冥王
カメレオン男が何も仕掛けてこないまま、一時間と少しが経った。沈黙はまだ車両を支配しており、どんな羽虫も寄り付かないだろうってくらい空気が重い。現に数駅を経た今も、この車両には誰も乗って来なかったしな……まぁそもそも、一車両だけ床が凍り付いて冷凍庫みたいになってたら誰も乗りたいと思わないだろうけど。
ミケは重い空気に耐えきれないという様子で、口を開いた。
「ニンゲン共、そろそろ昼時も過ぎたニャ……吾輩もお腹が空いたのニャ」
「……うん、分かったよ」
「……」
メリッサが鞄の中から袋を取り出し、ミケに何やら切り身のような物を食べさせている。俺は無言で保温缶を取り出して、中身の串焼きを一本食べ始めた。
「……ん」
「……ありがとう」
「……どういたしまして」
俺はメリッサと目を合わせないまま、保温缶を突き出した。彼女は一本取ると、消え入りそうな声でお礼を言う。俺も一応は返答をしたが、まともに喋るのが数十分ぶりだったためか若干掠れ声になってしまった。
どうしよっかなこの空気……と俺は考える。普段あまり人と関わらないのもあって、こういう状況での対処には慣れていないのだ。考えては面倒になって投げ出す……このプロセスを繰り返して一時間が経ってしまった。
こういう時は一眠りしてやり過ごしたい所だが、生憎それはできない状況だ。あのカメレオン野郎をさっさと倒さない限りは、睡眠どころかトイレに行く時間すらも貰えない。
おのれ……さっさと出て来やがれ……と本人の居ない所で殺意カウンターが回っていく。可哀想に、全身タイツの変態。今出てきたら本気の俺に嬲り殺しにされるかもしれないとは、本人の知るところではないだろう……
* * *
「……それにしても、いつ来るんニャあのニンゲンは?」
さらに一時間が経過した。列車は既に首都ティアーズヒルが存在するアンドレア州に入りつつあり、乗降客もそれなりに出てきた。まぁ相変わらず俺達の居る車両は人が避けてるのか誰も乗って来ないんだが……マジでそろそろ通報されててもおかしくないよな……?
「あいつ、列車の外にしがみついてるのはいいが……俺達の知らないうちに吹き飛ばされたとかありえないか?」
「だとしたらお笑いニャけど……」
俺はちらっと横のメリッサを見る。支度も含めて早起きだったからか、睡魔に耐えられず寝てしまったようだ。穏やかな顔で静かに寝息を立てている。
「トンネルか……」
ここまで平地だったからかトンネルは初めてだな。そういえば車両上ってトンネルに入った時どうなってるんだろうか……隙間は十分あるんだろうか、なんて事を思った。
辺りが影で闇に包まれていく。全ては黒色に染まって……
ちょっと待て。黒……黒はマズい!?
「クソ猫、構えろ!」
「ッ……後ろから来るニャ!」
「了解!」
カメレオン男の能力が発動し、『黒』が認識不能になる。視界の全てが黒に染まった今、俺の目は全く見えなくなったも同然だ。虚無空間には焼けるような殺気が広がっていた。
ミケのひげで敵の位置を把握してもらい、それを頼りに反撃に転じる。
「【氷細工:形状=両手剣】ッ!」
この距離なら微かに聞こえる、刃が空気を斬り裂く音が。虚無空間にカメレオン男が床を踏みしめる音が響く。音と殺気、それとほんの少しの勘を頼りに、俺は両手剣を掲げ防御態勢に入る。振り下ろされた刃を剣身の山部分で迎え撃ち、パリィに成功した。
すかさず返す刃で中段を薙ぎ払い、金属製の物体を捉える。振り抜いた厚刃の両手剣は、カメレオン男の歪んだ片手剣を弾き飛ばしたのだった。
「あらーら、まだ対応するだけの気力が残ってたのネン!?」
「やっと出てきやがったか、待ちくたびれたぜ……出会い頭で丸腰にされた気分はどうだ?」
「こりゃピンチなのネ、ここはまた撤退ヲゥ……」
「ここで残念なお知らせだ。今度こそお前は逃げられない!」
何のために床面の氷を維持してたと思ってる……氷は警報機以外にも、罠としても使えるんだぜ!
「食らい付け、【霜牙】ッ!」
「あらラッ!」
カメレオン男が踏み出した足元の氷が砕け、それと同時に『凍結』を再開する。再結集した氷のつぶてはカメレオン男の足を巻き込んで、凍った床に縫い付けたのだった。
ナイフを生成し、虚無空間の中で狙いを定める。丁度列車がトンネルの暗闇から抜け、眩しい光が俺達を照らす。
「今なら僅かにだが見えるぜ、お前の姿が……『闇の中の黒』と『光に当てられた黒』じゃ、若干明るさが違うもんな……!」
「あらーら参った、こりゃマズいのネ……」
「これで終わりだ、【氷柱……ッ」
「……なんてネ」
カメレオン男が振り向いてこちらを見た……気がした。今、微かに笑ったような……
突如、床が消失した。
「なッ……!?」
虚を突かれ、バランスを崩す。足元には暴力的な速度で流れていく線路が見える。あそこに落ちたなら、枕木のおろし金で粉々にすり潰されてしまうだろう。
俺は「落ちる……ッ!」と、焦って攻撃を中止した。しかし次の瞬間気付いたのだった、それは錯覚だと。
「こいつ、今度は『氷の色』を消したのか……ッ!」
「ちゃーんス、お命頂戴ヨンッ!」
全身タイツの男は、既に靴を脱ぎ捨てて呪縛から抜け出していた。透明な床の上でバランスを崩した俺に、取り出したナイフで男は斬りかかる。なんだよ、まだ武器持ってたのかよ……
氷壁の展開は間に合うか分からない。最終手段の『龍腕』を持ち出そうかと考えた時……俺の視界に入ったのは予想外の光景だった。
「ええええーいっ!!」
「あ、あラッ!?」
「め……メリッサ!?」
いつの間にか起きていたメリッサが、駆け出したカメレオン男に奇襲の一撃をお見舞いしたのだった。その手には串焼きの木の棒が握られていた……あいつ、なんて物を武器にしてんだ……
「ハッ、そのセンス気に入ったぜ……後で説教してやるからな!」
同じく虚を突かれた様子のカメレオン男は、俺の目の前でバランスを崩して倒れた。俺はその隙を逃さず、生成途中のナイフを拾い上げて至近距離で構える。
「俺のとっておきを見せてやる、一撃であの世に逝きなッ!」
俺の能力、『凍結』は「物体を一瞬で凍らせる」という『概念系』の能力だ。氷を使う能力者は「冷気を操る」等のタイプが一般的だから、俺みたいなのは珍しい。
勿論メリットもあるのだが、俺の能力には明確なデメリットが存在する。それは「物体が凍る温度より下にできない」というものだ。どう頑張っても「氷」以外を作れないせいで、冷気操作の能力者に比べて応用性も最大威力も劣ってしまう。0度以下を作るのが非常に難しいのだ。
で、俺は試行錯誤の末にそのデメリットを解決する方法を見つけた。それが俺の「とっておき」……
「【冥王飛針】ッ!」
水ではなく、窒素を凍らせる。窒素の凝固点は非常に低く、マイナス210度にもなるそうだ。魔力の消費は激しいが、この方法なら絶対零度にある程度近い超低温を生み出せる。
数時間待たされた鬱憤晴らしだ。俺の最高火力……存分に味わいやがれ!
『レオン・フィルバート』
『血濡れた鴉』所属の鉄砲玉、あるいは妨害要員。
当人は武芸に優れた方ではないが、能力の才と歪んだ暴力性、そして異常な性的嗜好が彼をこの道に進ませた。
能力:『色盲』
周囲の最大半径50メートルに対し、領域内の生命体の視界に干渉する。
対象の色の物体は、自分含めた領域内の生命体全てに視認されなくなる。
「自己も対象にする」という制約で優先度を底上げしているため、抵抗も難しい。




