第2話「襲来」
階段を上がって表へ出てみると夜だった。ところどころ暖炉からの煙が立ちのぼっていて、それを見るだけで寒さが身に染みる。
二人はエリザが手配した馬車に乗って、現首都ノイセントラルを目指す。
ラインツファルトは馬車の小窓から流れていく風景をじっと眺めた。
「どうかされましたか?」
「あの光る柱が物珍しくて、つい」
エリザが見ると、街路には明かりを灯すための柱が立っていた。
「電灯ですね。都市部ならよく見かけますよ。わが君は魔術で過ごされていたんですか?」
「いや、大抵はろうそくですませていた。見てくれ」
差し出した右手で指を鳴らすと、そこにまばゆい光が生まれる。
「たしかに魔術で光を生み出すことはできる。だがこれではまぶしすぎる。ならばとこれを操作しようとすると」
ラインツファルトが力を込めて手のひらの光を弱めようとすると、それは一瞬で消滅した。
「簡単に消える。光の創造は意外にも高等魔術に属する。調節はもちろん、一般人では魔術を展開することさえできない。それに魔力の節約のためにも、ろうそくの方が勝手がいい」
エリザは頬を上気させて感動していた。
「なるほど! でも、昔も魔力の節約は必要だったんですね」
「そうだな。魔力切れを起こせば命に関わるし、そもそも世界樹の魔力が枯渇気味だった。むしろ今日まで持っていることの方が驚きだ」
魔力は魔術のいわば燃料で、世界中に根を張る世界樹から供給されている。その枯渇は八十年前からささやかれ続けていた。だが想定外にも、八十年後まで維持されているらしい。
「原因は不明ですが、今は多少魔力量が回復しています。ただ魔術は王政の象徴ともいえるものですから、共和国はそれを大っぴらに使えないのです」
「そうか」
ラインツファルトは窓の外に視線を移した。
「魔力の減少は民衆の生活を苦しめた。いつしか、彼らの敵意は王族へと向かっていた。それも、仕方のないことだったのかもしれん」
「わが君……」
「革命は起こるべくして起こった。俺が、俺たちが、もっと早く気づいていれば」
「そんな!」
「いや」とラインツファルトは首を振る。「事実だ。そして俺は、アリオストに負けた」
エリザは唇を噛み締めた。
しばらくして、エリザは何気ない風を装って話し始めた。
「科学は依然魔術の真似の域を出ませんが、少しずつ魔術を超える事例も出てきています。印刷技術はその最たる例です」
「印刷?」
「書籍を機械的に複製できる機械です。もう人の手で文字を書き写す必要はないんですよ。画期的な発明だと思いませんか!」
エリザは身を乗り出して目を輝かせた。
「ああ……。私もセクンドゥス卿に複製させられた覚えがある。複製の魔術は途方もない魔力を消費するから、あのときは本当に死にかけた」
「おお! そのような魔術があるのですね! 勉強になります!」
エリザは取り出した手帳にすごい勢いでメモを取った。ラインツファルトはそれを見て思わず笑った。
「はは。魔術の方が興味があるか」
「す、すみませんっ」
「いや、いい」
ラインツファルトは、なおも笑みを浮かべたまま、懐かしむように目を細める。
「女王陛下も、そうだった。新しい魔術理論を見つけると、俺を捕まえては目を輝かせて……」
そこまで言って、ラインツファルトの言葉が途切れた。
「……わが君?」
エリザが不安げに彼を覗き込む。
馬車の中に、車輪の音だけが響く。
「……すまない」
彼は、エリザから顔をそむけるように、窓の外に視線を移した。 もう、その横顔に笑みはなかった。
外の風景は畑を抜け大通りを抜け、森のような庭園に変わった。そして景色は一転して、建物の並ぶ都市のそれになる。
その頃にはもう朝日が差し込んでいた。ラインツファルトの復活によって寝不足だったエリザは、頭を預けて熟睡していた。
ラインツファルトは、馬車を降りてエリザに手を差しのべる。
「わわ、申し訳ありません! 馬車を降りるときのイメージトレーニングが足りず、逆に私が……!」
エリザは頬を赤く染める。
「構わない。ここらでもう一休みしようか」
「いえ、そういうわけにはいきません! わが君はともかく、私は特務部隊の動きを把握する必要があります。それに、私がもっと頑張りたいんです!」
少しおっかない頑張り具合だ。あまり無理をさせるのも悪い。どこかで休ませてやりたいが……。
そんなことを思いながら、ラインツファルトは神殿のような門の前にいた。
現首都ノイセントラルは八十年前にはほんの小さな町だったが、今は十分な品格を備えているようだ。
「なかなかきれいな街だ。だが寒いな……、いや」
長年の経験から、彼は感じていた悪寒が寒さのせいではないことを悟った。
「危ない!」
ラインツファルトは、エリザに向かって投げつけられたレンガを防ぐ。魔力で強化した腕でもかなりの鈍い痛みが響く。人外じみた威力だ。
「アンデッド!?」
「ずいぶん丁寧なお迎えだな」
見ると、うめき声をあげてふらふら歩いている人影が複数体。魔力回路が暴走して生じる錯乱状態に陥っている人間、俗にいうアンデッドである。
「ラインツファルト様っ! 囲まれています!」
いつの間にかエリザとラインツファルトの周りを、アンデッドの群れが囲む。
「エリザ、伏せろ!」
ラインツファルトはエリザの肩を掴み、強引に馬車の陰に押し倒す。
「きゃっ!?」
悲鳴を上げる彼女を背に、ラインツファルトは右手を高くつきあげる。
「王家の秘術をお見せしよう」
黒いもやを帯びた右手で指を鳴らす。
ごうっと音がすると、衝撃波が四方に吹き広がる。風が吹き荒れて周囲の建物の窓を片っ端から粉砕する。
「ひぃ!」
ラインツファルトの腕の中でうずくまるエリザの長い髪が、バサバサと吹き乱れる。
彼を中心に、何百ものアンデッドたちが一気に倒れて動かなくなった。
「大丈夫か、エリザ」
彼が手を差し伸べた、その時だった。一体だけ、遠くから猛烈な勢いで駆けてくる個体がいた。
「範囲外か……いや、あの服は……」
ラインツファルトの動きが、一瞬止まる。
「王国の、軍服?」
それは、80年前に彼が守ろうとした、彼のかつての仲間が着ていたものと寸分違わなかった。
殴りかかってくるアンデッド。ラインツファルトはサーベルを抜き放つ。
――殺せない。
その軍服を、斬れない。 彼は咄嗟に刃の向きを変え、「峰打ち」でアンデッドを無力化しようとする。
「なっ……!?」
アンデッドは、その峰打ちを人外の力で受け止めた。
「UGAAAッ!」
アンデッドが、ラインツファルトの防御を弾き飛ばし、殴りかかる。
「くっ……!」
「ラインツファルト様!」
彼の躊躇が、致命的な隙を生む。
そのとき、パキパキと音を立てた何かが空を切った。アンデッドの頭部が、きれいに吹き飛ぶ。




