まれていた木を手に取った。

 片手で持てる程度の大きさの木。先ほどから気にはなっていた。


「これは椎茸原木栽培で使い終わったクヌギやコナラの木っす。クワガタは大きく分けて材産みとマット産みがあって、コクワガタは材産みなんすよ。卵を産ませるには必須アイテムっす」


 説明が始まる。


「クワガタの幼虫は木を食べるっす。でも生木は食べられなくて、キノコ菌やバクテリアで分解されて朽ちた木を食べるんすよ。だから親虫は本能でそういう木に卵を産むんす」

「なるほど、そうだったのか」

「硬すぎる木は駄目っす。コクワガタ用なら爪で押して、少し食い込むくらいが良いっす。うん。これが良いっすね」


 トリカワ君は木の硬さを確かめると、オススメ品を2本の手に取った。1本400円。ぼるつもりか?


「なぜ2本なんだ? 1本で良いのでは?」

「確かにそれでも良いっすけど、沢山幼虫が欲しいならメスの選択肢を増やした方が良いっすよ。こっちの表面がゴツゴツしたのがクヌギ、ツルンとしたのがコナラです」

「そ、そうだったのか。奥が深いな」

「埋め込みマットは無発酵クヌギマットで大丈夫っす。

あと、ゼリーはプロテインゼリー16gで」

「プロテインゼリーとは何かな?」

「これにはタンパク質が高配合されてるっす。産卵中は卵を産むために沢山タンパク質が必要になるんすよ」

「そうなのか。その辺りは他の生き物と変わらないんだな」

「もちろんっす。クワガタだって生き物っすから。じゃあ、必要な物が揃ったんでこちらへどうぞ」


 終始ニコニコのトリカワ君に誘われ、店の奥にある従業員用作業スペースに案内される。そこでトリカワ君がまずしたのは、電気ケトルでお湯を沸かす事だった。


「トリカワ君、お茶はいらないよ。お気遣いなく」

「違いますよ。これから産卵木に加水をするんす」

「加水?」

「産卵木は今、乾燥した状態っす。これだと水分不足で幼虫が生きていけないんすよ。当然親虫も、そんな木に大切な卵は産まないっす」

「そうか、道理だね」

「普通は水で加水するんですけど、自分は断然お湯派っすね」

「それはなぜ?」

「お湯だと吸水が早いし、万が一産卵木の中に雑虫がいた場合、熱で殺してくれるんで一石二鳥っす」

「雑虫とは?」

「代表的なのはコメツキ虫の幼虫っすね。あれはクワガタの幼虫を食べちゃうんで」

「何だって、それは駄目だな」

「はい。あとはカミキリ虫の幼虫とか、ゴミムシダマシの幼虫とか。お湯なら一網打尽ですよ。ハハハ」


 トリカワ君は笑いながら、容器に入れた2本の産卵木に熱湯を注いだ。産卵木が浮力で浮き上がり、それを重しで抑えると、ぷくぷくと気泡が浮き上がる。


「これで10分待つっす。その間に埋め込みマットに加水します」

「この木屑かい? これにも加水が必要なんだね?」

「そっす。どんな生き物でも、水無しでは生きていけないんすよ」

「それはそうだな。で、やり方は?」


 無発酵クヌギマットの袋の口をハサミで切る。作業用の桶に必要量ぶち撒ける。それから水をコップ一杯分入れると、ヘラを使ってかき混ぜだした。


「水分量は手で握って固まる程度でっす。自分は慣れてるんで目分量でいけますけど、お客さんがやる時は少しずつ確かめながらお願いしまっす」

「分かった。ちなみに水分量が悪いとどうなるのかな?」

「多いとマットが腐ります。少ないと親虫が適切な環境ではないと判断して産卵しません」

「それは重要だな。気をつけよう」

「そこまでシビアではないっすよ。慣れれば目分量でいけっす!」


 そうこうする内に産卵木の加水が終わる。ホカホカ湯気を上げる産卵木をお湯から取り出すと作業台の上におく。それからスクレーパーを取り出して、表面の樹皮を剥き出した。


「これは? なぜ樹皮を剥くんだい?」

「材産みのクワガタは樹皮の下、木の部分を齧って卵座を作って卵を産むんす。剥かなくてもいいんすけど、剥いた方がメスの負担が減るんす」

「ほうほう。そうなのか。勉強になるな」

「剥いた樹皮は転倒防止用の足場に使うんで取っておきます。そしたらいよいよ産卵木の埋め込みでっす」


 コバエシャットMに加水したクヌギマットを入れる。

 まずは3センチの高さになるように、やや硬めに詰めていく。


「一番下はメスの足場になるんで、硬めに詰めるのが良いです。そしたら樹皮を剥いて余分な水分を切った産卵木を並べて置きまっす」


 2本の産卵木を間隔を開けて並べる。その上から更にクヌギマットを被せていく。


「産卵木が8割埋まるまでマットを入れまっす。このマットは硬く詰めなくて大丈夫でっす。産卵木が固定される程度に詰めて欲しいっす」


 まったく未知の世界だったが、見ていると案外簡単そうだ。果たしてこれで、コクワガタメスは卵を産むのだろうか。


「最後に剥いた樹皮を置いて終了でっす。お疲れ様でした!」

「ああ、お疲れ様。それで、さっそくコクワガタメスを入れて良いのかな?」

「あ、それは駄目っす」

「なんだと?」

「誤解しないで欲しいっす。メスちゃんは今、人間に捕まって疲れてるっす。お腹も空いているっす。産卵させるには休息が必要なんすよ」

「あ、なるほど。それもそうか」

「だからまずはこの小さい容器、コバエシャットミニにメスちゃんとプロテインゼリー16gを入れて、餌を食べ切ったら産卵セットに入れて下さい。その時にはゼリーも一緒に入れるのをお忘れなく」


 これで産卵セットの完成。トリカワ君の講義は彼の見た目と違って有意義なものだった。人は見かけによらないとは、まさにこの事だろうか。


「ありがとう、助かった。じゃ、お会計を頼むよ」

「こちらこそありがとうございます! 自分は昆虫、奇蟲担当の鳥川でっす! 分からない事がありましたら、いつでも来店して欲しいっす!」


 別れ際。カブクワ飼育法を紹介しているYouTubeチャンネルの中でトリカワ君のオススメを教えてもらった。一息ついたら見てみよう。


 ◇◇◇◇◇


 購入品を持って帰宅すると20時前だった。残業した時より早い時間だ。ドアを開けると夕飯の匂いが薫る。どうやら今日はカレーらしい。


「ただいま」


 玄関から奥のダイニングに声をかける。


「おかえりなさい。今日は中途半端な時間なのね」


 妻が疑問に思うのも無理はない。趣味のない私は定時なら直帰、残業なら20時を少し過ぎて帰宅するのだから。


 靴を脱いで、産卵セットのコバエシャットMを靴箱の上に置く。コクワガタメスの入ったコバエシャットミニだけを持ってダイニングに入ると、娘の瑠璃がソファーにふんぞり返ってテレビを観ていた。若手お笑い芸人達がワチャワチャやるバラエティー番組である。


「あ、お父さんおかえり」


 瑠璃はテレビから目を離さない。父親が帰って来たのだから、顔くらい見て欲しいと思うのは贅沢な願いだろうか?


「お父さん、すぐにご飯にしますか? それともお風呂ですか?」


 妻の美代子がキッチンから問う。いつもならお風呂で1日の汚れを落としてから夕飯を食べる。定時なら家族団欒で、残業なら1人寂しく。しかし今日は違った。


「お風呂に入るけど、その前に聞いて欲しい事がある」

「なんです? 改まって」

「なに? テレビ中なんだけど」

「たいした話じゃないよ。まあ、これを見てくれ」


 私は自分の椅子に腰掛けた。コバエシャットミニを両手で包み、家族が集まるのを待つ。


「なんなんです、それ」


 まず妻が。


「プレゼント? 何が入ってるの?」


 娘も来る。


 私はもしかしたら拒否されるかもと不安に思い、少しだけドキドキして話を切り出した。


「実は朝に駐車場でな」

「駐車場ですか?」

「なになに、事件?」

「いや、こいつを拾ったんだ。コクワガタのメスだよ」


 そう言ってコバエシャットミニの蓋を開けた。


「コクワガタのメスですか?」

「ママ、コクワガタってなに?」


 2人がコバエシャットミニを覗き込む。そして。


「きゃっ! ゴキブリ!」

「いや! 気持ち悪い!」

「なんです! なんなんです! 早く蓋をして!」

「最悪! お父さん最悪! どういうつもりなのよ!」

「捨てて来て! ゴキブリを家に持ち込むなんて、私への嫌がらせですか!」

「キモい、キモい、キモい! お父さんがゴキブリ!」


 予想を遥かに超える拒否の洗礼を受けてしまう。慌てて蓋をして、ゴキブリではない事を必死に説明するのである。


「驚かせてすまない。まさかクワガタを知らないなんて思わなかったんだ」

「まったく、いい加減にして下さい。まるで子供のイタズラですよ」

「そうだよ。クワガタもゴキブリも同じ見た目じゃん」


 非難轟々の家族をなだめる為、スマホの画像検索でコクワガタを表示して見せた。

 少年時代は当たり前だったそれ。

 小ささの中に風情が漂い、侘び寂びを感じさせるそれ。

 まるで日本人そのものを思わせる、儚く小さく、なんか可愛い虫。


「子供の頃を思い出してね、飼ってみたいんだ。良いかな?」


 たかがコクワガタメス一匹。されど1つの命である。

 家に持ち込んで飼育するなら家族の理解が必須なのだ。

 私は祈る様な思いで妻と娘の答えを待った。


「ゴキブリでないならまあ、お父さんが飼いたいならそれくらい反対はしませんけど」


 歯切れは悪いものの、妻は一応の理解を示してくれた。


「逃げ出したらどうするの? 家の中に黒い虫が歩いていたら、私嫌だよ」


 娘は反対派であった。やはり女の子にはクワガタの良さは理解しづらいらしい。


「逃さない様に気をつけるよ。ほら、最近の虫籠は蓋がしっかりと閉まるから、こじ開けて逃げるなんて出来ないんだ」


 コバエシャットの作りの良さを強調して説得を試みる。実際、パチリとはまる蓋を開けるのはコクワガタには不可能だろう。


「ん〜。玄関ならギリ良いかな? ダイニングには持ち込まないでよ」


 渋々ながら、娘からの承諾をもぎ取る事に成功した。

 肩の荷が降りて、「ふぅ〜」と息が漏れる。少しおっさんくさいかな。


「はいはい。夕飯にしますから、虫は玄関に置いてお風呂に入って下さいね。瑠璃も宿題は終わったの?」


 妻が場を仕切る。娘が「は〜い」と言って自室へ消える。私はコクワガタメスを靴箱の上にそっと置くと、お風呂へ向かったのであった。


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