マスターの心、彼知らず。彼の舌、味を知らず。
「さーて、到着っと」
建物屋上を乗り継いできた俺は、寂れたテラスを突っ切って「COLD YETI」の真上までやって来た。足を壁にくっつけて落下速度を抑えながら、4階から1階まで滑り降りる。
メリッサは流石に先に着いてるだろうか、なんて事を考えながらBARの木の扉を開ける。
「いらっしゃい……って何だ、お前か」
「その流れ毎回やんなきゃダメか? 俺が帰って来ることに文句でもあるのかよ?」
レオは退屈そうにグラスを拭いている。相変わらず人の入りは悪く、店内には一人も客が居ない。
すると、店奥からメリッサが頭を覗かせて来た。
「え、ニッ君早くない!? 私、馬車使ってさっき帰ってきたとこだよ!」
「俺は最短距離で来たからな」
道路を行くしかない馬と違って、徒歩なら建物を迂回しなくても屋根上を走れるからな。そもそも【氷細工】使えばどこでも道になるし。まぁ騎士団の規律上、不必要に能力を使うのはあまり良くないし、そもそも他人の民家の上を渡り歩くのも褒められた行為じゃないのだが……
「倒れたって聞いたのに、やたら元気そうじゃねーの。無理してないかぁ?」
「ちょっと油断しただけだ。俺がこの程度でくたばるタマじゃねぇのはレオも良く分かってるだろ?」
「そうか、なら良いんだがよ」
レオは片付けを終わらせたようで、こっちに向き直った。
「もうすぐ常連客も来るだろう時間だからな。ほら、さっさと奥に行けぃ」
「なんだよ、邪魔者扱いかよ。どうせ客が来たって、席もこんなにあるんだから埋まる訳でも無し。ここに居たっていいだろ?」
そういや腹減ったな。多分病院で出たはずの晩飯、食わずに出て来ちまったからな。
「レオ、なんか食うもんあるか?」
「お前さんは全く話を聞かねぇな……オレはお前のおっ母でもねぇんだぞ?」
「あるんだな? なら、用意してくれ。ついでにコーヒーもあると嬉しい」
「はぁ……一応言っとくが、ここは『BAR』だ。断じて『カフェ』なんかじゃねぇんだからなぁ」
レオあるある。この人は料理が上手くて自信もあるくせに、謎の「かっこいいBAR」への憧れからそれをひけらかす事を良しとしないのだ。俺が「飯を作れ」、と要求しても毎回こんな風にゴネ始める。
そんな時の解決法は一つ。
「なら、できないのか?」
「……できらぁッ! 覚悟しろぃ、今から全身全霊でおじさんの料理をお見舞いしてやる!」
ちょろい。
すると、メリッサもカウンター席まで出てきて俺の隣に座った。
「なら私のもお願いします!」
「だってさ」
「はいはい……嬢ちゃんの分もさっさと作ってくるから、待ってな」
レオは店奥のキッチンに消えていった。
待っている間、メリッサと雑談して待つ事にする。
「メリッサ、今の所どうだ。首都の生活は」
「まぁあまり変わんないけど……少なくとも暇はしてないくらい楽しいよ! レオさんも親切に、ウェイトレスとして仕事くれたりしてるし」
「それは……親切なのか?」
「まぁいいのいいの、私も宿代として何かしたい気持ちだし!」
体よく使われているだけじゃ……とか思ったが、本人は満足してる様なので言わない事にした。
「ウェイトレスの仕事って……あれだけ『BAR』にこだわってるのに、女を雇ったらそれはもう『カフェ』の類なのでは……」
「聞こえてるぞ~」
げっ、あのおじさん無駄に耳が良いな。地獄耳かよ。
店奥からはコンロがチッチッチッと点火した音が聞こえる。レオは器用にも料理を続けながら俺達の雑談に耳を傾けているようだった。
「というかニッ君、あの人『BAR』にこだわりがあるって言ってたけど、だとしたらなんで裏に立派なキッチンがあるの?」
「だってよ、聞かれてるぞおじさん」
「……」
「んだよ、話しはしないのかよ……俺の記憶違いじゃなければ、ここがBARになる前はレストランか何かだったって、レオから聞いた気がする。その名残で残してるんじゃないか?」
「レオさん、料理上手いのに勿体無いよねぇ。普通に料理人としてやっていけそうな気がするんだけど」
そういえば、レオが「バミューダウィングスエージェンシー」に所属する前の事、あまり知らないな。何があってこの殺伐とした裏社会に来たんだ……?
店奥からは今度はトントントンと、まな板で何かを切る音が聞こえる。じきに油の上で何かを焼くような音が聞こえてきた。
しばらくすると、レオが銀のボウルをかき混ぜながらカウンターまで出てきた。
「なぁ、レオって昔何やってたんだ?」
「昔って……いつ頃の話をしてる?」
「俺達と同じくらいの歳の時だよ。普通に学生でもしてたのか?」
「あの時は……料理学校に通ってたなぁ」
「じゃあやっぱり料理人を目指してたんだ!」
へぇ、知らなかった。初耳だな。
俺達の業界じゃ過去を詮索するのはあまり良い事とされていない。掘ってもろくな過去が出てこないからな。俺の師匠もレオとは付き合いが長かったはずだが、過去について言及した事は一度も無かった。
「じゃあなんで傭兵になったんだ?」
「理由は幾つかあるが……第一は家内が傭兵だったからだな。俺も流れでそっちに入る事になった」
「え、レオさんって奥さんいるんですか!?」
あ、まずい。メリッサは何の気なしに質問を続けているが、その話題は彼のトラウマそのものに関する話題だ。
案の定、レオの目は少し曇ったように見えた。だが、すぐに彼は笑みを浮かべて答える。
「『いた』……って言う方が、正しいかもしれんな。残念ながら、彼女はもうこの世に居ないんだ。死んじまったからな」
「あっ……それは……」
メリッサも自身が踏んだ地雷に気付いたようだった。仕方ない、この世界を知らない人間にとっちゃ、避ける事の出来ない会話のトラップだ。
レオは笑って、話を続けた。
「嬢ちゃん、んな辛気臭い顔するんじゃねぇって。可愛い顔が台無しだろぃ? オレだって立派な大人なんだ。過去は過去……ちゃんと乗り越えられてるからよ」
レオはボウルを置くと、酒棚まで歩いて行った。そこに置いてあった写真立てを持って、戻ってくる。
「忘れられるより、ずっと覚えてくれてる方が嬉しいもんな……あいつなら、そう思うだろう」
「レオさん、この写真は……」
「レオ・ロステルとキャロル・ロステル……この頃のレオはまだ若いんだな。今の馬鹿みたいなもみあげがまだ無い」
「おいニコル、『馬鹿みたい』ってのはヒドくないかぁ? オレはこの髪型気に入ってんだぜ」
写真の中の男女はピースしていた。幸せそうだ。
「おっと、そういや火ぃ付けっぱなしだったな。見てこないと」
レオは写真をその場に残し、ボウルを持ってキッチンに向かって行った。
メリッサが写真立ての淵を指でなぞりながら、ぼそりと呟く。
「なんだか、寂しい気分になるね。私は会った事も無いのに」
「……泣いてるのか?」
「流石に、そんな事は無いけど……でも悲しくはあるよ。どんなものでも、全ての別れは悲しいものだから」
メリッサは俯いた。感受性豊かだな……と俺は羨ましく思う。同情や離別の悲しみという感情は、俺が真っ先に捨て去ったものだからな。
俺はレオに聞こえない様に声を絞った。
「あいつさっき『乗り越えた』とか言ってたが、ありゃ嘘だな……今もまだ嫁の亡霊に憑りつかれてるってのに。未だ前線に出て来ず、いち支部の門番として引き籠ってるのが何よりの証拠だ」
「でも仕方無いんじゃないかな。大切な人が居なくなって、平然と耐えられる人なんてこの世に居ないと思うよ」
「……『居ない』って事は無いだろうが、確かに少なくはあるだろうな」
その人間が誰よりも身近な人間だから、実感が無いんだが。
* * *
しばらくして……
「よーし、できたぞ。『ひき肉とネギの醤油焼き』だ」
「よっ、待ってました!」
皿が並べられ、その上にフライパンから料理が盛り付けられる。
「いただきまーす!」
「……」
俺は無言で手を合わせ、料理を口へ運ぶ。
「……」
はぁ……
「うん、やっぱりレオさんの料理は美味しいですね!」
「ああ……美味いよ」
「それなら良かった、急ごしらえだから用意してなかったもんでなぁ」
俺は嘘をついた。美味いもマズいも、分からない。微かな塩味以外に、俺の舌は何も知覚できなかったんだからな。
『キャロル・ロステル』
故人。4年前に死亡。快活で明るい人物だった。
キャロルとレオのコンビは組織内トップの実力を持ち、どんな敵でも打ち負かして来れた……
あの一つの裏切りと、一つの悲劇が起こるまでは。




