夢想家たちの墓場
風は森を越え 月は人を照らす
剣を抱きて 夢を抱きて
われらは果てなき西へ行く
誰が名付けしや イスファール
獣は牙を研ぎ 鳥は影を落とす
黄金を得るなら 死の淵を歩め
掴むは富か幻か
来たるは死か栄光か
目の前にある扉だけが、不自然なほど真新しい。壁には何かの爪痕が残り、街全体が焦げ付くような匂いを微かに纏っているというのに。
これを押し開ければ、もう後戻りはできない。母親が握らせてくれたなけなしの路銀は、とうに底をつきかけていた。フィンの心臓は、まるで警鐘のように鳴り響いていた。意を決して、両開きの扉を押し開ける。
途端に、熱気がフィンの体を包み込んだ。酒と汗の匂い、どこのものとも知れない煮込み料理の香り。大きめの街の酒場なら酔客達の笑い声が聞こえてきそうなものだが、代わりに耳に入るのは苦し気な呻きと低い囁き声ばかり。正面には頑丈そうなカウンターが据えられ、その向こうから一人の女がフィンを能面のような顔で見つめていた。
「冒険者ギルド、ラストゲイト支部へようこそ。まずは必要事項のご記入をお願いします」
眼鏡を掛けた女は、事務的ながら疲れと焦燥を滲ませた声で一枚の羊皮紙を差し出す。表情から感情が読み取れないのは、疲れを顔に出さないようにしている為だろうか。フィンは緊張でこわばる手でそれを受け取りながら、改めて周囲を見渡した。
左右に並ぶテーブルでは、焦げ付いた跡がある鱗や革をくすんだ金属鎧に縫い付けた白髪の男が、刃のような眼光を飛ばしながら酒を煽り、片やフードを目深に被った魔術師然とした男が、テーブルに銀貨を広げて仲間達と相談している。彼らの体格や装備は農村で見てきた村の自警団とはまるで違う。だが、あの節くれ立った手、重心の低い立ち姿は、石を掘り返し、木を切り倒してきた村の男たちと同じであり、鬱屈とした雰囲気も生まれ育った寒村と似通ったものだった。
ここが、ラストゲイト。故郷の酒場で酔った傭兵が語っていた言葉を思い出す。
『命を秤に大金を稼ぎてぇなら、ラストゲイトへ行きな』
その言葉は今や、遠い夢の中の出来事のように感じられた。楽園などこの世に存在しないという絶望と、それでも好機はあるという希望が同時に胸の中に芽生える。
壁の掲示板に目をやると、そこには数枚の依頼状が貼り出されている。あれをこなせば金が手に入り、家族に良い暮らしをさせることが出来る筈だ。
記入を終えた羊皮紙を受付に差し出すと、女はそれにさっと目を通し、一瞬だけフィンの震える手元を見てほんの僅かに眉をひそめる。目の下に刻まれた濃い隈に頓着する様子もなくフィンの顔に眼差しを注ぐと、事務的に口を開いた。
「腕に覚えがあるようでしたら、オオカムロの群れの大規模討伐にご参加を」
それはまるで、全ての新人に同じ言葉を投げかけるのが決まり文句であるかのように、あまりに唐突な言葉だった。
オオカムロ。その名から姿を想像する事はできなかったが、大規模な討伐が必要な生物という事は明確に告げられている。屈強な戦士とは程遠い自分が、なぜ?女の真意が読めずただ言葉に詰まっていると、彼女は「もちろん、あなた次第ですが。」とだけ付け加え、彼女の視線は何度もギルドの外、街路の方へと不安げに彷徨っていた。
女が指し示した『オオカムロの群れの討伐』と書かれた一枚は、やけに新しい。昨日か一昨日に、慌てて貼り出されたたかのようだ。その隣には『薬草採取依頼:報酬銀貨一枚』と書かれた、みすぼらしい一枚とがあり、二つの依頼の間をフィンの視線が行き来する。
討伐依頼の報酬額を見た時、再び喉が鳴った。その金額があれば、家族はもう冬の寒さに凍えなくていい。自分も、ただ口減らしのために厄介払いされる次男坊ではなくなる。生きて、自分の居場所を得られる。
その為には、死の淵でも歩いてやる。固く誓った筈だというのに、何故こんなにも心が騒めくのか。ラストゲイトの街に辿り着いた時に感じた警鐘が、これまでになく大きく鳴り響いていた。
英雄への憧れ、大金への欲、犬死にしたくないという本能。それらのあまりに大きな隔たりが、フィンの最初の試練であった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
初めて小説を執筆しました。
至らぬ点も多いかと存じますが、誤字や表現についてお気づきの点などありましたら、お気軽に教えていただけると幸いです。