常在、想定外事象
取引の計画が判明したのは、先日制圧した非合法オークション……その参加者が持っていた紙切れによるものだった。日程と港の番号が書かれているばかりで、詳細は一切が不明。その他殆どの情報は関連事項から推測するほか無かった。
そして物品の正体はおそらく戦略物資の類、特に奴らの動向から新型魔導兵器の可能性が高いと推定。
俺一人を潜入させ、本隊は岸近くで小型船を五艘ほど待機させた。
物品の詳細が判明、もしくは俺が船内の制圧を済ませたタイミングで本隊が合流し、物品を回収してトンズラ……って感じの計画だった。
しかしまぁ自慢ではないが、俺が関わったミッションに関しては万事計画通りに進んだことなど過去一度も無いのである。今回も例外では無かったらしい。
俺は木箱に食い込んだ大男の方を見ていた。
いや、正確にはその下、浸水穴が出来ているであろう辺りを……
「やっぱりこの船、どんどん沈んでない!?」
「……ッ」
揺れながら沈降する船内で、女は助けを求めるように俺の袖を引っ張った。暗闇の中だから顔はよく見えないが、おそらく動転して顔を青くしているのだろう。そういう声色をしている。
先ほどの戦闘で船内は荒れまくっていたが、幸い女は木箱の裏で大人しくしていたからか、特に大きなケガは無いようだった。
というか今になって気付いたのだが、声や身長のあれこれから考えるとこの女、俺と同年代かそこららしい。こうなったからには連れて戻るしか無さそうだが、全く……面倒な手土産が増えたものだ。
だが今はそんな事どうだっていい。俺は内心滅茶苦茶焦っていた。なぜなら……
「肝心のブツが……まだ回収できてないっていうのに……!」
無線通信を入れたから回収の小船が来るだろうし、俺とこの女が無事に陸に帰り着くのはそう難しい話じゃない。ただし未だ所在が不明の「取引物品」はどうだろう?
このままだと船の残骸と一緒に海の藻屑ルート一直線……つまりそれは作戦失敗を意味する。
「……ッ、無理か!」
穴が空いているだろう部分を能力の氷で塞げないか試してみるが、無理だった。水流が強いせいで氷が安定して張ってくれないらしい。
『龍腕』のせいで我を忘れていたとはいえ、ノリに乗ってやり過ぎた。
不要だったにも拘らず、とどめの一撃に【龍拳】をぶっ放したのは間違いだった。過剰火力による衝撃は船底にまで到達し、致命的な破壊は賓客を迎え入れるための門を作ってしまったようだ。門は今や巨大な亀裂に成長して、船体を横断しつつある。
そうこうしているうちに、浸水穴から侵入した海水で木箱の一部が浮遊を開始した。天井が迫り、壁は崩落を始め、床も沈みながらその勾配を増している。もはや物品の捜索は絶望的だ。
自分の不手際が招いた事態だ。「こそこそ探して回るの面倒だし、先に全員殺しちまえば楽なんじゃねぇか?」と横着をするべきじゃなかった……
後悔を胸に、脱出する事を決めた。
「おい女、しっかり掴まってろよ」
「へっ?」
返答も聞かずに女を担ぎ上げ、天井を見上げながらタイミングを待つ。
船体の断末魔が響き、致命的な破綻が起こる。床は加速度的にその役割を放棄しにかかり、水平線への挑戦を始める。開かれた大蛇の口のように、海面は船の残骸を飲み込んでいく。
床の勾配が45度を超えないあたりで、俺は女を背に負いながら割れた甲板の亀裂をめがけて、斜め上に跳躍した。
「【氷細工……形状:鎖】ッ!」
足りない高度を稼ぐため、氷の鎖を生成し、縄のように天井の骨組みに巻きつける。
鎖にぶら下がって、蜘蛛の糸のようによじ登り、傾いた甲板へと到達した。
甲板はもはや坂ではなく、巨大な壁へと変貌しつつあった。先程と同じように傾いた床を蹴って跳躍し、3メートル程下に見える水面に向かって飛び出す。
足元に見えるは凍える海。そのまま突っ込めば、冷凍肉塊の完成だ。
それは嫌なので、俺は着水寸前に水面を凍結させ、仮初の路面を作り出す。
「ここまで来りゃもう大丈夫だよな……っと!」
崩壊し沈みゆく船の残骸は、その最期の瞬間に大きな荒波を立てた。足元の氷塊が大きく揺らいだが、激動はそれきりだった。予想通りだ。念の為、距離を稼いでおいて良かったな。
「も……もう……私ダメ……」
「おい女、いい加減しがみついてないで降りろ。もう安全だ」
「うぅ……」
氷製即席イカダの上で、目を回している女を俺の肩から引っ剥がそうとする……が、こりゃダメだな。完全にダウンしちまってる。こう言っちゃなんだが、割と重いから疲れそうで……
すると丁度いいタイミングで三艘の小舟が到着した。
「若! ご無事で!」
「いきなり沈没とは……一体、中で何があったので」
「あぁ、そうだな……結論から言うと……任務は失敗だな」
咄嗟に笑って誤魔化そうか迷ったせいで、変に歪んだ笑顔になってしまった。奢ってもらった料理が思いのほか不味かった時に、上司に向かってしなきゃならない作り笑顔……に似てるかもしれない。
「こんな所で話すのもなんだ、まずは陸に戻るぞ」
「は、はっ! 了解しました!」
* * *
「して……『ゼロ』……言いたい事は山ほどあるんだが……!」
「まぁそんな怒らないでくれよロべ爺、お土産だってあるんだ」
「『ラーチャー』だ、任務中はそう呼べといつも……」
「別にいいだろ? 敵は全部始末したんだし、聞かれてるなんてないさ」
コードネーム『ラーチャー』こと、ローベン・ラニングは心底呆れた様子で待っていた。付き合いも長いからか、この爺さんは俺が説明するまでもなく、何があったのか大体理解している様だった。
ただ、俺が背負ってきた女を見ると、少しその顔つきを変えた。女は緊張と疲労のせいか、今は眠ってしまっている。
「これは……?」
「こいつは恐らく商品の一つ、積み荷に紛れてたのを偶然見つけた」
「ふむ……ならばやはり、何かしらの非合法取引が予定されていたのは間違いないな……」
ロべ爺の表情が考え事をしている時の顔になった。よし、この調子だと俺のミスも無罪放免……
「ただ肝心の戦略物資に関しては、その有無すら分からないんだが……な」
「あ、それは……申し訳ない……」
当然、許されなかった。世の中そんなに甘くないって事だ……
すると今度は、向こうから車椅子の男がやってきた。我らがボスのお出ましだ。
「まぁ良いじゃないか、少なくとも取引の阻止には成功しておる。及第点ってヤツじゃよ」
「よぉ親父、こうやって前線まで来るのは珍しいな」
「時には息子の頑張りを見に来たいものよ……気にするな、誰にだってミスの一つや二つはあるものじゃ」
老人はわざわざ俺をねぎらう為に来たらしい。俺だってもうガキじゃないんだがな……
ロべ爺は後ろで渋い顔をしながら頭を搔いている。
「ボス……いい加減甘やかすのは止めにするべきでしょう。こいつだってもう立派な大人なんですから……」
「ええい、文句を言うなっ! 『飴と鞭』という諺があるじゃろうが」
「だからって飴ばかりでは意味が無いという話ですよ」
「ワシが飴、お前が鞭を担当すれば良いじゃないか。効率的な役割分担だと言えるじゃろ?」
「全く……」
『ボス』ことレイモンド・オーガストは、カッカッカと笑いながら車椅子を部下に押してもらいながら、馬車の方へ戻っていった。
ロべ爺は溜息を吐くと、少し穏やかな目つきになってこちらを見た。
「まぁボスの言う事にも一理ある。収穫がゼロって訳でも無いからな、今回は仕方ないとしよう。隠密調査に不向きなお前を送り込む事になったのも、こちらの不手際だ。『シロガネ』が居れば都合が良かったんだが……」
「ああ……あいつも暫く戻らないだろうしな……」
ロべ爺は周囲の構成員に撤収命令を出すと、またこちらを向いて言葉を続けた。
「詳しい話はその娘から聞けば何か分かるかもしれない。そうだな……今回の罰は『その娘から何かしら情報を聞き出す』にしようかね」
「ちょっ、さっき及第点って言われた所だが!?」
「それは『飴』の意見だ、『鞭』としての役目は果たさねばな」
爺さんは悪戯な笑みを浮かべると、そのまま馬車の方へスタスタと歩いて行ってしまった。
「ったく……やっと休めると思ったら……」
今日という日は、もうちょっとだけ続くらしい。
───接続成功───
───データベースへのアクセス権限を付与───
『能力』
魔法、奇跡、あるいは人為的な超常現象。
この世界で特定個人が所有する、超常的な個人技能。
魔力を媒介として、使用者の望む「事象」を世界に刻み付ける。
それは人間にとっての高潔な「夢」、
あるいは神格にとっての傲慢な「欲望」だったかもしれない。