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その3

当初の想定よりボリュームがでかくなりました。一応、最初にお知らせしたとおり、四話で終わらせるつもりではありますが、一つ一つのエピソードがかなり長くなりそうです。

地道に情報を集め、推理を重ねていく彩佳たち。果たして真相に辿り着けるでしょうか。


「……で、夜通しイチャイチャしまくって、気がついたら二限が始まる時刻まで寝過ごして、そのままここに来たってこと? 朝チュンならぬ朝チューってか。いや、朝にやったわけじゃないから違うか」

「「…………」」


 読書スポット探求団の団長、羽曳野菜摘に言われて、急激に恥ずかしくなったわたしと美紗は、揃って赤面して黙り込んでしまった。この反応だけで、菜摘は全てを察した。


「朝にもやってんのかよ。もうお前らさっさと結婚しちまえ。ご祝儀に千円くれてやる」

「少なっ」


 思わず反射的に突っ込んでしまった。子どものお小遣いか。いや、最近は小学生でもお小遣いにこの額は少なすぎるぞ。

 色々ありすぎた昨日から一夜明けて、とんでもなく寝坊したわたしと美紗は、慌てて身支度してマンションを出た。しかし、もう二限目の講義に間に合わないと途中で悟り、諦観したわたし達は講義を欠席することを決め、遅めの時間でガラガラになっている学食で遅すぎる朝食をいただき、その足で読書スポット探求団の部室に向かった。

 それにしても、わたしは髪の寝癖を直せていない箇所が残っているうえに、ファンデーションも塗布が不十分なせいで、肌の色の悪さが隠せていないというのに、同じくらい時間がなかったはずの美紗は、メイクもヘアセットもネイルもいつも通りにきっちり決めている。ギャルのお化粧にかける情熱、恐るべし。

 さて、部室に来てみると、部長もとい団長の菜摘だけが来ていた。どうも最近、部室で他の部員はこの人しか見ていない気がする。菜摘は、服も髪もヨレヨレのわたしと、きっちり見てくれを整えた美紗が、一緒に部室へ来たのを見て、昨日から朝にかけて何かがあったと瞬時に察した。説明を求められてわたしと美紗が今朝のことを話したら、先述したとおりの反応である。


「なあ、お前ら本当に付き合ってないわけ?」

「まあ、そうですね……」

「わたしはいつでもそうなるつもりでいますけどね」ピタッとわたしに寄り添う美紗。

「……エッチなことはしてないの?」

「いいえ!」両腕でバツを作る美紗。

「団長、セクハラで訴えますよ」

「なんだよ、ただの知的好奇心だろー」

「性的好奇心の間違いでしょうが」


 大切な美紗とただれた関係になりたくないわたしに言わせれば、菜摘の問いかけはセクハラ以外の何物でもない。苛立ちと侮蔑を込めて、わたしは手を前に突き出してサムズダウンを見せつけた。ガッデムだこの野郎。


「ちえっ……全く、ラブラブで羨ましい限りだよ」

「羽曳野部長の場合、ラブすら理解できるか怪しいレベルですからねぇ」

「やかましいぞ、美紗。それと私のことは部長じゃなく団長と呼べといつも言ってるだろうが」

「失礼しました、部長」

「いい根性してんな、お前」


 美紗と菜摘は根本的に反りが合わないというか、美紗自身、あまり菜摘のことを好意的に見ていない。別に嫌っているわけではないが、美紗にとって菜摘は、駄目な年上の見本みたいな存在で、ぞんざいに接することに一切のためらいがない。もっとも美紗は、家族とわたし以外で、必要に迫られない限り、誰かと良好な関係を築こうとしない節があるが。


「それより、蓮華のことで分かったことがあるんだって? 連絡を受けたからここで待っていたのに、なかなか来ないからどうしようかと思ってたよ」


 そうなのだ。実は昨日、お風呂から上がって寝る前に課題を進めている途中で、菜摘も蓮華のことを気にかけていたことを思い出し、探求団の他の団員にも話しておこうということになり、LINEで部室への集合を呼びかけたのだ。本当は二限目の講義が始まる前に話を済ませるつもりでいたが、肝心のわたし達が寝過ごしたために……。


「ずっと待ってたんですか、団長?」

「そりゃ、音沙汰のなかった新入生について分かったことがあって、LINEじゃ要領を得ないから直接話すって言われたら、来るに決まっているだろう? まさか言い出しっぺが寝坊して遅刻するとは思わなかったけどな。私のゼミが午後からでよかったな」

「なんかすみません……でも、グループLINEに送ったのに、来たのは団長だけですか」

「そうなんだよ。最初からここにも来やしない。どうせ掛け持ちしている部活とか学業の方を優先したんだろ。薄情な奴らめ」


 学業を優先するのは本来、学生として正しいことなのでは……と思ったが言わないでおいた。寝坊したために講義への出席を諦めたわたし達が言っても、説得力はない。


「そんで? 蓮華のことで何が分かったんだ? 現在の居場所でも分かったのか」

「いえ、それはまだ……今のところ、警察が必死に探していますけど」

「……捜索願を出した、ってわけじゃなさそうだな。蓮華に何があった?」


 菜摘はなかなかに勘が鋭く、今回の事態によからぬことがあると察してくれた。蓮華から謎のメッセージが来て以降の、わたしと美紗が知った、蓮華に関する情報を、わたしは時系列順に説明していく。休学届、蓮華のスマホへのメッセージ、蓮華の住んでいるマンションを特定したこと、部屋の前に来ていた謎の男性、詐欺組織、逮捕された受け子、直前に連絡を取り合っていた蓮華に共犯の容疑……ざっとこれだけの情報を話した。

 全てを聞き終えた菜摘は、しわの寄った眉間に手を当てて、厳しい表情になった。


「闇バイトで詐欺の受け子か……なるほどなぁ。想像以上に厄介な事態だ」

「どう思います?」美紗が菜摘に尋ねる。「本当にあの蓮華ちゃんが、詐欺に加担していたと思いますか?」

「知らんよ。少なくとも彩佳の話を聞く限りでは、状況証拠と呼ぶのもおこがましいレベルの根拠しかなくて、蓮華が本当にそんなことをしたとは到底断言できない。だが、否定する根拠もない。蓮華が詐欺に加担していたと仮定すれば、どれも説明がつけられるのは確かだからね」

「そうかもしれませんけど……」

「仮に蓮華が詐欺の受け子をしていたとするなら、初犯でも良くて執行猶予付きの実刑判決ってところかな。ああ、でも十八歳なら法律上は特定少年ってことになるから、まだ少年法の範囲内か……組織的な詐欺犯罪ではあるけど、中心人物じゃなく受け子で初犯なら、可能性が高いのは少年院送りかな。検察に送られて起訴されないなら、実名報道は避けられるでしょう」

「部長、詳しいですね……」

「ニュースとかを見て気になったことはとことん調べる主義でね。それと私のことは団長と……いや、今はどうでもいいや。ただ、もしそうなれば大学は蓮華を退学にするだろうし、うちのサークルも、蓮華を除名処分にするしかなくなるね」

「そんな!」

「だけど」


 その接続詞を境目に、ここまで厳しい表情で冷静に状況を分析していた菜摘が、ふっと緊張から解放されたような柔らかい顔つきになった。


「個人的で感情的なことを言えば、蓮華はそんなことをしてないと思う。あの子は間違っても、詐欺に加担することはおろか、怪しげなバイトに手を出すこともしない。私はそう信じてる」

「部長……うん、わたしも同感です」

「まあ、蓮華をよく知らない連中が納得するほどの、たいした根拠なんてないけどな。ところで、さっきから彩佳は何を探しているんだ?」


 菜摘は首をかしげて、誰にともなく問いかけた。実はさっきから菜摘と会話していたのは美紗一人で、わたしは事情を説明した後、部室の本棚にしまってあるファイルを、手に取ってはパラパラとめくって棚に仕舞うという行動を繰り返していた。きょう部室に来たのは、蓮華に関する情報を他の団員に伝えるためでもあるが、本命はこっちである。

 調べ物に集中しているわたしの代わりに、美紗が答えた。


「たぶん、蒲之原ターミナルのことを調べているんですよ」

「蒲之原ターミナル? 受け子が幹部に小切手を渡す場所として、指定された所だな」

「わたしも彩佳も行ったことは無いんですけど、以前に彩佳が、ここでターミナルに関する情報を見たらしいんです。だから後輩ちゃんから、蓮華ちゃんのスマホに届いたメッセージの話を聞いたとき、不審に思ったみたいで。最初はその後輩ちゃん、短期バイトのお給料の受け渡しの話かと思ったみたいですけど……」

「ああ、確かに、給料の受け渡しのために、あんな所はまず指定しないよな」

「部長は蒲之原ターミナルに行ったことあるんですか?」

「一応あるけど、普段は全然使わないよ。私が住んでるところ、この大学から見て完全に逆方向だし」

「えっ、じゃあなんで……」

「あった、これだ!」


 ようやく目的の資料を見つけて声を上げたら、そこで二人の会話は中断された。背表紙が色褪せたバインダーを開いたままテーブルに置いて、二つ折りにされたA3サイズの一ページを開くと、蒲之原ターミナル付近の精密な地図が描かれていて、細かい書き込みや付箋があちこちにあった。


「すごっ、めっちゃたくさん調べてるじゃん」覗き見て驚く美紗。

「平日と休日、朝と昼間と夕方、色んな時間帯で人通りの多さとかを調べているね。落ち着いて読書をするなら、人通りは激しくない方がいいから……でもここには、最適といえるスポットはほとんどないみたいだね」

「つまり……?」

「指定された受け渡しの時間は、平日の11時半。思ったとおり、朝と夕方ほどじゃないけど、この時間帯はかなり人通りが多い。その一方で、付近には多くの建物が密集しているから、その分、人通りの少ない路地裏などがいくらでもある。逃走や移動がしやすいことと、受け渡しを目撃されるリスクを減らすこと。この二つを同時に実現できる、最適な受け渡し場所は、どこだと思う?」

「そりゃあ、ターミナルのすぐ近くの、路地裏じゃない?」

「うん。でも警察の話だと、実際に受け渡しがあったのは、六番バス停付近の電話ボックスの前だった。確かに、小切手だと分からないように封筒などに入れて渡せば、通行人に見られても怪しまれる可能性は低いけど、追って来た警察官が人ごみに紛れていたら、接近を察知するのは難しくなる。実際それで、受け子の方は簡単に捕まったわけだし」

「二年も組織的な詐欺をやっているなら、その危険くらいは考慮しているはずってこと?」

「そう。それなのに路地裏じゃなく、あえて人目に付きやすい電話ボックス前を選んだ。幹部の男性は恐らく、受け子よりも先にその場所に来て、小切手を持った受け子が合流するのを待っていた。人ごみの中で受け渡しの相手を探すのは大変だけど、バス停の番号や数の少ない電話ボックスは、いい目印になるからね。つまりこれは、追って来た警察官が紛れても気づきにくい人ごみの中で、受け渡しをすることが前提の計画ってことになる」

「なんでそんな面倒なことを……路地裏での受け渡しだと、何か都合の悪い事があったのかな」

「なんだろうね……」

「あんたら、そんなことを考えるために、わざわざ資料を漁りにここへ来たの?」


 菜摘は呆れたような口調でわたしと美紗に言った。まだいたのか……残りの団員には別の機会に説明すればいいから、もう菜摘が部室に留まる理由はないだろうに。


「ええ。以前に一度、ここで資料を見たきりでうろ覚えだったので。もっといい受け渡し場所があったはずなのに、なんでリスクを冒してまで人ごみの中で受け渡すことにしたのか、それが気になって……」

「その疑問は、解消すれば蓮華の無実が証明されたり、居場所が分かったりするものなのか?」

「……さあ? これが本当の知的好奇心です」

「はあ……」


 菜摘は俯き額に手を当てて、あからさまにため息をついた。彼女にとっては、蓮華が無事に戻って来ることの方が、優先順位は上みたいで、わたしはその事が少し意外だった。菜摘がここまで蓮華のことを気にかけていたとは。


「じゃあ、私からも、今の話で気になったことを三つ挙げる」

「えっ、三つも?」


 美紗は瞠目して声を上げた。わたしも驚いた……ここまでの話の中から、わたしの気づかなかった疑問点を三つも見つけ出した、菜摘の意外なまでの洞察力に。


「まず一つ目。ターゲットに接触した受け子は男女の二人組で、そのうち男の方だけが受け渡し場所に現れた。そうすると女の方……警察はこっちを蓮華と見ているが、そいつは小切手を受け取った後、なぜか別行動をとっていたことになる。一体どこに行ったんだろう?」

「ああ、言われてみれば……もう一人の受け子も一緒に来ていたなら、受け渡し場所に来た警察官は、その子の人相を見ていたはず。幹部の男性と同じように取り逃がしたとしても、人相を把握していたなら、わたしを受け子の共犯だと間違えるわけがない」

「なるほどー、確かにそうだね」うんうんと頷く美紗。「女の子の方はなぜか受け渡し場所に現れなくて、途中から別行動をとっていた。なんでだろ?」

「まあ、ターゲットを言いくるめるのは一人だと心許ないけど、小切手を幹部に渡すだけなら一人でも充分だから、ってだけかもしれないけど」

「でも受け子が勝手な行動をするのを、詐欺組織が見過ごすのかな」

「うーん……」

「二つ目は、その小切手だ」


 わたし達が疑問点を解消しきれていないことも意に介さず、菜摘は続けた。


「特殊詐欺で受け子がターゲットから回収するのは、現金かキャッシュカードと相場が決まっている。だが、その受け子が関わったのは不動産投資詐欺……偽の金融商品を用意して投資させ、その資金を掠め取る手口だ。投資ならお金の受け渡しは、銀行の口座間で行なわれるのが普通だ。小切手を使うことはおろか、受け子の出番すら存在しない」

「ああ、確かに」

「え? えっ、そうなの?」戸惑う美紗。

「それに投資の話で騙すのは容易じゃない。今は“貯蓄から投資へ”という流れが推し進められているけど、裏を返せば、日本はまだ投資が一般的じゃないってことだ。若者はNISAなどの少額の投資の方が馴染み深いが、不動産投資は基本的に金額が大きいから、ターゲットにされるのはもっぱら、それなりの資金を持っているお年寄りなどだ。だがそういう連中はほぼ例外なく、バブル崩壊を経験していて、不動産への投資には慎重になる。金を出すように促すには、事前に綿密な準備をしておく必要がある。何日もかけてそれだけの準備を重ねて、首尾よく資金を引き出す算段をつけながら、最後に使うのが小切手とは頷けない」


 事前の準備か……専用の架空会社(ペーパーカンパニー)と、それに紐づけられた銀行口座、偽の金融商品の資料に、偽の投資実績のデータ、すぐに思いつくだけでもこれだけは用意しておく必要があるだろう。これらを用意したうえで、時間をかけて説得しなければ、ターゲットは大金を出そうとは思わない。

 警察が被害者から直接聞いて確かめたことなら、不動産投資の話を持ちかけられて、多額の小切手を渡したことは事実だろう。問題は、どうしてこの詐欺で小切手が使われ、その結果としてバイトの受け子を遣わせることになったのか、ということだ。


「よく分かんないけど、振り込みじゃなく小切手じゃないとダメな理由が、何かあるってこと?」

「そうだね、美紗。小切手って確か有価証券だけど、換金できる期間が短いって聞いたことがある。振り込みだったら一発で手元に現金が入って来るけど、小切手は審査を受けて口座を開設して、物理的に受け渡しをして、銀行に行って換金してもらわないといけない。最後のこのステップを踏まないと、いずれ小切手はただの紙切れになっちゃう」

「それだけ聞くと、振り込みの方がどう見てもメリットあるよね。詐欺師からすれば、お金を手に入れたらさっさと手を引きたいだろうし」

「なぜ手間のかかる小切手を使おうとしたのか……うーん」

「そして三つ目。私はこれが重要な疑問点だと思っている」


 またも疑問点が解消されないうちに、菜摘は次の疑問点を指摘する。


「例の、詐欺組織の幹部だというスーツの男の行動だ。そいつはなぜ、一人で蓮華のマンションに来たのだろう?」

「え?」

「考えてもみろ。そいつが蓮華の部屋まで来たのは、蓮華が持っていると思しき何らかの記憶媒体を回収するためだろ。具体的にどんなデータが入っているのかは知らないが、蓮華の知り合いだという彩佳に、強めに詰問した様子から、表沙汰になると大変まずいものだと想像できる。本当に蓮華が持っているとしたら、蓮華はそのデータの価値を理解していて、詐欺組織への対抗手段として所持していると考えるべきだ。もし蓮華がまだマンションに留まっていて、詐欺組織の一員が押しかけてきたら、蓮華は間違いなく抵抗するか、必死に逃げようとするだろう。その時、幹部の男一人だけで、蓮華の身柄を確保して記憶媒体を回収することが、確実にできると思うか?」

「……確実とは、言い切れませんね。それよりは複数人で押しかけて、挟み撃ちにする方がよほど確実です」

「そうだよな。ということはその男は、たった一人で、どこにいるとも知れない蓮華の手から、大事なデータの入った記憶媒体を回収するという、無茶な役目を負っているわけだ。まるで、罰ゲームみたいだと思わないか?」


 罰ゲーム……? 何かヘマをしでかして、その罰として、一人で重要なデータを回収するよう命令されたというのか。命令を下すとしたら、木島拓也という偽名で受け子に指示を送っていた、ボス格の人物だろうか。しかし、詐欺そのものは成功して小切手は入手できているし、受け子が警察に捕まっても組織へのダメージは小さいはず。警察に顔が割れたことだろうか。いや、簡単な変装でいくらでも誤魔化せるだろうし、致命的なヘマとはいえない。

 それより気になるのは、菜摘がこの疑問点を重要視していることだ。


「確かに気になりますけど……このことって、他の二つに比べてそんなに重要ですか?」

「単なる想像だよ。そのスーツの男は、かなり焦って記憶媒体を探そうとしていたみたいだけど、それは記憶媒体の中身が重要だという以上に、その男自身も追い込まれていたということじゃないかな。だとすると、果たしてその男は、ただ純粋に組織に従順なだけの幹部だったのだろうか?」


 単なる想像といいつつ、菜摘は何らかの有力な可能性を、わたしに気づかせたいようだ。期待を覗かせつつ、口角を上げてわたしを見つめている。

 もし、ここまでに見つかった四つの疑問点を、一度に解消できる仮説があるとしたら、それはどんなものだろう。路地裏でなく人通りの多いターミナルのそばを選んだこと。二人組の受け子のうちの片方が途中で別行動をとったこと。振り込みでなく小切手を使ったこと。スーツの男が単独で記憶媒体の回収をするよう命じられたこと。このすべてが、木島拓也を名乗るボス格の人物の立てた、計画のうちだったとするなら……。


「……もしかして、そのスーツの男性は、詐欺組織から信用されていなかった?」

「ふむ」

「えっ、どういうこと?」


 菜摘は笑みを崩さず頷き、美紗は理解が追いつかず困惑している。


「蓮華ちゃんが持っていると思われている、詐欺組織の重要なデータが入った記憶媒体……その流出に、スーツの男性が関わっていると、組織が疑いを持っていたとしたら、どうでしょう? 故意なのか、過失なのか、どちらかは分かりませんが、その男性の行動が原因で、大事なデータが蓮華ちゃんの手に渡ったと、組織が見ていたとしたら」

「えっと、どこからそんな大それた発想が……?」

「だって、蓮華ちゃんが仮に受け子だったとして、詐欺組織の重要なデータにアクセスする手段が、蓮華ちゃんにあったとは思えないよ。データが何らかの記憶媒体にコピーされて、彼女の手に渡ったとしたら、内部の人間、それも重要なデータにアクセスできる権限を持った、幹部クラスの人間が、どこかで関与していると考えるべきだよ」

「お、おぉ……」

「詳しいことは分からないけど、組織は重要なデータが蓮華ちゃんの手にあると思い、それに関わったのがスーツの男性ではないかと疑った。もしわざと流出させたなら、明らかに組織への反抗だから、データは最終的に警察へ渡るようにしたいはず。ならば、何らかの形で警察と繋がっている可能性がある。先週の詐欺計画は、その事を確かめる目的もあったのではないでしょうか」

「ふうん」菜摘の笑みはまだ崩れない。「どのようにして確かめるつもりだったと?」

「まず、事前に投資の話を持ちかけたターゲットから、何かしらの理由をつけて、受け子を使って小切手を入手させます。その間、スーツの男性は蒲之原ターミナルそばの電話ボックスの前で、ずっと待機していました。受け子から小切手を受け取ったら、すぐ近くの銀行へ行くように指示されていたのだと思います。もし警察と繋がっているなら、銀行に行くまでの間に警察と接触して、証拠の小切手を手渡すだろうと踏んで……」

「なるほど。その様子を、ターミナル全域を見渡せる場所から見張っていれば、スーツの男が警察と繋がっているかどうかを、目視で確認できるわけだ。バスターミナルの付近であれば、高い建物はいくらでもあるし、その中で、誰でも自由に入る事のできるフロアがあれば、そこから見張っていただろうな。彩佳がさっき言ったとおり、バス停の番号や数の少ない電話ボックスは、いい目印になるからな」


 菜摘に言われて、わたしと美紗はもう一度、蒲之原ターミナルの資料に目を落とした。ターミナル付近にはいくつか、背の高い建物が存在する。このうち、誰でも自由に出入りできるフロアが、なるべく高い所に存在する建物は……。

 先に見つけたのは美紗だった。


「彩佳、これじゃない? ターミナルのすぐ隣にある百貨店! 五階はフードコートになっているって」

「確かにここなら、窓際の席から双眼鏡を使えば、ターミナルにいる人の動きを見張ることができる。五階なら、高さは大体二十メートルちょっとだろうし、充分、ターミナル全域を見渡すことができるよ」

「ターミナルにいる人の動きを見張るには、絶好のロケーションってわけね。さて、スーツの男を電話ボックス前に足止めして、高い所から動向を見張る、そんな計画が裏で立てられていたと仮定すると、もうひとつ疑問点が解消されるわね」


 菜摘の言いたいことはすぐに分かった。百貨店の五階からは、ターミナルの全域が確かに見渡せる。だがそれでも、死角が全くないわけではない。


「なぜ小切手の受け渡し場所を、路地裏じゃなくターミナルのすぐそばにしたのか。路地裏だと死角が多すぎて、どこから見張っていたとしても、すぐに見えないところへ移動されてしまうから、警察との接触があったか確認できなくなる、ってことです」

「うん。もちろん、ターミナルのような開けた場所で受け渡しをさせても、その後に路地裏などに逃げ込まれたら意味がない。だけど、小切手を受け取ってすぐ銀行へ行くように指示しておけば……」

「銀行へ行くのに、わざわざ狭く入り組んだ路地裏を通る必要はない。そんなところに行こうとした時点で、クロだと判断できます」


 わたしがもしどこかでスーツの男の動きを見張るなら、路地裏に逃げ込まれる可能性も考えて、よほどの理由がないと路地裏に行かないような状況を作ることも、計画に組み込んでおく。だから、小切手を受け取ってすぐ銀行に行くという、詐欺師なら不自然じゃない行動を指示したはず、とわたしは考えたのだ。もちろん、他にもいい方法はあるかもしれないし、実際にそんな指示があったかは知らないが。


「さらにもうひとつ」菜摘が人差し指をピンと立てた。「お昼どきのフードコートなら平日でもそれなりに混雑するから、同じ席に長時間居座ると、店員や他の客の記憶に残りやすくなってよろしくない。見張り役は、小切手の受け渡しが行なわれる11時半までに、フードコートに来ればいいのだから、時間ギリギリまで別の場所にいてもいい。確か、受け渡しの前に単独行動をいきなり始めた人が、話の中にいたよな?」

「二人組の受け子のうち、途中から別行動をとっていた女の子の方ですね」

「えっ、まさか……!」驚く美紗。「その子がフードコートで、スーツの男を見張っていたっていうの?」

「自転車やバイクなどを使って、男の受け子より一足先にターミナルに来て、急いで百貨店に入ってフードコートの窓際の席に座った……多少はバタバタするけど、ターゲットと受け子の会っていた場所がターミナルから離れていれば、できなくはないと思う」

「それに、さっきも言ったけど、不動産投資の詐欺は慎重に進める必要があるし、ターゲットには嘘でも専門的な説明をしなければならない。とてもじゃないけど、バイトで雇った受け子にやらせるのはリスクが高い。受け子の役割は小切手を受け取ることだけだが、それより前に専門的な説明をターゲットにしていたのは、この手の詐欺に慣れている別の人物だったはずで、突然別の若い人が小切手を受け取りに来たら、第三者が掠め取るつもりなのではと疑われてしまう。以前に説明に来ていた人物も、受け子に同行していたと考えた方がいいし、そいつは間違いなくバイトじゃなく、組織の正規メンバーだ」

「組織の正規メンバーなら、裏切りの疑いのある幹部の見張りを任されても、不思議はありませんね……」


 ここまで、二つの疑問が解消された。さらにここからもうひとつ、菜摘が重要視していた疑問も解消できるようになる。


「そして見張りの結果、スーツの男性は警察と繋がっていないことが分かった」

「そりゃそうだよね」と、美紗。「その男は二度も、警察が来てすぐに逃げ出しているんだから」

「つまりデータの流出は故意でなく、過失によるものだと判断された。裏切り者の疑いは晴れたけれど、その男性のミスで、大事なデータが外部の人間の手に渡ったのは確かで、何かしら責めを負わないわけにはいかなかった。だからその男性だけが、データを回収する役目を押しつけられた」

「まさに罰ゲーム。自分のミスは自分でけじめをつけろ、ってことね。まあ、ヤクザとかと比べたら、かなりマシな部類だと思うけど」


 恐らく詐欺組織も、蓮華が持っていると思しきそのデータを、スーツの男一人で回収するのは難しいと考えているだろう。マンションで蓮華を見つけられず、危うく警察に捕まりそうになったが、その程度の失敗は織り込み済みだろうし、これでスーツの男が新たに責めを負うことはない。……たぶん。

 さて、残る疑問点はひとつだ。そのことを美紗が指摘する。


「じゃあ、この詐欺で振り込みじゃなく小切手が使われたのは、あえて幹部の男に証拠になる物を握らせて、裏で繋がっている警察と接触させるため?」

「どうかな。それなら、キャッシュカード詐欺を利用して、騙し取った他人のカードを握らせれば済むことで、わざわざ不動産投資詐欺で小切手を使う必要はないはずだよ。ターミナルの近くにキャッシュカード詐欺の標的がいなくても、標的がいる別の区域で、同じようなことをすればいいから、蒲之原ターミナルにこだわる理由は無いだろうし」

「むう、確かに……受け子の移動手段を考えて蒲之原ターミナルにしたとしても、別の受け子を使えば、やっぱり蒲之原ターミナルでなくていい事になるよね」

「たぶん、小切手を使わざるを得ない事情があったんだよ。それも恐らく、流出したデータのせいで」

「どういうこと?」


 首をかしげる美紗。これは本当にただの想像だが、スーツの男の慌てぶりから見ても、それなりの信憑性はあると思っている。わたしはこの仮説を口に出して告げる。


「その流出したデータはさしずめ、詐欺組織の作った架空会社(ペーパーカンパニー)と、紐づけた銀行口座のリスト、ってとこじゃないかな」

「ああっ……!」美紗は瞠目して息を呑んだ。「そんなものが他人の手に渡ったら、詐欺組織にとって大変なことじゃん!」

「そう。その口座が詐欺に使われていると疑われれば、口座は凍結される。残高は全て国庫に収まるし、もちろん振り込みもできなくなる。せっかく詐欺で手に入れた大金をほとんど失い、組織にとって手痛い損失になるのは明らか」

「ただ、企業の銀行口座を凍結するわけだから、相応の証拠は必要になる。警察がリストを手に入れたとしても、それだけでは口座の凍結には踏み切れない。凍結させるには、そのリストにある口座が詐欺に使われているという、確証がいるだろう。さて、捜査機関は何を見れば、リストにある口座に詐欺の疑いがあると、考えるに至るだろうか?」


 さっきから菜摘は不敵に問いかけてくる。恐らく菜摘もわたしと似たような答えを出していて、答え合わせのつもりなのだろう。もちろん、この問いかけも解けている。


「ほとんど取引実績のない口座に、いきなり大金が振り込まれた痕跡があれば、詐欺の可能性が非常に高くなります」

「よろしい。もしすでにリストが警察に渡っていれば、リストにある口座に振り込ませるわけにはいかない。たった一つでも詐欺の疑いを持たれれば、リストに書かれている全ての口座が凍結される。しかし新たな口座を怪しまれずに作るのは、すぐには難しい。だからどうしても、振り込みという手段を使うことはできなかった」

「小切手なら、ターゲットが持っている口座から、銀行がお金を引き出すだけだから、自分たちの口座を使う必要はないってことですね」

「でもそういう時って、銀行が何か、現金を受け取る人の審査とかしないんですか?」美紗は菜摘に尋ねた。

「する場合はあるよ。線引き小切手という、受け取る側に制限をつけている小切手で現金を引き出す時は、銀行側が数日かけて受け取り側の確認をする。偽造だったり、第三者が盗んだものだったりした場合の対策でね。でも小切手は本来、多額の現金をやり取りする代わりに使うもので、すぐに支払いを済ませたい場合も普通にあるから、線引きを無効にするとか、そもそも線引きを使わないことも多い。その場合は審査なしで、即日で現金が渡される」

「今回のケースでも、銀行口座が不調だから、とか理由をつけて、即日で換金できる小切手を書かせたのかもしれませんね……」


 色々と想像で補完した部分はいくつもあるが、これで四つの疑問点は全て解消できたことになる。もちろんこれはただの推測で、しかも警察から聞いた一部の情報だけからの推測だ。的を射ているかどうかは分からない。

 ただ……この推測で合っていてほしい、という思いはある。結果的にこれは、わたし達が一番望んでいる答えに繋がるからだ。

 推測が終わってひと息つき、しばし沈黙の時間が流れる。


「……いや、待て待て待て」美紗が沈黙を破った。「そもそもわたし達、何のために今回の詐欺事件で起きたことを推理してたの? なんか、それっぽい推理はできたけど、それで蓮華ちゃんのことが解決できたわけじゃないし……」

「何を言う、美紗。この一連の推理が正しければ、蓮華は無実である可能性が極めて高くなるじゃないか」

「え?」

「言っただろう。捕まった受け子と一緒に、ターゲットから小切手を受け取ったのは、バイトじゃなく詐欺組織の正規メンバーだと思われるって。蓮華は今年、地方から東京に来たばかりだから、東京に拠点を持つ詐欺組織に、元から所属していたわけがないだろう」

「あっ、そっか!」急に顔色が明るくなる美紗。「だったらこの推理を警察に話せば、蓮華ちゃんを容疑者から外してくれるかも……」

「バカを言え。こんなのはただの推測で、証拠も何もない。私たちより多くの情報を持っている警察は、もっと事実に近くて異なる結論を出しているかもしれないし、あるいはこの程度の推測、警察だってとっくに辿り着いているかもしれない。私たちが賢しらに推理を披露したところで、警察は耳を傾けてなんかくれないよ」

「えー……」


 美紗はがっくりと肩を落とした。さっきから感情の起伏が激しいな、この子。

 まあそういうわけなので、色々と気になる点があったから推理を働かせて、蓮華が無実かもしれないという可能性を引き出したけど、だからどうということはない。それにこの推理は、蓮華のスマホに来た木島拓也からのメッセージなど、説明のつかないこともいくつかあって、今ひとつ頼りにならない。どちらかといえばこの後の、捕まった受け子と蓮華を結びつける、災害募金のボランティアを探す作業の方が、蓮華を見つけ出すには近道になるはずだ。

 テーブルの上に広げられた、蒲之原ターミナル周辺の地図と調査結果の書かれた資料に、再び目を落とす。


「それにしてもこの資料、本当に細かく調べられていますね。誰が作ったのかな、と……」

「……ん? 彩佳? んー?」


 わたしが資料のある一点を見て固まっていることに、美紗は気づき、わたしの視線の先を追った。そして、同じように固まった。

 そこには資料の制作者の名前と日付が書かれていた。三年前の七月、羽曳野菜摘。

 わたしと美紗は、その名前を持つ人物のいる方へ、丸く開いた目をサッと素早く向ける。向けられた本人は、悪びれる素振りもなく淡々と答える。


「うん、その資料を作ったの、私だよ」

「なんで早く言ってくれないんですか」

「わざわざ言わなくても資料に書いてあるから分かるだろう? 確か、私が一年の時に調べたんだよな。夏頃だったかな……二度目の実地調査ということもあって、あまり普段行かない所に足を延ばしてみたんだ。まあ、資料を見てみれば分かるが、読書に最適なスポットはほとんど見つからなかったよ」

「そう、ですね……各時間帯の人通りの多さとか、しっかり調べていますけど、落ち着いて読書できる時間帯は全くなさそうですし」

「というか」美紗は虚空を見つめて指先を顎に当てる。「そもそもバスターミナルって、バス停が集まっている所だから、人目を気にせず落ち着ける場所がないのは当然な気が」

「ちっ、美紗のくせに的確なところ突いてきやがる」

「マジ平手でぶちのめしますよ?」


 美紗はニコッと笑って平手を肩の高さに掲げた。菜摘が基本的に美紗のことを舐めているから、美紗も菜摘のことをあまりよく思わないのだろう。人間関係は鏡のようなものだとは、よく言ったものだ。


「過去に先輩たちが調べていないエリアだから、せっかくなら自分の足で開拓してやろうと思って調査したのよ。まあ大方、先輩たちも美紗と同じことを考えて、どうせ読書スポットなんてないから探すだけ無駄だとでも思ったんだろうね。私もそれほどいい場所を見つけられなかったから、その調査をして以来ちっとも行ってないわ」

「で、団長はさっき『ほとんど見つからなかった』と言いましたけど、ないわけではなかったんですか」

「その資料にも書いてあるが、曜日と時間帯によっては読書に向かなくもないと言えなくもない所を二ヶ所見つけている」

「二回も二重否定するほど微妙な所なんですか……」

「個人的なオススメは、お昼過ぎのホシダ珈琲ショップだな。その時間帯なら比較的すいているし、喫茶店ならちょっとくらい長居しても怒られないからな」


 菜摘はそう言ってドヤ顔で親指を立てた。……確かホシダ珈琲って、全国でチェーン展開していたはず。なんか、まるで特別感がなくて、調査するほどのものでもないような。それと、喫茶店でも度の過ぎた長居はさすがに怒られると思う。

 ホシダ珈琲のお店を資料の地図で探すと、確かに、昼過ぎは落ち着いた雰囲気で読書にいいかも、と書き添えてあった。場所は、六番バス停の目と鼻の先にある、ビジネスビルの一階とのことだ。

 …………ん?


「喫茶店なら珈琲とか軽食をいただくために行くべきじゃないんですか」

「もちろんそれ目的で行ってもいいさ。コーヒーを看板に掲げるだけあって、確かにコーヒーはまあまあ美味だけど、もう少し酸味が利いている方が私好みかな。ああでも、小豆の入ったアイスミルクティーはかなりイケていた……と思う」

「思う?」

「うーん、ちょっと味の記憶が曖昧でね……」菜摘は言いにくそうに頬をポリポリと掻く。「どうせなら、彩佳と二人で行って飲んでくればいい。ぜひ感想をくれたまえ」

「ふぅむ、喫茶店デート……悪くないな」


 美紗は何を真剣な顔でのたまっているのだろう。あの二人がさっきから何を話しているのか知らないが、どうもだいぶ本筋から逸れている気がする。

 美紗とのデートプランは後で立てるとして、わたしは広げた資料を畳んでファイルを閉じて、元あった棚に戻した。ここでの用事は済ませたし、そろそろお昼も近いから、次の調査のための準備を始めないといけない。

 わたしは美紗の手を引いて、部室を出ようとドアに向かっていく。


「じゃあ団長、わたし達はそろそろ行きますね。蓮華ちゃんを見つける手掛かり、早く探したいので」

「そっか。私はもう少し、ここで本を読み進めるよ」

「行くよ、美紗」

「へーい」


 無抵抗の美紗をズルズルと引きずりながら、わたしは部室を後にした。

 それにしても、わたしが部室に来るといつもいるけど、菜摘はいつになったら就活と卒論に本腰を入れるのだろうか。今回、なかなかの鋭さと知識量を見せつけたけど、普段は気だるげに本を読んでいるような人で、暇を持て余しているようにしか見えない。

 あれがよもや大学生の標準的な姿ではあるまい。そう思いたい。


  * * *


 この大学には、学生たちが休憩しつつ交流を深めるためのスペースがあり、講義室の半分くらいの広さに、飲料の自販機とマガジンラック、大きめの丸テーブルとベンチがいくつか設置されている。講義の合間の暇な時間を、ここで過ごす学生も少なくない。

 待ち合わせ場所としていたその交流スペースに、わたしと美紗は午後の講義を終えてから向かった。相手の方がより近い場所で講義を受けていたからか、呼び出した三人の方が先に来て、いつものやり取りを繰り広げていた。


「テメェいい加減にしないとその口まつり縫いで塞いでやるぞ」

「おめーこそそのスポンジみたいな脳味噌に培養液詰め込んでやろうか」

「誰の脳味噌がスポンジだって? 昔流行った牛の病気かよ」

「BSEが出てこない時点でスポンジ並なんだよ。要するに普通の牛より脳味噌スカスカ」

「テメェこそピーチクパーチクうるさいんだよ。発情期の鳥か? 鳥並みの頭だからくちばしのコントロールもできねぇのか」

「そこは縄張りを主張する鳥って言うところでしょうが。誰がおめーに発情するか」

「しなくて結構、気味悪いしな!」

「奇遇だね、こっちも気色悪くて吐きそうだよ」

「ああ?」

「あん?」

「あっ、雨洞先輩、小園先輩。お疲れさまです」


 松崎と犬山が睨み合いと激しい口喧嘩を繰り広げ、日垣がそんなこともお構いなしにわたし達へ声をかけてくる。……毎回こんな泥臭い罵り合いをしているのに、三人とも全く互いに距離を置く素振りを見せないのだから、やはり何だかんだ仲はいいのかもしれない。

 ただ、うるさい。


「お、お疲れー……周りの迷惑になるし、悪目立ちするから、喧嘩はそこまでね」

「よく飽きもせずやるよなぁ、この二人」


 後輩たちの遠慮を知らなすぎる言動に呆れながら、わたしと美紗は、後輩たちの集まっている丸テーブルに歩み寄り、床にカバンを置いた。直後に日垣がわたしに迫ってきた。


「それより雨洞先輩、説明をまだ聞いていません!」

「えっと……どの説明?」

「先輩が昨日、ちょっとやらかして警察に捕まったってやつです!」

「あー、あれね。警察の方で色んな勘違いと確認不足が重なって、誤認逮捕されたんだよ。LINEでも言ったとおり、すぐに釈放されたけど」

「え? じゃあ残りの四人は?」

「人数のことじゃねぇ」犬山は松崎にチョップした。「間違って逮捕することを誤認逮捕って言うんだよ。漢字変換ミスってるぞ」

「なんで勘違いされることになったんですか?」

「え、えーっと……」


 松崎と犬山の唐突なコントと、何事もなかったように訊いてくる日垣の態度に、わたしは対処の言葉がうまく出てこなかった。この三人が相手だと情報量が多すぎて、脳の処理が追いつかないな。

 とはいえ、この場で三人に話すことは決まっていて、今朝、菜摘に話したことと、そっくり同じ内容を説明することにした。ついでに、蓮華への嫌疑が見誤りである可能性も、三人には話しておいた。


「なんというか……」神妙な表情の日垣。「ヤバいことに巻き込まれている予感はしてましたけど、想像以上のヤバさですね」

「めちゃくちゃ大変じゃないですか! 早く警察に知らせないと!」

「だからその警察もとっくに動いてるって言ってるでしょ。トリ頭はどっちだか」

「ああ?」

「あん?」


 隙あらば睨み合いを始める松崎と犬山。やらないと死ぬ病気にでも罹っているのか?

 そんな二人を放置して、日垣はわたしに尋ねてくる。


「先輩方は、川端さんが詐欺に関わっていないと、そう思っているんですか?」

「その可能性も充分あるけど、情報がまだ足りなくて、なんとも言えないかな。どちらにしても、蓮華ちゃんの居場所を見つけないことには、解決の見通しは立たないね」

「何か、川端さんを見つけ出す手立てはないでしょうか……」

「見つけ出せるかは分からないけど、蓮華ちゃんに何が起きたのか、より詳しく調べることで見えるものもあると思う。そこで、三人にも手伝ってほしいことがあるんだけど」

「何でもおっしゃってください! 友達のためですから!」

「そうです! 友達の大ピンチに、指をくわえて待ってなんていられません!」

「先輩たちにばかり任せっきりにもできませんからね!」


 ……おー、心強い言葉だ。蓮華はいい友達に恵まれているなぁ。

 非常に似たような心強い言葉を使っておいて、結局面倒なことを全部わたしに押しつけた、前科さえなければね。全く笑えないけど、何とか笑ってみせた。


「……ありがとう。塵ほども期待していないけど頼りにしているよ」

「わたし達への先輩の信頼が下げ止まってる!」

「自業自得でしょ。で、みんなに手伝ってもらいたいのは、蓮華ちゃんが参加していた、災害支援ボランティアを探すことなんだ」

「確か、捕まった受け子と川端さんは、同じボランティアに参加していたんですよね」

「蓮華ちゃんがそのボランティアの存在を知って、参加を決めてすぐに活動を始められるとしたら、知った経緯は二つ考えられる。大学の構内でチラシやポスターを見たか、あるいは近所にボランティア団体の拠点があるか。同じように近所でポスターを見た可能性もあるけど、すぐに参加できるなら、やはり拠点も近所にあるとみていいと思う」

「つまり、そういう団体を探して、川端さんが参加していた所を見つけ出せば、どういう経緯で詐欺事件に巻き込まれたか分かる、ってことですね」

「話が早くて助かるよ。学生ボランティアを募集するチラシやポスターは、学務課の許可がないと構内に置けないから、今月中にポスターを掲示しているかチラシを置いている団体のリストを、さっき学務課でもらってきたんだ」

「先輩方も仕事が早い! でもよくもらえましたね」

「そこは美紗が上手くやってくれて……」

「地域社会学のレポートで、色んなボランティア団体の活動と地域社会のニーズとのマッチングをテーマにするから、とりあえず大学に募集をかけている怪しくないボランティア団体を片っ端から教えて、って頼んだらリスト作ってくれた!」


 美紗はわたしの肩に腕を回して距離を詰め、ピースサインを見せながら答えた。地域社会学の講義を取っているのは事実だけど、そんなレポート課題は出されていない。しかし美紗の口から出まかせは、本当にあってもおかしくないと思われたようで、特に学務課の職員に怪しまれることはなかった。嘘も方便とはよく言ったものである。


「あとは、蓮華ちゃんの家から近い所にあるボランティア団体を、みんなに調べてもらいたいの。災害募金を行なっているかどうかはおいといて、とりあえず全部」

「災害募金をしているかどうかは、考慮しないんですか?」

「団体によっては、普段から募金活動をしていなくて、直近で募金が必要なほど大きな災害が起きたときだけ、臨時で募金活動をしている所もあるかもしれないからね。後で詳しく調べて、今月募金をしている団体だけに絞り込む」

「なるほど……川端さんの家から近い所って、どのくらいの範囲にしますか?」

「そうだなぁ……」


 ちょっと考えてみた。一日に大体五千歩くらい動くと仮定して、家との往復で五千歩なら片道で二千五百歩。女性の歩幅の平均は七十センチだけど、小柄な蓮華ならもう少し短くて、大体六十センチくらいだとすれば、片道で約一.五キロってところか。ずっと真っ直ぐに歩くことはまれだろうし、ボランティア団体の拠点だけに立ち寄るとは限らない。このことを考慮してとりあえず……。


「半径一キロ以内で探してみて。見つからなかったら、もう少し範囲を広げる事になるけど、ひとまずはこれくらいで」

「分かりました。さっそく調べます!」

「ん?」


 日垣の言葉に理解が追いつかないわたしの目の前で、日垣はカバンからキーボード付きのタブレット端末を取り出してテーブルにセットし、電源を入れると、目にも留まらぬ速さでタイピングを始めた。マウスはなく、全ての操作をキーだけで行ない、しかも視線はずっとタブレットの画面に向いている。

 唐突に始まった鮮やかなブラインドタッチに、わたしと美紗は唖然としてしまう。


「……さっき先輩がおっしゃっていた川端さんのマンションの住所から、地図上で座標を作成して、その座標を中心に半径一キロの円を描きます。ボランティア団体と言うからには、NPO法人として登録しているはずなので、本部がこの地域の住所で登録されている団体を、AIで可能な限りピックアップします。住所を読み取って、円を描いた地図上にプロットして……結構数がありますね。とりあえず円の外にある点は全て除去します」

「日垣さん……何者?」

「すごいでしょ」なぜか松崎が自慢げに言う。「彼女、工業高校の情報システム科出身で、独学も含めて最新のコンピュータ技術を習得したそうですよ」

「何か調べものとか頼まれることを想定して、学内Wi-fiが使えるこの休憩スペースに集まろうって、日垣が提案したんです」


 有望な一年生がいたものだ……わたしもパソコンは人並みに使えると自負しているが、ブラインドタッチはどうしても慎重になるし、ましてAIを活用したプログラミングなど勉強したことすらない。美紗に至ってはキーボードすら使えず、マウスは使いこまれているのにキーボードは新品同様だったりする。なんか、先輩として負けた気分だ。

 そうこうしているうちに、日垣は現時点でできる作業をすべて終わらせた。半径一キロ圏内にあるNPO法人のうち、主に近隣地域で活動している、十二団体まで絞り込み、エクセルでリストアップさせた。作業時間は十分もかかっていない。

 この手腕を発揮すれば、読書スポットの探求や調査もスムーズにいくのではないか。そう思ったら体が勝手に動き、日垣の両肩をがっしりと掴んでいた。


「これで完了っと……って、何ですか、先輩」

「ねえ日垣さん。読書スポット探求団に入る気はない? 仮入部すれば、今ならもれなく蓮華ちゃんもついてくるよ」

「こら」美紗に頭をチョップされた。「蓮華ちゃんをダシにして勧誘するな。資料請求で牛肉が当たる保険会社か」

「あー、あれって不思議だよね。なんでどの保険会社も抽選の商品が牛肉なんだろ」

「それは知らないけど……それより、うちらで調べた、構内にポスターやチラシを置いているボランティア団体のリスト、こっちのリストと重複がないか調べた方がよくない?」

「そうだね」


 わたしは頭頂部を手でさすりながら、学務課でもらったリストと、日垣の作成したリストを見比べた。大学で募集をかけていた団体のうち、先週以前から活動を始めていて、都内での活動が主体である団体は十あって、そのうち三つが日垣のリストと重複していた。現時点での候補は十九ヶ所、ということになる。

 なかなかの数だけど、ここからさらに絞り込むには、直近で災害支援のための募金をしているかどうかを調べる必要がある。これくらいなら、わたしや美紗でも手伝える。もちろん他の後輩二人も。


「じゃあ次は、これらの団体が災害支援募金をしているかどうかを、ネットでできる限り調べてみよう。ホームページやSNSを検索すれば、何か分かるはずだし」

「だね。わたしも調べてみるよ」

「この五人で手分けして調べれば、今日中にかなり絞り込めるね」

「えっ、わたし達もやるんですか……?」


 松崎が自分を指差して、嫌そうに言った。そうだよ、今度は“誤認”じゃないからな。


「友達がピンチなのに指をくわえて待っていることはできないって言ったよね。どうせ松崎さんと犬山さんは、前回の調査でもマンションの絞り込みはほとんど日垣さんに任せっきりだったんじゃない?」

「なっ、なぜそれを!」

「おめー、取り繕うということを少しは覚えろ」

「言っておくけど、今回は逃がさないからね。足を使った調査はわたしと美紗でやるけど、先輩に苦労させたくないなら、この場でちゃんと調べて候補を絞り込んでね。なるべく少なく」

「「は、はい……」」


 少し圧が強めの笑顔で釘を刺したら、松崎も犬山も、蛇に睨まれた蛙のようにビクビクと震えながら、スマホを操作し始めた。ちなみに、足を使った調査にさらっと巻き込まれた美紗は、嫌がるどころかむしろご機嫌で、意気揚々とスマホを操作している。わたしと二人で街歩きができるなら、目的が何であろうと構わないらしい。単純な女だぜ。

 それからまた十分ほどかけて、十九ヶ所あった候補を五ヶ所に減らした。これくらいならわたしと美紗だけでも全部調べられる。蓮華の家の近所に絞っていたから当然だが、全てを訪ねて回っても距離はさほど長くなく、半日でおつりが出そうだ。


「ありがとう。ここまで絞り込めば、後はわたしと美紗だけで大丈夫だよ」

「先輩方のお役に立てて良かったです!」


 日垣は達成感たっぷりに、鼻息を荒くして拳をぎゅっと握りしめる。対照的に松崎と犬山はぐったりとして、スマホを持ったままテーブルに突っ伏している。たった十分の調べものくらいでダウンするとは、わたしよりも情けない後輩たちだ。


「それで先輩、川端さんが参加していたボランティアを探し当てて、それからどうされるんですか?」

「ボランティア団体のスタッフに話を聞いてみる。ついでに蓮華ちゃんの居場所を知らないか聞くつもりだけど、たぶん望み薄だろうなぁ。わたし達にも居場所を知らせないくらいだし、恐らく本当に限られた……居場所を簡単に漏らさないような信頼できる人間だけにしか、知らせていないと思う」

「うーん、やっぱり出会って二週間くらいのわたし達じゃ、そこまで信頼はされてないってことですか……」


 がっくりと肩を落とす日垣。そうじゃなくて、たとえ知っていても正直に教えてはくれないから、誰に聞いても居場所の手掛かりは得られないと言いたかったのだが……まあ、友人たちにひと言も残していないのなら、日垣の言うことも否定はできない。その理屈でいうと、知っているのは家族や地元の友人くらいだろうが、連絡先が分からないから聞き出すのは無理だ。つまり、結局は推測に頼るしかない。

 蓮華がどこに行ったのか、どのようにして詐欺事件に巻き込まれたのか、推測するにも情報がまだ足りない。引き出せる情報をなるべく多く引き出すなら、東京で蓮華と接してきた全ての人間と会って、話を聞くくらいのことは必要だ。もちろん、出会って二週間ほどの彼女たちからも、引き出せる情報はまだあるはず。


「信頼されているかどうかは、わたしからはっきりと言うことはできないけど、蓮華ちゃんについて知っていることは、いくらでもあるでしょう?」

「いくらでも、ってほどじゃないですよ」と、顔を上げる松崎。「前にも言いましたけど、川端さんってあまり自分の事を話しませんし」

「蓮華ちゃんから直接聞いたことだけじゃなくて、みんなの目から見て、蓮華ちゃんについて分かることもあるんじゃない? 普段どういうことをしているとか、あるいはこの日だけは普段と違っているとか」

「あとはさ、姿を消す前におかしなことが起きてたりとか、そういうのない?」


 美紗もわたしの背中にひっついて、わたしの質問に付け加えた。……うん、くどさのないいい匂いがする。言わないけど。

 わたしと美紗の質問に、後輩たち三人はしばらく、うーんと唸りながら悩んだ。まあ、すぐに思いつかなくても無理ならぬことだ。普段から一緒に行動していても、特定の誰かの言動をいちいちつぶさに観察して記憶するなんて、普通は誰もやらない。よほど必要に迫られていれば、簡単に観察くらいはするだろうけど。

 なんとかひとつ思い出したのは犬山だった。それでも自信なさげだが。


「おかしなこと、と言えるかどうかは微妙ですけど……一度だけ川端さんが、講義に遅刻したことがあったんですよ」

「遅刻かぁ……蓮華ちゃん、時間はちゃんと守るタイプだし、珍しいかもね」

「やっぱり先輩もそう思いますか? わたしも滅多に遅刻はしないんですけど、こいつとかは度々遅刻するから、そういうこともあるかと思っていたんですけど」

「こいつって言うな、あと人に指を向けるな」


 松崎は自分に向けられた犬山の人差し指を、ぺしっと叩いた。なるほど、時間にルーズな友人がいるから、遅刻がよくあることかどうかの判断が狂っているかもしれなかったか。


「何度か講義はあったと思うけど、遅刻したのはその一度だけ?」

「ええ。実はその講義、当日の朝に急遽部屋が変更されたんですよ。川端さん、どうやらそのことを知らなかったみたいで……」

「そりゃ不可抗力だね。というか、大学生になって間もない一年生が受ける講義を、直前になって変更するかなぁ、普通……」

「わたしも正直、先生何やってんだ、と思いはしましたけどね。でも当日の朝に、履修登録を済ませた学生の学内メールで、講義室を変更するってお知らせは来ていましたよ」

「あー、そういえばうちの大学は、講義の予定が変更されたら学内メールで一斉に知らせるよね。だったら蓮華ちゃんにも知ることはできたはずだね」

「そうなんですよ。学内メールはスマホにも転送されるように設定できますし、川端さんもその設定は済ませていたはずです。なのにどうして遅刻したのか……元の教室が無人なのに気づいて、講義が始まった十分後くらいにようやく来たみたいですけど」

「へぇ、そんなことあったんだ」と、松崎。

「おめーはその講義も普通に遅刻してたからなぁ」


 犬山が心底呆れた表情で松崎をじっと見る。どうやら松崎は蓮華よりさらに遅く到着したみたいで、蓮華が遅刻したことに気づかなかったようだ。ちなみに日垣だけ同じ講義を受けていなかったので、日垣も知らなかったという。


「遅刻した理由は聞いたの?」

「到着してすぐにさらっと聞いたんですけど、笑ってはぐらかされました」

「はぐらかされ、って……それ、いつのこと?」

「確か先週の……英語Ⅰの授業だから、月曜日の一限目ですね」


 先週の月曜日。それは折しも、蓮華のスマホに木島拓也からの連絡がLINEで来たところを、松崎が目撃した日だ。この一致はただの偶然なのか、それとも何か意味があるのか。

 …………あるかもしれない。


「ありがとう、参考になったよ」

「えっ、今ので参考になったんですか?」

「たぶんね。もう少し調べてみないと、はっきりとはいえないけど」

「おぉ、名探偵の推理が展開されてるって感じだねぇ」


 美紗がわたしの肩にひっつきながら茶化してきた。確かに推理の真似事はしているが、美紗が好んで読んでいる小説のような名探偵には、遠く及ばない。期待するのは勝手だが、過大評価は勘弁してほしい。そういう念を込めて、無言で美紗を見返す。


「…………」

「どったの?」

「いや、別に。じゃあわたし達はこのまま、調査を続けるよ。協力、ありがとね」

「はい。川端さん、必ず見つけてくださいね」


 そう言って、日垣たちはわたしに、望みを託すように真っすぐな眼差しを向ける。調査を人任せにしがちな所があっても、蓮華の身を案じる気持ちに、嘘はないようだ。彼女たちに期待されても、本来わたしには、その期待に応える義務などない。だけど、そんなことを言い訳にするつもりは、毛頭なかった。

 だからわたしは、期待され過ぎないように、短い言葉で返答した。


「……善処するよ」


  * * *


 蓮華の友人たちの尽力で、蓮華が災害募金に参加していたボランティア団体の候補を、五つにまで絞り込んだ。狭い範囲に集まっているので、半日もあれば全てを訪問して回ることはできるが、午後の講義が終わってからの時間だと、二つか三つがせいぜいだろう。わたしと美紗は、大学から近い順に、ひとまず三ヶ所を訪ねていくことにした。

 蓮華のマンションを探した時と同様、友人たちと一緒に写る蓮華の写真を、ボランティア団体の職員に見せてみたが、どれも好反応は得られなかった。あらかじめ調べていたから分かってはいたが、どの団体も学生のボランティアを通年募集していて、うちの大学の学生も何人か参加していたが、その中に蓮華の名前はなかった。

 三ヶ所目が空振りに終わった時点で、とうに日没を過ぎていた。暗くなる前に夕飯の買い出しを済ませたいので、その日の調査はこれで終わらせて、続きは翌日に調べる事にした。残りの二ヶ所も空振りだったら……まあ、面倒だが範囲を広げて探すしかない。


 そして翌日、午後の講義を終えたわたしと美紗は、さっそく調査を再開した。四つ目は例の蒲之原ターミナルがある区域なので、少しばかり大学からも距離がある。時間をかけたくなかったわたし達は、バスで目的地の近くまで向かった。

 バスを降りて、交差点を抜けたその向こうにある、ボランティア団体の本部へと足を運ぼうとした。が、交差点に差し掛かったところで、向こうにある平屋の建物から出てきた二人組の男性を見て、わたしは足を止めた。そして、美紗を連れて信号柱の陰に隠れた。


「何、どうしたの?」

「あの二人、たぶん刑事さんだ」

「えっ、マジ?」


 警察官と思しきスーツの二人組は、出入り口で職員らしき中年女性に一礼して、建物の隣の駐車場へと向かった。どんな会話が交わされたかは遠目でも分からないが、あの二人組がどんな用事で来たのかは、何となく分かる。


「じゃあ、あの二人が彩佳にセクハラした刑事か! ちょうどいい、今ここで金的を……」

「やめなさい」飛び出そうとする美紗を止めた。「それと、わたしを誤認逮捕した刑事さんたちとは違う刑事さんだから。一昨日、取り調べを受けた後に、廊下で見たことがある。同じ部署に勤務しているなら、今回の詐欺事件の捜査を担当しているかも……」

「ということは、あの建物は……」


 改めて地図を確認するまでもない。これから訪ねる予定だったボランティア団体の名前が、あの建物の出入り口のそばに掲げられている。その建物から、蓮華の巻き込まれた詐欺事件を捜査している刑事が出てきたということは、あそこのボランティア団体が事件に関係していて、蓮華を探すための聞き込みで訪れていたのだ。


「四つ目でようやく当たったね。しかも写真を見せて確認する手間も省けた」


 探し物が見つかって、わたしは少し得意な気分になり、ニヤリと笑った。

 詐欺事件を捜査している刑事たちは、恐らくわたしの顔を記憶している。関わらないように言われたばかりだから、見つかったらたぶん怒られるだろう。刑事たちの運転する車が遠ざかったのを見送ってから、わたしと美紗は信号柱の陰から出て、ちょうど信号が青になった交差点を渡った。

 駆け足でボランティア団体『ブライトライト東京』の建物へ向かい、すりガラスの引き戸をノックすると、さっき刑事たちに応対していた職員の女性が出てきた。名前と、蓮華を探しているという用件を告げると、職員の女性は、立ち話もアレだからと中に入れてくれた。

 室内はワンフロアのオフィスでほとんどを占められていて、残りは応接スペースとトイレと給湯室になっている。オフィスは、大量の書類が積み重なったデスクがぎゅうぎゅうに詰められていて、ここの仕事の大変さを物語っているようだった。わたしと美紗は出入り口付近の応接スペースに案内され、出迎えてくれた井上(いのうえ)という職員と話をすることになった。


「そう……あなた達も川端さんを探しているのね。学生ボランティアはアルバイトじゃないから、基本的にいつ来てもいいようにしていてね、だから川端さんが失踪していたなんて知らなかったわ」

「蓮華ちゃんはいつから、ここのボランティアに参加していたんですか」

「今月の初めからね。それこそ、大学に入ってまだ二、三日くらいだって言ってたわよ。ここの前を通りかかったとき、地震災害の被災地支援の募金が、先月にこのくらい集まりましたって張り紙を見て、参加したいと直接言ってきたのよ。ほとんどはインターネットで応募してくるから、直接ここに来て頼み込むなんて珍しくて、熱心そうだから採用したの」


 ここは蓮華のマンションから少し距離があるものの、スーパーも飲食店も近くにあるし、生活の中で立ち寄ることは充分にありうる。この建物の前を通りかかることもあるだろうが、ともすれば見逃しそうな張り紙に気づいて、そのまま直接建物に入って参加を表明するなんて、並大抵の興味ではそこまでやらないだろう。しかもその張り紙は募金活動の成果を書いたもので、メンバーを募集する意図はなかったはずなのに。


「実際、あの子はとても熱心に募金を呼びかけてくれていたわ。さっきの刑事さんたちは、川端さんが詐欺の受け子をしていたと疑っていたけど、私にはとても信じられないわ」

「その受け子の一人が、すでに警察に捕まっていますけど、その人もここでボランティアに参加していたのは確かですか?」

曽根(そね)くんのことね。少し前に別の刑事さんがいらして、彼と川端さんの繋がりを探っていると話していたわ」


 掴まった受け子の名前は曽根というのか……警察ではそこまで聞いていなかった。まあ、ここの職員が知らないわけがないよね。


「実際のところ、その曽根くんと蓮華ちゃんの関係は、同じボランティアに参加していたという以外にあったんでしょうか」

「そうねぇ……曽根くんもまだ大学生だけど、川端さんとは違う大学だったと思うわよ。学年も違うし、同郷というわけでもないみたいだし。でもまあ、仲は良かったと思うわ。ここで一緒になることはそんなになかったけど、たびたび二人で楽しそうにお話していたし」

「共通の趣味でもあったんでしょうか……」

「さあ、私もよく知らないわ。学生ボランティア同士の関係には、あまり深く立ち入らないようにしているからね。それに、うちで活動している学生さんは、曽根くんや川端さんだけじゃないし、二人とも、他の学生さんとも普通にお話していたと思うわ」


 つまり、曽根と蓮華が特別に仲良しだったわけではないのか。大学も学年も出身も違うみたいだし、井上たちに気づかれないようこっそり付き合っていた、ということでもない限り、曽根が蓮華のことを警察に打ち明けない理由はなさそうだ。もっともそれは、本当に蓮華が曽根の共犯だったら、という話だが。


「その、曽根さんの写真とかって、あります?」

「ええ。ボランティアを全員連れて、駅前で募金の呼びかけをした後に撮った、集合写真があるわ」


 井上はソファーから立ち上がり、腰の高さほどの棚の上に並べられた、写真立ての一つを手に取った。写真立てごと手渡された写真には、募金箱を両手に抱える蓮華を中心に、十人ほどのスタッフやボランティアが並んで写っている。井上の姿はないので、恐らく彼女が撮影したものだろう。


「ここ、川端さんの左隣にいる男の子が、曽根くんよ」

「なるほど……当時のボランティアは、ここに写っている人たちで全員なんですね?」

「ええ。右端にいる三人は、うちの職員だけど」


 写真に写っている曽根という男の子は、小柄な蓮華よりやや背が高くて、顔の輪郭が丸みを帯びている、柔和そうな雰囲気があった。いかにも世間ずれしていない大学生、といったところか。

 わたしの隣に座る美紗が、わたしの手元の写真を覗き込む。


「ふうん、この子が蓮華ちゃんを唆して、詐欺の片棒を担がせたと、警察は睨んでいるわけか」

「まあ、蓮華ちゃんから誘ったって可能性はないだろうね。大学生で蓮華ちゃんと学年が違うなら、曽根くんは間違いなく上級生で年上。上京したばかりの蓮華ちゃんより先に、闇バイトに関わっていたとみるべきだよ」

「この曽根くんが闇バイトをしていたこと、井上さんは気づいてたんですか?」

「いいえ、全く」美紗からの問いに井上はかぶりを振る。「曽根くんは確かに、川端さんと比べると、決して熱心にやっていたわけじゃないけれど、悪い事に手を染めるような子ではないと思っていたわ。まあ、曽根くんもそうだけど、あまり学生さんたちの人となりを把握していたわけじゃないから……」

「そうですか……ちなみに、さっき刑事さんにも訊かれたと思いますけど、蓮華ちゃんが行きそうなところに、心当たりはないですか」

「残念だけど、私にも分からないわ。あの子はまだ東京に来たばかりらしいし、頼れるところなんてないと思うけど……」


 うん、予想どおりの答えだ。元より、この質問で直ちに、蓮華の居場所に見当がつくとは思っていなかった。でも蓮華を探していると説明した以上、訊かないわけにはいかない。

 それよりも、わたしはどうしても確認したいことがある。捕まった受け子の素性と、蓮華との繋がりを聞いたうえで、確かめておきたいことだ。


「それじゃあ、つかぬことを伺いますけど、蓮華ちゃんと曽根くんとの間で、ちょっとしたトラブルがありませんでしたか?」

「トラブル?」


 井上は眉をひそめて首をかしげた。警察は、曽根にとって蓮華が大切な存在だと考えているから、どのくらい仲が良かったか尋ねることはしても、トラブルがあったかどうかは聞いていないだろう。井上もわたしの質問の意図が分からないみたいだ。


「ほんの些細なことでいいんです。例えば、何かの拍子にぶつかって、二人ともカバンとかの中身をひっくり返したとか、そういう感じのトラブルです」

「あらまぁ、なんでご存じなの?」


 井上はややのけ反って、目を丸くした。その反応だけで、当たりだと分かった。


「やっぱり、そういうことがあったんですか」

「ええ。ちょうど、この写真を撮った、すぐ後のことよ。急いで帰ろうとしていた曽根くんが川端さんとぶつかって、運悪く二人ともカバンを開けっぱなしだったから、二人してカバンをひっくり返して、中身がほとんど床に落ちてしまったのよ」

「曽根くんは、急いで帰ろうとしていたんですか」

「ええ、用事があるとか言って、かなり慌てていたわ」

「いつのことですか?」

「先週の日曜日よ。あの日はお昼から、募金の呼びかけをしていたの」


 やはりそうか……わたしの推測はこれでまた一つ、裏付けを得られた。この推測が正しければ、蓮華の身に起きたことも、蓮華の居場所も、全て見当がつく。それでも、蓮華を探し出すのは困難を極めそうだが……。

 とりあえず、警察の捜査にそれとなく、軌道修正を持ちかける事にしよう。わたしから警察に何か言うよりは、井上たちを動かした方が早そうだ。


「分かりました。お話をしてくださって、ありがとうございます」

「いえいえ、あまりお役に立てなかったようで……」

「そんなことないですよ。とても参考になりました。ところで井上さん、この集合写真は警察にお見せしましたか?」

「いいえ? 警察の方に渡したのは、ボランティアのシフト表くらいだけど」


 やっぱり、思ったとおりだ。すでに写真を見せていれば、警察は蓮華の人相を把握できているから、わたしを蓮華と間違えることはなかったはずだ。


「では、今日にでもこの集合写真を、警察に提出してください。そして、今回の詐欺事件の被害者に、写真を見せるようにお伝えください」

「えっと……どうしてそんなことを?」

「いずれ分かりますよ」


 わたしは口角を上げて、そう答えるだけに留めた。犯罪捜査は警察の仕事で、一般人であるわたし達にできるのは情報提供だけ。提供された情報から何を読み取って捜査に活かすかは、警察の人たちが考えるべきことだ。素人の推理もどきなんて、捜査の玄人に話すだけの値打ちもない。

 でも、蓮華は必ず見つけ出す。これだけは、警察に頼れないから。


  * * *


 ボランティア団体『ブライトライト東京』の本部を後にして、わたしと美紗は、見慣れない街の中をぶらぶらと歩いていた。このエリアはあまり来たことがない。住宅らしき建物はほとんどなく、商店や小規模のオフィスが軒を連ねている。上京してからつくづく思うが、東京は少し歩くだけでも、多種多様なお店が目に入る。服、インテリア、アクセサリー、デジタル機器、スイーツ……ここで手に入らない物って逆に何なのだろう、と思えるほどだ。

 日没が迫り、視界が徐々にオレンジ色を帯びていく。時刻はそろそろ五時になりそうだ。夕飯は昨晩の残り物があるので、支度も買い物も今日は必要ない。このまま帰っても特にやることはないが、かといって蓮華の件ですぐにできる事も思い浮かばない。行くあてもないまま、わたしはそぞろ歩き続けていた。

 そんなわたしのすぐ後ろを、美紗は同じペースでついてくる。


「どうなの、彩佳。蓮華ちゃん、見つけられそう?」

「居場所の見当はついたよ。実際に見つけるのは時間がかかりそうだけど」

「警察や詐欺組織より先に見つけられる?」

「警察の動き次第かな……詐欺組織が本気で蓮華ちゃんを探す気なら、例えば警察官を装って、捜査に必要なことだと嘘の説明をして、情報を得ようとするだろうし」

「あー、詐欺師の手口にそういうのがあったよね。捜査に必要だと言って、銀行口座の暗証番号を聞き出したりカードを預かったり、そういう手口があるって注意喚起するポスターが、銀行とかに貼られてるの、見たことがある」

「警察官を装うのは、特殊詐欺の犯人の常套手段だし、蓮華ちゃんの情報を集めるために利用しないとは思えない。それを防ぐには、警察が蓮華ちゃんを容疑者として追うことをやめて、その事実が関係各所に周知される必要がある。まあ、警察が蓮華ちゃんを容疑者リストから外すのは、時間の問題だと思うけど」

「ホントに?」

「井上さんを通じて頼まれたとおり、あの集合写真を詐欺の被害者に見せれば、恐らくそうなると思うよ。ただ、ここまで警察が大っぴらに、蓮華ちゃんを容疑者と見なして行方を追っていたから、その事に詐欺組織がすでに気づいて、情報収集に利用し始めていてもおかしくない。こっちも早く手掛かりを集めたいけれど……」

「待ったなしかぁ。本当に蓮華ちゃん、どこに行っちゃったんだろう。蓮華ちゃんが送ってきた、あのメッセージの意味も分かんないままだし」


 美紗は指先で髪をくるくると弄りながら、眉根を寄せて呟く。

 そういえば、色々ありすぎて忘れていたが、蓮華がLINEで送ってきた短いメッセージの意味は、まだ読み解けていないのだった。

 とても楽しかったです、ありがとうございました、か……普通に読めば、何かいいことをしてもらったお礼に見えるし、その前に失踪した事実を踏まえると、遠回しにお別れを告げているようにも見える。詐欺組織の重要なデータを持ち出して、そのせいで追われているとすれば、隠された意味を持つ暗号という可能性も……いや、これは勘繰りが過ぎるか。

 ただ、あのメッセージが蓮華のスマホから送られたのは事実だから、蓮華は無事である可能性が高い。少なくとも、メッセージが送られた時点では。すでに蓮華が捕まって、無事だと勘違いさせるために誰かが送ったなら、『無事です、心配しないでください』というストレートな文面にするはず。どこか含みのある文章ゆえに、蓮華本人のものだと分かる。

 しかし、あれが蓮華ちゃん自身の書いた文面だとして、なぜ無事を知らせる内容じゃなく、お礼ともとれる文章にしたのか、その理由が分からない。失踪中に送ってきたものだし、暗に自分の居場所を知らせるなど、何かしら意味はあると思うのだが。


「まあ、あのメッセージの意味は、本人を見つけて直接聞けばいいよね。無事なのは確かみたいだし」

「……そうだね」

「とはいえ、詐欺組織も動いていることだし、早く見つけるに越したことはないけど……」


 直後、美紗の言葉を遮るように、お腹の虫が大声で自己主張した。そういえば、午後の講義が終わってすぐに出かけたから、おやつの類いは何も食べていなかったな。なんて冷静に思い返しているわたしとは対照的に、美紗は動きをぴたりと止めたまま、赤面させている。


「……動き回ったうえに、普段使わない頭を使ったからかな?」

「人が恥ずかしがってるのに追い打ちをかけるように馬鹿にするのやめてくれる!?」

「帰る前に、何か軽く食べてく?」

「そうだね……甘いもの食べよう、甘いもの。あっ、ちょうどいい所あるじゃん」


 美紗が慌て気味に指さした先には、ホシダ珈琲ショップがあって、入り口前には椅子に座って空きを待っているお客が数人いた。どうやら、ぶらぶら歩いているうちに、蒲之原ターミナルの近くまで来てしまっていたらしい。


「ホシダ珈琲かぁ……ちょっと並んでるね。お昼過ぎなら比較的すいているって、団長が言ってたけど、もう夕方から夜になりそうな時間だしなぁ」

「いいじゃん、空いている椅子もあるし、休憩と腹ごしらえにはちょうどいいでしょ。せっかくだから寄っていこうよ」

「うーん……まあ、いっか」

「よしっ、早くも喫茶店デート実現!」


 ものすごく嬉しそうにガッツポーズする美紗。やっぱり目的はそこだったか……わたしも小腹が空いたところだし、別にいいけれども。

 わたしと美紗は店の外の椅子に座って、入店できるタイミングを待つことにした。店内にも呼び出し待ちのお客用の椅子があるみたいで、先頭のお客が店員に呼ばれて案内されるたびに、座って待っているお客は空席になった隣の椅子へ、順番に移っていく。そういうことを繰り返して十分ほど経って、わたしと美紗はようやく、注文カウンターに一番近い椅子まで移動した。

 さっきまでこの椅子に座って待っていた、高校生らしき二人組の女の子が、はしゃぎながらオーダーの相談をしている。いいねぇ、仲が良さそうで……わたしが高校生の時は、あんなふうに距離感を気にせず接することのできる友人なんて、いなかったからなぁ。そんなことを思いながら二人を眺めていたら、会話が聞こえてきた。


「ねぇねぇ、そういえばアレ、先月からついに始まったらしいよ」

「うん、インスタで見た。せっかくだから頼んじゃう?」

「えーっ、恥ずかしいってぇ。アレ頼むならミキが頼んでよー」

「いやいやー、そこは言い出しっぺのアヤネがおごるトコでしょー」

「いやいや」

「いやいやいや」

「…………」

「…………今月マジピンチなんで、お願いします」

「素直にそう言えばいいものを。手作りお弁当で手打ちね」


 手を合わせて平身低頭するミキを横目に、アヤネは注文してスマホで支払った。……何だろう、あの二人。

 ようやくまた一人、お客がお店を後にして、わたしと美紗にも呼び出しがかかった。注文カウンターの上に置かれたメニュー表を眺め、わたしはブレンドのホットとチーズケーキに早々に決めて、美紗はさんざん悩んだ末に、抹茶ラテのアイスとワッフルを頼んだ。

 そういえば、カウンターの奥の壁にもメニュー表が掲げられていて、待っている間にその表を見ていたが、団長が言っていた小豆入りのアイスミルクティーらしきものは、どこにも見当たらなかった。三年も来ていないらしいし、メニューから外されたのかもしれない。

 案内された席でしばらく待っていると、注文したドリンクとデザートが運ばれてきた。わたしのチーズケーキは春仕様で、桜のクリームが混ぜ込まれたほんのり桃色の生地に、桜の塩漬けがトッピングされている。美紗のワッフルには球形のバニラアイスを載せてチョコレートソースがかけられていた。

 美味しくいただいていると、美紗がわたしのコーヒーカップをじっと見つめてきた。


「彩佳がコーヒーって、ちょっと珍しいかも」

「確かに、普段はあまり飲まないかな。まだちょっと苦いのに慣れなくてね。これもさっき、ブラックで一口飲んでみたけど、これで全部飲むのはさすがに無理そう。だからミルクも砂糖も入れちゃった」

「わたし達ももうすぐ二十歳だからねぇ。こういう大人の味にも、そろそろ慣れないとね」

「大人の味、ねぇ……美紗も飲んでみる? 甘くなっちゃったけど」

「うん、飲んでみる……と言いたいところだけど、今日はアレ持ってきてないから、やめとくよ」

「アレって?」

「クレンジングシート」

「ああ、そういう……だから美紗、アイスの抹茶ラテを頼んだんだ」


 わたしはすぐに察しがついた。大抵のお店では、飲み物をアイスで頼めばストローがついてくる。ストローを使えば、食器に直接口をつけて、口紅が付着することもない。そういうのを気にしない人もいるけど、美紗はその辺りが結構繊細だったりするのだ。食器が触れて口紅が崩れると、直すのも面倒らしいし。


「こういうお店に来るって事前に決めていたら、シートも持ってきたんだけどね。外でも滅多に使わないから、普段から持ち歩いてないんだよ。アレって使いすぎると肌を傷つけたりするらしいからね」

「確かに美紗、寝る前にメイクを落とす時も、専用のジェルを使うもんね」

「肌の調子が悪くなると、メイクもうまくのらなくなるからね」


 さすが、お化粧への情熱は並大抵じゃない。わたしは基本的にすっぴんが多く、たまにファンデーションを薄くつけるくらいだから、そうやって熱心に自分を着飾れる美紗が少し羨ましい。


「それより彩佳、あれ見てよ、あれ。すごいのが来てるよ」

「すごいの?」


 美紗が見てほしいと言ったのは、通路を挟んだ向かい側のテーブルで、わたし達と同じように差し向かいで座っている二人組だった。よく見たら、わたし達のひとつ前に並んでいた、仲良しの女子高生コンビだった。そのテーブルの上には、蜂蜜のかかったフレンチトーストと、チョコチップ入りのスコーンと、そして……。


「…………わあ、ハートだ」

「ハートだねぇ」


 明らかにトールサイズのグラスに、ミルクティーが入っていて、さらに吸い口が二つあるストローが挿されていた。ストローは途中で分岐して、左右対称に曲がりくねって、ハートマークの形になっている。あれはいわゆる、カップルストローというやつでは。

 そのテーブルの女子高生たちは、キャッキャとはしゃぎながら、一緒にストローを咥えてミルクティーを飲み、時折そのままスマホで自撮りしていた。……これ、通路の向こうで呆れた顔をしているわたしも、写るのではないか?


「あんなの、メニューになかったよね?」

「たぶん裏メニューってやつだよ。メニュー表には載せていなくて、存在を知っている人だけが注文するやつ。あれは多分、インスタとかで見て存在を知ったんだろうね」

「そういえばさっきそんなこと言ってたな、あの子たち……」

「どうする? 今からわたし達も頼んで、一緒に飲むところ撮影してインスタに上げる?」

「却下。恥ずかしすぎるから」

「ちえっ」


 カップル御用達のメニューで、わたし達がそういう関係だと匂わせようとした美紗は、あっさり却下されて口を尖らせた。あそこの女子高生たちみたいに、仲良しの親友の戯れで済ませられるほど、わたしと美紗の関係はピュアじゃない。平然としていられる自信などなかった。

 それにしてもあのミルクティー……グラスの底をよく見ると、濃い茶色の粒がいくつも沈んでいる。最初はタピオカだと思ったけど、よく見たらあれは小豆だった。なるほど、菜摘がわたし達に薦めていたのはこれか。そして薦めた理由はこういうことか。弄んでくれるよ、全く。

 わたしはコーヒーを一口啜って、ひと息ついてから美紗に言った。


「さてと……美紗、今度の土日、バイトのシフトは入ってる?」

「ううん、土日はどっちも休みだよ。金曜日の夕方に目一杯働いて、土日は彩佳と一緒に過ごすつもりだから」

「そう、ちょうどよかった。だったら土日に、蓮華ちゃんを探してもらおうかな」

「おっ、ついに本格的に捜索を始め……ってちょっと待って。探して“もらおう”?」

「うん。実際に探すのは美紗に任せる。わたしは土日に外せない用事があるから。手掛かりはあるし、たぶんいけると思う」

「いやいや、わたし一人で蓮華ちゃんを探し出すなんて無茶でしょ!」

「大丈夫」


 わたしはテーブルに肘をつき、重ねた両手の甲の上に顎を載せ、ふっと微笑んで美紗を見つめる。美紗がわたしのこういう仕草に弱いのは知っていた。


「わたしは美紗のこと、信じてるから」

「…………ずるいなぁ、それ」


 美紗は照れながら目を逸らした。こういうところは、()いやつなのだ。


これで推理に必要な手掛かりは全て揃ったはずです。

次回の更新までに、その1からもう一度読み直して、違和感を探していってください。明らかな矛盾が見つかったら、それは高い確率で推理のヒントになります(作者の手違いでそうでないものも混じっている可能性はあるので、悪しからず……)。

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