ヲタサー王の女難 ~AYAKASHIKONE~
夜更け、誰かがペチペチと頰を叩く。ゆっくりと目を開く。きっと夢の中だから、夢が覚めてしまわないように。
薄暗い自室。暮らして二日目。茶箪笥、卓袱台、小さな箪笥と小さな食糧庫が置いてある小さなキッチン。仕切りの引き戸は材質不明で透明が少し曇った板製だ。ガラスではない。
ゆっくりと愛着が染みつつある自室に、
「二度目まして。かな?」
居る。ヒルコの頃に会ったことのある綺麗な小母さんが。
「ぼくは、はじめましてだね」
と、エベっさん。ウカノが寝落ちしたので今夜はこっちだ。
「うん。そうかもね。それで、あなたはどうしてこちらに?」
名前は知らない。クロもクロだと名乗っていない。エベっさんと出会う前だったから。ただ、ナカツクニの住人でも、タカマノハラの住人でもないのだけはわかる。
「はじめまして――」
「エベっさん、こっちのヒョロモヤシはクロだよ」
口を開いた小母さんに、エベっさんは不思議と矢面。言葉を被せて名乗る。
「はじめましてエベっさん。久しぶりねクロ。小母さんのこと、覚えてる?」
「質問に答えてくれないかな。隣国の住人殿。ここはあなたの居てよい場所じゃない」
矢面のエベっさんに応えるよう、クロも草薙剣を引き寄せる。ここは夢。それくらいはわかっている。ただ現でも草薙剣に触れているのだとはわかる。不測の事態に対する研鑽の怠りはない。
小母さんは、エベっさんにジト目を貼り付け、吐息をひとつ。
「さすがナキくんとナミのご子息。チョロくないわね…OK降参…娘のお婿さんに挨拶しに来ただけよ…」
小母さんの言葉に、
「措け」
低い声音にエベっさんは恫喝。
「ねえ、キサキをどう思った? 綺麗でしょ? 小母さんに似てさ」
クロは吐息をひとつ、草薙剣を縦に立て、
「この夢の境、闇夜の闇より生ずる神霊を払い清め、安穏なる場を賜われり」
祝詞を口ずさみ、結界を発動する。
小母さんは隔絶され、
「あれ誰さ。エベっさん…」
隔絶された空間でクロは問う。
「キサキちゃんのママ、ですかね」
エベっさん、若干のしどろもどろ。柳眉を逆立てニコリとクロ、
「措け。カグっちのママ」
核心に触れてやる。
「エベっさんは、エベっさん!」
エベっさん、若干の御乱心。吐息をひとつ、
「知ってるよ。そんなこと。で、エベっさん、キサキってのはヤカミって認識で相違なし?」
クロは尋ね、
「ちょっと待って、話しづらいから、エベっさんの潮来芸!」
エベっさん、ちょこんと正座し前のめりに突っ伏すや、
「ええ、あってるわよ。ちなみにカグっちのママが降臨中です」
エベっさんの元にナミが降臨。
「なんだ。この茶番…」
クロは嘆息。
「綺麗な小母さんの目的はなんだよ。それにヤカミのお婿さんって、あいつの旦那はムナゲだろう?」
「言葉のままよ。あんたをお婿さんに迎えたいんだってさクロ」
森に降りた時、ナキを詰っている時、その時の声はナミの声だった。でも遊んでいる時、研鑽している時の声はエベっさんだ。クロはエベっさんと言う存在について考える。うん。エベっさんはエベっさんだ。それでいい。
「なんでさ。まさか、あれが、お見合いじゃないでしょう?」
「ヤクサはそのつもりだったみたいね。言っておくけど、あんた優良物件ですからね。女の子には注意しなさい?」
ビシリと腕で指されて言われても、
「母ちゃんに言われても説得力ねえから優良物件」
「へい。ウツシ。ワンモアぷりーず! 母ちゃんイズもう一回!」
「うっさいよ。エベっさんで纏わりつくなや。俺がすべきはアナムチとヤカミ夫妻の保護か。ヤクサの小母さんへの禁則事項は?」
纏わりつくエベっさんを顔から引きはがしクロは尋ねる。そろそろ結界が切れる。
「ヤカミちゃんを魅力的だと認めないこと。それだけよ。あんたは暫定的なポジションにいる強い神さま。ハニーなトラップには気をつけなさい」
結界が切れ、クロとエベっさんは対峙する。
「お久しぶりです。ヤクサの小母さま。ヤカミの旦那さんはアナムチですよ。俺じゃあない」
「それは月の坊やが贈った御名前ね。あの娘の名前はキサキ。ヨモツヒラサカを統べる予定、あなたと一緒にねクロくん」
エベっさんがクロと紹介したのは警戒のあらわれだ。名を告げれば、それは術で縛られることと変わらない。
「ツクヨがヤカミの烏帽子親でしたか。あいにく俺は人妻にNTRするほど女性に困っていません。さる筋によれば優良物件だとか」
ジト目をエベっさんに貼り付けクロ。クロはヤカミと強調する。
「キサキはアナムチくんのお嫁さんじゃないわ。だってアナムチくんのお嫁さんはヤカミちゃんなんでしょう?」
平行線が引かれたのを感じ、
「あのふたりには子供がいます。親と子を引き裂くことなど断じて看過できません。とだけ伝えておきますよ。小母さま」
クロは眦鋭くに告げ、
「看過しないのならどうするの?」
「クマノの小母ちゃまに密告ります」
間髪入れずに、
「狡くない?」
ヤクサはアワワ。エベっさんは腹を抱えて大爆笑。
「狡くありませんよ。横車を押してくるんだから仕方ないでしょう? それにWIN-WINな落としどころは考えますから、どうぞご安心を」
クロは嘆息、退散を目で促し、
「き、きっとだからね? 嘘ついたら承知しないんだから!」
「いいから、お引き取りをツンデレ小母さま」
ヤクサの気配が消えるや、エベっさんは姿を消し、
「あんた、ヤクサのことちょっと好きでしょ? あいつ無駄に綺麗だもんねぇ~?」
ナミはニヨニヨとした面持ちにクロを揶揄う。
「そんなんじゃねえよ。まったくチヨ殿の言った通りだ。次から次へと忙しいこって」
夢の中まで忙しい。夢の中までトラブルメイカーだ。クロは深々と嘆息し、
「そう言えばチヨちゃんから頼まれごとされてたわね。あの娘ってば、せっかちですからね。レスポンスは迅速に返さないとすぐにご機嫌ナナメよ。まったく、ウチの孫ときたら嫁の躾がなってないんだから」
ここでナミは情報開示。
「多い! 多いよ! 情報量が多い! 夢は記憶を整理するところです!」
「山の神さまと亥の化身よ? お似合いじゃない。せっかちだけど…」
クロの苦情をナミは措き、
「それでカグっちたちを迎える準備に、温泉に、チヨちゃんの同胞探し、コネ先輩に交渉――あんたねぇ、マルチタスクも大概になさいな…」
ナミは呆れ、
「なんで五十年も機能不全にしてんだよウカノ…」
クロはオヨヨと嘆き、
「ホントそれな…」
ナミは共感、ふたりは頭をふりふりヤレヤレをする。
「体がいくつあっても足らないよこれじゃあ」
「大丈夫よ。神器と言霊をうまく使えば」
ナミはホワイトボードを顕現させ、
「ふっかつのことだま? なにさそれ?」
殴り書かれた単語に思わずキョトン。
「有り体に言えば、セーブ機能ね。チヨちゃんの依頼は冒険よ。イズモと旅先を行ったり来たりしたら移動時間が無駄だわ。それを神器を使って省略させます。神器Aと神器Bの距離を言霊を紡ぐことで省略させます。つまりワープね」
自分の知らない術式に、クロのオメメはキュピン。ナミの説明に鼻息をふんふんさせて貪欲に知識を吸収する。
「確かにエベっさんの異能を使えば可能だね。この神器造りも」
「すごいのよエベっさんは…ちなみにお母さんが用意したのはエベっさんのガワだけです」
えっへんとドヤるナミに、
「うん。知ってた…」
クロは苦笑。
「……」
ものすごい小声でポソリ、
「へい。ウツシ。ぷれいばっく! 今の言葉――」
ここで目が覚める。目覚めたクロは、
「二度目の天井だ…」
オヤクソク。
布団をまくり体を起こすと、
「なにやってるのさ?」
居る。簀巻きにされ床に転がされたスセリが寝息をたてている。
「ただれてんなぁ~」
ここでエベっさん、平常運転。夢でのことはきっと共有されていない。
「この状況で、その批判には驚きだよエベっさん」
クロは苦笑し、布団を畳み、シンクの下から洗面器を取り出し水を張る。季節は初秋。水の温度はちと冷たい。
生活用品も下着もあらかた買い揃えた。歯ブラシに歯磨き粉をのせて洗浄開始。
「ほ、放置ですか?」
蚊の鳴くような小声でスセリはポツリ。
「もうすぐウカノがくるから任せようかと思って」
クロが告げると、スセリはビクりと身悶え、
「ご、後生でございますクロさまぁ~」
懇願。クロは口をすすぎ、顔を洗って、
「君、一度叱られた方がいいと思う」
スルー。状況から鑑みて女子会ではしゃいで誰かにイタズラされた。そんなところだろうとタカを括る。
「も、もう叱られましたからぁ~! 反省しましたからぁ~!」
スセリはギャン泣き、エベっさんは長い耳を畳んで、
「クロ~」
督促。チッと舌打ち、簀巻きを解こうとして、
「な、な、なんで裸なのさ?」
気づいた事実に忽ち赤面、ここで、
「おはよう兄さま。さあ、あきらめてスンスンさ――」
テラスの介入、目にした光景にテラスは赤面、
「し、失礼しました!」
見事に誤解。クロは嘆息、
「エベっさ~ん」
スセリの服をエベっさんに要請、
「スンスンしていいから、話を聞け…」
事態の収拾に動き出す。
カオスな朝だ。六畳間の部屋の隅にカチコチに正座するスセリ。服と下着はエベっさんが簀巻きとクロの服で生成し、
「あたしは信じていたぞ兄さま」
テラスは存分にスンスンできて御満悦。
「ウソをつけ。スセリもこっちで食べなさい」
「そうよ。小母ちゃまも調子に乗りすぎたわ。いらっしゃいゲン坊の嫁候補」
冷たく冷やされた茶碗蒸しを一口パクりとしてクマノ。
「ゲン坊の嫁ってキー坊じゃないの?」
サラダをシャキシャキ咀嚼しオトヒメ。
「つか狭くね部屋? 誰よキー坊?」
大柄なオーゲツは、肩幅をギリギリに圧縮するようにちょこんと正座しご飯をはむはむ。
ウカノとエベっさんは、キッチンでターンオーバーをのせたトーストとコーヒーでブレックファースト。コロクは朝からビールをプシュりとあけて迎え酒。
「今はヤカミって名乗ってる。それでヤクサがどうしたってゲン坊?」
「あぁ、ウカノの妹分ね…」
得心したのかオーゲツは油揚げの味噌汁をズズズ。
「俺をヤカミの婿にするって狙ってるんだって、強硬手段に出ないよう釘は刺しておいたけど。クマノ小母さんの名前を勝手に出しちゃったけど良かった?」
クロは卵かけご飯に醤油を一滴し、黄身と絡めたご飯を一口パクりとしておうかがい。
「もちろん良いわよ。もともとそう言う話ですからね」
スセリをセンターに強制連行してクマノ。
「あ、あ、あの、あたし場違いじゃ…」
恐る恐るスセリが口を開くと、
「そんなことはないぞ、義姉さま候補。先々代、美味そうだなビール」
テラスはコロクのビールにジト目を貼り付ける。
「え、え、え、ひょっとして、テテテテラスさまでございますか?」
スセリのキャパシティはとっくのとうに閾値を超過。
「ん? そうだが?」
答えながらテラスはコロクのビールを強奪。
「ちぇ~。自分であけろよなぁ~」
コロクはもう1本ビールをプシュり。当然だけど初秋の朝だ。スセリはダウン。
「ところでテラス、山の神に亥の化身の夫婦、俺の予想だと松な酒を造るアイツなんだが認識相違なしか?」
卵かけご飯を一口またパクりとしてクロ、
「ああ、ヤマツミだな。その認識であっている。チヨがどうかしたか?」
「うん、ウカノとうまくやれてないのかと思って。ね?」
クロはチクリ、引き戸の向こうでビクりとウカノ。
「そう言えば、あと2点で免停って聞こえたなぁ~」
ウカノはキッチンから脱兎。無論、
「情報提供感謝します兄さま」
「パパネェから逃げられるわけないでしょ? 感謝するわお義兄さま」
これは躾。大人が子供を正すのは、
「いえいえ。大人ですから…」
義務である。
テラスとオーゲツに母屋に強制連行されるウカノのことを見送り、クロは油揚げの味噌汁をズズズとした。