Nasty Blue Sorceress:渦中に誰を見る
視線の先、三階のガラス窓の先で波乱が起きたのが分かる。良く見えないが、間違いなくハリーが動いたのだろう。そして残念ながら、スピーチの声の主は未だ生存している……つまり攻撃は失敗したという事だ。
「クッ、どうする……介入するか……!?」
奇襲の失敗は暗殺者にとっては致命的な事態であり、大概の場合自身の死を意味する。焦って刃が狂ったか、部下が身を挺して守ったか……いや、後者に関してはあり得ないな。ハリーの能力さえあれば諸共に斬り裂く事も可能だろうからな。失敗の原因はともかくとして、このままではハリーの命が危ない……
「ニッ君、なんか周りが騒がしいんだけど……!?」
「メリッサ、計画が狂った。お前はとりあえず安全な場所で身を守っていろ」
「ちょ、安全な場所って言ったって……君はどこへ!?」
「俺は不甲斐ない味方をちょっと助けに行くだけだ!」
味方が任務に失敗した場合、第二の犠牲者を生まないためにも見捨てるのが殆どである。だが、助けられるならそれに越した事は無い。ハリーがそう簡単にくたばる訳も無いし、まだ俺が介入すれば逃げる余地はあるはずだ。
「……ッ、また届かないのか……!」
任務失敗。仇を討つ千載一遇のチャンスが、また潰えてしまった。無力感が溶け出したインクみたいに胸に広がる。
しかし、そんな悔しさを振りほどくように俺は必死に前方へ駆け出した。このままだと俺のせいでまた人が死ぬ……あいつは少なくともまだ死ぬべきじゃない。俺より先に死なせる訳には……!
目的地のVIP室は三階から出っ張るように位置していた。観客席をパルクールし、俺はVIP室を見上げる位置までやって来れた……が、この高さは『龍腕』か『能力』のどちらかが無いと届かない……
「今更出し惜しみなんてしてられるか、目覚めろ! 【龍腕……」
「うわああああっ!」
今度は何だ!?
俺が左腕を捲っている所へ、当のハリー本人が瓦礫と共に落下してきたのだ。よく見ると、VIP室の床面がくり抜かれるように切り刻まれていた。
「良かった、床を斬って脱出したんだな」
「アニキ!? なんでここに!?」
「んなの当たり前だ、お前を逃がしに来たんだろうが!」
ハリーは驚愕するような目でこちらを見ていた。見捨てて離脱するべき場面で、俺が助けに来るとはつゆとも思っていなかった、とかそこら辺だろう。全く、俺はどんだけ信用されてないんだか……
「とりあえず走るぞ、立て!」
「いや、それがアニキ、なんかいきなり足が動かなくなって……!」
ハリーは右足を引きずっていたが、その足には特に外傷も見られない。
「敵の『能力』か……なら俺の背に掴まれ!」
「わ、わかったッス!」
俺はハリーを背負い上げてもと来た道を走り始める。いや、流石にコイツも昔と比べて重くなったな……流石に試合の疲れもあってか、若干脚が悲鳴を上げている気がする。それでも俺は前へ足を進める。この場は全員撤退できれば十分だ。
ただ、事態がそう簡単に行くわけもなかった。
「……殺気!?」
「危なっ!?」
駆け出す俺の鼻先を、刃が掠め飛んだ。咄嗟に停止しなければクリーンヒットしていただろう。
また後方から殺気。今度は二つだ。ハリーを一時的に切り離し、横跳びで回避する。俺達が居た場所をナイフが二本飛んで行った。
「……外した、よく分かったね」
「追手か、連中もそう簡単に逃がさねぇつもりだな」
振り返ると、ガスマスクを付けた赤髪の女が宙に浮いていた。否、正確には浮いてるのはナイフで、女はその上に乗って飛んでいるのだった。
女はゆっくり降下してくる。
場内の観客は争いの発生を見て避難を開始する者も居た。おそらく外で待ってくれている捕獲班が予定通り捕まえてくれるだろう……など考えて、俺は眼前の敵に集中する。
「『クロガネ』、ここは俺に任せろ!」
「な、なんでッスか! オレも戦うッスよ!」
「馬鹿言え、走るのも難儀な身体で戦えると思ってるのか!」
「そ、それは……」
またナイフが飛んでくる。物理法則を逸脱した挙動……おそらくあのナイフは遠隔操作で動いているのだろう。あの女の『能力』か。
「今度こそお前の出番だ、【龍腕狂化】ッ!」
左腕が割れて、異形へと豹変する。ナイフはハリーを追撃せんと猛進するが、俺はその軌道上に割り込んで弾き飛ばさんとする。ダイヤモンドよりも硬い鱗が、刃と衝突し……
「なっ、重いッ!?」
簡単に弾き飛ばせると思っていたが、誤算だった。俺の想像の100倍はナイフが重く、両足での抵抗も空しく後方へ押されていく。全力で押さえ込みにかかるも、飛行するナイフは何故かその勢いを一切弱めずに猛進し続け、やがて俺を巻き込みながら後方へすっ飛び始めた。
「ぐはっ……!」
「ニッ君!?」
飛行するナイフにそのまま吹っ飛ばされて、会場の端っこまで来てしまった。しかも運悪く、メリッサが待避していた場所まで……
俺を巻き込んで飛んできたナイフは、軌道を逸らしながらも依然飛び続け、会場の壁を貫通してどこかへ飛んで行ってしまった。
「あいつの攻撃……防ぐ事は考えない方が良いな」
推進装置付きのナイフを正面から受け止めたようなものだ。まるで馬車に轢かれた気分である。
俺が吹っ飛ばされたせいで、あの女に一番近いのはハリーになってしまった。今度こそハリーがナイフの餌食になってしまう。マズい、戻らなければ……!
しかしそんな俺の懸念とは裏腹に、ハリーは突如元のように立ち上がると、難なくナイフを回避したのだった。
「おい、脚はもう大丈夫なのか!?」
「それが突然元に戻ったんスよ!」
「なるほど……能力の効果時間が切れたんだろうな」
ハリーはカーブして飛ぶナイフをいくつも避け、バック走行で俺と合流した。
「『クロガネ』、お前に頼みがある」
ガスマスクの女……コイツはおそらく、俺が過去に戦った敵の中でも上位に入る強さだろう。殺気の鋭さも、遠隔攻撃の正確性も、繰り出す攻撃のパワーも……さっき戦ったブリキ腕の大男とは比べ物にならないくらいの実力者だ。
しかも都合が悪い事に、俺もハリーも近距離を得意とする戦闘員であり、遠隔操作型の能力者と戦うにはめっぽう相性が悪いのである。一応俺は『能力』を使えば多少抗えるかもしれないが、ハリーは『能力』ありでもどうしようもない。
「もう走れるのなら、お前はメリッサを連れて外へ逃げろ。そして内部の現状を援軍に伝えてこい。俺はここでこの女を足止めする……!」
「わ、分かったッス……アニキも死なないで!」
ハリーは了承し、俺のそばを離れた。俺は後ろを振り返ってメリッサに呼びかける。
「メリッサ、お前はこのクソガキの言う事を聞いて、逃げろ!」
「メリ……ッサ……?」
俺の呼びかけにメリッサが答えるよりも先に、ガスマスクの女が何やら呟いた。その意図を推し量る前に、ガスマスクの女がナイフを投擲する。
俺は反射的に回避行動を取るが、今回は殺気を感じなかった。
まさか……!
「おい、メリッサを守れ!」
「えっ?」
「ッ、分かったッス!」
俺の直感通り、ナイフはメリッサの方を追尾した。あわや命中という所で、ハリーがメリッサを押しのけて回避させる事に成功した……が、ハリーは少しばかり掠ってしまったようだった。
「ッ……軽傷ッスよ!」
それでも彼はメリッサを担ぎ上げ、出口の方へ向かっていく。ガスマスクの女は依然、メリッサの方を向いていた。口元が隠れているから良く見えなかったが、その顔は笑っているようにも見えた。
「また会おうね、私の愛しい妹ちゃん」
メリッサの目が見開かれる。俺には聞こえなかったが、彼女は何かを呟いたように見えた。
妹……メリッサは一人娘のはずじゃなかったか……?
そんな風な事を一瞬考えたが、ガスマスクの女は十分な時間をくれなかった。俺の全身に、刺すような殺気を感じる。
「クソッ、突然この量は……!」
旋風が鉄刃を巻き上げたかのように、十数本のナイフが俺目掛けて殺到する。避けきれない分を左腕でいなしながら何とか捌いたものの、脚と胴体に何本か掠ってしまった。
「はは、さっきまでは手を抜いてたってか……面白い……!」
どこまで耐えられるか、試してみようか。俺は自分自身を奮い立たせながら、全力の時間稼ぎに身を投じるのだった。