表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/42

第25話「遁走」

「シュテュンプケさん!」


「問題ない」


 あたった魔法はしかし、シュテュンプケにはきかなかった。自分の撃った魔法の影響は受けないよう、無効化の術を施していたのだ。


「それよりアリオストを足止めしてくれ!」


 言われたラインツファルトは、すぐさまアリオストに向かって駆け寄る。レギーナは体が本調子ではないのか、片膝をついて様子をうかがっている。今がチャンスだ。


 彼らの交わす剣が甲高い音を立てながら、幾重にも火花を散らす。近衛として腕を磨き続けたラインツファルトの一撃は重く、アリオストは押され気味になる。


 ラインツファルトをきつく睨みつけ、アリオストは距離をとった。


「帝国の秘術を見せてやろう」


 アリオストが両手を前に突き出すと、その指先から編まれた魔術が空間を走った。チカチカと瞬く光は、まるで星屑のように宙を舞い、やがて音もなく炸裂する。


 一瞬、何も起きていないように見えた。だが次の瞬間――ラインツファルトは膝をついた。


「く……ッ!」


 上下も左右も、前後さえもわからなくなる。平衡感覚を狂わせる魔術。それは、感覚干渉系と呼ばれる、魔剣士にとって最も厄介な類の呪いだった。


 ラインツファルトは額を押さえ、歯を食いしばりながらも踏みとどまった。


 その隙を突くように、シュテュンプケが魔術を連打する。だが――いずれも、アリオストに届かない。術式は正確であり、威力も申し分ない。しかし、アリオストの纏う見えざる膜が、すべてを無効化していた。


 押されていた。二人がかりでも。


 その様子を、ハルトマンは黙して見ていた。


 帝国で生まれ、帝国のために育てられ、魔術によって支配されてきた彼女。彼女には血縁もなく、守るべき故郷もない。だが、たった一つ、譲れないものがあった。


 自分のせいで、誰かが死ぬ――それだけは、どうしても許せなかった。


 次の瞬間、ハルトマンは反射的に駆け出していた。左手に氷晶を形成し、跳躍とともにアリオストへ叩きつける。氷の槍が連なるように空間を突き刺し、怒気を孕んだ声がその場に響く。


「私だって……見ているだけじゃない!」


 叫びと同時に、シュテュンプケも呼応して再び詠唱に入る。


 だが。


「うっとうしい……」


 アリオストが声を漏らしたその瞬間、空気が変わった。


 シュテュンプケの放った火弾が、アリオストの身体をすり抜ける。その後方にいたティアレットの氷槍が、術に巻き込まれ砕け散る。


「っ……!」


 その一撃の混乱の中、アリオストの手が閃いた。手の甲でティアレットの頬を強かに打ち、白い肌に血が飛び散る。彼はそのまま彼女の首を掴み上げた。掌から熱が発せられ、焼けるような音と匂いが空気を満たす。


「ハルトマン隊長……!」


 ラインツファルトが叫んだが、足取りはおぼつかない。干渉魔術の影響が、まだ消えていない。


「俺の力は、一朝一夕で手に入れたものではない」


 アリオストの声は、怒りでも狂気でもなく、ただ揺るぎなかった。


「八十年前、グスタフに声をかけられたときから、俺の信念は変わっていない。強くなって全ての支配者になる。世界を支配するには、強さがすべてだ。弱い者は奪われる。ただそれだけのこと……」


 彼の視線が、ティアレットを超えて、ラインツファルトに向けられる。


「他者を犠牲にするお前のやり方を、俺は認めていない」


 ラインツファルトが剣を支えながら、低く唸るように言う。


「革命のときから、お前は何一つ変わっていないぞ、アリオスト」


「黙れ」


 アリオストの声は冷え切っていた。


「この世界の壁は、お前が思っているよりもはるかに高い。それを乗り越えるためならば、どんな代償だってあまりに安い」


「く、うッ……」


 ハルトマンは皮膚の焼けただれるような痛みに思わず悶えた。


 ラインツファルトの剣が揺れる。だが、魔術に揺さぶられた身体では、彼に届くことすらできない。


 アリオストの目が細まった。


「その程度の力で今の俺に勝とうだなんて、それこそ、笑わせる」


 ラインツファルトは表情を暗くした。このままじゃ、あのときと同じじゃないかーーあの王都が陥落したあの日、レティシアを失ったあの日と。同じ結末で終わっていいのか?


 いいはずがない。


 ラインツファルトは剣をかまえなおす。


 この状況を打開する。すべてを変えて見せる。


「おおおぉぉおッ……!!」


 ラインツファルトは大きく吠えると剣を構え、感覚干渉魔術を受ける前の水準にーーいや、それ以上に洗練された動きでアリオストを翻弄する。その剣筋は七色に光って見えたーー彼の魔術が、それだけ色濃く反映されているのだ。


 余裕を持っていたアリオストは思わず気圧される。


「今までとは一線を画する動き……、いったい何をした、なぜ魔術を受けておきながら、それだけの動きができる。俺への復讐心か……。いや、そんな精神論だけでは到底説明がつかない」


 アリオストは顔をゆがめた。このままではまずい。身体にはすでに数本の裂傷が走っていた。このままでは埒が明かない。打開策が必要だ。


 そのとき、不意に視界に人影が滑り込んだ。


「アリオスト様、今はまだそのときではありません。ここは一度退却を。私が隙を作りますので」


 レギーナは背後に人一人が入り込める"空隙"を作ったうえで、腰を低く落とし、ラインツファルトの剣を鋭くはじく。


「いいだろう。後は頼んだ」


「待て、逃げる気か!」


 ラインツファルトの怒声が響いた。


「今はまだその時ではないというだけのことだ。いずれ相まみえるときが来るだろう。そのときは全力でお前のことを迎えてやる」


「待てッ……ちッ!」


 焦燥のまま剣を振るうが、レギーナが道を塞ぎ、思うように距離を詰められない。


 そこへシュテュンプケの魔術が飛ぶ。雷光が走り、辺りの空気が焦げた匂いを帯びた。


「こいつは私が足止めする! あんたはアリオストを頼む!」


 しかしすでにアリオストは片足を空間の切れ目に踏み入れていた。


「レティシア、お前も来い、儀式にはお前の存在が必要だ」


「させるか!」


 シュテュンプケとレギーナがやり合う直線状を飛び越えて、ラインツファルトはアリオストに襲い掛かる。ここで逃がしてしまえば、千載一遇のチャンスを逃すことにもなる。ましてや革命の二の舞など、考えられない。


 ラインツファルトは渾身の一撃を繰り出した。だが、それも届かずに空を切る。


「グラジオラス百万の民の命はお前にかかっているんだぞ。お前はそのすべてを見殺しにするつもりか」


 その言葉は、鋭い刃となってハルトマンの胸を貫いた。


「……それでも、私は……!」


 その瞳には迷いがあった。だが、確かに光も灯っていた。


「私は……レナトゥスで耳を塞いだあの悲鳴を、忘れられない。理不尽に、唐突に奪われていった者たちの声を。だから……私は、あの日の続きを、生きなければばならないんだ」


 言葉が、術のように空気を震わせた。


 アリオストを包み込む次元の裂け目がきしみ、崩れ、閉じようとしていた。


 アリオストの顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。


「レギーナ」


「お任せをッ!」


 レギーナが刃を旋回させ、火花を散らしてシュテュンプケの放った雷撃を切り裂く。そして即座に回転し、ラインツファルトの二撃目を受け止めた。


「うおおおおッ!」


 レギーナが加勢に来たことで、明らかにラインツファルトたちの分が悪くなっていた。それを見たハルトマンは、アリオストの方へ足を向ける。


「来るな、ラインツファルト。アリオストの狙いは最初から私だったんだ。私の血は、グラジオラス帝国の血脈を色濃く受け継いでいる。私の血がなければ、あの街はいずれ滅びてしまう。だから、お別れだ」


「だめだ! 俺も連れていけ、アリオストッ!」


 その叫びは空しく響き、次元の狭間に消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ