知ってる君の知らない顔
混濁した記憶を整理しながら、私は物思いに耽っていた。
久しぶりに会ったニッ君の顔は、記憶にあるのより大人びたのは勿論、明らかにやつれていた。「生気がない」と言った方が正しいんじゃないか、と思う程だ。
まぁそれでも……
「カッコいいのは相変わらず、だなぁ……」
「ん? 今何か言ったッスか?」
「い、いや、なんでもないよ?」
彼の姿を見送る。彼はドアに手をかけて……あ、出ようとして男の人とぶつかってる。
何か紙を受け取って、読み始めた……
「『カルーセル』……『メイズ』……そうか……やり遂げたか」
彼は何やら単語を呟いている。ここからじゃ表情は分からない。
ニコルは紙を閉じると、何やらもう一人の男と話しながら出て行った。一瞬だけ彼の表情が見えた。そこには、冬の冷たい雨のような、一抹の寂しさの感情が見えた気がした。
「あー、なるほど……」
向かいに座っている少年は、何かを解したような表情で居る。
「ハリー君、だっけ。どうかしたの?」
「メリッサさん、でしたっけ。アニキとは昔馴染みみたいッスね」
ハリーという名の少年は、何かを逡巡した様な顔で少し考えた後、口を開いた。
「無関係なカタギのお姉さんに言う事じゃないとは思うんスけど……多分あの感じ、死んだんスよ、ウチの人間が」
「……え?」
「さっき言ってた『カルーセル』『メイズ』ってのは、コードネームの事ッス。アニキの口ぶりからして、ミッションの成果自体はあったっぽいスけど……」
私より一回り幼い少年は、淡々と言葉を続けている。しかし当たり前のように放たれた「死」というワードを前に、私の脳は追いついていなかった。
「『死んだ』って……どういう事? なんで……」
「え? なんでって、そりゃオレ達は傭兵だったり殺し屋だったりで、いつ死んでもおかしくない身分ッスけど……それがどうかしたんスか?」
「……」
人の『死』という、常人なら一生で数回立ち会う程度の重い命題を、目の前の少年は日常にありふれた事のように語っている。その時点で私の脳は理解を拒みつつあったが、次に一つの推測がよぎった。
「じゃあニッ君……ニコル君も、普段からそういう危険な仕事を……」
「ええ、そうッスよ。むしろオレはアニキから教えてもらったッスから、歴でいえばあっちの方が長いッスね」
「そっか……」
じゃあ10年前、彼がいきなり「転校」という体で音信を絶ったのは、こんな危険な世界に身を投じてたからなのかな……
私が考えを巡らせている横で、ハリー少年は感慨深げな表情で呟いていた。
「にしたって意外だなぁ、アニキにもちゃんと友達が居たなんて……」
「ニッ君って、今そんな感じなの?」
「そうッス。オレが知ってる限り、アニキは人付き合いが苦手なのか、必要最低限しか人と関わろうとしないイメージなんスけど……もしかして昔は違ったんスか?」
「うん……そうなんだけど……」
記憶の中の彼は、しょうもない悪戯を仕掛けてはケラケラ笑っている、至ってありふれたやんちゃな少年だった。整ったクールな顔立ちといい、全体的な印象は変わっていないはずだが……今の彼が纏う雰囲気は、知っている彼のものとは完全に異なっていた。
何というか、中身のない『抜け殻』になってしまったような、そんな感じだ。
少なくとも、彼のあんな寂しそうな表情を、私は見たことがない。
「ニッ君……彼に何があったの?」
「うーん……アニキと出会ったのはかれこれ4年くらい前ッスけど、そん時にはもうあんな感じだったというか……」
「じゃあ、その前は知らないんだね」
「そうッスね……思えばオレ、あの人の過去の事、あんまし知らないかもッス……」
ハリーは顎に手を当てて唸り始めた。するとすぐに何かを思い出したような顔をした。
「あ、でも『先生』が死んだのは関係あるかもッスね」
「『先生』……?」
「説明するッス、まぁオレはそこまで深い関わりは無かったし、知ってる事も少ないんスけど……」
ハリーは棚の方へ歩いて行って、何かを探し始めた。やがて下の方にあった引き出しから分厚い本を持ってきた。
「ほら、この人ッス」
それはアルバムだった。
ハリーが指差す所には、メガネをかけた茶髪の男性が写っていた。聡明そうな人だ。
「名前はジグ……なんだっけ、確かジグ・グラジオラスだったはずッス。みんなから『先生』と呼ばれてたッス」
「これは……結構最近の写真?」
「そうッスね。ジグさんは二年前、まだ若いのに病気で死んじゃったんスよ」
「そうなんだ……」
ジグという写真の中の男性は、ベッドの上で半身を起こしながら、レンズに向かってピースしている。病床の横に立っている人の中には、ニコルも居た。
「思い返せばジグさんが死んだ後から、アニキは不自然に頑張るようになってた気もするんスよね……欠けた組織の穴を埋めるように、とでも言ったらいいのか」
「大切な人、だったのかな……」
「そうッスね、彼にとっては恩人と言ってもいいのかもしれないッス」
しばしの沈黙が続いた後、少年は暗い雰囲気を誤魔化すように、にぱっと笑った。
「今日はもう遅いんで、昔話はここまでにするッスよ。また時間がある時にでも、昔のアニキの話をして欲しいッス。オレもアニキの事もっと知っておきたいんで」
「うん、分かったよ」
「なんなら、アニキもそういう話好きかもしんないッスね。それで、俺が頼むのもおかしな話なんスけど、一つだけお願いが……」
彼は少し真剣な目になって私を見た。
「良ければもう一度……アニキの友達になってくれると助かるッス」
ニッ君、ちゃんと慕われてるんだな……なんて考えて、つい笑みがこぼれてしまった。
「言われるまでもなく、私はずっとあの人の友達だよ。安心して」
「ありがてぇッス。アニキは見ての通り、友達が少ないもんで……」
目を閉じると、まだそこにはかつての彼の笑顔が再生されていた。
あの人は今幸せなのかな……?
彼は今何を抱えて、何と戦っているんだろう……?
まだ分からない事だらけだ。でもハリー君が言うように、彼が孤独を抱えているのなら、多分今の彼に一番必要なのは「一緒に居てくれる友達」だろう。
私がそれになるんだ。
なんせ彼は私にとって、古くからの友達であるだけじゃなく……
初恋の人、なんだから。
『ニコル・オーガスト』
龍腕、半龍、白い死神……彼は持つ肩書こそ多かれど、その名全てに意味は無く。
血に刻まれた破壊の権能も、苦境の果て掴んだ『凍結』の能力も、
過去、現在、そして未来永劫、彼の心を埋める事は決して無かった。
敗残兵は未だ、賽の河原で一人……