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ミセリコルディアと罪の星  作者: 涼風てくの
デンドロビウム編

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第57話「夜と朝」

 ハルトマンが応えた。

「それも織り込み済みだ。すでに王党派の仲間が鎮圧のために待機している。……それに、私たちもアンデッドの前で手をこまねいていたわけじゃない。じきに彼女がやってくる」

「警告、炉心融解メルトダウン開始。半径五キロメートルを消去します」

 ラ・ピュセルの機械音声が、壊れたレコードのように響き渡る。彼女の体は赤熱し、周囲の空間が熱で歪み始めていた。創造主を守れなかった絶望が、彼女を自爆という最終手段へと駆り立てているのだ。

「だめだ、止められない……!」

 ハロルドが叫ぶ。魔力は尽きかけている。今の彼らに、この質量の暴走を止める術はない。

 ラインツファルトが動こうとした、その時。

 カツン、カツン。

 瓦礫を踏みしめる、優雅な足音が響いた。熱波の中を、一人の女が歩いてくる。深紅のドレスを纏った、レギーナ・アウグスタだ。

「レギーナ……! まだやる気か!」

 ヴェイスが短剣を構える。だが、彼女は彼らを見向きもしなかった。彼女は真っ直ぐに、暴走するラ・ピュセルの元へと歩み寄る。

「お父様……お父様……」

 うわ言のように繰り返す機械の少女。レギーナは、灼熱の装甲に躊躇なく触れ、その体を優しく抱きしめた。

「……もういいの。十分頑張りました」

 彼女の指先から、複雑な魔術式が流し込まれる。攻撃ではない。強制停止コード。そして何より、母のような慈愛。

「エラー……定義、不能……。でも、温かい……」

 ラ・ピュセルの瞳から、赤い光が消えていく。熱が引く。鋼鉄の翼が力なく垂れ下がり、彼女は糸の切れた人形のように、レギーナの腕の中へと崩れ落ちた。

「……連れて行く気か」

 ラインツファルトが問う。レギーナは、眠るように機能停止したラ・ピュセルを抱き上げ、静かに微笑んだ。

「これはあの方が、世界を敵に回してまで描こうとした、叶わなかった夢の形見」

 彼女は、瓦礫の中に倒れているアリオストを見つめた。彼はまだ息がある。だが、その瞳は虚ろで、もう何も映していないようだった。

「罪も、罰も、孤独も。全て私が引き受けましょう。……それが、あの人の見ていた景色を、唯一美しいと言ってあげられる私の役目ですから」

 レギーナは片手でアリオストの体を引き寄せ、魔術で浮遊させる。壊れた機械の娘と、敗れた魔王。二つの重荷を背負い、彼女は踵を返した。

「ごきげんよう、皆様。……素晴らしい生き様を見せていただきました」

 彼女は一礼し、崩れゆく壁の向こうへと消えていく。どこへ行くのかは誰も知らない。おそらくは、誰もいない地の果てで、永遠に終わらない夢を見るのだろう。ラインツファルトはその姿が見えなくなるまで、剣を納めることができなかった。

 ゴゴゴゴゴ……とデンドロビウムが悲鳴を上げる。主を失った城が、自壊を始めたのだ。

「感傷に浸ってる場合じゃないっす! 崩れるっすよ!」

「脱出するわよ! 全員、走って!」

 ヴェイスとメリッサが叫ぶ。ラインツファルトは、アリオストが座っていた玉座の残骸に目を向けた。  そこには、役目を終えた聖剣ミセリコルディアが突き刺さっていた。

 カリン……。

 乾いた音がして、刀身が光の粒子となって崩れていく。ハルトマンの魂を燃やし尽くし、アリオストの魔力を浄化した聖剣。その光は、どこかアグライアの涙に似ていた。

「……ありがとな、お節介な聖女様」

 ラインツファルトは短く礼を言い、膝をついているハルトマンに肩を貸した。

「立てるか、隊長」

「……ああ。体が、鉛のように重いがな」

 ハルトマンは苦笑する。その顔色は悪いが、憑き物が落ちたように穏やかだった。長きにわたる搾取と、呪縛からの解放。

「行こう。……夜が明ける」


 ◇


 デンドロビウムの大穴から、一行は脱出した。背後で、魔王の城が轟音と共に崩落していく。舞い上がる土煙。だが、彼らの視線は前を向いていた。

 東の空が白んでいる。雲の切れ間から、朝陽が差し込んでいた。アリオストが管理し、固定しようとした、確定した未来ではない。誰も知らない、新しい一日の光。

「……終わったんすね」

 ヴェイスが、眩しそうに目を細める。彼の隣には、アグライアが遺した孤児の少年が、しっかりと手を握って立っていた。

「ああ。だが、これからだ」

 ハロルドが剣を鞘に納め、伸びをする。メリッサが、ボロボロになったローブをはたきながら笑う。

「国は滅茶苦茶、魔力不足は解決してない。……前途多難ね」

「仕事は山積み。これからがお楽しみってことだ」

 ラインツファルトは、ハルトマンを地面に座らせ、自分もその隣に腰を下ろした。魔力はない。体はボロボロだ。だが、胸の奥には、レティシアから託された未来への熱が、確かに灯っていた。

「……ラインツファルト」

 ハルトマンが、不意に彼の肩に頭を預けてきた。

「ん?」

「……重い荷物が下りて、少し眠くなった。……肩を借りるぞ」

「ああ。……」

 ラインツファルトは、彼女の髪を不器用に撫でた。風が吹く。魔の森の瘴気は薄れ、どこからか、新しい季節の匂いが運ばれてくる。

 かつて最強だった男と、その仲間たち。彼らの旅は、ここで一つの終わりを迎え――そしてまた、予測不能な「白紙の未来」へと続いていく。

 ハルトマンがぽつりと呟く。

「一つ、考えていたことがあるんだ」

「奇遇だな。俺もだ」

「私たちはこの時代の人間じゃない。だから……」

「俺たちの役割を全うする。そうだろ?」

 二人はデンドロビウムの大穴の底――そこにある魔力の泉を見下ろした。

 その場にいた誰も、二人の様子には気を向けていなかった。それぞれが壮絶な戦いで負った傷をいやすので精いっぱいだった。

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