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ミセリコルディアと罪の星  作者: 芦多羽 雲璃矢
デンドロビウム編

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第49話「居場所」

 同じころ、魔の森では金属のぶつかる音が響いていた。

 そこは今、生者の領域ではなかった。降りしきる冷たい雨は泥を跳ね上げ、視界を灰色に染める。

 だが、それ以上にハロルドとメリッサの視界を埋め尽くしていたのは、数千、いや数万に及ぶ死者の軍勢、スケルトン・アーミーだ。

「……鬱陶しいな。すこしは整列してかかってきたらどうなの?」

 ハロルドは、泥の中で優雅に剣を振るった。その動きに無駄はない。切っ先が触れる瞬間、爆縮魔術が発動し、骸骨を粉々に吹き飛ばす。一振りで三体、二振りで十体。

 彼は現代最強の一角だ。本来であれば、このような雑兵に後れを取る器ではない。

「ハロルド! 右翼、展開が早いよ!」

 メリッサの悲鳴に近い警告。彼女の重力魔法が炸裂し、ハロルドの死角を埋めようとするが、その威力は明らかに落ちている。彼女の魔力は限界に近い。

「分かってる。僕の背中より前に出ないでね」

 ハロルドは左手を掲げた。無詠唱。展開された多重結界が、雨あられと降り注ぐ骨の槍を空中で静止させる。

 圧倒的な魔力制御だが、その額には脂汗がにじんでいた。敵が強いのではない。終わらないのだ。メリッサを守り、ラインツファルトへの道を切り開き、数万の敵を単独で支える。いかに現代屈指の天才と言えど、物理的なリソースが枯渇しつつある。

「……ッ」

 そのとき。

 ハロルドが剣を振り下ろそうとした手が空中で止まる。メリッサも唇を凍らせた。

 彼らの感じていた巨大な魔力反応――ラインツファルトの存在を示すシグナルが、唐突に、あまりにあっけなく消失したのだ。徐々に弱まったのではない。スイッチを切るように、プツリと。

 後に残ったのは、冷たい雨音と、絶望的な静寂だけ。

「……うそ」

 メリッサが杖を取り落としかける。

「ラインツファルトの魔力が……」

 思考が空白に染まる。膝から力が抜け、メリッサはその場に崩れる。戦場において、それは自殺と同義だ。

 好機とみた死者の群れが、一斉に殺到する。その中からひときわ巨大な影、スケルトン・ジェネラルが丸太のような棍棒を振り上げた。回避不能のタイミング。メリッサは動けない。

「あ、」

 ドォォォォォンッ!

 轟音が響き、泥飛沫が高く舞い上がった。

 だが、メリッサに痛みは来なかった。彼女の目の前。巨大な盾を受け止めている、小さな背中があった。

「……ハロルド!」

 彼は瞬時に割り込み、細身の剣で巨人の一撃を受け止めていた。だが重量差がありすぎる。しかも左腕は負傷している。ミシミシと、全身の骨が悲鳴を上げる音が聞こえた。泥に沈み、口の端から鮮血が滴る。

 ハロルドは、うつむいていた。泥と雨に濡れた髪が、その表情を隠している。

「……消えた」

 低く、地を這うような声。そこに、いつもの飄々とした色は微塵もない。

「僕のスキャンでも、ラインツファルトの反応はゼロだ」

 ハロルドは顔を上げた。メリッサは、息を呑んだ。彼の瞳から、感情という名の光が完全に消え失せていたからだ。あるのは、深淵のような虚無と、凍てつくような殺意の青い炎。

「邪魔だ」

 ハロルドが右手の剣を一閃させる。

 魔力光などない。ただの、純粋な技術と身体能力による斬撃。それだけで、巨人の身体が縦に両断され、霧散した。

「…………」

 メリッサは絶句した。これがハロルド本来の力だ。めったに底を見せることがないから忘れていたが、現代最強の国家魔術師の一角である彼の、真の実力だ。

「ラインツファルトが消えた以上、急ぐ必要がありそうだ。ここは景気よく、殲滅させてもらおう」

 ハロルドが剣を掲げる。瞬間、彼を中心に、数千の魔法陣が空中に展開された。一つ一つが、大魔術級の術式。それを、彼は息をするように同時に制御している。

「消えろ」

 指を振るう。数千の魔法陣から、一斉に青い光線が放たれた。

 音すら置き去りにする破壊の雨。死者の軍勢が、触れたそばから蒸発していく。悲鳴も、断末魔もない。ただ静かな消滅だけが戦場を覆い尽くす。

 数秒後。視界を埋め尽くしていた数万の敵は、塵一つ残さず消え失せていた。後に残ったのは、硝子化した地面と、焦げ付いた臭いだけ。

「……ふぅ。少しは片付いたかな」

 ハロルドは剣を振るい、残心を解いた。その顔色は蒼白だが、呼吸は乱れていない。彼はメガネの位置を治し、背後のメリッサを振り返った。

 彼女は笑っていた。心底あきれ果てたような、それでいて獰猛な笑み。

「もう遠慮はいらなそうだね。後が怖いけど、今はそんなこと言ってられないし!」

 メリッサが吹っ切れたように杖を取って掲げる。瞬間、雨雲が渦を巻き、一転に収束していく。

「ハロルド、仕事が雑。奥にまだまだ隠れてるじゃん」

 彼女の視線の先、ハロルドが焼き払って荒野のさらに奥、森の深部から、生き残ったスケルトン・ジェネラルたちが数百体、再集結しつつあった。

「あー、無視していけばいいと思って」

「だーめ。掃除の時は、塵一つ残しちゃだめなんだから」

 メリッサが杖を振り下ろす。

「――潰れなさい。《重力崩壊グラビティ・コラプス天蓋ヘヴンズ・フォール》!」

 上空にあった大気が、数万倍の重力によって圧縮され、物理的な天井となって落下した。数百体の巨人が、悲鳴を上げる間もなく地面ごとプレスされた。

 木々も、岩も、魔物も、すべてが等しく厚さ数センチの平らな大地に変えられていた。地平線が見えるほど一直線に伸びる、デンドロビウムへの最短ルート。

「……やりすぎじゃない?」

 ハロルドが、頬を引きつらせる。自分の殲滅魔法も大概だったが、彼女のこれは地形が変わるレベルだ。

「え? 道を作っただけじゃない」

 メリッサは涼しい顔で髪をはらった。その瞳は、ハロルドと同じく、底知れない光を宿している。

「まったく、君を怒らせないように気を付けるよ」

「そうね。デートに遅刻したら、この重力をプレゼントしてあげる」

 二人は顔を見合わせ、ふっと笑った。

「行こう、ハロルド。ラインツファルトがサボってるなら、私たちが代わりに暴れる番だよ」

「そうだね。……僕らの活躍を聞いて悔しがる顔が楽しみだ」

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