第55話「チェックメイト」
光の雨が降り注ぐ。
ラ・ピュセルの翼から放たれるのは、高密度の魔力レーザー。一発一発が城壁すら溶解させる熱量を孕んでいる。
それが、秒間数百発の密度で、ラインツファルトたちを包囲していた。
「くっ……! 冗談!」
ハロルドが剣を振るう。
飛来する光弾を物理的に弾くのではなく、魔力を纏わせた刃で軌道を逸らす。受け止めれば蒸発する。逸らし続けなければ死ぬ。綱渡りのような防御戦。
「…………」
ラ・ピュセルは沈黙を守っている。
「左が弾幕薄い! そこを抜けるよ!」
メリッサが叫び、重力障壁を展開する。
だが、ラ・ピュセルは無慈悲だ。障壁の展開座標を瞬時に解析し、その死角へ誘導弾を回し込む。
「学習済みです。そのパターンによる生存確率は0.00%」
機械天使が、無感情に宣告する。完璧な弾幕。蟻の這い出る隙間もない死の檻。
だが。
「……おっと」
その檻の中を、一人の男が「歩いて」いた。ラインツファルトだ。
彼は魔力による防御も、高速移動も行っていない。ただ、瓦礫の山を飛び石のように使い、体を最小限に捻り、頭を下げ、光弾の雨をすり抜けていく。
それは、予知ではない。
死者の国で、理性を失ったレティシアの「殺気なき斬撃」を何万と凌ぎ続けたことで焼き付いた、生物としての生存本能。
風の温度、殺気の向き、魔力の流動。肌で感じる全ての情報を統合し、思考するより先に体が「正解」を選び取っている。
「なんだ、あいつは……?」
玉座のアリオストが、怪訝そうに眉をひそめる。
予言盤には、ラインツファルトの脅威反応は表示されていない。
「魔力を持たぬ一般人」が、戦場のど真ん中で歩いている。システム上は「偶然、流れ弾が当たっていないだけ」のラッキーなノイズとして処理されているのだ。
「運がいいな。だが、いつまで続く?」
アリオストが指を振る。
ラ・ピュセルの照準が、ラインツファルト一点に集中する。
遊びは終わりだ。
面制圧ではなく、点による消去。
「ロックオン。……さようなら」
六枚の翼が輝き、収束砲が発射される寸前。
「へいへい!」
ヴェイスが投げた撹乱用の魔石が、ラ・ピュセルの顔面で炸裂した。煙幕とノイズ。センサーが一瞬ホワイトアウトする。
「視界不良……再計算」
機械的な判断の遅れ。その隙に、ラインツファルトは地を蹴っていた。
――届く!
ラインツファルトが突っ込む。
目標はラ・ピュセルではない。その奥、玉座の残骸に鎮座するアリオスト。
距離、二十メートル。魔力のない人間が走れば数秒かかる距離。魔術師同士の戦いにおいて、それは永遠にも等しい時間だ。
「愚かな。特攻か?」
アリオストは動かない。
予言には「ラインツファルトが剣を振り上げる未来」が見えている。
だが、その剣には魔力が乗っていない。ただの鉄の塊。自動展開される多重結界で防げば、衝撃でその手首が砕けて終わる。
「ラ・ピュセル、構うな。私が処理する」
アリオストは、迫りくるラインツファルトを冷ややかな目で見据えた。
哀れだ。
かつて最強と呼ばれた男が、魔力を失い、それでも過去の栄光に縋って突撃してくる。
その無様な最期を、引導として渡してやるのが兄の情けか。
ラインツファルトが間合いに入る。
十メートル。五メートル。
アリオストの目の前に、不可視の壁――絶対防御の結界が展開される。
(これで終わりだ)
アリオストは確信し、興味を失いかけた。
だが。
ラインツファルトの瞳と目が合った。
そこには絶望も、破れかぶれの狂気もなかった。あるのは、獲物の喉元に牙を突き立てる瞬間を待ちわびていた、肉食獣の静かな歓喜。
(……)
アリオストの背筋に、得体の知れない悪寒が走る。予言盤を見る。変化はない。「攻撃を防ぐ」という未来が表示されている。だが、本能が警鐘を鳴らす。
何かがおかしい。
こいつは、何を見ている?
「……チェックメイトだ、デンドロビウムの王」
ラインツファルトが、静かに呟いた。
踏み込み。床が陥没するほどの脚力。だが彼は剣を振り下ろさなかった。振りかぶる動作から、流れるように手首を返し、結界の「継ぎ目」――魔力の流動が最も薄くなる一点へ向けて、切っ先を突き出したのだ。
そこは、魔力感知に頼るアリオストが無意識に作り出していた、防御の死角。魔力を持たない「ただの剣」だからこそ、結界の魔力干渉を受けず、針の穴を通すように滑り込む。
――ズ、ンッ。
結界をすり抜けた切っ先が、アリオストの喉元、数センチで止まる。
いや、止めたのではない。アリオストが、反射的に体をのけぞらせて回避したのだ。薄皮一枚。首筋に、赤い線が走る。
「……バカな」
アリオストは、自分の首から流れる血を指で拭い、呆然と呟いた。
予言になかった。結界が破られる未来も、回避行動を取らされる未来も。この男は、予言の外側から、俺の喉元へ刃を届かせたのか、――あるいは予言が間違っているのか?
「驚いたか?」
ラインツファルトは、外したことを悔やむ様子もなく、不敵に笑う。その手には、聖剣ミセリコルディア。
「……次はお前の慢心ごと、その首を斬ってやる」
アリオストは、自らの指先に付着した赤い液体を凝視していた。
血だ。八十年間、一度として流したことのない、自分自身の血。
痛みはない。だが、首筋を走る熱さが、現実を冷酷に突きつけてくる。
「……ありえない」
彼は予言盤を叩き割るように払いのけた。システムは正常だ。未来予測に狂いはない。
だというのに、目の前の男――魔力を失ったはずのラインツファルトは、確率論の壁を越えて刃を届かせた。
「お父様!」
ラ・ピュセルが絶叫する。彼女の電子瞳孔が、危険信号に染まる。
創造主の負傷。それは彼女の存在意義を根底から揺るがす異常事態だ。
「脅威レベル、測定不能。対象『ラインツファルト』を最優先排除目標に再設定。全兵装、限定解除!」
機械天使の背後で、六枚の翼が分離し、独立した砲台となって宙を舞う。制御を捨てた純粋な破壊に、玉座の間が閃光で埋め尽くされる。
「デタラメな火力!」
ハロルドが前に出る。剣に全魔力を注ぎ込み、飛来する光弾を斬る。一歩も退くことはできない。退けば、後ろのラインツファルトが蒸発する。
「ハロルド、右!」
メリッサの援護。重力波が空間を歪め、死角からの砲撃を逸らす。ヴェイスが煙幕を張り、射線を切る。三人がかりの決死の防衛線。
ラインツファルトは仲間たちが作った僅かな「道」を、獣のように駆け抜ける。ラ・ピュセルの攻撃など眼中にない。 その瞳が捉えているのは、玉座の残骸に立つアリオストただ一人。
「予言が効かないなら……この手ですり潰すまでだ!」
アリオストが両手を掲げる。大気が軋む。彼が世界中から吸い上げた膨大な魔力が、物理的な質量を持って顕現する。
「消えろッ!」
暴風。玉座の間そのものを粉砕する衝撃波が、ラインツファルトを襲う。
「ぐ、ぅぅッ……!」
ラインツファルトは、折れた聖剣を盾にして耐えた。剣が悲鳴を上げ、皮膚が裂けて血が噴き出す。骨がきしむ。内臓が潰れそうだ。
だが、笑った。
「効かないな……! 大雑把すぎるぞ、アリオスト!」
「……何?」
「予言に頼りすぎて、喧嘩のやり方を忘れたか? そんな範囲攻撃じゃ、一点突破の切っ先は折れない!」
ラインツファルトは血を吐きながら、嵐の中を一歩、踏み込んだ。
「いいだろう。ならば望み通り、一点に絞って消滅させてやる」
アリオストの右手に、黒い光が収束する。空間ごと対象を抉り取る、必殺の圧縮魔術だ。
ラインツファルトは、死の予感を肌で感じながら、口角を吊り上げた。
(いける)
「ラ・ピュセル! こいつは私が殺す!」
アリオストが叫び、機械天使の援護を止める。完全なる一対一。魔王が、無防備な人間へと掌を向ける。
「チェックメイトだ、憐れな弟よ」
黒い光が放たれる。ラインツファルトは動かない。彼は剣を下げ、アリオストの背後――玉座の影にある「闇」を見つめた。
「……ああ。チェックメイトだ」
その視線の意味に、アリオストが気づいた時には、もう遅かった。
ズンッ。
玉座の裏。玉座の間へ魔力を供給していたパイプの集合体が、内側から破裂した。飛び散る破片。そこから現れたのは、ボロボロになってもなお、瞳に炎を宿した女。
「……返してもらう」
掠れた、地獄の底から響くような声。
「私の命を……アリオストッ!」
その姿に、ラインツファルトは懐かしいものを見た気がした。
ハルトマンの手には、アグライアが落とし、主を失って輝きを失っていたはずの聖剣――ミセリコルディアが握られている。
いや、違う。
その剣は今、彼女の絶望と共鳴し、かつてないほどの眩い光を放っている。
最弱の者が、最強の者に引導を渡すための輝き。
「な、に――?」
アリオストの無防備な背中に、ハルトマンの、魂を削った一撃が振り下ろされた。




