大脱走はノリと勢いが肝心
「事件番号621-1108-26 ティアーズヒル沿岸工業コンビナート暴走者鎮圧」……今回の事件、報告書にはそう記述されたらしい。
容疑者はハーマン・アトラス、51歳。5年程前に離婚済みで、独身。
そして、現在では死亡が確認されている。まぁ、現場には遺体が塵一つ残らなかった為、物的証拠は存在しないのだが……
彼は2年前まで事件現場の鉄鋼部品工場で働いていたが、大規模リストラによって解雇されたようだ。彼の言動からするに、犯行の動機はその解雇の逆恨みだと考えられている。
事件現場に残った血痕から、亜酸化窒素に類似する成分が検出された。この事から犯行当時、何かしらの薬物を摂取していた可能性が極めて高い。
「そして、お前は薬品の入ったシリンダーをその目で確認した……という訳だな」
「ああ、そうだ」
俺は今、兵営内の病室でベッドに横たわりながら、ラプラスとかいう眼鏡男から取り調べ……のような何かを受けている。
なぜこのような状況になっているかというと……
* * *
紫髪女の乱入のおかげで命を拾った俺は、促されるまま帰路に就こうとしたのだが……
「あれ、急に……力が……」
「ちょ、ニコっち、どうしたの!?」
途端に目の前がぼやけ、力が入らなくなる。そして俺はそのまま気を失ってしまったのだった。
* * *
医者によれば、「慣れない環境で急激に身体、能力を過度に酷使した事による疲労」だそうだ。多分、その他にも累積する寝不足による疲労も複合要因としてあるのだろうが、いずれにせよ俺は自分が思うより疲れていたらしい。
こんな風に倒れたのは初めての事だから、俺も最初は面食らった。
症状も大した事は無いようで、少し休めば回復すると言われたが、その話を実質的な上司であるラプラスに報告すると「明日から2日間の療養を取れ」と命令されてしまったのだ。
さて、その彼だが、俺の前で書類に何かをメモしながら俺の話を聞いている。報告を聞き終え、カチャと眼鏡を直すと、彼は立ち上がった。
「事件状況については理解した。後はこちらで捜査を進めておく……休んでいいぞ」
「ああ、どうもご丁寧に……」
ラプラスはそう言うと、こちらを見向きもせずに病室をそそくさと出ていった。スライド式のドアが何の風情も無く静かに閉まる。はぁ、せっかちな奴だな……
俺はやる事も無いので窓の外を見ていた。とりあえず今日のうちは病床でじっとしてないと、後々また城まで呼ばれて説教……なんて事にもなりかねないし。医者にゴネるのは明日の朝にでもしよう。
「……痛くはないんだよな」
見下ろした先、めくった綿の病院着の裏に、包帯が巻かれている。昼間の銀行強盗犯に撃たれ、その後夕方にライラの花火玉を食らった腹の傷である。流石にこのダブルパンチは堪えたのか、知らず知らずのうちに俺の体力を消耗させていたようだ。
だが、痛くはない。正確に言えば、何の感覚も無い。それも、俺の「感覚」が前より消えていっている証拠だろう。
左腕に目を移した。亀裂が走ったような古傷を人差し指でなぞる。
「やっぱり、症状の進行が進んでるんだろうか」
俺の特殊体質、『龍腕』は未だ正体不明の技術だ。何のきっかけも無く、「気付いたらできるようになっていた」って感じだから俺自身もよく分かっていない。検査した限りでは、魔力の消費が一切無いらしいので『能力』には当たらないという結論だった。
感情を以って血に呼びかけると、身体の奥から何かが応えてくれる。そうすれば、俺の左腕は鱗に包まれて、比類なき破壊力と比類なき防御力を手にするのだ。最強の矛、兼最強の盾である。
しかし、力にはそれなりの代償が伴うのは世の常で、『龍腕』も例外ではない。最近気づいたのだが、俺の身体が徐々に「痛覚」を知覚しなくなっている感覚があるのだ。
最初は「自分が痛みに慣れただけ」と思っていたのだが、辛かったはずのサンドイッチが無味に感じたり、帰宅時に仲間から出血を驚かれたりなど、自覚する程の異常を幾つか経験してその結論に至った。
「前は『味覚』……今度は『痛覚』か……次は何を失うんだろうな」
身体への悪影響は否定できないので、「最近はできれば使わない」事を目標にしているんだが……強敵に出会う度、結局使わざるを得ないという事態に陥っている。良くない事だ。
今日に関しては龍腕を使った挙句、自分の体力管理さえミスってぶっ倒れてしまった。このままじゃいつ致命的なミスを犯して、最悪死ぬかも分からない……
焦る気持ちを落ち着けるように、諸々の感情もため息と一緒に吐いた。
死ぬのは別に恐れる事ではない……が、このカウントダウンが終わるまでに俺の目標を達成しなければ……
「ニッ君!!!」
「おわっ、びっくりした!?」
勢いよく開いたドアの所には、橙髪ポニーテールの見慣れた女が居た。メリッサである。彼女はぜえぜえと肩で息をしながら、俺の近くまで駆け寄ってきた。
「ニッ君……倒れたって、聞いたけど……大丈夫……!?」
「ちょっと待て、落ち着けよ……お前の方が大丈夫なのか……?」
「私は……平気……」
メリッサは下を向いて呼吸を直しながら、やっと挙げた手でサムズアップした。
というか俺は軍病院が一般人に解放されてるって事に驚いてるんだが……
「見舞いに来たのか?」
「そうだよ……レオさんが情報屋から聞いたんだって。それ聞いてすぐ走ってきちゃった」
「……」
レオの奴……情報屋を監視にでも付けたんだろう。全く、耳が早すぎるっていうか……
そして目の前のメリッサは、ちょっと前まで箱入りの引きこもり娘だった癖に、この距離を全力疾走で来たらしい。せめて馬車でも取れよとか言いたくなったが、大事なのはそこじゃなくて……
「お前が危険だからレオん所に預けたのに、一人で外に出るんじゃねぇって……!」
「ああ……それは……」
「レオは止めなかったのか?」
「……ええと」
「止められたけど、聞かずに出たんだな?」
「……はい」
「よし、有罪だ。俺からお仕置きをくれてやる」
「ちょっ、ひゃっ、くすぐったいって!」
俺の事を心配して来てくれた人間に、怒ろうとする気も起きなくて……何とも言えない気持ちを誤魔化すために、メリッサの頭を力いっぱいわしゃわしゃした。彼女はまるでガキにでも戻ったかのように、楽しげに笑っている。
数秒経って、俺は手を止めた。
「まず、心配かけてすまん。仕事でしくじったのは俺の責任だ。それでお前がわざわざ見舞いに来るなんて思ってもみなかったが、それを怒る気になれない」
メリッサは真剣そうな顔に戻ると、俺の目を真っ直ぐ見ながら耳を傾けている。
「お前が本当は外に出たいって気持ちを持ちながら、それを我慢してくれてるのも知ってるんだ。それも俺の責任だと思ってる、だから……」
「ちょ、ニッ君、私はそんなつもりじゃ……」
「最後まで聞いてくれ」
俺は心の中で決心を済ませて、口を開いた。
「今から俺は、脱柵する」
「……は?」
「そんで、メリッサ。この前約束した通り、どこか出かけるぞ」
よっこいしょ、とベッドから立ち上がる俺に対し、困惑した様子のメリッサが止めようとする。
「『脱柵』って……軍隊の脱走、みたいな事でしょ? 大丈夫なの!?」
「そもそも俺は2日間の療養を言い渡された。今の時点で休日みたいなもんだ。それなのに何故か病床に縛り付けられてる……だから脱走するしかない。大丈夫だ、必ず期日までには騎士団に戻る」
「2日間の療養って……今出ちゃダメでしょ! 身体は大丈夫なの?」
「点滴の針すら付いてないのがその証拠だ。ちょっと元気がなかっただけだからな。ゴネりゃ明日にでも退院できる程度の怪我だ」
俺は病室の窓を開け放った。窓枠に足を掛け、脱出の準備をする。
「窓から出るの!?」
「ああ、正面から行っちゃ、捕まるのは目に見えてるからな。勿論お前は普通に帰ればいいからな。後でレオのBARで合流しよう」
「う、うん……わかった……かも?」
おろおろするメリッサを尻目に、俺は4階から跳躍して、シャバの空気に飛び込んだ。




