従妹に悪評を流されて孤立した私に声をかけてきたのは危険な香りの貴公子でした
私が田舎からタウンハウスに来たのは十六歳になってからだ。父の意向でしぶしぶ王都でデビュタントを迎える。従姉妹のネリーは先に社交界デビューを済まし、着実に人脈を広げている。
彼女と私の仲が良好であれば、ネリーの紹介でさまざまな人と出会うことができただろう。しかし、ネリーは小さいころから私をライバル視しており、元々期待などしていなかった。
だが、私のネガティブキャンペーンをしているとまでは思わなかった。
皆が私をチラチラと珍獣のような目で見て、これ見よがしにヒソヒソと話す。
「あまり性悪には見えませんわね」
「いえいえ、人畜無害に見えてああいうのが一番厄介なのですわよ」
「領民にムチを打って気晴らしをしているとか」
「粗相を働いた使用人を酷い目に合わせたとか聞きますわ。なんて恐ろしい」
「あら、使用人ならまだしも、没落貴族の令嬢を雨降る庭にずっと立たせたのですって」
「「「「「恐ろしいわねえ」」」」
そういうことで、私は誰にも声をかけられず、壁の花として突っ立っていることになった。パーティのパートナーは早々にネリーの側にすり寄っていった。父が手配してくれたはずだったが、実情はネリーが用意したらしかった。女のことは女が手配するのがいいとか思ったのだろう。父が私のデビュタントを楽しみにしていたので、それを奪うのは忍びないとなすがままにしていたツケがこれだ。
早くこのパーティが終わらないかと考えていたところで、甘いテノールの声がした。
「失礼、初めてお会いしますね。ガーリントン公爵家のディルクと申します」
顔を上げると長身の美形が目に入った。赤毛に優しそうな垂れ目、騎士のように鍛えられた体格にすらっとした長身……田舎出身の私でもわかる。彼は社交界のスーパースター、ディルク・リバーソン・ガーリントンだ。
温厚な性格と誰にでも公平な態度の好青年、噂にたがわず悪評まみれの私にも声をかけてくれている。
「ファレンディル伯のガレーテ嬢ですよね? シャリアン子爵令嬢と従姉妹と聞いております」
「さようですわ。覚えていてくださって嬉しいです」
「王都は初めてとお聞きしていますが、お越しになった感想はいかがですか?」
ディルクは心地の良い声で私に色々と話しかけてくる。たくさんの令嬢の嫉妬の視線が私に刺さるが、悪評がバリアとなってこっちに来る猛者はいない。悪評の原因のネリーを除いて。
「ディルクさまあ! ガレーテにも話しかけるなんてお優しいですわね!! やっぱりネリーの従姉妹だから気になりました?」
ディルクの左腕に抱き着いて上目遣いに彼を見つめる。
「はは。ネリー嬢。あなたとは関係なく、ガレーテ嬢が気になっただけですよ。お衣装はネリー嬢の見立てですか?」
「え? いいえ違いますわ!!! 私が選ぶのならこんな貧相な衣装は選びません!! 本当にガレーテったらセンスがないんだから。言ってくれれば私が選ぶのに」
ちなみに父が用意したものだが、女同士は女で~みたいにネリーに頼んだのだろう。嬉しそうな父の手前、私は断り切れずに今に至る。
「落ち着いた色合いで私は好きですよ。もし、流行りのドレスがご所望でしたら私がプレゼントしても構いませんか?」
「な! ディルク様がガレーテを気にすることありませんわ!! それにディルク様が選ぶドレスは私の方が似合いますわよ!!」
「はは。ネリー嬢ならプレゼントしたいものが行列を成すでしょう。ガレーテ嬢は今日初めて来られたわけですし、ツテもないでしょうからお手伝いしたくなったのです。ガレーテ嬢、いかがですか?」
「はい、喜んで」
私が頷くとディルクは優しく微笑んだ。
■
私は人を見る目がある方だ。
多忙を極める父の補佐で人というものを観察してきた。
例えば、今の目の前にいるヴァイストリング伯のランベルトはいいやつだ。寡黙で無表情だが、さりげない優しさがある。商売は別だが。
「シュルネ鉱山採掘権は2000金貨で手を打とう」
「うーん。まあまあ妥当な線ね。それじゃあ次はローマーズ工業の新商品よ。最高のゴルス鉱石を誂えた弓なの。狩猟大会に向けて需要が増えるはずだから100本10銀貨でどうかしら」
「ふむ。確かに需要が見込めるからな、いいだろう」
「お揃いの短剣と長剣はそれぞれ100本30金貨」
「短剣長剣弓をセット売りにするから、合計で50金貨に負けろ」
「無理よ。60金貨は?」
「54金貨だ」
「57金貨はどう?」
「……55金貨」
「それで」
ひとまず商談はまとまり、私とランベルトはティーブレイクにした。ここは王都にあるファレンディル伯爵家が出資しているティーハウスだ。
王都は令嬢としては初めてだが、仕事では何度も来ている。父の事業とは別に設立したローマーズ工業、これが私の宝物だ。高品質で強靭な武器は騎士団や傭兵団、商会の用心棒たちに重宝されていた。
「そういえばお前の話で社交界はもちきりだったぞ。まさか俺が外国に行っている間にデビュタントをするとは思わなかった」
「父が母のデビュタントした日に合わせたいって言ったからなのよ。私も忙しかったし、父が喜ぶと思って全部任せたらこんなことになっちゃったわ。パートナーだけでもランベルトがいいって言えばよかった」
「……それなら、今度仕切り直しするか? ウチのパーティで大々的にやれば箔もつく」
デビュタントはどこのパーティでお披露目したかが重要になる。二度目のデビュタント……はあまり聞かないが、病欠した令嬢などの救済措置として行われる。
「いいの!? 嬉しいわ!!」
「なら、こちらで手配もしておく。あと気になっている話があってな」
「なに?」
「その、お前が……ガーリントン公爵家の嫡男を誘惑しているとか……」
「あー、まあ、そうなるわよね」
「そうなのか!?」
「あちらから服を買ってくれるって持ち掛けてくれたから受けただけよ」
「ディルクの野郎に気があるのか?」
「まさか。彼にウチの商品を使って貰えばいい広告塔になると思わない?」
「なるほどな……俺はてっきりあいつにほだされたのかと」
「服を買ってもらったお礼に剣をプレゼントするのよ。社交界のスーパースターが身に着けている品物よ? ただで最高のモデルが雇えるのよ!!おーほほほほほ!!!」
「全くお前らしいな。でも、ディルクは公爵家の後継者で資産も地位も顔もパーフェクトだ。婚約相手として最高だぞ?」
「あーそれねえ。社交界で孤立している私にわざわざ近寄ってくるのが胡散臭いのよ。底抜けにお人好しでいいやつっていう線もあるけど、あの人、目が全然笑ってないのよね」
ディルクは危険だと私のカンがささやいている。もちろん、広告塔としてはパーフェクトなので、存分に利用させてもらいたい。がその前に……
「一応、調査をお願いできる?」
ランベルトの商会は裏で情報屋もやっている。各地に散らばった商人たちの情報は確かなものだ。
「いいだろう。今回は特別に無料で請け負う」
ランベルトはそう言いながらウチの自慢の紅茶を口に含んだ。
■
女は嫌いだ。
うるさくて欲望に塗れた存在に何の価値がある。
だからこそ、質素で控えめで大人しく従順そうなガレーテに目を付けた。飾り気がないため皆は気付いていないだろうが、あれは磨けば光るダイヤの原石だ。一流のテイラーと美容師にゆだねれば王国一の美女になるだろう。
それにファレンディル伯爵家の潤沢な資金も魅力的だ。今回、彼女が参加しているからという理由で、小規模の……たかが子爵家のパーティに参加した。
「お坊ちゃま。ご機嫌ですね。何かありましたか」
「狩り甲斐のある獲物が見つかった」
ディルクはいつもの優しい顔とは違う、冷たい笑顔を浮かべた。長年仕える執事は慣れたもので驚きもしない。
「せいぜい結婚前は優しく接してやるさ。思いっきり甘やかして贅沢をさせてやって、都合のいい夢を見せてやる」
手中に落ちてきたら後は妻という地位だけを与え、適当な屋敷に幽閉すればいい。狩った獲物に餌をやる気は毛頭ない。
「まったく!!伴侶がいないと後継者候補から外すなどと祖父殿も余計なことを言い出しやがって」
ディルクは爪を噛んだ。
彼はずっと扱いやすい駒が手に入ることを待っていたのだ。
■
朝、私のタウンハウスにネリーがいきなりやってきた。ずいぶんとめかしこんで、滅多につけない極上のダイヤのネックレスもつけている。
「ガレーテ。ディルク様の迎えの馬車が今日来るんでしょう?」
「ええそうよ。耳が早いわね」
今、私は唐草模様のドレスをつけている。地味だが、落ち着いた雰囲気が頭を冴えさせる。仲の良い友人と行くなら浮かれた装いをするが、今回は一種の商談だ。歩く広告塔にウチの商品を身に着けさせねばならない。
「あいかわらず地味ね。そんな恰好でディルクさまの相手が務まると思うの? あの方には私が相応しいわ」
「まあ、そうかもしれないわね」
ネリーも社交界の華だ。ウチのアクセサリーを身に着けさせれば広告になる。モデル×モデルの組み合わせはいいかもしれない。……が、ネリーの素行の悪さは頂けない。ほかに見目が良くて素行が良い令嬢は居ないものか。
「なら決まりね。今日のお誘いは私が行くわ。あなたは寝込んだって話しておくから」
「え!! ちょっとそれは困るわ!!」
大切な商談が!!! モデル獲得が!!
「ふふん。あなたは指をくわえて待ってなさい」
そうこうするうちに家令が来客を告げにきた。ネリーはさっきの大立ち回りが嘘のように小動物のように大人しくなった。この変わり身の早さはさすがとしか言えない。しかし、やってきた人間の顔を見てネリーは仏頂面をした。
「ガレーテ。……あとそちらはシャリアン子爵令嬢か」
「そうだけど、あなた誰? 見たところジェントリー階級のようだけれど勝手に呼ばないでくれる?」
ネリーは居丈高に言った。いくら見目が良くてもネリーにとって身分がすべての彼女らしい態度だが、
ランベルトは貴族名鑑にしっかりと記されているれっきとした貴族だ。
「ネリー。彼は貴族よ。ウチと長い付き合いなの」
「へえ。仕事仲間なのね。私が知らないんですもの、どうせ大した家柄でもないでしょう。没落貴族かしら」
興味なさそうな顔でネリーは言った。そしてその後、にっこりと笑った。
「あなたたちお似合いね」
「え?」
「……ゴホンッゴホン」
ネリーの言葉に私は驚き、そして私以上に驚いたランベルトがせき込む。
「凄いわねえ。ガレーテ。ディルクさまに誘われた日に男性を家に招き入れるなんて令嬢のふるまいじゃないわ」
「ランベルトは仕事相手よ?」
「実情はそうでも、他の人はそう見ないってだけのことよ。家に招き入れる仲だもの。あなたの評判は地に落ちたわね。家門の恥よ」
「私が……家門の恥……」
ネリーの言葉に私は時を失ったように固まった。家門を守り、発展させるために努力をしてきた私が『恥』になる。
沈黙した私にネリーは勝ち誇ったように笑った。
「ディルクさまのお誘いは私が行くわね。あなたはそこの没落貴族とデートでも楽しみなさいな」
ランベルトを揶揄してネリーは言い、今度こそ来たディルクの迎えをモノにするために出て行った。
「……はあ」
思わずため息が出る。淑女教育の重要さを今更知ることになるとは。
「その……ガレーテ。だ、大丈夫か?」
「……まさかネリーから正論を言われるとはね。ゴルシュ船団との交渉が決裂した以来のショックよ。盲点だったわ」
母が生きていたら教えてもらえていただろう。母が居たら……。昔は何度も考えたことがある。寂しい時、心細い時、雷が怖い時……だが、私が悲しんでいると父が本当に辛そうな顔をする。
『母さまがいなくて寂しい思いをさせてしまうな』
父がすまなさそうに私の頭を撫でる。決まって私はこういう。
『平気よ。だってこの土地はお母さまそのものだもの。お母さまが大好きだったこの領地を私がさらに豊かにするわ』
そう言って自分を奮い立たせて父を励ました。
私たちが倒れれば、領地は荒れて事業が立ち行かなくなる。母が愛したこの土地と事業をずっと守り抜くのだと心に決めたのだ。
しかし、その盲目ぶりが淑女教育の欠如という失態を招いた。
「思えば私の悪評を野放しにするのも悪手なのよね。ケチのついた家門の事業を周囲は好意的に見ないだろうし……。これはもう大々的にお茶会を開いて払しょくするしかないわね。ファレンディル伯爵家のサロンに行きたいと皆が思うようなイベントを企画するのよ!!」
圧倒的なブランド力と高品質で顧客のハートをつかんではいるが、新規顧客の獲得の障害になりえる。
別の方向で悩みだしたガレーテを見てランベルトは吹き出す。
「いつもの調子が戻って来たな。それでこそお前だ」
「ありがとランベルト。あ、ごめん。自分のことばかりでランベルトの用事を聞いてなかったわよね。何かしら」
私が言うとランベルトは少し口ごもった。割とはっきり言うタイプだから少し驚く。
「ディルクの調査結果を伝えに来た。裏を取るのに時間がかかってすまない」
「急ぎってことはなかなかにヤバイやつだったの?」
大犯罪でも起こしていたのだろうか。
「いやそういう類じゃない、ディルクは事業の失敗で当主から後継者の資質を疑われている状態だ。一発逆転を狙ってラガル地方のラシャル鉱山を買収しようと動いている」
「ああ、リガト鉱石が狙いね」
リガド鉱石は宝石としての希少価値がとても高い鉱物だ。ダイヤにも似ているが、決定的な違いは蓄光性を持っていることだ。夜に身に着ければキラキラと輝いてとても美しい。
「ラシャルの近くでリガド鉱石が発掘されたから、その選択は間違っていないけど、ウチも入札しているから資金難の彼が取れるとは思えないわね」
「あいつもそれくらいはわかっているさ。だからこそ、君に狙いを定めたんだろう。ファレンディル伯爵家と縁を結べばそれだけで公爵家にとってプラスだ。後継者としての地盤は揺るぎないものになる」
「なるほどねー。従姉妹に悪評をばらまかれてじっと耐えている哀れな子……。頼れる友人知人は居なくて孤立しているなんて駒としてかなりの逸材よね」
私はパーティでのディルクの視線を思い出した。笑っているが冷たい目……あれは獲物を狩る目だ。
「まあ、結果として君じゃなくてシャリアン嬢が行くことになったわけだが、どうなるかな」
「ネリーは強かだから大丈夫だと思うわ」
あの図太さは正直羨ましくもある。
■
門の前でディルクは困惑する。
「シャリアン子爵令嬢……。私がお誘いしたのはガレーテ嬢なのですが、何か彼女にありましたか?」
「ディルクさま。わたし、ディルクさまがお可哀そうで……。あの子、実は男の人と逢引きしているんです。ディルク様とのデートの前にですよ!? 私もう、信じられなくて……」
グスングスンとネリーは涙を見せる。もちろん嘘泣きだ。
「逢引き……男と……?」
ディルクはガーンと頭を打たれたような衝撃を感じた。しかし、彼はネリーの言葉を鵜呑みにはしなかった。
(……ガレーテ嬢の悪評はこの女によるものだ。つまり、これも彼女を陥れるための罠だ)
「ネリー嬢、別に私とガレーテ嬢は婚約しているわけではないので問題はありませんよ。むしろ、お相手がいるのに申し訳ないことをしました。これは直接謝罪をせねばいけませんね」
ディルクの言葉にネリーはむっとした。可愛い自分とデートするだろうと意気込んでいただけに彼女のチンケなプライドが傷ついた。
「そ、そんな必要はございませんわ! 私が知らないような平凡な貴族ですもの!!」
「紳士として当然の務めですよ。私のせいでガレーテ嬢が誤解をされているかもしれませんからね。こういうのは早い方がいいんです。早速行きましょう!!」
ディルクはそう言ってネリーが止めるのも聞かず、屋敷の中に入った。そして、家令から連絡を受けたガレーテはランベルトを伴って応接間でディルクとネリーを出迎えた。
■
ランベルトと私、ネリーとディルクという不思議な組み合わせで席に座った。なぜ戻って来たのかわからない私はどうにも居心地が悪い。
「ガレーテ嬢はすでに懇意の男性がいらっしゃったんですね。知らないこととはいえ、大変失礼しました」
ディルクは人好きのする笑顔で言ったが、唐突のセリフに私は面食らう。すかさずネリーは言った。
「と、とても長い付き合いですのよ!! 今朝聞いて私も驚きましたの!!!」
いやそうだけど、それは仕事の付き合いって知っているでしょうに。
「そうなんですかガレーテ嬢」
「確かに長い付き合いですが、ランベルトとは」
「婚約間近の仲です」
ランベルトの突然のセリフに私は吹き出しそうになった。
ディルクの表情が少し曇る。
「初耳です。そうなんですか?ガレーテ嬢」
「そ、そうですわそうですわ!!! この方とガレーテは結婚するんですわ!!」
ネリーが代わりに答えた。その慌てようでなんとなく読めた。ネリーはきっと私が男性と逢引きしているからデートに来られないと吹き込んだのだ。
しかし、ネリーはともかく、ランベルトの行動はよくわからない。かといって否定してもややこしくなるし、肯定しても婚約者がいながら男の誘いに乗った悪女となってしまう……。どうしようか。
少し悩んだあと、私は決めた。ランベルトの案に賭ける。
「はい。不道徳と思われても仕方がありませんが、ディルク様のお誘いは絶好の商談の機会だと思ったのです。社交界の華であるあなたにローマーズ工業の武器一式を使って頂ければこれ以上ない宣伝になるかと思いましたので」
私の言葉にディルクは目を丸くした。
「ローマーズ工業……あの、騎士団や軍部御用達の工房ですよね」
「はい。私が立ち上げた商会です。半年後の狩猟大会に向けた新商品があるのですが、ディルク様に使って頂ければ話題を呼ぶと思ったのです。もちろん、モデル料はお支払いします」
「……ロ、ローマーズ工業の製品は私も愛用していますが、少し頭が追い付かず」
ディルクは頭を抱えた。笑顔の仮面がはがれて当惑した表情が現れる。震える声で彼は言った。
「工業の代表がガレーテ嬢……なのですか」
「はい」
私が答えるとディルクは力なく笑った。
「素晴らしい経営手腕ですね。経営に携わっていたからこそ、あなたの凄さがわかります。……モデルの話は前向きに考えたいと思います。他の商談も相談に乗って頂けますか」
「もちろんですわ」
にこっと笑う私にディルクは小さく微笑んだ。そしてランベルトへ視線を向ける。
「さすが鬼才と呼ばれるヴァイストリング伯ですね。彼女をいち早く見出した慧眼が羨ましいです」
「今をときめくガーリントン公爵の公子にそう言って貰えて光栄だ」
ランベルトはそう言って笑った。
■
私のローマーズ工業が製品を作り、試作品をディルクが使ってランベルトの商会が売りさばく。この三角関係は上手く行った。ディルクの事業が息を吹き返した今、ディルクは金もあり身分もあり、外見もパーフェクトの貴公子に出来上がっていた。
彼のおかげでウチの製品は飛ぶように売れた。武器だけでなくアクセサリーも売れ行きは好調だ。
そして事業がだいぶ落ち着いたころ、令嬢たちの憧れ、ダルディアン公爵夫人主催のパーティで私は正式なデビュタントを果たした。女性初の当主、そして圧倒的なファッションリーダーの彼女は国外にも名が知れたスーパースターだ。
夫人とセンスのいいディルクが手配したテイラーや美容師のおかげで私は皆が驚くほどの美人に仕上がった。ランベルトは元々美人だったというけれど、私としてはあまり実感がわかない。
だけれど、皆から贈られる万雷の拍手を耳にすると嬉しさがこみ上げてきた。
ダルディアン公爵夫人は最後に私の頬にキスをして祝福してくれた。
デビュタントは大成功に終わり、その効果はすぐに現れた。私の衣装やそれに使用した宝石などがマガジンにも掲載されて注文が殺到した。
それだけではなく、以前、私の悪口を言っていた令嬢たちが門の前に列をなして謝りに来たのだ。
ちなみにネリーも来たのだが、それは謝罪ではなく罵倒のためだった。
「な、なんであなたがダルディアン公爵夫人のパーティでデビュタントできるの!?それにあなたは既にウチでやってるでしょう!!」
噂を聞いたネリーが我が家に怒鳴り込んできた。しかしタイミングが最悪だった。ここにはそのダルディアン公爵夫人も私の父もいる。
「ああ、この方が例の人ね」
夫人の声は大きくはないがよく通った。
「ま、まあ。夫人。おいでとは存じませんでした。覚えていて下さって嬉しいですわ」
ネリーはさっきまでの形相を引っ込め、可愛らしい笑顔を向けた。
「いやでも覚えますわよ。下らない噂を流した張本人なのですからね。あなたのせいで社交界に耳汚い言葉が飛び交って不快だったわ」
「え?……な、何のことでしょう」
ネリーはオドオドしていった。知らない人間が見たら哀れな小動物のように見える。
「ネリー。調べはついているんだ。お前、ウチのガレーテを貶して回ったそうじゃないか。お前を信頼してガレーテを託したのに、子爵家への援助の恩も忘れて仇を返すとはなんという悪女だ!」
父が目を吊り上げて怒鳴る。ネリーをもう一人の娘のように可愛がっていた父だが、ネリーの悪行に立腹している。
「……ガレーテ。あなた告げ口したわね!! ダルディアン公爵夫人をどうやって味方につけたのよ!きっと卑怯な真似をしたんでしょう!!」
ネリーは私に対して怒鳴る。しかし、そこへ割って入ったのはランベルトだった。
「ガレーテは何もしていないさ。元凶と言えば俺だな」
「没落貴族ふぜいが偉そうになによ!!」
ネリーの言葉に私の父は目を丸くし、ダルディアン公爵夫人の目がピクっと動いた。
「私の息子が没落貴族などと……面白い冗談ですね」
「む、むすこ……? え、でもヴァイストリング伯って」
「私が持つ爵位の一部を息子であるランベルトが継承しているだけですよ。そしてあなたは、息子だけでなくそのパートナーも侮辱しました。これは我がダルディアン家門を敵にしたといっても過言ではありませんね」
ダルディアン公爵夫人が私の父に確認を取る。
「もちろん構いません。夫人にすべての処罰をお任せします」
二人の会話でネリーは自分が地獄の門を自ら開いたのを悟ったようで、泣きながら謝罪した。しかし、謝る相手が違うだろうとランベルトに一喝された。
■
「ディルクおめでとう。後継者の座は死守できたわね」
新企画のお披露目パーティで私はディルクに声をかけた。今回の事業はディルクも一枚嚙んでいる。彼が手掛けているのは新素材を使った衣服で私たちの宝石と併せて売るのだ。衣装カタログから一着、宝石カタログから三点を自由に組み合わせて、お値段ポッキリ50銀貨。目新しさが話題を呼んで注文が殺到している。
「君のおかげだよ、ガレーテ。祖父から初めて褒めてもらえた」
「それは良かったわね。こっちもあなたのおかげで大もうけして笑いが止まらないわよ」
私が微笑むとディルクははにかみながら笑う。初めて会った時とは違い、彼は人間味がある笑い方をするようになった。
「そういえば縁談がひっきりなしに来ているそうだけど、誰か決めた?」
「……いや、まだ」
「悩むわよね。気になる人ができたら教えてね。最高品質のローマーズジュエリーを押さえておくわ」
「ガレーテ、君こそどうなんだ? ランベルトとの縁談は進んだかい?」
「それなんだけど、お互いが忙しくて時間が取れないのよね。やりたいこともいっぱいあってどうしても後回しになっちゃうのよ」
私が言うとディルクは君らしいと笑った。
「早くしないと誰かに奪われてしまうよ」
「まあそうよねえ。ランベルトはカッコいいし、実力もあって個人の資産もたっぷりあるものね……本当はね。ランベルトが婚約を言い出したのは私をネリーから守るためだって知っているから、あまり自分から進めるのも気が引けるの」
私が言うとディルクは少しだけ目を伏せた。
「まったく。そろそろランベルトに発破をかけないといけないらしいね」
「え?」
私が聞き返すと、ディルクはその視線を向こうにやった。
「ランベルト。私の言いたいことは分かるよな」
彼の視線の先にはランベルトがいた。
「……ああ」
「来賓客は私が請け負うから、君たちはテラスでゆっくり過ごしているといい。顔を会わすのは久しぶりだろうからね」
ディルクがそう言うと中央へと去っていった。
入れ違いにランベルトがやってきて私に囁く。
「一緒に……来てくれ」
なんとなく気恥ずかしくなりながらも、私はランベルトに続いてテラスに出た。満天の星は今にも降ってきそうな宝石のようだった。
■
ローマーズ工業は新進気鋭の大会社だ。質の良さと販路の広さで顧客を集めている。設立者は表に出ず、長年ベールに包まれていたが、『若いらしい』という噂で私は勝手にライバル視していた。
しかし、使いやすい製品は私の愛用品になり、ペーパーナイフや栓抜き、カフスボタンやカミソリ、身の回りのものはローマーズで固めた。
一体だれがこれを世に送り出しているのか。
ライバルといいつつも私は崇拝に近い思いを設立者に抱いていた。
事業が失敗してからはさらに拍車をかけた。会社を大きくするために設立者はどれだけの苦難に打ち勝ってきたのだろうか。
もはやライバルどころではなく、ローマーズは私の憧れだった。
だから、ガレーテがその人だと知った時、私は自分の考えが間違いだったと気づいたのだ。
女が嫌いなのではなく、『人の悪口を言い合い、やかましくて贅沢ばかり考える』女が嫌いなのだとわかった。
思えば、パーティ会場で控えめで大人しい彼女を見たときからガレーテに恋をしていたのかもしれない。
そのことに気づいてから、彼女が恋しくてたまらなくなった。
だが、悪意を持って近づいた私に彼女に愛を伝える資格などない。
私にできるのはガレーテが幸せになることの手助けだ。
そのために私はガレーテをこの世で一番幸せにできるランベルトをけしかける。
彼女の幸せを願って。
■
勝負はタイミングがすべてだ。
一歩間違えると取り返しのつかないことになる。
俺とガレーテは昔からの付き合いだが、いつ、どこで彼女に惚れたのか皆目見当がつかない。だからこそタイミングがつかめなかった。今日こそはと意気込んでもガレーテはいつも新しい企画を持ってきて俺をワクワクさせる。
それに気を取られて俺はいつも言いそびれていた。
ネリーがガレーテの悪評をばらまいていたことは知っていた。だが、それを本気にしている人間はほぼいなかったし、人の悪口を楽しむ下衆たちという狭い世界の話だと考えてしまったのだ。
ガレーテなら大丈夫、問題ないと思ってしまった。むしろ、下手に助けを出すことが彼女への侮辱になるとすら思った。
そしてそれが過ちだと知ったのは、ガレーテが家門を気にして涙を見せた時だ。彼女は強いと思い込んだ俺の過ちだ。
だからこそ、今度こそ間違わないように彼女を守ろうと心に決めた。
ディルクをけん制するために婚約の話を出した時はやりすぎかと思ったが、あいつの目は獲物……というよりは恋をする人間の目に似ていた。きっとあいつすらも自覚していない淡い恋だが、それを実らせるわけにはいかない。大切なものを大切だと自覚しない奴はきっとガレーテをひどく傷つけてしまうだろうから。
しかし、それは過去の話。
今のディルクならガレーテを幸せにしてやれるだろう。俺が一歩踏み出せないのは、ガレーテの気持ちがどこにあるかわからないからだ。
二人が思いあっているのだとしたら、俺はガレーテを不幸にしてしまう。
そんな心を見透かしたように、ディルクは俺に発破をかけた。
皮肉な話だが、彼がくれたチャンスで俺はようやく自分の本心をガレーテに言うことができた。
「婚約の話はね。とっても驚いたけれど嫌じゃなかったわ。ランベルトとの話はとても楽しいの。アイディアが泉みたいに溢れてきて、それをランベルトと一緒にやるのが本当に好きなの。だから、あなたが私を好きと言ってくれて嬉しいわ」
彼女は微笑んでそう言った。
俺は改めて彼女の前で跪き、最高級の宝石をあしらった指輪を彼女にプレゼントした。
「一緒に幸せになろう」
「ええ、もちろん」
そう笑った彼女の笑顔に俺はまた恋をするのだ。