羽と炎 Sideエミリー
やり遂げた。そう思った。
エミリー・ブラウンは、収穫祭に沸くラストゲイトの露店街を歩いていた。かっちりと着こなした帝国式のスーツは、砂埃の舞うこの辺境の街ではひときわ目立つ。広場では大焚火が勢いよく燃え、酒に酔った冒険者たちの笑い声が、夜空に弾けていた。その喧騒をかつては鬱陶しく感じていたというのに、今のエミリーには、どこか懐かしく、温かな響きにさえ思えた。
「……また、忙しくなりそうですね」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。小さく息を吐き、露店の一つで串焼きを注文する。
今日くらいは、この賑わいに身を委ねてもいい。そんな気がした。
熱い串焼きを頬張りながら、エミリーは広場の中央へと視線を移した。
そこには、祭りの主役である巨大な藁の人形がいくつも建てられている。子供たちがその周りをはしゃぎ回り、大人たちは酒を酌み交わしている。表向きは、豊穣をもたらす神々への感謝と、オオカムロを退けた勝利を祝う祭りだ。
中央に鎮座するのは、翼を持つ巨大な竜。そして、その周囲を取り囲むようにして、鴉、猪、鹿、熊、鯨、狐、梟――神々のシンボルとされる動物たちが配置されている。
エミリーは、帝都で学んだ神学の授業を思い出していた。教典に記された、只人の勝利の物語。アルマの子である七柱の神々が父に背き、只人に味方したという神話を。
エミリーは、まず猪の像に目を留めた。大地と豊穣の女神フィマを象ったものだ。粗く編まれた藁の体は、炎の反射で赤銅色に揺らめき、まるで息づいているかのように見える。
辺境で土を耕し、生きる者たちにとって、フィマは最も身近な神であり、母そのものだろう。
次に、翼持つ竜の像へと視線を移す。神々の父にして敵であった、虚空の神アルマ。七柱の神に敗れた彼は世界と一体化し、かつてエルフのみが持っていた魔法をすべての種へと分け与えた――と、帝国の教典は語る。七柱の神々がそれぞれの領域で世界を治める今の世が、その結果なのだと。
だが、この藁人形の配置そのものが、ウェルスター帝国を中心とする只人の信仰が、自らに都合よく神話を解釈し、形を変えた結果でもある。エミリーの関心は、その歪められた伝承の裏に隠された「本来の真実」――例えば、なぜアルマが「竜」の姿で描かれるのか――に向けられていた。もっとも、どれだけ考えたところで、一介のギルド支部長に辿り着ける答えなどないのだが。
(……皮肉なものですね)
無邪気に祝う人々を見つめながら、エミリーは自分の捻くれた笑みを自覚していた。
その時だった。
どこからか舞い降りたのか、一枚の漆黒の羽根が、ひらひらとエミリーの足元に落ちた。
鴉のものにしては大きく、異様なほど艶やかで、硬質な光沢を放っている。
眉をひそめて拾い上げようとした瞬間――人混みの中から現れた誰かと、肩がかすかに触れた。
「……失礼」
低く、性別も判然としない声。
顔を上げると、そこにはフードを深く被り、旅人のマントを纏った人物が立っていた。
逆光で表情は見えない。ただ、立ち去るその一瞬、マントの隙間から――夜そのものを切り取ったような黒い翼の影が、確かに覗いた気がした。
人影はすぐに雑踏へと紛れ、後には言葉にできぬ違和感だけが残った。
やがて広場からひときわ大きな歓声が上がる。祭りの最高潮だ。
松明が次々と放たれ、乾いた藁が爆ぜるように燃え上がる。炎は一斉に神々の像を包み込み、夜空を朱に染めた。
神々の象徴たちが炎に呑まれ、その焔がやがて中央の竜をも飲み込んでゆく――
神殺しの神話を再現する、狂騒の炎。
エミリーはその光景を、ただ静かに見つめていた。
人々の歓声が、遠い。
胸の奥には、先ほど見た黒翼の影と、足元に落ちた一枚の羽根の記憶が、焼きついたままだった。
「……気のせいであれば、いいのですが」
冷たい予感が背筋を走る。
悪い癖だ――そう結論づけるように、エミリーは燃え盛る神々の偶像を見つめ続けた。




