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コクワガタ飼育記 〜 禁断の累代飼育 40代から沼るニッチな趣味生活 〜  作者: 和三盆光吉


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コクワガタ飼育記 ⑪ やってみよう! やっちまったね!


 クワガタ幼虫の写真が貼り付けてあります。苦手な方はご注意下さい。


「では始めましょうか」


 まったりと会話を楽しんだ後、みっちゃん店長が号令をかけた。いよいよ産卵木を崩してコクワガタ幼虫を取り出すのである。


「斎藤さん、産卵木を割る道具は数種類あります」

「はい」

「マイナスドライバー、キリ、小刀、彫刻刀、最近は割り出しペンチなんて便利な物もあるんです。要は、自分の使いやすい道具を使う。数をこなしてそれを見つけ出す。そう言う事です」

「はい」

「私はマイナスドライバーとアイスピックを使います。じゃ、失礼して」


 みっちゃん店長はカウンターの上に小型のトロ船を置くと、産卵木を一本手に取った。


「ここに産卵マークがあるでしょう」

「はい、コクワガタ専用の」

「まずね、ここに卵を産み付けてね、孵った幼虫はまだ小さいからこの辺りにいるはずなんです。だからアイスピックで木の繊維に沿ってプスプスと慎重に周囲を刺す。強く刺すと幼虫を潰してしまう事が多々あるから気をつけて。要領は駄菓子の型抜きかな。やった事あります?」

「はぁ、子供の頃にお祭りの屋台で」

「うん、そう。そんな感じ。そしたらほら、ミシン目と同じ理屈だから、ちょっと梃子してやれば、ほら」


 みっちゃん店長がアイスピックでミシン目をつけた周囲をペリッ。傷に沿って木が綺麗に剥がれる。そして。


「あ! あ、あ、あ〜!」

「いましたね。ちっちゃいね。これは初令幼虫だね」

「いた、いた、いた、チョキの幼虫がいた……」


 年甲斐もなく興奮する。こんなに興奮したのは数年ぶりだろう。前回興奮したのは、通勤中にDQNに煽られて事故になりかけた時。あの時はドラレコの映像を証拠に警察に相談した。

 結局、警察は「無事で良かったですね。結果何も起こらなかったので、被害届は受理出来ません。情報提供と言う事で、パトロールは強化します」と、抜かしやがる。

 あの時は怒りで興奮したが、今は喜びでの興奮。


「ご、5ミリくらい。でも、形がちゃんと分かる。粉状の木屑が詰まったトンネルがあって、その先にいる」

「そうです。これが食痕。粉状の木屑は食べカスとか糞」

「はい、YouTubeで見た通りです。これが生食痕か」

「第一号おめでとう。この子はお腹に木屑がパンパンに詰まって元気なんで、菌糸カップに入れますね」

「はい! 早く入れてあげて下さい」

「いや、斎藤さん、慌てずに」

「これが慌てずにいられますか! 見て下さいこの子、突然暴露されて怯えて不安そうですよ!」

「そうですね。でも、少しくらい大丈夫」

「大丈夫? それって、みっちゃん店長の感想ですよね!」


 大人気なく食い下がる。大切なチョキベビーを守らなければと気が流行る。すると。


「ぷっ、あははは! さ、斎藤さん、ふはは!」

「んぉ?」


 よほど変だったのか、隣のトリカワ君が笑い出した。

 一瞬ムカッとしたが、屈託なく「ケラケラ」笑う青年の姿に毒気を抜かれて、少し冷静になれた。

 いかんいかん。いい歳して、幼虫一匹でこんなに熱くなるなんて、反省。


「割り出して一匹ずつ菌糸に入れても良いんすけど、観察のしやすさと達成感を得るために、この製氷トレイに一旦置きましょう。良いっすか?」


 トリカワ君が取り出したのはご家庭で氷を作る例のアレであった。なるほど。これなら小分けされていて観察しやすい。


「うん。すまなかった。みっちゃん店長、そうして下さい」

「はい、じゃあ続けますよ」


 気を取り直して割り出し再開。みっちゃん店長は丁寧な説明を交えながら熟練の手捌きで幼虫を取り出していく。


「一本目はこんなものかな。もう材の芯に到達したんでこれでおしまい。全部で11匹だね」

「……凄い」


 製氷トレイに仮置きされて蠢く極小の幼虫達。その全てが初令幼虫だ。産卵木は2本ある。片方だけで11匹は大漁ではなかろうか。


「もう一つの産卵木は斎藤さんが割ってみますか?」

「私がですか? いや、でも……」


 突然振られる。心の準備は出来ていない。なんせ相手は極小の幼虫である。チョキのベビーである。万が一にも殺してしまったらと不安がよぎる。


「斎藤さん、やった方が良いっすよ。これもクワガタ飼育の醍醐味っすから」

「そうは言うけどトリカワ君」

「斎藤さんね、割り出しで幼虫を潰しちゃうのは誰もが経験する事ですよ。それをいちいち気にしていたらクワガタの累代飼育は出来ないし、経験を積まないと上手くもならない。そうでしょう?」

「……はい」


 累代飼育。

 もし私がこの一回限りでクワガタ飼育を止めるなら、全てをみっちゃん店長に任せてもいい。

 しかしそうならないだろう事は、魂の高鳴りで分かっていた。ショップに来て初めて生で目にする世界中のクワカブ達。オオクワガタもヘラクレスオオカブトも。対照的に極小のパラレリピペドゥスオオクワガタも。私の目には全てが魅惑的で宝石の様に映っていた。


「やります。よろしくご指導お願いします」


 久し振りに謙虚な気持ちになって頭を下げた。


「じゃ、アイスピックを持って、まずはここから」

「はい」

「優しくね」

「こうですね」

「そう、上手いよ。お、取れたね」

「やった!」

「次はここ」

「了解」

「力まないでね」

「はい。……あっ!」

「お?」

「あ、あぁ〜! 何か感触が! 悪い予感がする!」

「やっちまったね。まあ、気にしない。次」

「うぅ〜、はい〜」

「ここはどうかな?」

「はい。……あれ? あ! 卵だ!」

「やっぱり出たね。これは明日か明後日には孵るね。発酵マットに保管しよう」

「はい。ちっちゃいですね。それに丸いです」

「産まれたては楕円。周囲の水分を吸収しながら幼虫が育っていくと円形になる。ほら、幼虫が透けて見えるでしょう」

「いえ、わかりません」

「ハハハ。正直で良いね。沢山こなして慣れれば分かるようになるよ」

「はい」


 いつの間にかみっちゃん店長は敬語を止めていた。私もそれを不快には感じず、むしろ新入社員の頃、会社のベテランに教えを受けた時の事を懐かしく思い出していた。


「随分と取れたね。何匹いるかな?」

「え〜と。2令幼虫が3匹。初令幼虫が17匹。卵が一つ。合計21匹です」


 殺してしまった幼虫も含めれば22匹。すまぬチョキ。


「ではね、ド初令の5匹は発酵マットに入れるよ。ほら、特に小さくてお腹の膨らみが控えめでしょう。この時期に菌糸に入れても、菌糸の成長に押し負けて死んでしまう可能性が高いんだ。だから安全策を取って、有益なバクテリアがふんだんに入った発酵マットで2週間ほど育てる。一種の保育器だね」


 発酵マットとは、広葉樹の木屑に栄養剤(小麦粉、フスマ、きな粉など)を入れて、微生物の力で発酵分解させた幼虫の餌だ。


 クワガタ飼育の黎明期において、幼虫飼育は材飼育という方法しかなかったらしい。これは産卵木の中に幼虫を一匹入れて放置する方法だ。これだと成長過程を観察出来ないし、そもそも産卵木は椎茸原木栽培の廃材を利用しているから栄養も足りない。

 1年かそれ以上放置して、クワガタが自力で出てくるか、もしくは感で成長を予想して割り出すか。想像すると根気のいる退屈な飼育方法だ。


 そこから時代が進んで発明されたのが発酵マット。

 これは栄養価も高いし、透明な瓶に詰めれば成長観察もバッチリ。クワガタ幼虫飼育は発酵マットによって飛躍的に向上したと言う。


「はい、これで良し。卵と合わせて600万円です」

「ぷっ!」

「みっちゃん、ネタが古いっす」

「そうか? 時代を超えて通用すると思うけどな」


 楽しい。少年の日に帰ったようだ。これは会社の同僚と呑みに行って愚痴るのとはまるで違う、純粋な趣味の楽しみだ。


「斎藤さん、次は菌糸カップっす。これっす、真っ白な塊」


 トリカワ君が商品棚から菌糸カップを必要分取った。


「これが生菌糸。YouTubeで調べては来たけど、不思議な物だね」


 菌糸とはキノコの菌の事だ。これはとある偉大な先人が考え出した飼育方法で、野生のオオクワガタ幼虫がカワラタケ(白色腐朽菌)に支配された朽ち木に多く住み、そこで育った幼虫が比較的大型の成虫になる事にヒントを得て、食用キノコの人工栽培技術を応用して編み出された。


 大半のクワガタの幼虫はキノコ菌によって分解された植物質を好んで食べる。これはキノコ菌が植物中のセルロースとかリグニンとかを分解して、幼虫が消化吸収しやすい様にしているから。人間だって体に良い物を食べればガタイが良くなるのと同じ理屈。


 最初期の菌糸ビンは品質が安定せず、幼虫の死亡も多かったという。しかし発想の方向性の正しさに確信を持った先人達。つまりガチのクワガタブリーダー達が試行錯誤を繰り返して、こんにちの安定した高品質菌糸ビンを作り出した。そんな壮大な歴史があるらしい。


「菌糸カップの端を少しほじくる。幼虫が入る分ね」

「はい」

「そして入れる。その時に産卵木から取った食べカスも入れてやる。カスには幼虫の共生菌が住んでいるから落ち着くんだよ」

「なるほど。人間の腸内細菌と同じですね」

「そう。メス親から受け継いだ共生菌が卵や幼虫を守る。生き物って神秘の塊だと思わないかい?」


 生き物は小宇宙。まさか拾ったコクワガタから学ぶとは、人生とは分からないものだ。私はみっちゃん店長の言葉に賛同して頷いた。


「はい! これで終了。菌糸カップ15個×150円で2250円。合わせて2850万円です。毎度あり」


 全ての幼虫と卵をプリンカップに投入し終えると、なんとも言えない達成感が押し寄せた。これから幼虫達はここで成長していくのだ。大きく育って欲しい。元気な成虫になって欲しい。お金を払いながら、そう願った。


「ところで斎藤さん」

「はい。なんでしょう?」

「実は耳寄りな話があるんだが」


 みっちゃん店長がニヤリと笑う。トリカワ君もニヤニヤしている。もしや、ここに来て怪しい勧誘だろうか?


「最近の日本は暑いよね」

「えぇ、そうですね。連日熱中症の犠牲者が出ていますね」

「クワガタの幼虫だって暑い。そうだろう」

「はぁ、確かに」

「幼虫を保管する場所が24時間温度管理出来ないと、最悪死ぬよね」

「そうですよね、困ります」

「死なないまでも、高温と高栄養で早期羽化ってのがあってね」

「……早期羽化? ですか」

「うん。初令幼虫から成虫になるまで3〜4カ月っていうハイスピード成長の事」

「え? 普通は1年前後ですよね?」

「そう! 早期羽化とは異常な状態。だから大きく育たない。大切な幼虫が小さく羽化するなんて、面白くないよね」

「確かに」

「そこでだ」

「どこです?」

「店の奥だよ」

「奥ですか?」

「奥なんだよ、レンタルスペース」

「レンタルスペース?」


 みっちゃん店長とトリカワ君は私を店の奥へ誘った。

 元は洗濯屋である。奥は作業スペースだったのだろう。かなり広い空間に、ヒンヤリとした空気。そして壁際に並んだスチールラック、ラック、ラック。更に部屋の中央には大きめのテーブルが一つ。そしてスチールラックには大量の菌糸ビンがズラリと並ぶ。


「ここは24時間温度管理したレンタルスペース。スチールラック一段分を月極め3000円で貸し出してる。温度は常時22度に設定。たいていの種類に対応しているよ」


 スチールラックは一台に5段。壁際に8台並んでいる。

 5段×8台×3000円=月に12万円の家賃収入か。凄い。


「ちょうど一段空いていてね。見ての通りウチは防犯がザルだから、信用出来る常連にだけ貸し出してる。後は自己責任って事になるんだが、斎藤さんはトリィの紹介だから特別だよ」


 呆気に取られて答えに詰まる私に、トリカワ君が追撃。


「棚一段分で月に3000円は安いっす。他はもっと高いっす。自分も借りてますし、今までイタズラや盗難のトラブルは起きてないっす」

「幼虫を大きくしたいなら低温飼育は基本だしな。中央のテーブルは作業用に使ったり、常連の談話に使っても良い。飲食物持ち込み自由だよ(掃除はしてね)」


 月3000円。お小遣いで十分払える。これまで趣味のなかった私だ。毎月余ったお小遣いはコツコツ貯めてある。いける。可愛いチョキベビー達のために断る理由など見当たらない。


「借ります」

「毎度あり!」

「嬉しいっす!」


 こうして私はロワジールクワカブショップの常連となった。


 挿絵(By みてみん)


 でも〜、クワカブの幼虫は可愛いですよね?

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