招かれざる客人、居るはずのない家主
リドリーを負かした後の試合進行は、特筆すべき事もないくらい至って順調であった。
いや、正確に言えば、何人かの相手は不正に武器を持ち込んできてたりしたのだが……特に問題なく全員倒してきた。リドリーの中量級入りの事についてもそうだが、やはり何でもありな無法地帯だからか、事前に審判を買収している連中が多いらしい。
ハリーは3回戦目が始まる前には準備のため既に姿を消しており、作戦は間もなく佳境を迎えようとしている。俺も残すところあと一試合だ。決勝で当たる相手は……なるほど、まぁ真っ当に強そうな奴みたいだが、改造機械人間を負かした俺からすれば大した相手ではない。
「ただまぁ、やっぱりこれが面倒……だな」
掴む鎖の先、首輪を繋がれた「持ち点」たちを見る。ここまで勝ち上がる中で当然ながら持ち点は増える一方で、その度に人数が増えていったのだ。
その中の一人であるメリッサは既に仲良さげに雑談をしているが、言うまでもなく俺はそういう方面は得意ではなく……自分の近くに常に人混みがあるようなものだ。ゆっくり休めやしない。
さっさと決勝始まらないかな……とか思っていた。この地下闘技場で俺が心落ち着ける場所は、もはやリング上しか残されていないのだった……
* * * * *
「もうすぐ軽量級決勝が始まる予定でございます」
「へぇ、今年はどんな具合だね」
一人の男が、取り巻きを連れて要人用非常通路を歩いてくる。やがて会場3階のVIP観戦室の重厚な扉が開かれ、彼らはそこへ入っていく。
既に中で試合を見ていた要人達は、男の入室を見るや立ち上がり、深々と頭を下げた。男は何も言わず、観戦室の真ん中、今まで空席のままだった特等席に腰掛ける。階下に見える人間達を一瞥すると、愉悦とも軽蔑とも取れる鼻笑いをし、部下に酒を所望した。
そんなVIP室の一幕を見ている影が、天井に一つ……
(ついに真ん中の席も埋まったッスね……多分一番偉い人なんだろうな)
ハリー、あるいは『クロガネ』……今の今は『ダンベル・アームストロング』と名乗る身分の彼であった。服に忍ばせていたカミソリを一つ取り出して、指先で遊ばせている。
(今でも十分隙だらけに見えるッスけど、まだアニキが動いてないから……作戦通りに行くならオレの出番はまだッスよね)
少年はいつだって動く準備ができていたが、静かに機を待っていた。彼の上司があまりにも型破りの滅茶苦茶で、普段からその上司が頭を抱えているのを知っていたからか、それを反面教師にするように頑なに待っていたのである。
その判断は賢明であった。少なくとも今のところは。
やがて重量級の準決勝試合が終わり、VIP室でもパラパラと拍手が起こる。
試合終了の宣告をしたのち、実況は間髪入れず何やら言い始めた。
『さァ、血祭りは間もなくクライマックスを迎えようとしてるがァ……ここで、主催代表にありがたい御言葉を頂こうじゃあないかッ!』
部下がマイクを持ってくると、特等席の中年の男に手渡した。
男は立ち上がると、黒いガラス越しに選手たちを見下ろしながら、喋り始めた。
「ゴホン、あー、聞こえてるかァ人間共」
男は仰々しい咳払いの後、気だるげな口調で続ける。しかし、声にはどこか聞く者を押しつぶしそうな威圧感が乗っていた。
「こうやって見に来んのは久々だから、名乗っておこう。私が……」
男はマイクを持たない方の腕を大きく広げ、自信たっぷりにその名を告げた。
「武装犯罪組織『血濡れた鴉』の最高指導者、ヴェルズだ。よろしく」
* * * * *
「は…………?」
俺は自分の耳を疑っていた。身体の中で沸き立つ血と怨念を感じた。
さっきまで「なんだぁ、主催挨拶ってぇ?」って感じで、早く試合が始まらないかとイライラしながら待っていたのだが、そんな考えが吹っ飛ぶような……
とんでもない名前を、彼方に見える男が名乗ったのだった。
俺の表情があまりにも異様だったからか、メリッサが心配して話しかけてきた。
「ニッ君、ど、どうかした?」
「何故……ここに、ヤツが……!」
俺の耳にはもはや対象の声しか入っていなかった。
『ブラッディ・レイヴン』……あるいはその名を縮めて『血鴉』と俺達が呼ぶ宿敵。俺の人生を自ら血の色に染め上げる、その原因となった組織であり、かつ俺が叩き潰すと誓った不倶戴天の仇である。
俺はその首領の首筋に刃を突き付ける為、今までここまでやってきた。しかし、先人がどれだけ追ってもその尻尾を掴めなかったように、俺も進めども進めども何かを失う一方で、誓った復讐を半ば諦めかけていたのだった。
その仇が、なんと俺の目の前に現れた。
僥倖!
当然、俺は殺意に燃えた。しかし、ここからでは手出しのしようがない。
そうやって歯噛みする俺の耳元で、通信装置が仲間の声を届けた。
『アニキ、今まで探してた、おそらく敵のボスその人ッスよ……!』
「ああ、そうだ。絶対に逃がすなよ……!」
『今オレ、ヤツの上に居るッス。距離は7メートル圏内。攻撃するッスか……!?』
「待て、焦るな。奴が無防備かどうかが大事だ。絶対にしくじるな」
大物の登場に浮足立つハリー、俺はそれを諫める。千載一遇のチャンス、これを逃せば次にいつヤツを仕留められるか分かったものではない。
そうとも知らずに、宿敵・ヴェルズという男はスピーチを続けている。
『手術後初めてのシャバで、こちらも気分が良い所なんだ。分かってるだろうが、つまんねぇ試合だけはするんじゃ無いぞ。私が見たいのは、血、恐怖、強者の凱旋……』
『アニキ、オレ、行きます!』
* * * * *
少年は、マイクを片手にスピーチを続ける男を視界にとらえ、深呼吸する。
意を決し、ハッチを蹴破って天井のダクトから飛び出して、着地。対象までの距離は5メートルにも満たない。ハリーは現地調達の歪んだ片手剣を構え、短距離を疾走する。
「【致命一文字】ッ!」
必殺の斬撃が走る。回避は絶望的。
攻撃対象も取り巻きも、突然の乱入者に対応できず、身動きが取れていない。
刃が迫り……敵を斬り裂……
「なっ!?」
刃が斬ったのは、肉でも骨でもなく、突如かき消えた男が残した虚空であった。
ハリーの背後、いつの間にか移動していた男は、冷ややかな声色で言う。
「すまないね、鼠が一匹迷い込んだようだ。私はここで失礼させてもらおう」
任務失敗。少年は逆に包囲された形。急転直下、絶体絶命の危機である。