第26話「予言者の遺跡」
ごつごつした岩肌の上で、ヴェイスが体を起こす。
ハロルドとメリッサも、ほぼ同時に身を起こした。
「みんな、無事?」
ハロルドの問いに、二人は小さくうなずいた。
ここは〈魔の森〉の地中――突如崩れ落ちた足場の先、暗く湿った洞窟だった。上空には遠く天井が見えるが、戻るにはあまりに高すぎる。
「はぐれちゃったね。できれば上に戻って合流したいけど、この状況じゃちょっと無理かな……」
見れば、ごつごつした岩場に、いびつな形をした獣がうじゃうじゃとうごめいている。
「……僕が奴らを拘束する」
ハロルドが剣に手をかけたその瞬間、洞窟内の空気がざわめいた。次いで、鋭い熱線が空間を裂く。
眩しさに目を閉じ、再び開けたときには、無数の獣たちが煙を上げて倒れていた。
そして――。
奥から現れたのは、車輪で動くからくり人形だった。身にまとっているのは、朽ちた三角帽と擦り切れたローブ。上半身だけのその姿は、静かにたたずんでいた。
「……敵じゃない、みたいだね」
三人はしばらく顔を見合わせてから、音を立てながら進んでいく人形のあとを、そっと追いかけた。
導かれるように辿り着いた先には、鷲を模した巨大な門があった。松明の火に照らされたそれは、まるで生きているかのように口を開けていた。
「ねえ、やっぱり帰らない? 早く合流したほうがいいよ……ももももしかしたら待ってるかもしれないし……」
メリッサは、ゆらゆら揺れる松明の明かりに照らしだされた鷲の門にぶるりと震える。
「とりあえず僕が様子を見てくるから、二人はここで待ってて」
「い、いいの? 死んでも助けてあげられないけど」とメリッサ。
「いいよ。死んだら助からないから」
「あー……。やっぱりみんなで行こうよ。どうせ上に戻る方法を探さないといけないんだし」
「いいの? メリッサ、怖がりだったでしょ」
「い、いいよ。じっとしてるのも不安だし……」
「ふん。俺は最初から行くつもりっすけどね」
そう言ったヴェイスだったが、どこか視線が泳いでいる。
「嘘くさ」
「えっ」
メリッサの呟きに、彼はひそかに深手を負ったらしい。
そうして三人は、遺跡のなかを進んでいった。石で組まれた通路はやがて複雑に枝分かれし、小部屋が点在していた。がれきに埋もれ、崩れた壁、粉塵の匂い――
そこは、数百年、いや、下手をすれば数千年という時を経た建造物だった。
「木材を一切使ってない。完全な石造り。建築様式が現代のものと違いすぎる」
ハロルドが興味深げに指先で柱をなぞる。何かの象徴のように刻まれた紋様は、いずれも読み解くことはできなかった。
そんなとき――
「……っ、地鳴り?」
床の奥から、小さく、だが確かに地面が震えた。三人は顔を見合わせる。
「合流を別にしても、あまり長くはいられないかもしれないね」
ハロルドの冷静な言葉に、メリッサがこくりとうなずいた。
そして――たどり着いたのは、ひときわ広く高い空間。白い柱が連なる神殿のような大広間だった。天井は見上げてもなお届かず、空気は厳かに澄んでいる。
「まるで、誰かがここで待っていたみたいだ」
「そうは言っても、人影はないっすけど」
ヴェイスが肩をすくめる。
確かに、そこは不気味なほど静まり返った広間だった。石造りの床と柱だけが果てしなく広がり、空気すら動いていないように思える。風の通り道すら拒むような密閉された空間は、まるで歴史に見放された亡国の遺跡だった。
だが、そんな静寂は長くは続かなかった。
彼らを侵入者として感知したのか、どこからか地鳴りのような音が響いた。外へ出るためには前へ進まなければならない。
広間の奥にあった三枚の壁画に、メリッサはぽつりとつぶやいた。
「すごく、大きな絵だね。よっぽど暇人だったんだろうね、昔の人は」
「いや、そういう話じゃないと思うっすけど……」
ヴェイスが苦笑を浮かべる。
壁画はそれぞれ、異なる情景を描いていた。
一枚目には、羽の生えた者たちが空から降り、地に暮らす民を嘆きの渦に巻き込む姿を。真ん中の一枚は、剣を掲げた男が、民衆を無理やりひざまずかせるような構図だった。
そして――三枚目。
「これは……」
一番右に描かれた壁画は、一人懺悔するような髪の長い女が、ひとり静かに両手を合わせていた。その前に立つ男は顔こそ描かれていないが、どこか既視感を覚える不穏さがあった。
「何か気づいたっすか?」
ハロルドの呟きに反応したのは、ヴェイスだった。ハロルドは魔術学院で教鞭をとる博士で、彼の知識は特務部隊のなかでも群を抜いていた。
だが、このときのハロルドは、ただ曖昧に首を振るばかりだった。
言いかけたその瞬間――カツン。
どこかで、何かが“合図”のように鳴った。
次の刹那。目の前の壁画が爆ぜるように砕け、灼熱の炎が轟音とともに吹き荒れた。
「下がれッ!」
三人はとっさに後方へ飛び退く。だが――その足元が、なかった。
「くっ……!」
床に空いた穴へ、三人は抗う間もなく吸い込まれていった。
どれほどの距離を落ちたかは分からない。ただ、風の感触が次第に重くなる中、ハロルドは辛うじて意識を保った。彼はふわりと空中でブレーキをかけ、静かに着地する。
そこは、幅も高さもわずかな石の回廊だった。他の二人の姿はない。壁に手を当て、軽く魔剣を振るっも、おそらく魔術が施されているのだろう、まるでびくともしない。
「分断された……」
ハロルドは周囲を確認しつつ、狭い通路を慎重に進み始めた。
しばらく進んだ先、急に空間が開ける。
洞窟のような空間――そしてそこに、再び灼熱の炎が突如、襲いかかった。




