Nasty Blue Sorceress:窮鼠、猫の威を借る
「ッ……!」
「だ、大丈夫!?」
「平気ッス、まだ走れるッスよ……!」
騒ぎを受けて逃げ惑う観客の中、出口に向かってハリーとメリッサは走っていた。正門側は警備が厳重なためか人でギチギチに詰まっており、一刻も早く外に出たい彼らは他の出口まで迂回しようとしたのだった。
しかし……
「待ちやがれ共犯者共!」
「……天井崩したってのに、時間稼ぎにもならないッスか!」
迂回した道の先で組織の手の者と鉢合わせてしまい、そのまま追われ始めたのだった。
逃げるためにまた遠回りする事を余儀なくされ、二人はそのまま地下闘技場の深部に迷い込み……結局、出口が分からなくなってしまったのだった。
ハリーはナイフによる負傷で万全とは言えない状態、かつメリッサを無事に護衛しなくてはならないという任務も負っている。そんな状況で多人数を相手取るのは無理だと判断し、逃げ続けているのだったが……応急処置の布程度では依然出血は止まらず、ハリーの体力が尽きるのはもはや時間の問題だった。
「【飛斬】!」
後続を分断する為、ハリーはまた刃を振り抜き、飛ぶ斬撃で通路の壁面を斬り崩した。
しかし通路正面からまた敵方の援軍が合流してきた。
「……もうこの剣も数回の斬撃が限界ッスね」
すっかり摩耗した片手剣を見ながら、ハリーは呟く。逡巡の後に、彼は覚悟を決めた目で敵方に向き直った。後方で足止めを食らっていた追手も、瓦礫を押しのけてやってきた。通路上で完全に挟まれた状態である。
「らぁッ!」
ハリーはノールックで右壁面を斬り刻み、抜け道を作った。
「この穴を通って、出口を探して……ここはオレが受け持つッス」
「そんな、君はどうなるって言うの!?」
「オレの事は気にしないで欲しいッス。こんな下っ端の雑魚に負ける程、オレはヤワじゃないッスよ。それに、早く外に状況を伝えないとアニキの方がヤバそうッス。どうせオレも、もうろくに走る体力が残ってないッスから……」
カタギの女の子にこんな仕事を任せるなんて、傭兵失格だな……と彼は内心自嘲しながら、自分の仕事に向き合う決意をした。壁面のパイプを引きちぎると、『能力』でそれを研ぎ、即席の剣を作り出す。
迷うメリッサだったが、それを見たハリーは一喝した。
「早く、走って!」
「わ、分かった……!」
背後の闇へメリッサが消えていくのを感じながら、ハリーは両手の剣を構えて深呼吸した。その目には「死ぬ気なんかさらさら無いぞ」と言わんばかりに闘志の炎が燃えていた。
* * *
この闘技場はかつてあった建物を改装したものらしく、ハリーとメリッサはいつの間にかその地下層まで迷いこんでいたらしかった。地下層は現在使用されていないのか廃墟と化していたが、辛うじていくつかの電気は生きていた。
一人逃げる事になったメリッサは、祈るような気持ちで出口を探しつつ廃墟の中を走っていた。彼女の後方から複数の足音が続く。
「もう、無理だよ……っ!」
ハリーの足止めも空しく、別の追手がまた合流してメリッサを追っているのだった。箱入りの少女と屈強なゴロツキ達では速度の差は歴然としており、距離は縮まる一方だ。
彼女の体力も既に限界を迎えつつあり、ぜぇぜぇと肩で息をしていた。
「捕まえたぞ、手間取らせやがって」
「離して……っ!」
ついに追いつかれ、彼女は首根っこを掴まれて押さえ込まれてしまった。
「暴れるんじゃねぇ、お前は生きたまま拘束しろと命令されてるんだ……っ!」
「私はそんなの知らないし……っ! 誰の命令なの!」
「教えてやる義理はねぇよ!」
複数人のゴロツキが縄を持って、彼女を拘束しようと近付く。
もうダメか、と彼女が思ったその時……
「【猫猫・殺肉球】ーッ!」
「ひでぶっ!」
小さな影が天井から飛び出し、メリッサを拘束していたゴロツキに命中した。解放された彼女はもんどりを打って床に倒れる。彼女の前に颯爽と着地したのは……人語を操る猫であった。
「全く、今まで何処に行ってたのニャ!」
「ミケちゃん!?」
「なんだぁ、喋る……猫?」
ゴロツキ共は新たなる小さな敵性存在に困惑した。顔面をしたたかに殴られた男は、壁にもたれかかって動かなくなっていた。脳震盪を起こして気絶しているらしい。
「ひとまず逃げるが勝ちなのニャ!」
「う、うん!」
一人と一匹は再び通路を駆け出した。角を曲がった二つの影は、一時的にゴロツキ達から見えなくなった。
「お前ら、こいつの事は一旦放って、あの女を追え!」
「ぜってぇ逃がすな!」
男達は青筋を浮かべながら疾走し始める。生け捕りにしろ、という上司の命令ももはや吹っ飛んでしまったように、その目には殺意の光が爛々と宿っていた。
橙髪の女はまだそこまで離れておらず、頑張って走れば追いつく距離である。
「このクソアマッ!」
「待ちやがれ!」
逃走者と追跡者の距離が縮まる。ゴロツキの腕が彼女の肩に触れ、また先刻のように組み伏せられる……事は無かった。
「なーんてニャ、【猫猫・殺肉球】ッ!」
「あべしっ!」
「お前ッ……!?」
橙髪の女は振り返りざまに右拳をお見舞いした。一撃は顔面にクリーンヒットし、ゴロツキは吹っ飛んで通路の壁に熱烈なハグをかまし……動かなくなった。
残された者たちは、驚愕した顔で豹変した女を見た……が、彼女の顔はどこか雰囲気が違った。
その眼は薄暗闇の中で光っており、瞳孔は縦に伸びていた。それはまるで、猫のように。
「ば、化け猫だァッ……!」
「化け猫だニャんて……ちゃんと名前があるっていうのに、礼儀のなってない人間ニャ」
メリッサの姿をした化け猫は、舌をペロッと出して邪悪に笑った。
「吾輩は猫である。名前はミケ。以後お見知りおきを……ってヤツニャ」