「革命の焔」
気ままに書いていきます。応援していただけると嬉しいです。
轟音が連鎖し、王都は瞬く間に灼熱の炎に包まれた。爆発の余韻が空を裂き、漆黒の夜に赤々と燃え盛る地獄の光景が広がる。その惨禍の中心には、一つの燃え盛る球体があった。揺らめく炎の奥、浮かび上がる人影は微動だにせず、何かを待つようにたたずんでいる。
やがて炎を裂いて姿を現したのは、仮面をかぶったグラジオラス教団の教祖――アリオストだった。
「ラインツファルト、逃げなさい! あなたでは絶対にかなわない相手です!」
レナトゥス王国最強の魔剣士の一人、レティシア女王が地面に座り込んでいた。彼女の手は、強大な魔術の鎖に捕らわれている。それは彼女の力が及ばぬ相手だったという動かぬ証拠だった。
しかし、近衛騎士団団長ラインツファルトは女王の叫びを無視して声を張り上げる。
「陛下! この命に代えても、必ずお救いします!」
「バカ……! なんでそんな無茶を……」
その理由は痛いほどわかっていた。彼は近衛騎士団の頂点に立つ者であり、そして彼女は王だった。だから王の身辺を守る者として、彼が戦わざるを得ないのは当然だった。
だが、どうしても彼には逃げてほしい。彼は大切な人だから。
レティシアは縛られた両手を持ち上げてその指を思い切り嚙み切った。そしてそれをゴクリと飲み込む。
「陛下!」
「チッ! 今さら意地を張りやがって」
レティシアは傷みに悶えるようにかがみこみながらアリオストをにらんだ。
「アリオスト、王族の血の意味は知っているでしょう? 私たちの血にはあまりにも濃度の高い魔力が流れている。それを飲み込めばただでは済まない。私を生きて連れていこうだなんて甘い考えは許しません」
アリオストの表情は仮面に覆われてわからなかった。
だがおそらく焦ってはいただろう。すぐにレティシアは己の血を飲んだ副作用で気を失った。早く処置をしなければ、命の危機に陥る。
圧倒的な魔力の奔流がアリオストから放たれていた。その感覚は、ラインツファルトの経験した度の魔術師とも異なっていた。
「ぐずぐずしてはいられないな。すぐにケリをつけてやる」
アリオストが指を鳴らすと、七色に光る魔力の弾丸が空を裂いた。
超速の閃光。ラインツファルトはすかさず魔力障壁を展開したーーはずだった。
「カハッ……!」
バリアは粉砕され、弾丸は容赦なく彼の胸を貫いた。体内を焼き尽くす痛みに顔をゆがめる。
だが、倒れない。近衛の誇りが彼を発たせていた。
剣を構え、低く腰を落とす。鋭い一閃が風を切り、魔術をまとった真空の刃となってアリオストに襲い掛かる。
しかしーー。
アリオストの魔力障壁に触れた瞬間、それは霧散した。
「どうした。反撃はそれだけか?」
次の瞬間、アリオストは吹雪のごとく魔弾を連射する。軍服が裂け、無数の穴が開いた。衝撃が全身を叩きつけ、ラインツファルトは歯を食いしばる。
そこへ、新たな人影が姿を現した。
「アリオスト様、準備が整いました」
「ああ、この女を連れていけ」
アリオストの仲間らしき人物が現れた瞬間、わずかに生まれた隙を見逃さなかった。ラインツファルトは傷つきながらも回復の術を唱えようとする。
だが、その先が見えない。
圧倒的な力の前に、勝ち筋が見えなかった。
「ようやくこの日を迎えたな」
アリオストは長い髪を揺らし、不敵に笑う。
「まさか自分を始末するのに、ここまで時間がかかるとは思わなかったぞ?」
「……何を言っている?」
「ラインツファルト、お前は未熟だった俺の代わりとして禁じられた魔術で作られたんだ。それも俺のコピーとしてだ。本当なら、そこに立っているのは俺だったはずだ」
禁じられた魔術――古代魔術。
あまりに強大で、秩序を揺るがしかねないがゆえに、王国政府はこれを禁忌とし、その知識の流布を厳しく取り締まった歴史がある。
王族の一人であるラインツファルトも、古代魔術の一端を学んでいた。だが、人を創造、コピーする魔術など、聞いたこともない。
「こんなときにまで冗談とは余裕だな。私はまだ戦えるぞ。どれほど傷を負おうと、女王陛下は私が守る」
「冗談じゃないさ」
アリオストは仮面を静かに外した。
「……ッ!」
その顔を目にした瞬間、ラインツファルトは言葉を失った。
そこにあったのは、鏡に映した自分自身の顔――いや、微妙に違う。だがあまりに酷似していた。まるで見飽きるほど眺めた己の顔が、もう一人、目の前にたたずんでいるかのようだった。
アリオストは薄笑いを浮かべる。
「信じられないって顔だな。無理もない。
人間の創造は語ることさえ許されぬ究極の魔術。王族の中でも、ごく一部の者しか知らない禁忌だ。俺はガキの頃の記憶を頼りに、何人も殺してようやくその証拠を手に入れた」
「何人も殺して……まさか、あの四人の公爵を葬ったのはお前か!」
「さあ、どうかな?」
「とぼけるな!」
「言うまでもないだろう。四人もの歴戦の魔術師を殺すのは骨が折れた。その代償に、この顔にも傷を負った。無論、何もかも完璧に作られたお前に比べれば見劣りするがな」
「……アリオスト、お前は王国を、いや、私を恨んでいるのか? だからこんなことを……」
その言葉に、アリオストは腰の剣を引き抜き、燃え盛るがれきの地面に突き立てた。
「恨みだと?」
唇の端を吊り上げ、不吉な笑みを浮かべる。
「恨んじゃいないさ。暗闇で生きた日々も、悪くはなかった。ただ……俺は復讐を欲しているだけだ。それも、誰もが震え上がるような圧倒的な復讐をな。王国はもう滅びた。次は、お前を粉々に破壊してやるよ」
剣から魔力が流れ出し、がれきの下に刻まれた巨大な魔法陣に脈打つように注ぎ込まれた。緻密で周到な術式は、近代魔術とは異なるいにしえの威圧感を漂わせる。
「アリオスト!」
刻印が光を放つのを見たラインツファルトは、直感的にそれを阻止せねばならぬと悟り、魔力を解き放った。
鋭く放たれた魔力の手がアリオストの目前まで迫るがーーギリギリで止まる。
「この魔術は対象のすべてを停止させる。お前はじきに眠る。次に目を覚ますのは、俺に殺される時だ」
「クソッ!」
体も、魔力さえも動かない。
ラインツファルトの魔力はその魔術に抗っていた。だが、それをも凌駕する圧倒的なエネルギーが彼の身体を容赦なく蝕んでいく。
しかし、それだけで彼が屈するはずもなかった。
最後の力を振り絞り、ラインツファルトは魔手に魔力を注ぎ込んだ。背中から生えた魔力の手は羽のように輝き、彼を覆う魔術の幕を突き破ろうと火花を散らしながら鋭く伸びていく。
「バカな、なんて魔力だ!」
アリオストは驚愕の声をあげる。
ついにラインツファルトの魔手が膜を突き破った瞬間、アリオストの仲間たちが前に躍り出た。
「アリオスト様! ここは我らがお守りいたします!」
「バカどもが! 私は女王を運べと命じたはずだ!」
アリオストを含め三人が魔力防壁を展開する。彼らの目的はただ一つ。魔術の完成まで、ラインツファルトを食い止めることだった。
「くそっ、このままでは押し切られる!」
「怯むな! 俺たちで食い止めるんだ!」
アリオストは歯噛みする。
ラインツファルトの魔手は猛然と弾丸のように魔力を放つ。それを防ぎながら、アリオストは必死に思考を巡らせた。
ラインツファルト、それは完璧に作られた生命体だ。その途方もない力を前にすれば、これほどの抵抗も不思議ではない。しかし、ここまで追い込まれた理由はほかにもあった。アリオスト自身が急ごしらえで古代魔術を習得したせいだ。知識を手に入れたからといって、複雑な魔術を使いこなすには途方もない時間が必要だった。この魔術形式を学ぶだけでも、数か月を要したのだから。
それでもまだ足りなかった。
ラインツファルトの力を知らず知らずのうちに過小評価していた。古代魔術を使った以上負けるはずがないと、どこかで驕っていたのだ。
ならば逃げるか?
――いや、それだけは許されない。
そんなことだったら、死んだほうがマシだ。
「お前たちは先に行け! ここは俺が引き受ける!」
「し、しかし……!」
「だまれ! お前たちがいても足手まといだ!」
「わっ、わかりましたアリオスト様! このご恩はいつか必ず!」
「けっ、とっとと行っちまえ!」
部下たちが去るのを確認すると、アリオストは防壁の構築に全力を注いだ。
依然として防壁と魔手の間で激しく火花が散っている。
息もつかせぬ攻防が、数十秒――いや、永遠にも思える時間、続いた。
だが、突如として魔手の動きが止まる。
魔力は塵のように霧散し、ラインツファルトの力は尽きたのだ。
アリオストはその場に膝をつく。自分の上位互換ともいえる存在が、今、目の前で沈黙した。ここで始末したいという欲求が、彼の心を支配する。
アリオストは自らを奮い立たせるように、両手を強く握りしめた。
――ここで終わるわけにはいかない。神との契約で莫大な代償を払い、公爵を四人も手にかけた自分が、今さら歩みを止めることなど許されない。
再び目をあげる。
動けぬラインツファルトの左目に、アリオストは短剣を突き立てた。赤い血が、垂らされたインクのように滴る。
「ぐうぅぅぅッ……!」
「もうお前は俺の敵ではない。ハハハハッ!」
アリオストの高笑いが、燃え盛る街並みに響き渡った。
ラインツファルトは理解できなかった。
なぜ、こんな結末を迎えたのか。
昨日まで王に忠誠を誓い、その傍らで任務を果たしていたというのに。
どこで、何を誤ったのかーー。
「俺を殺すなら、好きにしろ。だが、レティシア様には手を出すな。あのお方には、まだ未来がある」
「さあな。次に目覚めるときまで、せいぜいいい夢でも見ていろ」
「貴様!」
アリオストは静かに背を向け、部下たちの後を追う。
残されたのは、炎に包まれた王都と、魔術の枷に囚われたラインツファルト、ただそれだけだった。
意識が遠のいていく。
もう、自分が立っているのか、倒れているのかさえわからない。
「俺は……諦めない……。何があっても……必ず、女王を……」
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
——王国歴1793年12月。
レナトゥス王国王都、市民たちの武力蜂起により陥落。
——王国歴1794年1月。
市民たちの手による議会政府が樹立される。レナトゥス共和国の成立と共に、レナトゥス王国は滅び去った。
——そして、時は流れる——。