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第16話 再出発

 謁見の間は、冷えた石の香りで満たされていた。足音が一歩ごとに広がり、壁にかけられたマスター地図のタペストリーが、微かな気流で揺れる。


 異世界に来てから、最初の謁見や測量後の報告で何度もこの部屋を訪れた。王やアーヴェル、城の重臣たちに称えられ、セレナやギルと肩を並べてタペストリーを見上げた記憶。

 けれど今は、その石の冷たさが、まるでわたしを拒むように感じられる。


 ――同じ場所なのに、空気が違う。


 幽閉の間に、季節が変わったような錯覚を覚える。

 外に出ず、窓を開けることもできない空間で過ごしたせいか、肌に触れる空気が刺すほど鋭い。


「白地図化は進行している。特に東の穀倉地帯が深刻だ。このままでは小麦の収穫が半減するとの報告が上がっている」


 国王の声は、広間の奥で重く反響した。

 塔の部屋に幽閉されてから、何日経ったのかは覚えていないけど……。


 ――確かにしばらく見ない間に、随分みすぼらしくなったのね。


 わたしは壁一杯に吊るされたタペストリーを見上げる。たしか黄金色だった右側一帯が白茶けている。白い筋は街道? 浮き出た血管のように見える。


「凛殿、疑いは晴れた。もう一度、測量士としてはたらいてはもらえないか」


 国王が、深々と頭を下げる。王の隣に立つセレナも硬い表情のまま、頭を下げた。


 ――セレナ、どうして……?


 こんな場所では、話はできない。幽閉されている間、セレナは一度も部屋を訪れなかった。なにか事情があるのだろう。そうは思うけど、わたしの中に、モヤモヤしたものがあるのは確かだ。突然異世界に連れてこられて、それでも精一杯自分ができることをやってきた理由の半分は、セレナを助けたい、という気持ちからだ。


「その前に、わたしのセオドライトと杖を返してください」


 わたしは胸の奥のざらつきを押し込め、アーヴェルを睨みつけていった。


 ――壊していたら許さないわよ。


 現実問題として、セオドライトとコーナーキューブ・プリズムがなければ、測量はできない。


「もちろんですとも。――技師長、持ってきなさい」


 アーヴェルは部下に持ってこさせた。


 ――謝罪なしかよ。


 国王とセレナに頭を下げさせて置きながら、白々しいアーヴェルの口調に、心のなかで毒づく。

 白い手袋をした部下が、銀のワゴンを押してきた。セオドライトとコーナーキューブ・プリズムをつけた杖は、ワゴンの上にヴェルヴェットのような質感の布にくるまれていた。わたしはセオドライトの望遠鏡を覗き、レンズや目盛りを一つずつ確かめる。コーナーキューブ・プリズムにも割れや傷はなかった。


 ――よかった。壊れてない。


 手に馴染んだ道具たちが、手元に戻って少し呼吸が楽になった気がした。


「わかりました。白地図化を止めるため、もう一度測量士としてはたらきます」


 わたしは国王に宣言した。国王の目が安堵に揺れ、セレナの肩が僅かに下がった。


 ◇


 城門を出ると、夏の陽は淡く、風は乾いていた。わたしたちの前を、親衛隊が進み、後ろに地理院の測量士たちが続く。そこにギルはいない。


 ―謁見の間―


「ギルは?」


 わたしの測量チームにギルは不可欠だ。わたしの疑いがはれたのなら、ギルも同じはず。誰が味方かわからない現状では、少しでも信頼できる味方が欲しい。


「ギルにはまだ測量ギルドと結託している疑いがあります」


 王国地理院の高官が口を挟む。続けてアーヴェルが口を開いた。


「王国地理院は総力を挙げます。ギルの代わりのストライカーは我々のメンバーが担います。ご安心を」


 ――ご安心を、ね。


 この状況をギルやスレイと相談してみたかったが、また疑われたら困るので断念する。


「白地図化による影響で、治安が悪化しています。親衛隊を派遣してはいかがでしょうか?」


 アーヴェルが国王に進言する。王族に不満を持つものがいる、など余計なことも付け加える。セレナの顔が悲しげに歪んだ。



 ギルのいない隊列は、どこか重心を失っているように見えた。セレナは黙って前を見ている。わたしも掛ける言葉を探したが、見つからなかった。話せば、責めるようになる気がした。わたしとセレナの間に微妙な空気が流れた。


 ――何かきっかけがほしいな。


 見渡す限り麦畑が続く。収穫期のはずなのに実はは痩せていて、素人目にも不作は明らか。本来なら忙しく働いているはずの農夫たちも見当たらない。風が淀んでいる。

 わたしはセオドライトを据え、水平を調整した。久しぶりの現場。


「……据え付け完了」


 声に出してみる――反応なし。チーム内の雰囲気が硬い。

 王立地理院の測量士も親衛隊も、わたしやセレナに悪意を持っているようには思えないが、かといって馴れ馴れしくするわけにもいかないのだろう。

 セオドライトをベネト山に向け、望遠鏡を覗いて、視準線を山頂に合わせる。


 ――遠い。


 ここは三賢者杭からかなり距離がある。三角測量は基準点から離れるほど、角度測定がシビアになる。これではギルドが用いる測量道具や王族の角度魔法でも、誤差が大きくなってしまうだろう。わたしはできる限り精密に角度を測定し、ズレ幅を計算した。


「この方向に、2152パッススよ」


「はい、凛お姉様」


 3キロを超える距離にも、セレナに怯む様子はない。護衛の馬に相乗りして走り出す。


 ――訓練は欠かしていないようね。


 距離が遠くて、声での指示ができないが、それは地理院の測量士が協力して、手旗信号を使って意思疎通を図った。

 ストライカーとして参加した地理院の測量士は、ギルほどの力はなかったけど、そこは人数でカバーした。王立地理院が担当している杭にこれほどのズレが発生した例はなく、杭の扱いに関しての経験が不足している。けれど、わたしやセレナの助言を素直に聞く姿勢を見せてくれた。

 魔物も、それなりの裂け目も発生したが、親衛隊が対応してくれた。


 ――チームの雰囲気が良くなってきた。


 わたしは王立地理院を率いているアーヴェルを信用していないし、軍のトップである国王も信頼していない。でも現場の人間は、白地図化を防ぐという使命を共有している。

 数本の杭を測量している間に、チームが一つになった。


 ――あとは、わたしとセレナだね


     ◇


 夜。

 野営地に火がともり、焚き火の火花が乾いた風に散った。

 まだ測量しなければならない杭が残っている。私たちはここで野営して、明日からも測量を続けることにした。今日一日の作業で、地図はある程度色を取り戻した。復活した井戸から水を汲み、顔を洗った。水は澄んでいて冷たかった。


 野営地にはいくつかの天幕が建てられた。三人で野営したときと違い、荷馬車も多いので、ちょっと贅沢なキャンプができる。セレナには一人用の天幕が割り当てられていたが、焚き火の前に座って、じっと炎を見ていた。

 わたしは後ろからそっと近づき、冷たい手でセレナの頬をはさむ。


「ひゃっ!」


 小さく跳ねる。だけど振り向かずじっとしている。振り向かなくてもこの場で、こんなことをするのは、わたし以外いないと知っている。


「わたしがいない間もちゃんと練習してたんだね。あんな遠い距離を、すごく正確に測れていたよ。頑張ったね、セレナ」


 セレナは俯いたまま、しばらく黙っていた。やがて、セレナがゆっくりと振り向く。


「……凛お姉様、わたくし、軟禁のあいだ……何もできなくて……」


 彼女の声は小さかったが、はっきり聞こえた。


「凛お姉様を危険なことに巻き込んでしまって……絶対無事に元の世界に戻さなくちゃいけなくて」


「……私のこと?」


 セレナはうなずく。


「でも白地図化がどんどん進んで……わたくしではどうにもできなくて」


 セレナは、親衛隊や測量士に気づかれないように、わたしにしがみついて静かに泣いた。

 やがて、セレナが顔を上げて言った。


「凛お姉様は必ずわたしが守ります。だから白地図化を止めるのに力を貸してください」


「もちろんよ」


 軟禁の間に、少しずつ貯めたわだかまりを溶かしていった。


 次の日、私たちは東の穀倉地帯の杭をすべて測量し直した。


 ◇


 二日目の夜、焚き火の前。わたしは近くに衛兵や地理院の測量士がいないことを確かめてセレナに声をかけた。


「セレナ」


「はい?」


「アーヴェル・モルダンを……信用していいか、分からない」


 セレナは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


「わたくしも、そう感じていますわ。……でも今は、白地図を戻すこと。それが先です」


 セレナが、わたしを召喚するまでの経緯や、王族と王立地理院の関係を話してくれた。わたしは、測量ギルドのスレイのほうが信用できる、と考えていることを話した。親衛隊や王立地理院の測量士全員を疑っているわけではないことも付け加えた。


 ――ギルについては……話すまでもないよね


「終わったら、全部確かめよう」


 セレナの天幕で一緒に眠った。


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