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剣士

 ギルドホールの喧騒の中、その男だけが、別の時間に生きているようだった。

 白髪の冒険者、ルシアン。彼は誰とも言葉を交わさず、ただ一杯のエールを飲み干すと、静かに席を立つ。

 フィンは一瞬迷った後、自らのエール杯を飲み干し、静かにその後を追う。


 「……俺も、行きます」


 フィンが声をかけると、ルシアンは一瞬だけ足を止め、振り返ることなく小さく頷く。


 二人は言葉を交わすことなく、ギルドを出て街の外れへと続く坂道を登り始める。

 午後のラストゲイトの街は、奇妙な静寂に包まれていた。そこにはこれまでのような焦燥感はなく、前に進む為の静かな時間を迎えているようだった。


 討伐戦から三日。ほんの三日前の出来事なのに、あの怪鳥の絶叫も、火薬の爆発音も、遥か遠い昔の事のように感じる。

 人々は、オオカムロとの生存競争に勝利したのだ。


 丘の上の墓地には、既に数人の姿があった。

 新しく立てられた幾つかの簡素な木の十字架の前で、誰もが静かに頭を垂れている。フィンとルシアンも、その輪の中に加わり、無言で目礼を交わした。


 やがて、聖女ブレンナの祈りの言葉が、澄んだ空気の中を響き渡る。


「勇敢なる者たちよ。その体はフィマの土へ還り、その魂はシファの風となる。カイランが汝らの勇気を記憶し、モーラが次なる生への道を示すでしょう。……どうか、安らかな眠りを」


 それは、眠りに誘う子守歌のような調べだった。

 フィンは、十字架の一つに刻まれた『カール』の名を見つめる。自分があの土の中に埋められていても、何も不思議ではなかった。自分は、運が良かっただけだ。

 ブレンナの祈りが、死者だけでなく、生き残った自分の魂をも鎮めていくのを感じながら、フィンは腰の剣の柄をそっと握り締める。

 この剣の重みは、カールが生きられなかった、命の重みそのものだ。そう思うと、指先が微かに震えた。


 祈りが終わると、ブレンナは一人一人の冒険者に声をかけ、その労をねぎらっていく。彼女の隣には、街の長であるメルビン氏と、そして、ギルド支部長のエミリーが静かに控えていた。


 やがてエミリーの一行が、フィンとルシアンの前に歩み寄る。

 エミリーはただ静かに、二人に深々と頭を下げた。その灰色の瞳には珍しく、深い悔恨の色が浮かんでいる。


 「ルシアンさん、フィンさん。……本当に、お疲れさまでした」


 それだけを言うと、彼女はブレンナ、メルビン町長と共に、先に丘を下りていった。

 残された者たちが、それぞれ丘を後にする中、フィンとルシアンは、カールの十字架の前から動かずにいた。


 隣に立つルシアンが、独り言のようにぽつりと呟く。


 「あいつも、お前のような青臭い男だった。無茶ばかりして、勝手に先に行ってしまうような。……本当に逝ってしまうと笑い話にもならないがな」

 

 その横顔は、亡き友を懐かしみ、そして、目の前の若者に何かを託しているかのようだった。


 やがて陽が傾き始め、丘の上の墓地をオレンジ色に染め上げる。

 フィンとルシアンは言葉を交わすことなく、ラストゲイトの街へと続く坂道をゆっくりと下り始める。

 フィンは、数歩先を行くルシアンの、どこか寂しげな背中を見つめていた。腰に据えた剣が、先程よりも重い。


 (俺に、この剣を扱う資格があるんだろうか)


 その時、不意にルシアンが足を止めた。振り返った彼の青灰色の瞳が、フィンの腰にある剣をまっすぐに見据えている。


 「剣を抜け。構えてみろ」


 「……はい」


 説明は一切ない。しかし、フィンはルシアンの言葉の意味を説明は一切ない。だが、フィンにはその言葉の意味が痛いほど分かった。自分にもっとも足りないものが、提示されている。

 ……戦う術を身に着ける。剣に恥じないように。そして、拾った生を確かに真っ当できるように。

 フィンは一度だけ固く目を閉じると、覚悟を決めて剣を抜いた。

 しかし、見よう見まねの構えは農夫が鋤を握るそれと何ら変わりなく、あまりに無様だった。

 ルシアンは大きくため息を吐くと、フィンの背後へと回り込み、その体勢を正していく。


 「前足のつま先は相手に向け、後ろ足は真横に開け。そうだ、もっとだ。お前は今、ただ立っているだけだ」


 彼の言葉通り、フィンの体はぐらついていた。だが、ルシアンの手がフィンの腰を掴み、重心をわずかに調整すると、まるで地面に根が生えたかのように、下半身が驚くほど安定した。


 「次に、剣だ。両手で握り、柄頭が腰の横に来るようにしろ。切っ先は、敵の顔、あるいは喉に向ける」


 フィンが言われた通りにすると、剣の重みが腕だけでなく、安定した下半身全体で支えられているのが分かった。


 「いいか、新人。それが基本の構えの一つ、『プルーク』だ」


 鋤。あまりにも馴染み深い道具と同じ名に、フィンは思わず反応する。


 「そうだ。農民が土に鋤を突き立てるように、敵に剣先を突き立てる。腰を落とし、大地を踏みしめて力を得る。理屈は同じだ」


 ルシアンはフィンの前から離れ、自らの剣を抜き、同じ構えを取って見せる。その姿には、フィンのようなぎこちなさは微塵もなく、ただ静かな殺気だけが満ちていた。


 「この構えから、突くことも、斬ることも、そして、敵の刃を受けることもできる。剣士が最初に学ぶのは、敵の斬り方ではない。立ち方だ。―――死なないための、立ち方をな」


 夕日が地平線の向こうへと沈み、世界が赤と紫のグラデーションに染まる。

 その中で、フィンはただ黙々と、人生で初めて、剣士の立ち方を、その身に刻み込んでいた。 


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