彼女は語る
旧縁。俺はもう、そういう過去のつながりを全て焼き尽くしたものだと思っていた。
『ニッ君』……俺のことをそう呼ぶ人間は、記憶の中で一人だけ。彼女の名はメリッサ。フルネームは、なんだっけ……?
俺が『殺し』の世界に入るより前、俺がただの善良なガキんちょだった頃の友達だ。一応は、幼馴染って感じの関係だろう。
「え、会うのいつぶり!? 元気にしてた!? ほんとに心配してたんだよ!?」
「多分あれから10年くらい……じゃないか?」
先ほどまで強張り気味だった女性、もとい幼馴染のメリッサは途端に元気いっぱいになったかのようにはしゃぎ始めた。まぁ再会の喜びに関しては分からんこともないが……俺の中では焦りの感情の方が強かった。
なんせかれこれ10年くらい会ってなかったせいか、あんまり覚えがないのだ。
顔を見て誰か分かる程度しか記憶に残っていないし……ここから昔の話とかされてもまともに受け答えできる気がしない……
「あ、アニキ? いきなり過ぎていまいち理解できてないんスけど、ひょっとして知り合いとかそういうのッスか……?」
「ああ、その通りだ……もっとも、状況を理解できてないのは俺も……だがな」
既に正体を知られているとは思わなんだ。これじゃわざわざコードネームで名乗る必要など無かったな……いや、むしろ名乗るべきじゃなかった。コードネームと本名の両方がバレてるって、それは非常にマズい……いや、今はいいや。考えないでおこう。
「まぁ経緯も含め、色々聞くのは後だ。この期に及んで隠す必要も無いからな……改めて名乗らせてもらおう」
メリッサは頷くと、静かに耳を傾けた。
「俺は特務傭兵組織『バミューダ・ウィングス・エージェンシー』若頭、コードネーム『ゼロ』ことニコル・オーガストだ。そんでこっちが……」
「えっ!? オレもこの流れで名乗るんッスか!?」
少年は俺を見た。俺は無言で頷いた。ついでに「はよしろ」と目で語りかけた。
俺の名前を知られている時点で、機密もクソも無いからな……メリッサにはこれから色々と質問しなきゃならない関係上、こちらから最大限の誠意を見せておくべきだろう。という訳で、俺の部下であるこいつは当然ながら道連れである。
少年はまごついていたが、意を決したように姿勢を正した。咳払いをして、明らかな作り声で口上を始める。
「こほん……オレはコードネーム『クロガネ』こと、ハリー。ハリー・ライシェルって言うッス。16歳ッス。好きな食べ物はビーフストロガノフ。趣味は映画鑑賞で、主にラブロマンス系をよく見るッス。好きな女性のタイプは……」
「ストップ、ストップだ馬鹿野郎」
「いでででで」
何を血迷ったか関係ないプライベートの情報を長々と開示し始めたアフロボーイ、もといハリーの頬をつねって、黙らせる。
「流れを汲まんかいこの野郎、合コンじゃねーんだぞ……」
「んな言ったって、普段から自己紹介なんてこんな感じでやってるッスよ!」
「お前、ってことはコードネームとか外部に漏らしたりとか……!?」
「あ、いや、それは流石にしてねぇッス」
「……ふぅ、なんだ、焦ったわ」
ほら、メリッサも「どうしたらいいか分からない」風な顔になってるじゃねぇか……!
「あのー……」
「ああ、すまない。この頭のおかしいクソガキの事は放っておいてくれ」
「『頭がおかしい』って事に関しては、アニキが言えた話じゃねぇッスよ!」
「ふふっ……君たち仲良いんだね」
寸劇を演じる俺たちを前に、メリッサはくすくすと笑った。今や肩の力も抜けて、リラックスしてきたらしい。
「ニッ君、私も名乗った方がいいよね?」
「ああ、そうだな……ハリーのためにも頼む」
フルネームを覚えてない自分の事は棚に上げて、あくまでハリーの為を装った。うむ、我ながら策士なり。
ハリーが不審げな目で一瞬俺を見ていた。んだコラ、相変わらず鋭いガキだな全く。
メリッサは水筒から一口だけ飲んだ後、口を開いた。
「私はメリッサ・ベリーズ。ベリーズ家の一人娘で、両親はパティシエ……」
そこで急に彼女は言葉を止めた。何かを確信したような表情をして、再びこちらを見た。
「そうだ、やっと思い出した……私、今日家出してきたんだった」
* * *
完全にパニックから回復したメリッサは、覚えている事をぽつりぽつりと喋り始めた。
親の束縛に我慢しきれず、遂に家出を決意した事。
家を出た後しばらくして、後を尾けられていると気付いた事。
背後から拘束され、意識を失った事。
そして俺達に拾われ、今に至る……と。
「なるほどな……」
「アニキぃ、こんな情報じゃ何の手がかりにもなりゃしないッスよぉ……」
「まぁ予想はしてた事だ……ただ、一つ気になる事がある」
しばらくして敵の接近に気付いたというのも、具体的にどれくらいの時間が経っての事だろうか。しかも素人に気付かれる尾行……というのは、どうにもその道のプロの犯行とは考え難いな。
回答如何では、少なくとも犯人の目的の絞り込みが出来るかも……
「メリッサ、さっき『しばらくして』と言ったが、具体的に気を失った時間は覚えてるか?」
「え、具体的に……? うーんと……」
「大体の場所でも良い。そもそもお前はどこを目指して歩いていたんだ?」
10秒ほど考え込んでから、彼女は答えた。
「とりあえず、友達の家を目指してたの。夜道で雪も降ってて、いや街灯はあったんだけどさ、それでも暗くて……」
メリッサはハリーに紙とペンを要求し、簡単な図を描き始めた。
「家から坂道を降りて、大通りに出て……それでひたすら道なりに進んで……そうだ、廃墟街が見える川があったでしょ。確かその橋を渡った後、後ろから音がしたんだよね」
「廃墟街……あそこか」
そう聞くと40分くらい歩いててもおかしく無さそうだな。なら家から尾けられてた可能性は低い気がするが……
「まぁいいや、報告にはこれくらいあれば十分だ。ありがとうメリッサ、今日はここでゆっくり休んでいくと良い。いつ何時狙われているかも分からん状況じゃ、家に帰すのも危険だからな」
「そっか、こちらこそありがとうね」
「寝るなら……そこの物置部屋を使うと良い。ハリー、寝袋を出しておいてやれ」
「へい、了解ッス」
一通りやることも終わって、欠伸が出てきた。
「俺は最後の仕事を終わらせて、さっさと寝るぜ。このところ忙しくてマトモに寝る時間も取れなかったからな……」
さっさと親父に報告を済ませて、ロベ爺のお小言を聞いて……あー意外とやる事多いな、クソが。こんな生活続けてたら、いつぶっ倒れても文句言えねぇな……とは言っても、なんだかんだ倒れねぇのが俺なんだよな……
なんて事考えていたら、ドア前に待機していた伝令係に気付かず、開いたドアをぶつけてしまった。
「あ、すまん、気が付かなかった」
「いえ、こちらこそ申し訳ない。若に斥候隊から手紙が……おそらく『サーカス』からの物だと思われますが」
「どれ、見せてくれ」
伝令係は懐から便箋を取り出すと、俺に渡した。