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コクワガタ飼育記 〜 禁断の累代飼育 40代から沼るニッチな趣味生活 〜  作者: 和三盆光吉


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コクワガタ飼育記 ① 出逢い

 和三盆光良と申します。よろしくお願い致します。

 クワガタの写真が貼り付けてあります。苦手な方はご注意下さい。


 良く晴れた朝だった。マンションのドアを開けて外へ出た途端、強い陽射しとムッとする熱気が体を叩く。


 私は斎藤正樹さいとうまさき。今年で43歳になるしがないサラリーマンだ。

 家族は2歳下の妻、美代子みよこと中学2年生の娘、瑠璃るり

 家は中古で購入した25年ローンの3LDKのマンション。

 愛車は通勤から家族旅行まで、生活全般を支えてくれるワ〇ンRの白。仕事は地元の工業団地にある、可も不可もない中規模の鍍金メッキ工場。


 若い頃はスノボーやフットサルなど流行りのスポーツを齧ったり、一時期はルアーフィッシングにハマったり、競馬や麻雀やパチンコなどのギャンブルも少しはやった。

 けれど、そのどれも生涯の趣味と呼べるレベルには昇華しなかった。熱しやすく冷めやすい、典型的なB型人間なので数年やって熱を失い、やがて自然消滅的にやめる。その繰り返し。現在これと言った趣味はない。


 今は家と会社を往復して、休みの日に家族で買い物に出掛け、年に一度は家族旅行。それだけの空虚な日々だ。

 生活に対して特に不満はない。

 妻との仲は悪くないし、娘は反抗期だが、素行は良く学校の成績は中の上。部活は吹奏楽部でトランペットを担当して頑張っているそうだ。部活に入る時に三万円のトランペットを買わされたが未だに音を聴いた事がない。何故ならマンションが楽器禁止だから。


 たまに発表会や市や県のコンクールがあり、「見に行きたい」と言えば「え〜。恥ずいからお父さんは来なくて良いよ」と返される。

 悲しい。男親とはこんなものか。思春期を迎えた娘が男親を避けるのは風の噂で知っていた。小さな頃は「パパ、パパ」だったのに、いつの間にか「お父さん」呼びに変わっていた。噂通りだ。物悲しいと感じる時もあるが、それでもグレる事なくハツラツとした我が子の成長は嬉しい。このまま何事もなく育ってくれるなら、多少の塩対応は目を瞑ろう。


 大学を卒業して新卒で入った会社も今ではベテランの域で係長。若い後輩に頼られる事も多く、先輩の務めとして月に一度は誰かしらを呑みに連れて行きスキンシップをとる。

 昨今さっこんは呑みに誘うのもノミハラだとかなんだとか言われているが、幸い私の周囲にハラスメントを訴える者はいなかった。呑みとはスキンシップの手段として手っ取り早く簡単なツールである。人間お酒が入れば気分が軽くなって饒舌になり、会話が増えれば親密さが増す。若者から避けられていない私は幸せだと思う。おじさんは小さな幸せは大事にしなければ……。


 さて、自分語りはこのくらいにして本題に入ろう。

 その日の朝。6月の中頃だった。本来なら梅雨の季節。しかしその年は雨が少ない、いわゆる空梅雨であり、朝から真夏のように暑かった。


 今からこの暑さでは先が思いやられる。そう心の中で愚痴を零して駐車場へ。そして愛車に乗ろうとした時、足下に蠢く小さな小さな、黒い虫の存在に気が付いた。


 「おや?」


 思わず声が出た。独り言だ。

 これは老化の現れなのか、それとも元々の性格なのか。とにかく独り言はよろしくない。私は少々の気恥ずかしさで辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、足下へ意識を向けた。


 それは朝日を反射して黒光りする小さな甲虫だった。

 陽の熱さを避けようとして、愛車のタイヤの陰に隠れようと藻掻いている。見覚えのある虫だ。ゴキブリやカナブンやゴミ虫ダマシとは違う。


 丸みを帯びた2センチほどの体。小さく丸い頭に、これまた小さなハサミ? 顎? が付いている。

 私はこれを知っている。夏になると一気に人気が出る2大巨頭の一翼を担う虫だ。少年の日、友人達と共に自転車を駆けさせて、こいつらを捕るために街中の公園や林や梨園を回った。


 懐かしい。ワシャワシャと動くそれを指で摘んで手に乗せる。直接触るなどいつ以来だろうか。顔を近づけてよく観察する。


「コクワガタのメスか。この辺りにもまだいるんだな」


 おっと。またまた独り言。いけない、周囲を見る。大丈夫、誰もいない。良し。改めてコクワガタメスへ目を向けた。


 数十年ぶりに見たそれは、不思議とコクワガタメスだと確信が持てる。似たような虫は他にも沢山いるが、カブトムシとクワガタムシは間違えた事がない。


 指と指の隙間に頭を突っ込み必死に隠れようと足掻くそれは、不快昆虫とは一線を画す風情があり、くすぐったくも愛らしいと思えた。


 ◇◇◇◇◇


 出勤時間も忘れて手の平でコクワガタメスを遊ばせていると、少年の頃の夏休みが脳裏に蘇る。毎日毎日、両親の庇護下で世の中の移り変わりなど心配せず、他愛のない出来事に一喜一憂していた。


 朝起きて、母の作った朝ご飯を父や姉弟と食べる。

 「よく噛んで食べなさい」と諭す母を無視してガツガツ早食いすると、次は学校の校庭で開催されている夏休みのラジオ体操へと足早に向かう。途中クラスメイト達と合流して、おしゃべりしながら歩くのが楽しい。


 いつもの校舎、いつもの校庭。なのに夏休み中だと見知らぬ場所のように感じられて、胸がワクワクときめいた。

 ラジオ体操は強制参加ではないが、全校生徒の半分以上が集まっている。当番の教師が壇上に登り、例の音楽が流れて、皆同じ動きで体をほぐすのだ。

 数分間の単調な動きだが、終わる頃には汗だく。出席カードにハンコを押してもらい、隙間なく埋まっていくハンコにほくそ笑む。

 プール開放日はそのままプールへ。それ以外の日は友人達と校舎で遊び、お昼ご飯の時間に一旦家へ帰る。その繰り返し。


 ある日の事。クラスメイトの田中君がカブトムシオスを虫籠に入れて持ってきた。昆虫界の重戦車。黒茶色で天に向かってそそり立つ角がカッコいい。

 聞けば梨園のクズ捨て場にカブトムシやクワガタが大量に群れていると言う。田中君の祖父母と伯父夫婦が地元で梨農家を営んでいるので、頼べば梨園の中に入れてもらえるらしい。私はもちろんの事、男子達はその話に興奮して、次の日はラジオ体操の後に梨園へ行く事になった。


 いつも通りの朝。そしてラジオ体操。それが終わると仲良しクラスメイト数人が自転車を飛ばして田中君の親戚の梨園へ。十数分で現地に到着すると、梨園の中ではお爺さんとお婆さんが作業をしていた。田中君の祖父母だ。話は通っているので勝手に入って良いとの事。ただし絶対に梨の木に触れてはいけないと念を押される。


 挨拶をして梨園の隅に行く。そこには大人1人がすっぽり収まる穴があり、中には間引きや成長途中で傷のついた梨の実が捨てられていた。腐敗臭と共に甘い匂いが漂い、臭い。


「いた! カブトムシだ!」


 野球好きの中村君が叫んだ。


「すげぇ〜いる! あっ! ノコギリクワガタもいた!」


 恐竜博士の村田君が目ざとくノコギリクワガタを見つける。


 穴の中を覗き込めば、そこかしこにカブトムシとクワガタムシ。少年の私も一瞬で虜になって目の色を変えた。

 そこからはもう、汚れるのも気にせず穴に入り、ワイワイと夢中になっているだけの虫を取り尽くす。30分もすると、それぞれ用意した虫籠が一杯になっていた。


 ◇◇◇◇◇


 久しく忘れていた想い出だ。コクワガタメス一匹で古い記憶を思い出し、かつての友人達を懐かしく思う。

 彼らも今では私と同じ中年のおっさん。地元を離れた者もいれば、残っている者もいる。

 田中君は大学卒業と共に他県の会社に就職。そのまま疎遠になってしまった。彼の祖父母は既に他界。伯父は時代の流れで梨農家を廃業。土地を売って何処かへ引っ越すと、かつて梨園だった場所は住宅地に変わっている。


 子供の頃に駆け回った自然はもうどこにもない。

 いつまでも普通にいると信じていたカブトムシもクワガタムシも、胸躍らせた想い出と共に消えていた。


「おっと、もうこんな時間か」


 いつの間にかそれなりの時間が過ぎていた。

 早く出なければ通勤渋滞に嵌ってしまう。


 その時の私の心理がどの様なものであったのか?

 後になって振り返ってもよくわからない。

 ただその時。ごく当たり前のように。

 手の平で蠢くコクワガタメスを飼ってみようと決心した。

 2センチあるかないかの小さな虫だ。犬猫を飼うのとは比較にならない程ハードルは低い。このくらい、妻も娘も許してくれるだろう。そう考えて、入れ物が必要な事に気が付いた。

 今から家へ戻るのは時間が足りない。かと言って、ビニール袋では駄目だろう。何かないかと愛車を覗き込むと、昨日コンビニで買ったアイスコーヒーの蓋付きプラコップがドリンクホルダーにあるのを見つけた。


「取り敢えず、あれで良いか……」


 コクワガタメスをコップに入れて蓋をする。クリアコップなので中は良く見える。コップから逃げ出そうと忙しなく動き回るコクワガタを横目に、会社へと車を走らせるのである。


 挿絵(By みてみん)

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