表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

一握りの銀の為に

 ラストゲイトの簡素な門を背に、フィンは再びあの闇の森と対峙していた。フィンは肌が泡立つ感覚を押し殺しながら、自らの意思で、暗い森へと踏み込んでいく。


 森の中には一本、不自然なほどに真っ直ぐ石畳の道が続いている。

 苔むし、ひび割れ、所々が木の根に持ち上げられてはいるが、それが人の手で造られたものである事は疑いようもない。もはや、この道が誰によって造られたのかなど、フィンにとってはどうでもいいことだった。今はただ、生き抜くこと。それだけを考えていた。

 鬱蒼と茂る木々の天蓋が太陽を遮り、森は昼でもなお薄暗い。湿った土の匂いに、嗅ぎ慣れない甘い花の香りが混じる。鳥のさえずりや、風に揺れる葉のざわめきも聞こえてくる。それらが心安らぐ音色に聞こえるのは、背後にまだ人里の気配を感じられる、この入り口付近だけだろう。

 一歩奥へ踏み込めば、この偽りの平穏は鳴りを潜め、森は本当の顔を見せる。


 しばらく道なりに進んだところで、フィンの耳が微かな水の音を捉えた。

 小川か。

 依頼書の『薬草採取』の欄には、目的の薬草が湿った川辺を好むと書かれていた。石畳を歩いているだけでは、銀貨は手に入らない。フィンは一瞬躊躇い、そして意を決して、古の道から脇の茂みへと逸れた。

 数分も歩くと視界が開け、陽光に照らされてきらきらと光る小さな川が姿を現す。


 ここなら、安全そうだ。

 フィンはすぐさま周囲へ目を凝らし、森の地面を一つの畑として読み解き始めた。

 彼の目は、まず土の色を捉える。乾いて白んだ土は駄目だ、植物の根は浅い。狙うは、大樹の根が水を求めて広がる、黒ずんだ湿り土。

 ふと、獣の小さな蹄痕が目に入った。水辺を目指す獣たちの通り道。彼らが歩く場所には、その糞尿を目当てに、栄養豊富な草が群れるはずだ。


 蹄痕を辿り、岩陰へと回り込む。

 あった。

 葉の形が酷似した毒草の隣で、目当ての薬草だけが、より力強い生命力のある緑色をしていた。フィンは慎重に毒草を避け、その一本を丁寧に摘み取る。


 革袋が、ずしりと重い。中には、目的の薬草が溢れんばかりに詰まっていた。

 獣道を抜け、再び古の石畳へと足を踏み入れた瞬間、張り詰めていたフィンの全身から、ふっと力が抜けた。道幅のある石畳は、獣道とは比べ物にならないほど歩きやすい。これならば、街まではもう目と鼻の先だ。


 冒険者としての一歩。

 それは剣の腕ではなく、土と草の知識によって成し遂げられた。だが、それがどうしたというのだ。フィンは、胸の奥から込み上げてくる熱いものに、思わず口元を緩めた。


 鬱蒼とした木々が途切れ、空が大きく開けた瞬間、フィンは安堵の息を深く吐いた。

 日差しは暖かく、まるで初仕事の成功を祝福してくれているようだった。ラストゲイトの無骨な木杭と門は、もうすぐそこだ。

 これなら、やれる。この仕事で糧を得て、少しずつ、もっと強い────。


 ────その時だった。悲鳴が聞こえてきたのは。

 馬のいななきのような、鳥の叫び声のような、異様な音。それに混じる、間違いなく人の断末魔。フィンが目を凝らすと、遠く、街道の少し脇で土煙が上がり、何かが争っているのが見えた。


 逃げろ。街へ。

 全身の細胞が警鐘を鳴らす。

 だが、耳にこびりついた断末魔が、不意に、遠い日の記憶の蓋をこじ開けた。


 故郷で病に苦しむ老婆が、咳き込みながら役人に懇願していた。冷たい目で一瞥し、役人は無言で背を向けた。その光景をただ見ていることしかできなかった、母さんの、どうしようもなく悲しそうな顔。


 物語の英雄なら、どうする?


 違う。


 母さんなら、今の俺を見て、何て言う?


 気が付けばフィンは駆け出していた。生存本能を、ほんの僅かに理想が上回った瞬間だった。


 現場にたどり着いた時、すべては終わっていた。

 巨大な爪で引き裂かれた冒険者の亡骸は、まだ微かに温かい。しかし、その指に触れた瞬間、ぞっとするほどの硬直が始まっていた。鎧は紙のように裂かれ、剣帯は無惨にちぎれている。

 その傍らには、彼のものだったに違いない、一振りの剣が転がっていた。フィンの腰にあるのは、小振りのナイフ。これでは、脅威に立ち向かう事など出来ない。


 死体から物を奪うのか?


 強い罪悪感が胸を焼く。だがそれ以上に、この剣を握らなかったばかりに、次の亡骸が自分になるという確信が、彼を動かした。


「……すみません。必ず、あなたの無念も晴らしますから……」


 誰に言うでもない誓いを口にしながら、フィンは震える手で、冷たくなった亡骸からずしりと重い剣を抜き取った。


 捕食者は、どこへ行った?


 不慣れな手つきで剣を構え、周囲を警戒する。森のような息苦しさはない。ただ、広大すぎる平野の静寂が、逆にフィンの神経をすり減らしていく。


 地平線の向こうに現れたのは、猛禽を思わせる巨大な影だった


 それは、フィンという獲物を見据え、一直線に、大地を蹴って疾走してくる。地響きのような足音。馬よりも速いその速度。逃げ場は、ない。

 死そのものが形を得て、今まさにフィンを呑み込もうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ