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コクワガタ飼育記 〜 禁断の累代飼育 40代から沼るニッチな趣味生活 〜  作者: 和三盆光吉


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コクワガタ飼育記 ⑩ ロワジール


 クワガタの写真が貼り付けてあります。苦手な方はご注意下さい。でも最後までお読み下さい。


 8月16日土曜日曇り


 今日はチョキベビーを割り出す日だ。

 割り出しとは、産卵木を崩して中から幼虫を取り出す作業のこと。YouTubeで散々勉強したが、実地は初体験。なのでトリカワ君の計らいで隣街のカブクワ専門店にお邪魔する。何でもトリカワ君が中学生の時から入り浸っているお店らしい。そこの店長はトリカワ君曰くカブクワの師匠であると言う。私は少しの不安と大きなワクワクを胸に、カーナビの指示に従って愛車を走らせている。


(隣街だから主要道路は知っているけど脇道は分からん。あそこを曲がって、そこを曲がって。うん、駅から徒歩15分程度の場所だな。駐車場はないからコインパーキングっと)


 目的の場所に到着する。そこは市道沿いに並ぶ民家に混ざった古く小さな建物だった。おそらく元は個人商店なのだろう。たぶんクリーニング屋とかそんな感じだ。

 いや。今も個人商店だろうが、建物の雰囲気が平成初期を連想させる。


 入り口に看板が掲げられている。ロワジールクワカブショップ。うん。ちょっと入りづらい。取りあえずトリカワ君にLINE。


『到着。お店の前にいる。よろ』

 ピロン。

『お待ちしてました。遠慮なく入って来て下さい』


 返信が早い。トリカワ君は既に店の中だ。

 私は旅先で見つけた個人の居酒屋に入る気分になる。

 暖簾を潜ると地元の常連で満席だったり、頑固店主が無愛想だったり。ローカルルールが分からず馬鹿にされたり。

 そんな不安を押し留め、覚悟を決めて店の引き戸を開けた。


「こんにちは。お邪魔します」


 扉を潜ると、そこは別世界であった。視覚と嗅覚が、私の知らない異世界だと教えてくれる。

 まずは十畳ほどの店内に所狭しと置かれた棚と虫ケース。どれにもラベルが張ってあり、種類と羽化日と値段が表示されている。

 次は匂い。これはかなり独特だ。私は気にならないが、人によっては嫌うかもしれない。なんだか新鮮なエリンギっぽい匂いもする。


「斎藤さんお疲れ様っす! こっちこっち!」


 奥のカウンターからトリカワ君に呼ばれる。隣には見知らぬおっさんが一人。件の店長だと思われ、見た目は何処にでもいそうな中肉中背のおっさんだ。


「どうもはじめまして。斎藤正樹と申します。本日はお世話になります」


 カウンターまで進み店長に軽く会釈する。


「はじめまして。ロワジールクワカブショップのオーナー、三輪光太郎みわみつたろうです」


 おっさんは好々爺という雰囲気である。客商売なのだから無愛想では務まらないのは分かるが、それを差し引いても笑顔だ。きっとカブクワが大好きで、趣味を同じくする人も好きなのだ。


「店長は『みっちゃん』の愛称で通ってるっす。今年で62歳、脂の乗った爺様です」

「おい、トリィ。変な紹介をするな」

「変じゃないっすよ。自分はみっちゃんをリスペクトしてるんで」

「たくっ。調子の良い奴。……それで、斎藤さん」

「はい」

「まずは座って下さい。さ、どうぞ」


 みっちゃん店長にパイプ椅子を進められてカウンターの横に座る。トリカワ君もみっちゃん店長も座る。


「トリィの話だと、初めての割り出しだとか?」

「えぇ、そうなんです。これ、このコクワガタの産卵セットです」

「ほうほう。良いですね。やはり日本人ならコクワガタに始まりコクワガタで終わる。こうでなくては」


 産卵セットを手渡すと、早速蓋を開けて中を覗くみっちゃん店長。ボコボコの産卵木を手にとって、何やら齧り跡を数えている。


「斎藤さん」

「はい」

「割り出し指導は初回サービスと言う事で無料で結構です」

「あ、はい。ありがとうございます」

「でも幼虫を入れる餌はどうしますか? ここで発酵マットも菌糸プリンカップも用意出来ますが、その場合お買い上げになります」


 答えはもちろんイエスだ。なんせ私は幼虫の餌は一切用意していない。何故かと言えば、トリカワ君がクワカブショップで買えるから大丈夫と太鼓判を押したからだ。


「はい、購入でお願いします」

「分かりました。今回はセット1カ月、メスを抜いて20日ですよね?」

「えぇ、そうです」

「そうなると、ほとんどが初令。後は2令初期と、もしかしたら卵ですね。初令と2令は菌糸に入れます。卵と初令初期は発酵マットで一時保管します。菌糸200ccカップが一個150円、発酵マット200ccカップが100円です。よろしいでしょうか?」


 この辺りの価格帯は調べてあるので分かる。良心的な値段だと思う。


「ウチの菌糸はオオヒラタケ系です。構いませんよね」

「はい、お願いします」


 クワガタ幼虫用菌糸には大きく分けて、ヒラタケ、オオヒラタケ、カワラタケが用いられる。最近はカンタケとかシワタケとかあるらしいが、初心者の私にはわからない。

 ヒラタケ、オオヒラタケは、コクワガタ、ヒラタクワガタ、オオクワガタに良いらしい。カワラタケはオウゴンオニクワガタやタランドゥスオオツヤクワガタに良いらしい。


「では作業の前に。……トリィ」

「なんすか? みっちゃん」

「外の自販機でお茶を買って来てくれよ」

「あ、了解っす」


 私は慌てた。そんなに気を使ってもらっては恐縮するし、お茶を買うならお金を出す。


「いやいや、まあまあ。お近づきの印に遠慮なく」


 そう言って私を制するみっちゃん店長。トリカワ君は私を置き去りにしてさっさと店を出て行った。


「トリィは孫みたいなもんなんで、孫が連れてきたお客さんは嬉しいんですよ」

「はぁ、トリカワ君をトリィと呼んでいるんですね」

「あの通り人懐っこい奴なんで、斎藤さんもトリィと呼んだら良いです」

「いえ、私は、はぁ……」


 私のコミュ力は並。フレンドリーな態度に移行するには時間と切っ掛けが必要なのだ。


「このお店ね……」

「はぁ」

「死んだ両親が洗濯屋を営んでいたんですよ」

「あ、やっぱり」

「わかります?」

「えぇ、造りで何となく。懐かしい感じがしたんです」

「そうですか。そうですよね」


 トリカワ君が戻るまでの短い間。みっちゃん店長はポツポツと語ってくれた。


「私も子供の頃からクワガタやカブトムシが大好きで、それはもう夏になると捕りまくりました。ハハハ」

「なるほど」

「大人に成っても熱が冷めなくて、そしたら外国産クワカブの輸入解禁で空前のムシブーム。あの時は楽しかった」

「私も覚えています。ニュースで賑わって、近所のホームセンターでも特設コーナーが出来て、書店には飼育本が平積み。そんな時代でしたね」

「うん、うん。私はその頃、趣味で細々とやっていたんです。国産を中心に、後はブームに乗ってホペイとかアンタエウスとかグランディスとか」

「はぁ、わかりません」

「ハハハ! まあ、これからわかりますよ。クワカブは一度ハマると底なし沼ですから」

「底なし沼ですか。少し怖いですね」

「怖いですよ。私はこの場所、両親の遺した洗濯屋を相続してクワカブショップを始めたんです。趣味の延長なんで、本業の合間に不定期でお店を開いて、友達の常連だけを相手にして、商売と呼べる物ではなかったんです」

「そうなんですね。トリカワ君はその頃から?」

「トリィとは10年くらいの付き合いかな? 初めは買いもしないのに、年中遊びに来るウザい子供だと思いました」

「ハハ、それはなんとも」

「でもね、長く付き合うと可愛いものです。さっきも言いましたが孫ですよ。それに、60の定年を切っ掛けにショップに専念する事にして、それから随分と助けて貰ってます」

「助け、ですか?」

「えぇ、インターネットで虫を販売するんです。通販って奴。こんな辺鄙な場所なんで、来店するお客さんは高がしれてる。でもインターネットなら日本中から注文が来る。そしたらまあ、年金と合わせて年寄りが趣味を楽しむくらいの売り上げがあるんです」


 人に歴史あり。それぞれの人生は聞いてみると面白い。私はついでに店名について尋ねた。ロワジールとはどんな意味の言葉なのだろうと。


「あれはフランス語で『趣味』とか『楽しみ』という意味です。お恥ずかしい、私も若い頃は中二病だったので。ハハハ」


 そう言ってみっちゃん店長は頭を掻いた。

 頭髪の寂しい頭皮からフケが床に落ちる。同時に髪も少し落ちる。恐ろしい。これは他人事ではない。頭皮のケアを気を付けなければ。


「ただいまっす! お待たせしました!」


 話が一段落したナイスなタイミングでトリカワ君が帰って来た。手にビニール袋を下げている。どうやらコンビニまで行っていたらしい。


「トリィ、すまんな」

「無問題っす。お菓子も買ったんで、食べてから作業を始めましょう」

「うむ。斎藤さんのお時間は大丈夫ですか?」

「あ、はい。今日は夕方までフリーです」

「じゃあ、決まりっす!」


 カウンターにお菓子と飲み物を並べる。私の分は微糖コーヒー。トリカワ君はいつの間に私の好みを把握したのだろう?


「斎藤さん、国産オオクワガタを見て下さいっす」

「ほうほう」

「今年の5月にみっちゃんが羽化させた86ミリです」

「でかい! エグいな。日本のオオクワガタがこんなに大きくなるものなのか?」

「大型個体を選別して、何年も掛け合わせて、いい餌と温度管理で育てるっす。でもでも、レコード個体は94ミリオーバーっすから」

「想像出来ない。本当に国産種なのかい?」

「そういう事になってるっす! 次はこれ、パラワンオオヒラタクワガタ108ミリ!」

「ぐぁ! 更にデカい! これはクワガタなのか? 別の昆虫では?」

「インドネシアパラワン島のヒラタクワガタっす。レコード個体は115ミリオーバーっす。こいつはまだまだっすね」

「いや、十分だろう。値段もエグいな」

「クワカブは大きさと希少性で値段が変わるっすから。さぁ、こいつも見て下さい。チャグロサソリです」

「え? サソリ? 初めて生で見た。小さくて可愛いね」

「こいつはベビーです。自分が繁殖させて、ここで委託販売してるっす」

「ベビー? 委託販売?」

「そっす。お客さんが育てた余剰品をホームぺージで紹介して、手数料を貰って委託販売してるっす。斎藤さんのコクワガタもデカいのが育ったら売れますよ?」

「そうなのか。ちなみにデカいって、どのくらい?」

「まぁ、50ミリオーバーからっす。そのレベルだと野外でなかなか取れないんで。それ以下だと、あんまり」

「50ミリオーバーか。いくらで売れるのかな?」

「1000円は固いっす。後は1ミリ大きくなる毎に値が上がって、面白い産地の付加価値とかでも値が上がります」

「へぇ〜、夢があるね。趣味でお小遣い稼ぎができたら良いなぁ〜」

「ですよね〜。それを可能にするのがネット販売とロワジールクワカブショップの信用なんす」

「うん。信用は大事だね」

「そっす」


 楽しい。これは確かに、底なし沼にハマりそうだ。


 挿絵(By みてみん)

 店長の愛称みっちゃんは、分かる方には分かると思います。

 リスペクトです。あくまでリスペクトです。どうか見逃して下さい。本気リスペクトなので。

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