後編
六月三日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
ようやくラヴィニアのお気に入りの本が見つかりました。
まさか二か月もかかるなんて思わなかったわ。
これで子守から卒業ね。
ちなみに、ラヴィニアの態度は相変わらずよ。
最近、私の名前をきちんと正しく呼んでくれるようになったのだけど(これまではキティとか、マリアンヌだとか適当な名前で呼ばれていたの。たぶんわざとよ)、
「ドリス、今日着ていく私のドレスを選んでちょうだい」
「本を読んだせいで頭が疲れてしまったわ。ドリス、厨房から甘いお菓子を持ってきて」
「ドリス、買い物に出かけるから貴女もついてきなさい」
まるでうちの母親みたいな口ぶりじゃない?
これでまだ十二歳だなんて、この子の将来が思いやられるわ。
お父様の前じゃ、こんな口の利き方、絶対にしないのよ。
お人形さんみたいな顔で、お淑やかにお行儀よく座って、ほとんど喋らないの。
まるで借りてきた猫みたいなんだから。
公爵様といえば、初対面の時と比べて、ずいぶんと感じが変わったわ。
私に対して、とても親切にしてくださるの。
今朝は薔薇の花束を贈られたわ。
お誕生日でもないのに、変な話よね。
薔薇はいい香りがして、とても綺麗よ。
ありがたく受け取って、部屋に飾ることにしました。
今思えば、父親以外の男性から花をプレゼントされるなんて、初めてかもしれないわ。
(庭師のペニー爺やは数に入らないわよね?)
自慢に聞こえたらごめんなさい。
でも、本当に嬉しかったの。私も女なのだと実感しました。
仕事に生きる女、ドリス・ミラーより。
***
六月十日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
お気に入りの本ができたことで、ラヴィニアの読書欲に火が付いたみたい。あれから夜眠る前の数時間、楽しそうに本を読んでいるわ。(少しくらいならラブロマンスの要素があってもかまわないと、公爵様が許可してくれたおかげね。戦った甲斐があったわ)
これで、家庭教師として本格的に仕事を始められる。
私がラヴィニアに出した課題は、毎日、日記をつけることと、毎週、誰かに手紙を書くことよ。日記には自身の一日の生活を具体的かつ綿密に描写したものを書いてもらって、その内容を元に手紙を書いてもらうの。
相手は誰でもかまわないわ。
お父様の公爵様、友人、遠縁の方、亡くなったお母様、存在しない架空の恋人でも。
手紙を書くことで文章力を身につける、というやり方は私の家庭教師から習ったの。最後のほうなんて、読み手に合わせたスタイルで文章を書くように命じられたわ。
それはともかく、手紙を書くことはレディの嗜みでしょ?
唯一の連絡手段でもあるし、親交を深める手段でもある。
早いうちに練習しておかないと、いざという時、何も書けない、じゃ困るもの。
けれどラヴィニアは素直に言うことをきいてくれません。
特に日記を書くことをひどく面倒臭がって、「私は貴女みたいに暇じゃないのよ」なんて、生意気なことを言います。「私は記憶力が良いから、日記をつける必要なんてないの」ですって。
確かに、日常生活を文章にして記録するということは、デッサンの練習に似ていて、それがうまくできないからといって、手紙を書くことができない、画家にはなれない、なんてことはないわね。
デッサンが苦手な画家は確かに存在するし、ラヴィニアがものすごく賢いってことも認める。でも、いくら才能があっても、それを磨く努力は必要でしょ? 努力すればするほど、上達が早くなるのに。
ともあれ、人にも向き不向きがあるし、押し付けるのも嫌なので、日記の件は何も言いませんでした。そもそもこのやり方自体、もう古いのかもしれないし(当時、私の家庭教師だったミランダは六十歳だったの)。
一週間に一度の手紙だけは意地でも書かせるつもりよ。
とりあえず課題の出来を見て、今後の方針を決めていくつもり。
厳格な家庭教師ドリス・ミラーより。
***
六月十七日 親愛なるお父様へ
拝啓
お元気ですか?
私は元気です。
立派なレディになるために、毎日勉強を頑張っています。
今は手紙を書く練習をしています。
ドリスという名前の家庭教師は、私には合いません。
偉そうにあれこれ命令してきます。
どうぞクビにしてください。
敬具
お父様の娘ラヴィニア・ローズより
***
七月一日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
私、家庭教師に向いていないのかもしれないわ。
(いきなり弱音を吐いてごめんなさい)
ラヴィニアが書いた手紙(ほとんど私に対するあてつけね)を読んでいると、つくづくそう感じるの。十二歳の女の子って、本当に厄介ね。私も十二歳の頃は、あんなだったかしら?
愚痴はさらに続くわよ。(覚悟してね)
先日、母から手紙が届きました。
私に対する謝罪? いいえ。
経済的な支援? とんでもない。
私が公爵様からいくら御給金をもらっているのか、気になって夜も眠れないそうよ。その上、私が生まれて成長するまでにかかった養育費と教育費を全て返済しろと言ってきたから、呆れて言葉も出なかったわ。なぜなら母は、実家にお金を返すどころか、いまだにおばあ様からお小遣いをもらっているのよ。
自分のことは棚に上げて……いいえ、家族の悪口はここまでにするわね。
貴女も聞き苦しいでしょうし。
手紙は破いて燃やしました。
返事を書くつもりもありません。
落ち込んで中庭の長椅子に座っていると、どうかしたのかと公爵様に話しかけられたわ。執務室の窓から私が見えて、沈んでいる様子だったから、わざわざ足を運んでくださったそうよ。
おかげで元気が出ました。
まさか公爵様があんなに楽しい方だとは思わなかった。
軽い冗談を言って、私を笑わせてくれたの。
まるで大好きなおじい様みたいに。
いつも小難しい顔ばかりなさって、ユーモアのセンスなんて欠片もないって印象だったのに、私の勘違いだったみたい。公爵様はラヴィニアの変化をとても喜んでいらしたわ。以前よりもよくお喋りするようになったんですって。
「君の話ばかりしているよ。君のことが大好きみたいだ」
それは完全な誤解だと思うけれど、公爵様の評価を下げたくなかったから、賢明にも黙っていたわ。
「使用人の対する態度も変わった。庭師のペグにあの子が珍しくお礼を言ったんだ。いつも美しい花を部屋まで届けてくれてありがとう、とね。君のおかげだよ」
それはたまたま、お嬢様の機嫌が良かっただけじゃないかしら?
いいえ、皮肉な考え方はやめましょう。
私は素直に公爵様の言葉を受け入れることにしました。
これまで、自分のやってきたことが無駄ではないと信じたかったせいもあるわ。
話し込んでいると、公爵様を呼びに怖い執事さんが来たわ。
どうやら来客中だったみたい。
「貴女もラヴィニアも、屋敷に閉じこもってばかりでは気が滅入るだろう。今度、三人で出かけよう」
社交辞令を残して去っていかれたわ。
お客様には悪いことをしたけれど、気分は晴れやかだったわ。
ラヴィニア付きのメイドが私を捜しに来たから、そろそろ部屋に戻るわね。
どうせ私の顔を見るなり嫌味を言ってくるでしょうけど。
これもまた人生よ。
貴女の忠実な友ドリス・ミラーより。
***
七月二十日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
避暑地からの返事、ありがとう。湖畔の別荘にいるなんて羨ましいわ。
部屋にこもって読書三昧もいいけれど、たまには外へ出て、身体を動かしたほうが健康的よ。
実は私も今、避暑地に来ているの。
公爵様が約束を守ってくださったのよ。
こんなことは滅多にないって、ラヴィニアも驚いていたわ。
公爵家の別荘は丘の上にあって、とても見晴らしが良いわ。近くに川も流れているから、涼しくて快適よ。まさに天国ね。公爵様は二、三週間ほど滞在したらお屋敷に戻られるけれど、私たちは夏の暑さが和らぐまでここにいていいそうよ。
なんて寛容な方なんでしょうっ。
私、あの方に恋をしてしまいそうよ。
(大丈夫、分不相応だということは分かっているわ)
夏は嫌いではないのだけれど、暑いと頭がぼうっとして、読書も勉強もはかどらないのよね。ラヴィニアなんて、しょっちゅう体調を崩して授業を休むんだから。最初は仮病だと思っていたけど、そうでもないみたい。
公爵様は本当に楽しい方よ。
無口な方だと思っていたけど、とんでもない。
政治のことも貴族の社交界のことも、なんでも知っていらして、話題が尽きないの。
本もたくさん読んでいらして、面白い話をたくさんしてくださったわ。
公爵様と私とラヴィニアだけで、お料理を作ったこともあったのよ。
本棚に料理本が置いてあったから、試しに作ってみようということになったの。
お魚は焦げてしまったけれど、ケーキはうまく焼けたと思うわ。
味については触れないでおきましょう。
人には向き不向きがあるものね。
ともあれ、楽しい一日だったわ。
ラヴィニアも最初はぎこちなかったけれど、後半は打ち解けたよう様子で公爵様と話をしていました。お料理くらいであんなにはしゃぐなんて、あの子もまだまだ子どもね。なんだか安心したわ。
愛すべきご近所さんドリス・ミラーより。
***
七月三〇日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
先日、久しぶりに貴女に会えて嬉しかったわ。
いきなり来るんだもの。驚いたのなんのって……まあ、それが貴女の狙いなんでしょうけど。
私と貴女とラヴィニアの三人で出かけたピクニック、楽しかったわね。
まさか山登りをさせられるとは思わなかったけれど、いい運動になったと思うわ。
私が手紙に公爵様のことばかり書いている、彼のことが気になって仕方ないんでしょう、なんて、貴女はからかうけれど、彼は私の雇い主なんだから、気にするなという方が無理よ。
確かにヴィンセント様は素敵な方よ。
見目麗しいし、知的でユーモアで品もあって子煩悩で――書いていたらキリがないくらい。
亡くなった奥様は……シモーネ様は、さぞお幸せだったでしょうね。
私がしつこく奥様のことを訊ねるせいか、最近はよくその話をしてくださるの。奥様って、本当に素晴らしい方なのよ。生まれつきお身体が弱いせいでほとんど外出できなかったようだけど、少しでも体調が良い時は孤児院を訪問されて、子どもたちに文字の読み書きを教えていたそうなの。
奥様の慈善の心がラヴィニアにも受け継がれているといいけれど。
私、奥様のことを話す時の、あの方の目が好きなの。
本当に愛おしそうな、優しい目をするんだから。
あんな目で見られたら、女冥利に尽きるわね。
ところで、ダンスパーティーのお誘い、ありがとう。
社交は苦手だけれど、貴女の家が主催なら、ぜひ参加させて頂きたいわ。
貴女のお母様にも会ってお喋りがしたいし。
可愛らしくて、本当に気持ちの良い方ですもの。
ヴィンセント様も快く許可してくださいました。
ただし、付き添いが必要だと言われたわ。
友人のパーティーに出席するだけなのに、大げさだと思わない?
上位貴族のラヴィニアならともかく、私に付き添いは必要ありませんと言ったのだけど、聞く耳を持ってもらえなかった。未婚の女性が一人でパーティーに出席するなんてあるまじき行為なんですって。
もしかしたら当日、公爵家の護衛の方を一人、お貸しくださるのかもしれないわね。
ともあれ、おしゃれをしてダンスをするのは久しぶりだから嬉しいわ。
うまく踊れるかしら。
でもいつも通り壁の花になるか、ダンスよりも食べることに夢中になるでしょうね。
貴女の家の料理人が作るチェリーケーキは絶品だもの(いつも楽しみにしてるんだから)。
それでは、当日会える日を楽しみにしているわ。
貴女の忠実な友ドリス・ミラーより。
***
八月六日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
貴女は必要ないと言うでしょうけど、ちょっとだけ言い訳をさせてちょうだい。
ダンスパーティーの付添人が、まさかヴィンセント様ご本人だとは私も知らなかったのよ。しかも彼と三回以上も踊ることになるなんて、誰に予想できたでしょう? その上、ヴィンセント様があんなに軽やかに踊られるなんて知らなかったし、ダンスがお好きなのも意外だった。
ヴィンセント様が私とばかり踊るものだから、他の女性陣の目が怖かったわ。
せっかく私をダンスに誘ってくださった紳士も、ヴィンセント様を見て逃げてしまうし。
でもあの方、恥ずかしがり屋で人見知りをなさるみたいだから(嘘じゃないわ。本人がそう言っていたんだから)、けして私が他の女性たちを牽制したわけでも、彼を独占しようと思ってべったり張り付いていたわけでもないのよ。
貴女なら信じてくれるわよね?
取り急ぎ、ドリス・ミラーより。
***
八月二十六日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
いつの間に公爵様のことを名前でお呼びするようになったのか、ですって?
恥ずかしながら、貴女に指摘されるまで気づかなかったわ。
ええ、そうよ。貴女の言う通り。
認めるわ。
私は公爵様を……ヴィンセント・マクシミリアン様のことを特別に思っている。
好きなの。彼に恋をしているわ。
だから彼が早朝に別荘を発った時、胸にぽっかりと穴が開いた気分だった。何をしても味気なくて、読書する気にもなれないの。つい先ほどもラヴィニアに「どうしたの? いつもは馬鹿みたいに喋るくせに、元気ないわね」なんて心配されてしまったわ。
公爵邸へ戻ったら、この仕事を辞めるつもりでいます。
こんな邪な気持ちを抱いたまま、家庭教師なんて続けられないもの。
せっかく仕事がうまくいきかけていたのに、ごめんなさい。
しばらく実家に戻って、頭の中を整理するわ。
母はほら見たことかと、私のことを馬鹿にするでしょうね。
覚悟の上よ。
貴女の惨めな友人ドリス・ミラーより
***
八月三十日 親愛なるドリス・ミラー様へ
拝啓
お元気ですか?
元気でないのなら、元気をだしてください。
あなたが静かだと、わたしまで無口になってしまいます。あなたの授業はつまらないし、本を読むのは退屈だけど、あなたのお喋りを聞くのはきらいではありません。
もっとたくさん、お話を聞かせてください。
そしてわたしの相手をしてください。
お父様とは最近、手紙のやりとりをはじめました。
あなたのことばかり話しています。
他に話題がないからです。
うそ。
お父様はあなたのことが好きみたい。
わたしもです。
それではごきげんよう
敬具
あなたの教え子ラヴィニア・ローズより
***
九月五日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
昨日、避暑地から戻ってきました。
お屋敷に着いてすぐ、荷解きをしないまま、書斎室へ向かったわ。
今日限りで仕事を辞めさせてくださいと言うつもりで。
初めから彼に気持ちを伝えるつもりなんてなかった。
ただ黙って去るつもりだったの。
それがまさかこんなことになるなんて……。
ミレーネさん、貴女にはしてやられたわ。
まさか貴女が、ヴィンセント様の姪だったなんてっ。
どうして教えてくれなかったのよっ。
確か、貴女のお母様は若い頃、当時王太子でいらしたアレクセイ殿下との婚約を破棄して、駆け落ち同然で貴女のお父様と結ばれたのよね? 上位貴族のご令嬢だったとは話に聞いていたけれど、まさかヴィンセント様のお姉様だったなんて……今でも信じられないわ。
その上、貴女宛の手紙を全てヴィンセント様に読ませていたなんて……。
恥ずかしくて顔から火が出そうよ。
どうせ、お節介焼の貴女のことだから、今頃はほくそ笑んでいるでしょうけど。
家庭教師の仕事を辞めるつもりでいたのに。
ヴィンセント様は引き留めてくれた。
そして私を落ち着かせるために散歩に連れ出して、プロポーズしてくれたの。
どうすればいい? どうお答えすればいいの?
追伸
この手紙を書いた後で心が決まりました。
自分の気持ちに嘘はつけないもの。
近い将来、貴女の叔母になるドリス・ミラーより
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
手紙を書くのは苦手ですが、読むのは好きです。
日記にいたっては三日坊主。
そのままネタ帳にもなるので、書き続けている方はすごいなと思います。
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どうもでした。