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コクワガタ飼育記 〜 禁断の累代飼育 40代から沼るニッチな趣味生活 〜  作者: 和三盆光吉


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コクワガタ飼育記 ⑬ 鳥川誠の夢


 午前10時。トリカワ君に促されて温泉宿の前で待機していると、迎えの車がやって来た。


「やあ、はじめまして。誠の大叔父の鳥川作蔵です」


 背筋の伸びた老人はそう名乗った。迷彩服にオレンジベスト。ニュースで目にする猟師の出で立ちだ。


「はじめまして斎藤正樹と申します。今日はよろしくお願いします」

「妻の美代子です」

「娘の瑠璃です」

「鳥川誠です」


 トリカワ君がボケる。すると作蔵さんが蹴りを入れるふりをした。


「こん馬鹿が、いっつもふざけおってからに」

「てへ、ごめんチャイチャイチャイナ」

「阿呆が」

 

 2人の気安いショート漫才を見せられる。正直つまらない。


「誠の奴がもてなしたい友達がおるって言うんで、今日は気張りました。どうぞ乗ってください」

「はぁ、お世話になります」


 目的の場所。作蔵さんの自宅までは10分少々の短い道のり。その時間に作蔵さんは語ってくれた。


「斎藤さんが泊まってる宿を営んでるのが鳥川の本家。誠の祖父は次男、私は三男。農業しながら息子家族と暮らしとります」

「なるほど。農作物は何を?」

「米ですわ。後は自分らで食べる野菜を細々とね」

「その服装は? 猟師のようですが」

「えぇ、猟師ですよ。ほら、左手に見えるあの山」

「はい。凄い山脈ですね」

「大体はあそこで鹿や猪を獲ってます。そんでね、2週間前にね、山にツキノワグマが出たんでライフルでバーンとね」

「ライフルですか!」

「まぁ、怖い」

「鉄砲、凄い!」

「ふはは! ジビエの中でも熊肉はあまり出回らん。特別なルールがあるから勝手には捕れないんですよ。珍しいものだから、今日は腹一杯堪能して下さい」


 そんな話を聞きながら目的の家に到着。

 田舎の農家によくある古い造りの大きな家だ。母屋と離れと農作業用倉庫。そして広い庭。いったいどれ程の金持ちなのかと疑問に思う。


「斎藤さんこっちっす! 準備万端なんで!」


 車を降りるとトリカワ君はウキウキであった。私達を案内して庭の奥へ、そこにはバーベキューの用意をする中年の夫婦と老女と、そして20歳前後の女の子。


「おじさん、おばさん、ばあちゃん。連れてきたっす」

「ようこそいらっしゃい。さあ、遠慮なくどうぞ」

「突然お邪魔してすいません。これ、つまらない物ですが」

「おお〜! 誠が誘ったのに気を使わせて逆に申し訳ない」


 昨日お土産屋で買った地酒の一升瓶×2を中年男性に手渡す。手土産と言ったら昔からこれだ。それが日本の文化。快く受け取ってもらい、トリカワ君がそれぞれを紹介してくる。


 中年男性は作蔵さんの長男の鳥川真司さん。

 中年女性は奥さんの佳代さん。

 老女は作蔵さんの奥さんで珠子さん。

 そして女の子は。


「私はまこちゃんの婚約者の鳥川エレナ。20歳の大学生です。よろしくお願いします」


 そう名乗った。


「ちょっ! エレナちゃん! 婚約してないからね!」


 トリカワ君が慌てる。ご家族はニヤニヤしている。妻は「まぁ」と面白がり、娘は少し不機嫌になった。ほんわかとした空気を真司さんがまとめる。


「斎藤さん外は寒いでしょう。沢山食べて暖まりましょう。地酒もありますし、帰りは宿の者が迎えに来ますから心配なく。さあ、座って座って」

「まこちゃんは私の隣。ここに座って」

「エレナちゃん……」

「え〜! 私も鳥川さんの隣に座る!」

「なにこの子! まこちゃんから離れなさいよ!」

「や、やめようエレナちゃん」

「そうですよ。私、鳥川さんの事を男としては見てないです。お兄ちゃん枠ですから。エレナさんと鳥川さんはお似合いだと思います」

「えっ? え、え、そう? なによこの子、わかってるわね。瑠璃ちゃん? うん、ここに座って」

「はい!」


 私達は何を見せられているのか。

 若者達の恋愛模様などおっさんには心の毒でしかない。

 冷めた気持ちで眺めていると、車を車庫入れした作蔵さんが現れてバーベキューのスタート。

 本日晴朗なれども気温は低い。炭火バーベキュー台の熱がありがたい。

 網の上でジュージューと煙と匂いを上げるジビエ肉達。

 猪は脂が多く味が濃く匂いが強い豚肉。

 鹿肉は沖縄で食べたヤギ汁をかなりマイルドにした感じ。

 …………いや、あれよりずっと美味いか。


 この二種類は昨夜食べた。私は美味しいと思う。家族も美味しいと言っている。問題はメインの熊肉である。薄く切られて大皿に乗せられている。濃い赤身と脂多めの肉質。初めて見る種類の肉だ。


「ジビエ肉ってのはよ、斎藤さん」

「はい」


 作蔵さんはお酒が入った途端に敬語がなくなり、フレンドリーに肉の説明をしてくれる。こちらとしてもその方が落ち着く。


「家畜肉と違ってオス・メスや年齢を選べない。捕れたもんを食わねばならん」

「はい。おっしゃる通り」

「肉の美味さはその時々の獲物のコンディションで変わる。処理の仕方でも変わる。部位でも変わる」


 酔うのが速い。そして機嫌がよろしい。テーブルの反対側ではトリカワ君達若者が談笑している。楽しそうだ。私と妻は老人に捕らわれたのだ。


「この熊は若いメスで出産の経験がない。肉としては最上級だ」

「そうなんですね。とても美味しそうです」

「この時期に冬眠せんで、人里に近い山の中に現れたのはな、それはもう、可哀想な事だよ」

「冬眠しない? なぜです?」

「山に食料がないのさ。腹が減って眠れんのよ。人間だって同じだろうが」

「そうですね。それでなぜ、山に食料がないんです?」

「一つは人間の自然破壊。山が広いように見えても俺等の子供の頃より縮んどる」

「あれでですか?」

「そうだ。二つ目は猟師の減少だ。高齢化が進んでるのに若い者は猟師をやりたがらない。本来山の最高捕食者は日本狼だった。それを人間が滅ぼしちまった」

「はい。日本狼の絶滅は有名な話ですね」

「それでもな。猟師が多かった時期は良かったのさ。人間が狼の代わりをしていたからな」

「うん、うん」

「今は猟師が減って、そのぶん鹿や猪が増えた」

「それの何が問題なんです? 野生動物が増えるのは豊かな証拠では?」

「ところがどっこい違うんだ。特に鹿は食える植物を根こそぎ食っちまう。酷いもんだぜ、人間の畑だって荒らされてんだ。熊の食い扶持なんて残らないんだよ」

「熊は鹿や猪を食べないんですか?」

「本来ツキノワグマは狩りなんてしないさ。植物食の強い雑食のツキノワグマは死んだ動物の肉しか食わん。スカベンジャーって奴な」

「そうなんですか? でもニュースだと人間が襲われていると」

「あれな。人間の食べ物を漁りに来て、ばったり出会って襲うのさ。人間の味を覚えて食うために襲うのは少数派だ」

「……なるほど」


 都会にいては分からない田舎の問題。ジビエを食べて知る事になるとは思わなかった。


「おじいさん、熊肉が焼けましたよ。お話はそのくらいで食べてもらいましょう」

「おお! 焼けたか」


 作蔵さんの奥さん珠子さんが熊肉を皿に乗せて渡してくれた。炭火で焼いた肉は程良く脂が落ちて食欲をそそる匂いがする。


「会津味噌をベースにした我が家の肉タレを付けてどうぞ」


 妻と同時に口へ運ぶ。第一印象は。


「美味い!」

「美味しい!」

「がはは! そうだろう!」


 熊肉は噛むほどに濃厚な旨味があった。スーパーで買えるどの肉とも違う、大自然の味だ。特製の味噌タレが臭味を消して絶妙に合う。初老となった私の胃でもどんどん食べられる。


 宴もたけなわ。瑠璃がトランペットを取り出した。約束していた演奏を始めるのだ。初めて聴く娘のトランペット。ほろ酔いの私の胸も高鳴る。


「じゃ、やりま〜す!」


 トランペットを構える姿が様になっている。可愛い。


 ぷっぷ〜ぷ、ぷっぷ。ぷッぷぷぷ〜。


「ん? んん〜?」


 それは『天〇の城ラ〇ュタのパ〇ー』のラッパ曲であった。娘よ、それでいいのか?


「上手いっす! さすが吹奏楽部!」

「瑠璃ちゃん凄いじゃない!」

「えへへ〜。お耳汚しでした〜」


 返礼にトリカワ君がギターを持ち出した。エレナちゃんの目が輝いている。妻も娘もハイテンション。私も興味がある。


「やるっすよ」


 トリカワ君の奏でる曲は米〇玄師の『Le〇on』だった。

 普通に上手い。負けた気がする。悔しい。


 …………………………


 お昼を過ぎると急激に気温が下がった。続きは家の中でとなる。昔ながらの広い畳間に大きなテーブル。その上には、これでもかと酒のツマミが並べられている。お酒も私の手土産以上に用意されている。会津人はやる気だ。

 爺婆や中年に混ざり、トリカワ君もエレナちゃんも酔いが回って上機嫌。そして彼は語り始めた。


「自分。近い将来ここに移住します」

「へぇ、何をやるんだい?」

「基本は農業を手伝います」

「うん」

「それと猟師もやります」

「危なくないかい?」

「でも、やります。作蔵じいちゃんに師事できる内にやります」


 それはごく近い内という事だ。つまりトリカワ君と離ればなれになるという事だ。


「日本の農業、自然との付き合い方。このままでは駄目になります。誰かが行動を起こさないと」

「うん。そうかもしれないね」

「これからの時代、インターネットが鍵になると思っています。店舗を持たずに日本中をお客にできれば、農家の収入が増えて離農者が減るはずなんです」

「なるほど」

「猟師にしても、今のジビエは食品衛生法、安定供給、猟師と取り扱い店の繋がり。問題が山積みです。でも、お金になるなら猟師をやりたがる人は沢山いるはずです」

「だろうね。ジビエの味を知れば、欲しがる人はいくらでもいるだろう」

「そのために、みっちゃんのロワジールでインターネット販売を試させてもらいました。手応えはあります。きっとやれます」

「そうだったのか」


 トリカワ君は地酒を「ぐっ」と飲み干した。ちょっと据わった目の奥に、確かな決意を感じる。


「……私も」

「うん?」


 トリカワ君の隣で彼女のように振る舞うエレナちゃんも語り出した。


「まこちゃんの考えは絵空事の夢じゃなくて、ここに必要で、やらないといけない夢だから、私も一緒にやります」


 それは愛の告白。ベロベロに酔ったおっさんおばさんには最高の酒のツマミ。


「うむ! 許す! 誠、来年からここに来い!」


 大叔父、作蔵さんが唸る。


「誠! エレナと結婚するなら厳しく農業を仕込むぞ! 甘えはナシだ!」


 父、真司さんが吠えた。


「早い方が良いわね。おばあちゃんが元気な内に、ひ孫の顔を見せないと」

「佳代さん、縁起でもないこと言わないで」


 嫁と姑。冗談が通じるくらい仲は良さそうだ。


「ちょっ! 待って待って! エレナちゃんと結婚するとか言ってないし!」

「まこちゃん! 子供の頃に約束したじゃない!」

「あれは小学生の時でしょ! 俺達は親戚だよ!」

「法律上は問題ないもん! 責任とってよ!」


 その後はそれぞれが好きに騒いで収拾がつかなくなった。

 呑んで騒いで。宿から迎えの車が来て。目が覚めるとチェックアウトの時間になっていた。


「斎藤さま。ご利用ありがとうございました」


 帰りの時間。宿の玄関で主人と女将とトリカワ君の見送りを受ける。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

「いえ、ご主人。トリカワ君にもてなしてもらいましたからお気になさらず」

「……誠は」

「はい?」

「気に入った人ができるとこの宿を紹介するんです」

「そうなんですね」

「子供の頃から不思議と人を見る目があって、常連様の何組かは誠の紹介なんです」

「はは。わかる気がします」

「良ければまた、いらして下さい」

「はい、是非」


 本心からそう思える。最高の年末になった。


「斎藤さん」

「トリカワ君」

「自分もすぐに戻ります。また、お会いしましょう」

「うん。LINEするよ」

「はい! お気をつけて!」


 後ろ髪引かれながら愛車に乗り、再び恐怖の雪道。

 高速に入ればマシになるし、100キロも南下すれば雪もない。我慢、我慢。


 そんな私の気も知らず、妻と娘は。


「お父さん、必ずまた来ましょうね」

「賛成! 来年の旅行もあそこがいい! 次は夏がいい!」

「そうだな。夏なら良いな。そうしよう」


 一年の締め括りに最高の想い出。そして忘れられない出会いになった。


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