第1話「復活」
ラインツファルトは目を覚ますと、発作的に咳込んだ。どこかの部屋の中らしく、机上にある発光する月長石の光でほこりが舞っているのが見える。
意識が朦朧とする。なぜ部屋の中にいるのかもわからない。
部屋にはあまり物がなく、絵画も絨毯もなければ窓もない。ただ机と、そこに乗せられたいくつかの小物だけがあった。
高級品である手のひら大の月長石と、一紙の新聞だった。
ラインツファルトは机の前に歩みよって月長石を手に新聞を照らした。
共和国新聞第一号。その見出しには大きくこう書かれていた。
『レナトゥス王国崩壊、新たにレナトゥス共和国が樹立』
「ッ……」
『ラインツファルト、逃げなさい!』
頭の中で女の声が反響した。
すべて思い出した。王国を、女王様を守れなかったあのときのことを。
彼は思わずえずいた。気持ちを落ち着けて息を整えるのにずいぶん時間がかかった。
彼が物音をたてていたせいか、上階でガタンと椅子を倒す音がした。誰かがトタトタと駆けてくる。
まずいと警戒して身構える暇もなく、バタンとドアが開いた。
そこから現れた小柄な少女は、熱い視線をラインツファルトに向けた。
「お目覚めになったのですね、我が君……!」
どうやら敵対者ではないらしいとほっと胸をなでおろした。
年端もいかぬというほどではないが、まだ幼さを残した見た目だ。人形のような精巧な顔立ちには見覚えがないではなかったが、ピンとこなかった。身ぎれいにスカートを飾りで整えて、髪の毛もきれいに流している。
「君は誰だ?」
思わず問うた。
「エリザ・アントワネットと申し上げればお分かりいただけるかと」
アントワネット家とはかつての名家の一つで、王国時代なら知らぬものはいない新興貴族だった。
「ああ。シャドーパレスの統領、アントワネット卿のご息女か。彼には年頃が近いのもあってよく世話になった……」
そこで彼は思考を中断した。年頃が近いアントワネット卿の子供だと? ずいぶんと……
「いえいえ! 娘ではなく孫娘でございます。それも十人兄弟の末っ子です」
「孫娘!」
「それも末っ子の、です」
「う、そうか。それだけの時間が……。いや、この場は礼を言うべきだな。長い間、俺の命をつないでいてくれたのだろう? 長い間ありがとう」
そう言って頭を下げると、少女はにわかにあわてふためいた。
「いえ、そんな! とんでもない! あわわわ……。
あ、でもでも、本当に大変だったんですよ?」
何を思い直したのか、少女は横を向きながらチラッチラッと何かを期待するそぶりを見せる。
「そうか。ありがとう、アントワネット殿」
「殿?」
彼女はむっと口を尖らせた。彼女が求めているものが何となくつかめた気がした。
「アントワネット」
「まだまだ足りません!」
「わかった! わかった! ありがとう、エリザ」
そこでようやく満足したらしいエリザは、「ウヒ!」と謎の声をもらした。
「うひ? どうした?」
「なっ! 何でもありませんっっ! 私のことバカにしてるんですかっ!?」
「はは、そんなことはない。本当にありがたいと思っている。それより口の端からよだれが垂れているが」
「垂れてません!」
エリザは「シュバッ」と、オノマトペが出かねない速度で手を口の端にもっていって証拠を抹消した。
「今ふいただろう」
「汗です」
「そうか……」
少し気まずい雰囲気が流れて、取り繕うようにエリザが口を開いた。
「コホン。我が君が目覚められたらお伝えせよと先代の守護者から言付かっておりますので申し上げます。現在は共和国歴80年、王国歴でいうと1874年にあたります」
「1874年か……。いや、今はそれよりも知りたいことがある。女王陛下は、生きているのか」
その声がどこか震えているように聞こえたのは、知りたいと同時に知りたくないという矛盾した思いを抱えていたからだろうか。
エリザは深く目を伏せた。
「……レティシア様の消息は、革命当時から不明、です」
「………………」
ラインツファルトの全身から、力が抜けた。
80年間、不明。
それは「死んでいる」と言われるよりも、残酷な宣告だった。
「私は……何のために……」
彼はその場に崩れ落ちた。
守れなかった。命を懸けて、あの地獄で戦って、結局は守れなかった。80年という時間は、彼の「敗北」を決定的なものとして突きつけていた。
エリザは、そんな彼に何も声をかけられない。ただ、拳を握りしめている。
長い沈黙の後、ラインツファルトが絞り出す。
「……すまない。見苦しいところを」
「いえ……」
「もう、いい。もう、俺がこの世界にいる意味は……」
「あります!」
エリザが、それまでのおどおどした態度が嘘のような、強い声で叫んだ。
「意味ならあります!」
ラインツファルトが顔を上げる。
「レティシア様の消息は、不明です。ですが、陛下をその目に遭わせた男は、今も生きているのです!」
「……何?」
「革命の首謀者アリオストは今も生きています。 それどころか……」
エリザは憎々しげに言葉を続ける。
「西の地に『神聖グラジオラス帝国』を築き、自ら皇帝を名乗っています!」
「アリオストが、皇帝に?」
ラインツファルトの瞳に、絶望とは違う、暗い光が宿る。
「はい。彼の動向は最重要事項として定期的に把握するよう努めておりましたから、間違いありません。明日にも国家魔術師の特務部隊が西へ向かうとのことですから、それに同行されるのがよろしいかと思います。西には帝国があります。皇帝となったアリオストもそこに」
「なるほど、それはわかった。だが方法はあるのか?」
エリザは自信ありげに彼を見た。
「首都に向かいましょう。特務部隊の部隊長はその治安維持も担っています。彼女と出会うのはそこまで難しくありません。ただ、話をつけるのは難しいかもしれませんが……」




