過去からの宿題
5年前……
* * *
「ニコル……ニコル君、大丈夫か?」
「ん……う……」
茶髪の男は、銀髪の少年に歩み寄る。銀髪の少年は砂浜で仰向けに寝ていたが、男の声で初めて目を覚ましたようだった。
「俺……寝てたのか? ダメだ……まだまだ精進しないと。師匠、今回もやり遂げました。次の訓練指示をお願いします」
「……」
茶髪の男は、ため息を吐いた。
「ニコル君……君はいい加減休んだ方が良い。君はもう2カ月間も無人島でサバイバル訓練をしていたんだから」
「いいえ、師匠。まだ足りません。その証拠に、俺は今体力を失って気を失っていたじゃありませんか……次の瞬間には死んでいたかも分かりません。それじゃダメなんです」
男の優しそうなその顔が、若干険しくなった。
「『次の瞬間死んでいたかもしれない』……僕はそれが問題だと言ってるんだよ、ニコル君。僕にはどうしても分からないんだ……君がそこまで復讐に執着する理由が」
「『この世界では、理由なんて無しに戦う人間ばかり』……師匠もこう言ってましたよね」
「……君はいつも、都合のいい時だけ覚えてるんだな」
茶髪の男は頭を搔いた。こうして弟子に痛いところを突かれる頻度が、最近ではかなり増えてきている。
「『親が死んでも食休み』とも言うだろう。こんな事想像したくも無いが、休まなければ、目標を遂げる前に死ぬだけだ。一寸先は奈落だよ」
「……でも」
「君はまだ若く、時間がある。君の復讐だって、これからの長い道のりで達成すればいい。だから……」
「でも、そう言って『血鴉』に挑んだ人間は……過去、誰一人帰って来なかったじゃないですか」
「……」
銀髪の少年は、自分のちっぽけさを理解していた。茶髪の男は、そこから来る少年の焦りを感じ取っていた。
茶髪の男は黒縁眼鏡をカチャ、と直すと、声を張って少年に向き直った。
「ニコル君、授業の時間だ。座って話そう」
「え、ここでですか?」
「そこの岩場が一番良いでしょう。付いてきなさい」
二人は、波が打ち寄せる岩場に腰を下ろした。
「ニコル君、問題だ。『能力』の原動力は何だったか……覚えているかい?」
「原動力……確か、人の『意志』でしたよね。強い『意志』を持つ人間だけが、強い『能力』を使えるんだって……」
「まぁ、及第点の回答だね。教えた通りの回答だ」
茶髪の男は、教壇で振るう指示棒のように、人差し指を立てた。
「が、ここではこのテーマに踏み込んで、もっと具体的な答えを言おう。『能力』の原動力……それは人の『夢』だよ」
「『夢』……」
「それじゃ、次の問題だ。ニコル君、君に『夢』はあるかい?」
少年は沈黙し、迷いなく答えた。
「俺の夢は、『血鴉を潰して、全ての悪人を滅ぼす事』です」
茶髪の男は笑った。
「威勢が良いな。だけど……残念ながらそれは『夢』じゃない。『欲望』だよ」
「『欲望』……『夢』と何が違うんですか?」
「似てるようだけど、それらはニュアンスの問題じゃなくて、明確に違うんだ。僕が思うに、『欲望』とは清濁併せ吞む……悪い言い方をすれば、見境が無い。それは人を呪うもの、傷付けるもの、人によって様々で……人間は誰だって持ってる『執念』の名前だ」
男は一息ついて、言葉を続ける。
「『夢』は『欲望』の一つである事は確かだけど、その中でも『自分が何者になりたいか』を指す言葉だと思うんだ」
「『自分が何者になりたいか』……」
「『夢』は『欲望』よりも、手に入れる事が難しい。誰にも予想できない未来を思い描くのは、今を必死に生きる事しかできない人達にとっては贅沢品かもしれないからね」
少年は瞑目して、自分の心の中に『夢』を探した。男は、散って行った戦友を思い浮かべ、言葉を紡いでいる。
「それでも、僕達はいつか『夢』を手に入れなければならない。未来に進もうとする事は、自分の未来と向き合う事でもある……その意志が無い人には、未来に進む権利は与えられないんだ。過ぎ去る時間に、いつか置いて行かれる事になる」
少年は頭を押さえた。
「師匠……俺、師匠の話が難しくて理解できないです……」
「安心してニコル君、今は分からないかも知れないけど……いつかは分かる時が来る」
茶髪の男は、少年の頭にポンっと手を置いて、撫でた。
「だから、この問題はその時まで『宿題』として残しておこうか」
* * *
今になって、やっと思い出した。俺はまだこの宿題を解いていない事を。
「ニッ君、ニッ君……どうしたの、やっぱり具合が悪いんじゃない? ごめんね、やっぱり昨日倒れたんだし、無理させちゃって……」
「ああ、すまない。また考え事をしてたんだ……もう大丈夫」
俺に、『夢』は無い。そして、それがこれから見つかるとも思えなかった。
現に俺は、『欲望』のまま復讐の道を歩み、後戻りが出来なくなって、未だに『執念』に囚われている。
そして、その『執念』の名前こそが……『過去』だ。
「俺の夢か……強いて言えば」
俺は空欄を埋めるための、とりあえずの回答を用紙に書き込んだ。
「『夢を見つける事』だろうか」




