第38話「聖女」
「ヴェイスさんにお話しいただく代わりに、私も少しばかり知っていることをお話ししましょう」
二人は商店街へと向かっていた。地中にあるこの街の通りは、薄闇に包まれ、魔術の炎が路地を照らしていた。その光景には、どこかこの世ならざる幻想が漂っていた。
かごを両手に抱えたアグライアは、淡く微笑みながら言葉を紡ぐ。
「アリオスト様は、創生区画でミセリコルディアを魔力を用いて練成しようとしています」
「それって……作り出せるものなんですか?」とヴェイスが問う。
「魔剣は、魔力の収束した場所に吸い寄せられる性質があるのです」
「え? じゃあ、俺たちが皆で魔力を使えば、そこに出てくるってことっすか?」
ヴェイスの問いに、アグライアは微笑む。
「ええ。ミセリコルディアは、もとは世界の裏側の、神々が棄てた最初の言葉の一つ。アリオスト様は、それを魔力で形に戻そうとしているのです」
「言葉……?」
「はい。世界のすべてを定めた名の断片。それを再現できれば、神に等しい権能を持つことも夢ではありません」
魔力は魔術として行使する瞬間、そこに体内の魔力器官で増幅され巨大なものになる。ラインツファルトたちがもし戦うことになれば、必然的にそこに魔力が収束することになる。ミセリコルディアが現れる可能性も連鎖的に高くなるというわけだ。
ーーアグライアさんは一体どういうつもりで言ったんすかね? 子供たちに話をする見返りとしては大きすぎるような……。
「あのー、そこまで話しちゃっていいんすかね? まだ出会ったばかりなのに」
アグライアは微笑を崩さず、ゆっくりと足を止めた。魔術灯の光が彼女の横顔を淡く照らし、瞳の奥に青白い輝きが宿る。
「未来は既に定められています。はじめからこうなる運命だったのですよ。あなたがたはいずれ、アリオスト様に……」
ヴェイスは息をのんだ。
声の響きが耳の奥に残るような感覚がした。
その日の夕食のあと、子供たちは談話室に集められ、暖炉の火を囲んでいた。
アグライアに促されて、ヴェイスが語り出す。
「……って感じで、共和国ではほとんど魔術は使われなくなったんすね。今は魔術がなくても、快適な暮らしができるんすよ。地面に引かれた線路の上を走る車で、すぐに遠くまで行くこともできるっす! 魔術では到底真似できないことっすね!」
「そんなの、本当にあるの?」
「うん、ほんとっすよ!」
子供の一人が笑い、もう一人が小さな手を上げる。
「魔力を使わないのに動くの? じゃあ、誰の力で動いてるの?」
「魔力の代わりに、燃える石を使って動くっす!」
その視線の端で、アグライアが静かに子供たちの反応を観察していた。彼女の手元には、いつの間にか開かれた古い羊皮紙があり、そこに細いペンで何かを書きつけていた。
やがて、彼が一息ついたとき、アグライアが柔らかく声をかける。
「素敵ですね。それはつまり、“魔術を持たぬ者でも生きられる”ということですか?」
「ええ、まあ、そうっすね。魔術は昔ほど重要じゃないっす」
アグライアは微笑みを崩さない。
だが、その微笑の奥に、わずかな影が差した。
「それは……美しいけれど、少し寂しいお話です」
「寂しい…っすか?」
「ええ。だって、人が魔術を手放してしまえば、今まで築いてきた魔術の体系はすべて失われてしまうのですよ?」
すると子供の一人が無邪気に声をあげた。
「アグライア様の話むずかしくてわかんない!」
その声につられて笑いが起こる。
アグライアは小さく微笑んで、子供の頭をそっと撫でた。
暖炉の火がぱちんと弾け、子供たちの笑い声が少しずつ静まる。
「そうね……難しかったわね。つまりね、自分の中にある神を見つけて、それを使って世界を少しだけ良くする……。それが、この帝国の教えです」
彼女の穏やかな声が、部屋の空気を包み込むように広がった。
ヴェイスは笑ってごまかそうとしたが、胸の奥にひっかかるものを感じた。
「そ、そういう考え方もあるっすね……。でも、帝国は魔力を……」
本当は言いかけた。「人間を材料にしてるんじゃないっすか?」と。
だが、アグライアはそれを悟ったように、ほとんど聞こえないくらいの声で言った。
「もうすぐ、あれが完成します。そのときは私も、礎になるつもりです」
アグライアはゆっくりとヴェイスを見つめる。その瞳は、悲観的な宗教者にありがちな愁いを帯びた目だった。
ヴェイスは意味をとりかねながらも、恐ろしい雰囲気を感じた。
そのとき、ひどく慌てている様子で若い修道女がドアを開けた。
「せ、聖女さま! 大変です! 子供たちに、魔力病が……! 来てください!」




