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生き足掻く者共

 フィンの絶叫が、狭隘な谷間に木霊した。

 しかし――待ち構えていたはずの衝撃は訪れない。


 代わりに響いたのは、鼓動の音。

 地に伏したオオカムロの「長」の骸が、まるで大地そのものの心臓と化したかのように脈打ち始めたのだ。新たな生命の胎動を祝福するように、鈍く重い鼓動が空気を震わせ、次いで奇妙に軽やかな律動が鼓膜を打った。


 フィンの視線が走る。奴が倒れた巣の中央――ぽっかりと開いた「龍穴」から、紫電の魔素が骸へと注ぎ込まれている。


 「まずい……!!」


 高台からスヴェンの焦りを帯びた声が響く。

 刹那、凄烈な魔素の衝撃波が骸を中心にクレーター全体を薙ぎ払った。

 フィンは反射的に身を伏せるが、嵐のような圧力が全身を叩きつける。岩が軋み、空気が悲鳴を上げた。


 そして、彼は見た。


 磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、散乱していたオオカムロの死骸が一斉に「長」のもとへと引きずられていく。

 肉が裂け、骨が砕ける悍ましい音。

 死した同胞を貪り、喰らい尽くしながら、その巨体は醜悪に膨張していく。複数の首が芽吹いては溶け合い、無数の脚が皮膚を突き破って蠢く。

 それは進化ではない。ただ生に執着するあまり、理をも喰い破った冒涜的な変異だった。


 やがて、肉塊の蠢きが収束し、それはゆっくりと立ち上がる。


 そこにいたのは、もはや「鳥」ではなかった。


 いくつもの胴と頭部が歪に癒着し、嘴と爪は鎧のごとく硬質化して全身を覆っている。その胸奥では、龍穴から吸い上げた魔素が紫の心臓として不気味に脈打ち続けていた。


 ――群れを棄て、すべての命を一つに束ねた“個”。

 空を追われ、地を這い、それでもなお生き延びようとした者たちの、末路の形。


 怪物は複数の首のひとつを天へ掲げ、絶叫する。それはもはや鳥の声ではない。

 取り込まれた仲間たちの断末魔が幾重にも折り重なり、魂を削り取るような、おぞましい合唱となって世界を満たした。


 その咆哮が、再び戦いの号砲となった。


 冒険者たちの刃は硬質化した外皮に弾かれ、傷を刻んでも瞬時に再生される。

 ルシアンはなぎ払われた異形の腕を盾で受けるも、勢いを殺しきれず吹き飛ばされる。


 「キリがないッ!」


 血に濡れた顔でラゲルタが悪態をつく。

 彼女の斬撃ですら、胸の中心で鼓動する紫の心臓――龍穴から魔素を吸い上げる“核”を断ち切れず、再生する脚を捌くのが精一杯だった。


 そのとき、怪物が天を仰ぎ、融合した複数の嘴から圧縮された魔素を吐き出す。

 紫の熱線が奔り、後方で負傷者を癒やしていたブレンナたちへと襲いかかる。


 万事休す――そう思われた瞬間、ティリスが祈りを捧げる。


 「風の君シファよ、この熱を散らせ!」


 祝祷術によって生まれた烈風が熱線の軌道をわずかに逸らす。だが完全には防げず、数名の冒険者が悲鳴とともに炎に呑まれた。


 絶望が満ちる戦場の中、フィンは別のものを見ている。彼の視線は、怪物そのものではなく、隘路の入り口近くへと注がれていた。

 隘路の入り口近く。最初の爆破で転がり落ちてきた火薬樽が一つ、残っている。そして、その樽の真上にある崖が、今にも崩れそうになっていることに気付いた。


 ――ここだ。ここしかない。


 フィンは、高台で魔法の援護を続けるスヴェンに向かって、ありったけの声で絶叫した。


 「スヴェンさん!あの樽ごと崖を撃てますか!?俺が、アイツをあの真下まで引きつけます!」


 ルシアンが驚愕に目を見開く。あまりに無謀な、死を覚悟した作戦。

 だが、高台のスヴェンは、混乱の只中で、不敵に笑った。

 

 「……面白ぇ! やってみろ、アンちゃん!」


 「おい、化け物!次の餌はこっちだ!!」


 絶叫し、手に持った剣を投げつける。剣は硬い外皮に弾かれるが、怪物の敵意を引くには十分だった。怪物は、フィンという新たな獲物を見据え、方向転換する。

 フィンは、決死の覚悟で、火薬樽のある場所へと走った。


 ――生きて、帰る。この命は、もう俺だけのものじゃないんだ。

 怪物が、フィンの背後に迫る。


 フィンが火薬樽の横を駆け抜けた、その瞬間。高台のスヴェンが、その時を待っていたかのように呪文を放った。


 「ウル・イグニス!!」


 火球が飛翔し、樽に直撃する。

 ――世界から音が消えた。


 閃光――そして、遅れて響く轟音。

 フィンは振り返ることなく、頭から飛び込むように隘路を駆け抜けた。

 その背後で、地を揺るがす土砂の奔流が、すべてを押し潰し、覆い尽くしていく。


 長く続いた地鳴りがやがて静まり、砂埃が風に払われた時──

 そこに残っていたのは、土砂に埋もれ、なお蠢こうとする“生き足掻く者共”と、確かに自らの足で立つ冒険者たちの姿だった。


 夥しい土砂に半身を埋められた怪物は、もはや動くこともできない。龍穴から引き剥がされたことで再生の力を失い、その歪な巨体は、先ほどの勢いが嘘のように静まり返っていた。

崩落の衝撃で砕けた外皮の隙間から、弱々しく脈打つ紫色の心臓――“核”だけが、剥き出しになっている。


 「……仲間の仇は、討たせてもらう。」


 ルシアンは、フィンが投げつけた形見の剣を拾い上げると、踏み込み一閃、怪鳥の心臓へと刃を突き立てる。

 鈍い音とともに肉が裂け、血潮が飛び散った。脈動が乱れ、弱まり――やがて、完全に止まる。


 空を一羽のワタリガラスが旋回する。

 やがて野晒しとなった頭蓋に舞い降り、カァ、と一度だけ鳴いた。

 舞い散る黒羽が焦げた大地に降り積もり、戦の終焉を弔うかのように夜風に溶けていく。


 ――食うか、食われるか。


 その戦いの結末は、あまりにも静かだった。

 耳を澄ませば、かすかに風の音と、自らの鼓動だけが残っている。

 フィンは、己の言葉で引き起こした静寂を、ただ呆然と見つめていた。

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