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ミセリコルディアと罪の星  作者: 涼風てくの
デンドロビウム編

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最終話「最弱の王」

 ――ぴちゃん、と。遥か足元の深淵から、水滴が水面みなもを打つ音が微かに這い上がってきた。

 崩落した天井のはるか頭上から、夜明けの淡い光が一筋だけ滑り落ちてくる。暗がりの底でほのかに輝く魔力の泉が、世界から切り離された二人の静寂を優しく縁取っていた。

「……行くぞ」

 ラインツファルトの声に、ハルトマンは静かに頷いた。

 枯渇した世界を繋ぎ止めるには、もはや規格外の魔力を持つ自分たちを直接くべ、星の炉心を強制再起動させるしかない。それはすなわち、二人の存在そのものを燃料として世界に溶かすという、絶対の自己犠牲を意味していた。

 二人はつないだ手を離さぬまま、静かに、泉の冷たい水面へと足を踏み入れる。

 その瞬間、地鳴りのような咆哮を上げ、泉の水が重力を無視して天へと逆立った。

 曲がりなりにも生き延びてきたラインツファルトと、死から蘇ったハルトマンの力がぶつかる。二つの特異点が触れたことで、星の大脈が激しく共鳴したのだ。

 膨大な魔力の奔流が、荒れ狂う竜巻となって二人を真下から包み込む。

「くっ……!」

「ティアレット!」


 二人の身体は既にアリオストやラ・ピュセルとの戦いを経て再起不能なほどに傷ついていた。運命の歪みによってこの時代に顕現してしまったという、言い知れぬ原罪。それを清算するには、そして何より、この過酷な世界で出会った愛しい者たちを明日へつなぐには、こうするしかなかったのだ。

『少し、野暮用を済ませてくる』

 先ほど、崩れ行く町の入り口で背を向けた時のことだ。

『二人でトイレっすか?』

 とおどけるヴェイスに、

『絶対違うでしょ』

 とハロルドが呆れ半分にツッコミを入れる。

『早く戻ってきてよー!』

 無邪気に手を振るメリッサの声が今も響いている。

 シュテュンプケや仲間たちに真実を告げれば、間違いなく血相を変えて止めるだろう。だから二人は、他愛ない日常の延長のような噓をつき、誰にも気づかれぬままデンドロビウムの深淵――この魔力の泉にたどり着いたのだ。


 吹き荒れる光の濁流の中、二人の肉体は既に人間の限界を超えていた。

 血が、肉が、骨が。魂をつなぐ鎖が軋みを上げ、純粋な魔力の粒子へと還元されていく。だが、痛みはなかった。あるのは、己という存在が世界という広大なシステムに溶け出し、書き換えられていくという、恐ろしいほどの全能感と安らぎ。

 次第に、猛狂う光の中で、二人の輪郭は薄れ、見えなくなっていく。


 ――だが、その「美しい伝説」の幕引きは、不躾な怒声によって物理的に引き裂かれた。

「……ほんと、世界で一番下手くそな嘘っすよ」

 猛狂う光の奔流が、外側からの強烈な干渉によって弾け飛ぶ。

 視界が白く染まりゆく中、ラインツファルトの腕を、土に汚れた無骨なガントレットが力任せに掴み取った。

「なっ……!」

「『少し野暮用』のツラじゃなかったってことだよ。綺麗に死んで伝説にでもなる気?」

 乱入してきたのは、息を切らしたハロルドとヴェイスだった。

 彼らは崩れゆく泉の縁から身を乗り出し、身を焼くような魔力の濁流など意に介さず、完全に世界へ溶けかけていた二人の輪郭エゴを強引に地上へと縛り付ける。

「放せ! 俺たちがここでシステムに溶けなければ、残された命が――」

「バカ言わないでよ!」

 ラインツファルトの悲痛な叫びを遮ったのは、涙声のメリッサだった。彼女の杖から放たれた幾重もの防御結界が、泉の魔力を中和し、二人の還元プロセスを強制的に停止させていく。

「二人だけで勝手に終わらせないで! 命を懸けて街を更地にしたなら、泥まみれになって明日を創るのも、生き残った私たちの責任でしょ!?」

「彼女の言う通りだ」

 ハロルドの隣に、カバールとシュテュンプケも並び立つ。

 彼らの顔はどれも煤と血に塗れ、満身創痍だった。それでも、その瞳には、友を絶対に死の淵へ行かせないという強靭な意志が宿っていた。

 ハロルドは、ローアイアイ村にいたようなレティシアのなりそこないたちを見た。

「魂のない抜け殻たちを押し付けて、自分たちだけ楽になっちゃだめだ。……泥を啜ってでも、この子たちの居場所を地上に創るんだよ。僕たち全員で」

 仲間たちの痛いほどの握力と、遠慮のない指摘。

 それが、分解されかけていた二人の心を、痛いほど「人間」へと引き戻していく。泉の底で微かに揺らいでいたレティシアの出来損ないたちの影もまた、仲間たちに呼応するように、二人を地上へと優しく押し返している気がした。

 ラインツファルトは、光の中で困ったように、けれどどこか安堵したように笑う。

「俺たちは、死ぬことすら許してもらえないらしい」

 ハルトマンも、繋がれた手を強く握り返した。

「……悪くない。地獄の底から、もう一度国を創り直すのも、な」

 彼らの手が固く結ばれた瞬間。泉を満たしていた膨大な魔力は臨界点を迎え、眩い桜色の光となって天高く吹き上がった。

 それは世界を満たす赦しの光となり、デンドロビウムの完全なる崩壊を告げる産声となって空へ消えていく。



 ――それから、季節が一つ巡った。

 かつて帝都と呼ばれた場所は、今や巨大な擂鉢すりばち状の荒野となっていた。

 デンドロビウムの崩壊は、帝国の統治機能そのものを物理的に消滅させた。

 残されたのは、指導者を失った民と、枯渇し続ける魔力、そして山積みの課題。

 それは「ハッピーエンド」と呼ぶにはあまりに泥臭く、過酷な現実だった。

 だが。

「……ふぅ。これでやっと、西地区の瓦礫撤去が完了か」

 土埃の舞う荒野で、ハロルドが汗を拭った。

 かつてのその鎧は傷だらけで、マントは雑巾のように汚れている。だが、その顔つきは憑き物が落ちたように晴れやかだった。

「お疲れ様。ハイ、差し入れ」

 メリッサが水筒を投げる。

 彼女もまた、泥にまみれながら、魔術を使って復興作業に従事していた。

 破壊のためではなく、再生のために振るう魔力。それは彼女が長年求め、父に否定され続けてきた「魔術師としての本来の姿」だった。

「ありがとう。……にしても、ヴェイスはどこ行った?」

「あっち。子供たちを集めて、瓦礫の下から使える資材を探してる」

 視線の先、瓦礫の山で子供たちを指揮するヴェイスの姿があった。

 その隣には、アグライアが遺したあの孤児の少年が、影のように寄り添っている。

 少年はまだ笑わない。だが、ヴェイスの背中を追うその瞳には、生きようとする意志の光が灯り始めていた。

「たくましいもんだね、人間ってのは」

「うん。……誰かさんが『更地にしたなら、あとは好きに建て直せばいい』なんて無責任なこと言うから、私たちが苦労してるんだけどね」

 メリッサは呆れたように笑い、丘の上を見上げた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 風が吹き抜ける丘の上。

 そこには、仮設のテントが張られ、対策本部として機能していた。

 その傍らで、シュテュンプケは一冊の分厚い本を膝に乗せていた。

 『アーガディア書』。

 かつて世界の全てを予言していた、神の脚本。

「……ふん。何度見ても、変わりやしないな」

 彼はパラパラとページをめくる。

 最後の記述、『グラジオラスが降りてくる』。

 その先は、相変わらず真っ白な白紙のままだ。

「当たり前だ。これからは、俺たちが書き込んでいくんだ」

 背後から、ラインツファルトが声をかけた。

 包帯だらけの体。魔力は戻っていない。

 だが、その立ち姿には、かつての「作られた英雄」にはなかった、地に足の着いた重みがあった。

「あんたが言うといやに説得力があるじゃないか。……インク代わりにするのが、泥と汗と血ってのは、いささかスマートじゃないがね」

 とんがり帽子のシュテュンプケは本を閉じ、ラインツファルトの隣に立つハルトマンを見やった。

 彼女は、簡素なシャツにズボンという姿で、風に髪をなびかせていた。

 痩せ細っていた体には、少しずつだが生気が戻りつつある。

「体調はどうだ、ハルトマン」

「悪くはない。……魔力の無い体が、こんなに重いものだとは知らなかったが」

 ハルトマンは苦笑し、自分の手を見つめた。

「アリオストは……今頃、どこにいるのだろうな」

 ふと、彼女が呟いた。

 レギーナと共に消えたかつての魔王。

 彼が生きていようと死んでいようと、もう二度と表舞台に出てくることはないだろう。

 彼は役割を終えたのだ。

 世界を壊すという、最も辛い役回りを。

「さあな。案外、世界の果てで機械人形と仲良く農業でもやってるんじゃないか?」

 ラインツファルトは軽口を叩き、空を見上げた。

 鉛色だった空は、今は澄み渡るような青。

「俺たちは生き残った。……レティシアが守りたかった、この世界で」

 彼は胸元に手を触れる。

 そこには、あのアダマスの首飾りが揺れている。

 もう光ることはない。対となる宝石は、死者の国で砕け散ったからだ。

 だが、それは喪失の証ではない。

 絆が魂に溶け込み、一体化した証。

「なあ、ラインツファルト」

 ハルトマンが、不意に彼の袖を引いた。

「ん?」

「……これからは、忙しくなるぞ。国を立て直し、魔力に頼らない技術を広め、教会や共和国との折衝もしなければならない。お前の『最弱』の力じゃ、荷が重すぎるかもしれない」

「手厳しいな。で、どうしろと?」

 ハルトマンは、ほんの少しだけ頬を染め、そっぽを向きながら言った。

「……だから、私が支えてやる。私の命は、お前に拾われたものだからな。……一生かけて、使い潰してくれて構わない」

 ラインツファルトは目を丸くし、それから吹き出した。

「……そいつは頼もしい。じゃあ、頼むとするか」

 ハルトマンは安堵の息を漏らす。


 二人の影が、荒野に長く伸びる。

 その先には、まだ誰も見たことのない未来が広がっている。

 道はない。地図もない。

 だが、彼らの足跡こそが、やがて新たな歴史のインクとなるだろう。


 シュテュンプケは、そんな二人(と一匹の毛玉)を眺めながら、満足げに目を細めた。

「やれやれ。……長生きはするもんじゃない」


 森の賢者は本を片手に、一人歩き出す。

 終わりなき物語の、新しいページをめくるために。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 シュテュンプケの姿が見えなくなったころ。


 入れ替わるように二人の元へ、見覚えのある一人の少女が慌ただしく駆けてきた。人手不足を補うための助っ人が、ようやく到着したようだ。

「……遅いぞ。エリザ」

 プンスカ怒るハルトマンに、少女はペコリと謝った。

「ご、ゴメンナサイ……。炊き出しの鍋から、目を離せなくて……」

 どこか気恥ずかしそうに、エプロンを汚した少女はペコリと謝った。

終わり。


良ければブクマや評価、フォローまでお願いします。


長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。


それではまた、別の作品で。ノシ

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