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第27話「第六階の少女=メリッサ・アンドラス」

 四方八方からの炎が視界を焼く。ハロルドは目を細めた。刹那のあいだに空間が灼熱の檻へと変わる。肌を焦がす熱に追われるようにして、彼は身を屈めて駆け抜けた。

 走りながら、重厚な建物に目をやる。魔術学院で古代史を研究していたからこそわかる、この遺跡は古代帝国時代のものだ。壁に予言が描かれていることから察するに、予言者アポローンの作り出した遺跡だろう。あの壁画も彼の予言によるものに違いない。この遺跡の仕掛けも、単に侵入者を拒んでいるわけではないのかもしれない。

 壁の隙間からは絶え間なく炎が噴き出し、彼の行く手を阻む。それでも彼は何度も宙を転がり、袖を焦がされながらも、ようやく開けた空間へと滑り込んだ。

 そこは、四つの通路が口を開けている。自分が来た道を除けばあと三つ。メリッサとヴェイスの姿はなかった。彼らに限って万一のことはないだろうが……。

 めらめらと揺らめく炎の群れに汗ばみながら、ハロルドは眉根を寄せた。

 ――十年前、あの冬の夜。

 その日、彼は社交界の集まりにいた。

 そのパーティーは、魔術師が公に集まることが許される数少ない場のひとつ。共和国では魔術師は軽蔑の対象で、表に出るには人脈という鎧が必要なのだ。

 それでも彼は、こういう場に顔を出すのが乗り気でなかった。だが、この日ばかりは出席しなければならないワケがあった。

 ワインのグラス片手に、うんざりするような社交辞令の波をやり過ごしていると、彼の目に一人の少女の姿が映った。貴族らしい気品と静けさを備えたその少女は、華やかなドレスを纏いながらもどこか所在なげに立っていた。

「あの方は?」

 ハロルドは、隣にいたオールバックの紳士にたずねた。前に一度くらいあったことがある気がする。中年の色が差し込みつつある青年だ。

「あの少女かい? あれはたしか、……ああ、メリッサ・アンドラスだ。革命前から続く名門・アンドラス家の一人娘」

 アンドラス家、聞いたことがある。

 メリッサのようなアンドラス家の子供たちは、恵まれた魔力を制御できるよう、幼少期から厳しい訓練を受けさせられるとか。『魔術師は人を助けられなければならない』という考えのもと、それに十分足りる魔術の能力を身につけるまでは、家族の一員とさえみなされないこともあるらしかった。

 ならば彼女――メリッサもまた、優れた魔術師の卵なのだろう。まさに彼女のような人間を引き込むのが、ハロルドの役割だった。

 だが、と紳士はグラス片手に続ける。

「彼女は、たぐいまれな魔力と引き換えに、制御ができないらしい。ある時は馬車を爆ぜさせ、またある時は校舎を灰に変えたんだと。そのたびに父親の怒りを買っていたんだとさ。今はどうだか知らんが、わけあり株だよ、ありゃあ。あんた、狙ってるのかい?」

「ある意味、ね」

 わけありとは言われつつも、メリッサの周りにはその美しさに引かれて多くの人が集まっていた。

「ほほ、メリッサさんはエリックさん以上の美形ですなあ。ぜひ懇意にさせていただきたい!」

「あはは……」

 メリッサは慣れない環境に、引き笑いした。初めは何とか愛想笑いで切り抜けていたが、徐々に疲れがにじむ。

 小さい頃から家族以外の人間と関わる機会がほとんどなかった彼女にとって、この状況は途方もないストレスだった。

――いったいいつまで続くのだろう……。

 内心すぐにでも逃げ出したかった。幼馴染の友達と話がしたい。甘いものをめいっぱい頬張りたい。

 だが、厳格な父はそれを許さないだろう。父、エリックはいつも言っている。共和国の中で魔術師が成功する道はただ一つ。国に認められて、国家魔術師になること。一度その地位が手に入れば、軽蔑の対象から、護国の英雄として尊敬のまなざしを向けられるようになる。

 自分がなしえなかった悲願だからと、エリックは娘のメリッサにあらゆる手を尽くした。

 メリッサとしても、父の期待にこたえたいという思いはあった。だが、この人ごみは自分が望んでいたものと違うような気がして――。

 そのとき、不意に、体の奥がひっくり返るような、底から突き上げるような気持ち悪さに襲われた。それと同時に、激しいめまいに足元がふらつく。

「大丈夫ですか、メリッサ殿……?」

「だい、じょうぶ、です……」

 そう答えたのも束の間、全身に総毛立つような感覚が襲う。嫌な記憶として刻まれていた、魔力が暴走する感覚。

 会場内に、すさまじい火柱が上がり、彼女の周りにいた人々が悲鳴をあげる。

「う、うわああッ!逃げろッ!」

 メリッサは泣きそうになりながら、悶える自分を見下ろした。だめだ、両腕が燃え上がってる。早く何とかしないと……。

でも、どうやって?

 パニックになっている彼女のもとに、ハロルドは駆け寄り、熱さも気にせずにその両腕をつかんで言った。

「大丈夫です。落ち着いて。深呼吸しましょう」

「えっ、どど、どうやって……」

「まずはゆっくりと息を吸いましょう」

 メリッサは言われるがまま、息を大きく吸って吐き出した。何度も何度も。こんなことで暴発が収まるなんて、まったく思えないが。

 だが気が付いてみると、不思議と魔力の暴走は収まっていき、数十秒と経たないうちに炎は完全に消え去っていた。

 メリッサは、あっさり暴発が収まったことにしばしきょとんとしていた。

「ええっと、大丈夫ですか?」

 言われてようやく我を取り戻したメリッサは、あわてておずおずと礼を言う。

「あ、ありがとうございます。こんな簡単に収まるなんて思ってなくて。なんか、すごいですね」

「メリッサさんが普段からコントロールできているからですよ。でなければ、もっと大変でした」

 二人がほっと息をついているところへ、エリックがずかずかと近寄ってきた。公の場で醜態をさらしたことに憤懣やるかたなしといった様子だ。メリッサはみるみるうちに萎縮していく。

 エリックの髪は丁寧に撫でつけられていて、フロックコートを着込んだ姿はいかにも神経質そうだった。

 彼はメリッサの前に立つやいなや、頬をはたいて怒鳴り付ける。

「どうしてそんなこともできないんだ!」

「……ごめんなさい」

 メリッサは、はたかれた頬をさすりながら謝る。乱れた前髪に顔が隠れていた。

 魔術師は人を助けるもの。魔術師ならば、救えなかった命を術で救うことができる。恵まれた人間は、それほどの覚悟と技術を身につけなければならない。

 それができないことに、エリックは我慢がならなかった。

 人が出払ってしまった広間の中で、エリックの怒鳴り声だけが響く。

「いつになったらまともに魔力が扱えるようになるつもりだ。いったいどれだけの手間と暇をかけてきたと思っている。お前のような者がいることは一族の恥だ!」

「ごめんなさい……」

 メリッサは堅氷のように、心を固く閉ざしていった。内にある炎を固く閉じ込めておくかのように。

 生まれてくる時代を間違えたのだ。王国時代に生まれてさえいれば話は違った。かつては、魔力を扱えずに暴発させてしまうなんて事例は皆無だったと聞く。アンドラス家も王国では、王族を除いたうちで六番目の家格を持つセクストゥス・ファミリアに数えられていたのだ。その地位は、大陸南西部の広大な地域の所有に裏打ちされた、裕福なものだった。

 だが今の時代、かつてなら高名な魔術師になっていたほどの才覚を持つ人間でも、魔術をほとんど使わずに生活を送っている者たちも少なくない。まして自分のような未熟な人間が、土台どうにかなるわけがないのだ。

 そうやって父のとりとめのない説教を聞き流していると、予想外なことが起こった。

「あの、少しよろしいですか」

 メリッサとエリックの二人が顔を向けたのは、さきほどメリッサを助けたハロルドだった。気が引けたが、彼はどうしてもメリッサを手に入れたかった。

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