ああっ、逃れられない!
BAR「COLD YETI」まで残り200m……あと少しという距離で、異変は起こった。
「メリッサ、こっちだ」
「え、ちょっ……!」
俺はメリッサの右手を引っ張って、横の路地に身をひそめた。数秒後、大通りを騎士団の巡回馬車が走っていく。明らかに警戒状態で、誰か犯罪者でも捜索しているかのように見える。
「……」
「ニッ君、まさか……あの人達が脱柵者を連れ戻しに来たのを恐れて?」
「その可能性があるってだけだ……ああ、きっと考えすぎだ。恐れる事は無い」
やっぱり正規の手続きを取って外出すれば良かったかも知れないな……と、後悔の念が胸に湧いたが、後の祭りというヤツだ。念のため、連中に見つからないようなルートを通ろう。
「メリッサ、お前はこのまま道沿いに帰れ。俺は上から行く」
「上……ってまさか」
「安心しろ、屋根上を行くのはいつもやってる事だ」
メリッサの反応を待たず、路地の壁の凸凹をよじ登っていく。あっという間に地上15メートル近くにまで達した。
今の俺が騎士に見つかれば、療養中とはいえ面倒な事になるのは想像に難くない。屋上まで行けば、騎士連中の追跡を心配する必要はないだろう。このまま念のため捜査網を避けつつ、レオの所まで帰って……
と、屋上に顔を出した俺は、屋上に立っていた人間と目が合った。
「……?」
「……ッ」
屋上の男は、その眼鏡の奥の目を怪訝そうに細めた。
いや、焦る事は無い。ここでそそくさと逃げ去るのは二流がやる事。堂々としていれば俺はただの一般人……と、俺は涼しい顔をしてスタスタ歩き去ろうとする。
一般人のふりをしつつ会釈しようと男の方を向いた時、その男が騎士である事に初めて気づいた。というか、それどころか男は眼鏡黒髪オールバックの長身……同じ第五星軍のラプラスだったのだ。
「おい、貴様……止まりなさい」
「……ッ」
クソッ、バレた。まずいぞ。
確かによく考えたら、屋上を平然と歩き去る人間なんて、不審者以外の何者でもねぇ!
まだ俺が誰かは分かってない……と祈りたい。イチかバチか走って逃げるか、と頭をよぎった。
「マクシム・アーツ」波導術で走力強化を、と足を踏み出す俺。しかし、その瞬間ラプラスの輪郭がブレて……
「……ッ!?」
「……誰かと思えば、貴様ッ、ニコル・オーガストか!?」
10m程離れていたはずの彼だったが、気付けば俺は胸倉を掴み上げられていた。縮地とかそういう技術ってレベルのもんじゃない。まさか、コイツの能力……?
「……チッ、分かった。降参だ。無断で外出した事、謝るよ」
「何からツッコめばいいのか……まず聞こう、貴様、今まで何をしていた!?」
ラプラスは眼鏡の奥のこめかみに青筋を浮かべている。人の心を解せない俺にもこれなら分かる……ガチギレだ。
「別に何も……暇だったからほっつき歩いてました」
「答えになっていないぞ」
「……事実だ。それ以外に説明の余地が無い」
今この場でレオとメリッサの話をしても仕方がない。実際、抜け出したのは病室療養が暇過ぎたからだしな。
ラプラスは瞑目して顔をしかめた後、俺を掴む手を緩めた。
「まぁいい……そもそも私には貴様を処分するつもりもないからな。貴様が問題児だというのは北部の人間から散々伝え聞いている。この程度の些事で、いちいち上に報告する方が面倒だ」
「じゃあ、今騎士連中が街中を捜索してるのは……」
「別件だ。どうせ療養中で戦力にもなれん貴様のために、これほどの兵力を出す訳が無いだろう」
ラプラスはため息を吐いて、大通りを一瞥した。
「無法者の喧嘩で騒ぎがあってな。幸い、現場の犯人共は全員気絶していて、騎士団との衝突も起こらなかったようだが。今はその残党狩りって所だ」
「へぇ、なんというか……大変そうだな」
「全くだ! 貴様のせいで無駄な仕事も増やされてな!」
「……」
やっぱキレてる。10割俺に非があるから、ぐうの音も出ないが。
暫しの沈黙。その後ラプラスはおもむろに通信機を取り出し、何やら一言二言話してスイッチを切った。
「帰るぞ。一応言っておくが、抵抗しても無駄だからな」
「ああ、大人しくするよ……ん?」
あれ……掴まれている時は気が付かなかったが、そういえば身動きが取りにくいような……
そう思って見下ろすと、俺の胴体には覚えのない縄が巻かれており、完全に捕縛されていたのだった。いつの間に……!?
ラプラスはタイヤでも曳くように、俺の身体を縄で牽引していく。いや、ここ屋上だからそれだと俺、落ち……!
* * *
「遅いですね」
「遅いな」
しばらくして、BAR「COLD YETI」店内……心配そうにドアを眺める少女と、全てを察した顔で待つ男が一人ずつ。
「嬢ちゃん、アイツは多分今日はもう戻らないぜ」
「な、なんでですか?」
「十中八九、捕まっただろうなぁ……おじさんの第三の目がそう言ってる」
「……レオさん、そういう能力者でしたっけ」
「否定はしない。コイツは馬鹿には見えない目ん玉でね」
冗談半分に、レオは在庫の確認をしている。
「ふぁ……マズいな、もうすぐ開店だってのに。眠気の悪魔が来やがった」
「そういえば、今日はやけに早起きでしたね。私達が出発した時間、いつもなら寝てるのに」
「まぁな、今日は用事があったから特別でね。それはそれとして……嬢ちゃん、どうだったよ。今日のデートはよ?」
「デートって、ただのお出かけなんだから大袈裟な……まぁ、楽しかったですよ?」
「ふぅん、なら良かったぜ」
若干頬を赤らめたメリッサを見て、レオは満足そうな笑みを浮かべた。
「へっ……ったく、今日は忙しいなぁ」
* * *
「事件番号621-1109-23 暴動鎮圧」
種別:解決済
現場には未使用の凶器、気絶した成人男性4名と女性2名。状況証拠から、対立する二者の衝突が起こったのだと推測される。
気絶した6名に目立った外傷はなく、命に別状はなし。特筆事項として、6名全員の血中から基準値を超えるアルコールが検出された。
本件に関して追加の捜査は必要なし。




