中編
四月三日、ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
ようやく公爵邸に到着しました。
約束よりも遅い時間に着いたから、執事さんに嫌味を言われたわ。
もうへとへと。途中で道に迷ってしまったの。汽車で三時間も揺られて、そのあと馬車に乗り換えて一時間もかかった。本当ならすぐにでもベッドで休みたいところだけど、手紙で詳細を教えると貴女に約束したから、急いで筆をとった次第です。
仕事を紹介してくれた貴女には心から感謝しているわ。手紙というよりは私の一方的なお喋り? 報告? みたいになってしまうけれど、私と貴女の仲だし、許してちょうだい。
ウォルバーグ家のお屋敷はとても広くて、正直目が回りそうです。
子爵家の我が家がちっぽけに思えるくらい大きくて、部屋が多いの。敷地も広くて、私一人で出歩いたら確実に迷子になるでしょうね。そうなったらまた執事さんに嫌味を言われてしまうわ。いかつい顔をした、怖いおじいさんなの。私の祖父にそっくり。でも祖父は優しかったし、ユーモアのセンスもあったわ。いつもおかしなことを言って、私を笑わせてくれたの。
話が逸れてごめんなさい。
仕事の話はもう少し落ち着いてからするわね。
今はとにかく眠くて仕方がないの。
雇い主のウォルバーグ公爵にはまだ会っていません。
そのお嬢様にもね。
執事さんの話では、私の到着が遅れたから、待ちくたびれて先に休まれたのですって。
明日には会えると思うけれど、きっとさぞかしお怒りでしょうね。
でも、やるだけやってみるつもり。
貴女がくれたチャンスは絶対に無駄にしないと誓うわ。
母に勘当されて、帰る家もないしね。
持参金を用意しなくていいから、父もホッとしていることでしょう。
これ以上、暗い話をする前にベッドに入るわ。
今夜はぐっすり眠れそうよ。
おやすみなさい。続きは夢の中で。
貴女の腹心の友ドリス・ミラーより。
***
四月十日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
公爵邸に来て一週間が経ちました。
あっという間の一週間だったわ。
ホームシックにはならなかったけれど、それはそれで問題よね。
ウォルバーグ公爵は評判通りの美男子だったけれど、なんだか冷たい感じがして、あまり好きになれなかった。向こうも私には興味ないみたい。ミレーネさんの叔父様の推薦状がなかったら、下級貴族の私なんて相手にもされなかったでしょうね。
という感じで、初対面の印象はあまり良くなかったのだけれど、今は違うわ。三十四歳でまだお若いのに、どうして再婚されないのかずっと不思議だったけれど、偶然あの方の部屋を見て納得しました。亡くなった奥様の肖像画がたくさん置いてあったの。
見かけによらず、愛情深い方なのね。
思わずしんみりしました。
奥様はロクサーヌ侯爵夫人に負けないくらいの美女で、気品があって、非の打ち所がないの。一人娘のラヴィニアはそんな奥様にそっくり。目を見張るような美少女で、立ち振る舞いやマナーも完璧。言語は三カ国語も話せるし、勉強もできるそうよ。お母様の言う通り、私が教えることなんて何もないみたい。
それどころか、姿勢が悪い、ドレスが流行遅れ、って、私のほうがダメだしされてしまったわ。でも、これでも進歩したほうなのよ。最初は口を利くどころか、目も合わせてくれなかったんだから。
しつこく話しかけた甲斐があったわ。
つっけんどんしているけれど、根は良い子なのよ。
もっと仲良くなれればいいのだけれど。
ラヴィニアは本を読むのが嫌いなの。たぶん、勉強と同じように考えているのね。実際、公爵家の図書室には哲学書や経済、歴史や辞書、他には実用書ばかりで、十二歳の女の子が好みそうな本が一冊もないのよ。
手紙を書くのも嫌みたい。自分の考えを文章にしてまとめるのがひどく苦手だと言っていたわ。公爵様はそのことをひどく心配していらしたけれど、すぐに改善できる問題よ。
たった一冊だけでいいの。絵本でも、娯楽小説でも、エッセイでも、たった一冊、何度でも読み返したくなるような、お気に入りの本ができれば、文字の読み書きが苦ではなくなると思うわ。私はそう信じてる。
来週はラヴィニアを誘って街の書店巡りをするつもり。
公爵様から許可は得ているのだけど、肝心のラヴィニアがその気になってくれるか心配だわ。
うまくいくように祈っていてね。
貴女の腹心の友ドリス・ミラーより。
***
四月二十日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
先日、貴女からの返事の手紙を受け取りました。
励ましの言葉、どうもありがとう。
家庭教師じゃなくてラヴィニアの子守をやらされているみたい、ですって?
どうかそのこと、ラヴィニアには絶対に言わないでね。カンカンに怒って、私をクビにするでしょうから。だってあの子、公爵様の命令で仕方なく私の相手をしてやってるって感じなんだもの。行き場のない可哀そうな家出娘をボランティアで雇っていると思い込んでいるのよ。
ラヴィニアは相変わらず、本が嫌いみたい。
書店巡りは失敗に終わったの。
私がいくら勧めても(今思うと、これが逆効果だったのね)、本を受け取った端からポイっとそこら辺に投げ捨ててしまうの。表紙をチラッと見るだけで、本をめくろうともしないんだから。
仕方がないから、本の内容を口頭で説明することにしたわ。あの子の好きなお菓子をずらりと並べたお茶の席でね。(そうでもしないと、私とお喋りなんてしてくれないから)
本の主人公になりきって、私なりに一生懸命お話したの。
ラヴィニアは最初、冷めた顔で私を見ていたわ。
いつも楽しそうに聞いてくれる貴女とは大違い。
馬鹿にしたような顔で子ども向けの本の話をする私を見ていたから、すぐに内容を変えたわ。大人向けの恋の話よ。するとどういうわけか、ラヴィニアの表情が変わったの。
「それでジェシカはどうなったの? 早く続きを話して」って、何度も私をせっつくんだから。
あの子、恋の話が好きなのね。
女の子なら当然だけど、それにしても早すぎると思わない?
私がラヴィニアと同じ年の頃は、冒険や推理ものに夢中だったけれど。
私の考えが古いのかしら。
けれどおかげで、あの子の好きな話が分かったわ。
今後は恋愛もの中心で本を探していくつもり。
早くあの子のお気に入りの一冊が見つかると良いのだけれど。
今度こそうまくいくはずよ。
可哀そうな家出娘ドリス・ミラーより。
追伸
貴女のおすすめのラブロマンスものがあったら、私にだけこっそり教えてね。
***
五月一日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
今日は大変な一日でした。
公爵様に呼ばれて、叱責されてしまったの。
ラヴィニアに恋愛小説を読ませるな、ですって。
思わず公爵様の顔をまじまじと見上げてしまったわ。
恋愛小説はラヴィニアの成長に悪影響を及ぼす可能性が高いと、何度もおっしゃっていたわ。だって、貴族に自由恋愛は許されないでしょう? 上位貴族ともなればなおさらよ。ラヴィニアはいわば、大切に育てられた籠の中の鳥なの。
だからこそ小説の中だけでも恋愛を楽しむことができれば、と思ったのだけど、公爵様の考えは違ったの。恋愛小説は女性たちに非現実的で愚かな考えを植え付け、正しい判断力を鈍らせ、誤った行動に走らせる猛毒とまでおっしゃったわ。
どうして殿方というのは、こうも頭が固いのでしょう。
私、我慢できなくて、つい大声で言い返してしまったの。
「公爵様だって、葉巻をおすいになるでしょう? あれこそ猛毒ですわ」
そうね。公爵様はとてもびっくりされていたわ。
私のことを気弱な小娘だと決めつけていたみたい。
怖い顔で叱責すれば言うことを聞くとでも思っていたのでしょう。
「少なくとも、恋愛小説を読んで肺が悪くなることはありません」って、きっぱり言ってやったわ。
公爵様の口の端がピクピクと動いて、それを誤魔化すように何度も咳払いされていたから、私に対してかなり腹を立てていたことは間違いない。けど、私は引かなかった。クビにされてもかまわないと思ったわ。
だって、許せないじゃない?
子どもから楽しみを奪うなんて。
あんなに目をキラキラさせて、楽しそうに本を読んでいたのに。
ラヴィニアのあんな顔、初めて見たわ。
お恥ずかしい話だけど、私、子どもの頃は友達がいなかったの。
なぜか変わり者だと思われて、いつも仲間外れにされていたのよ。
辛かったし、悲しかったわ。
だからいつも図書室にこもって、本ばかり読んでた。
本が、私を救ってくれたの。
ここで、私のお気に入りの本の言葉を引用するわね。
身寄りのない女の子がお金持ちの男性と結婚して孤児院を立ち上げるシンデレラストーリー。
あえてタイトルは言わないわ。本好きの貴女ならすぐにピンとくるはずよ。
「人間にとって一番必要な資質は想像力である。想像力があれば、人は他人の立場になって考えることができる。想像力があるからこそ、人は親切な心と思いやりを以て、理解を示すことができる。そして想像力は子ども時代に培われるべきである」
私は本を読むことで想像力を養ってきたから、ラヴィニアにもそうして欲しいのよ。
公爵様はまったく理解できない、って顔をしていらしたけれど、きっと想像力が足りないせいね。きつい言い方をしてごめんなさい。あの時のことを思い出すと、今でも腹が立つのよ。
結局、公爵様との話し合いは深夜にまで及んだわ。
というより、あの方はご自分の言いたいことだけ言って、さっさと私を部屋から追い払おうとしたのだけれど、強引に居座ってやったの。頭に血が上っていたから、具体的にどんな話をしたのかは覚えていないのだけれど、公爵様は逃げなかったわ。その代わり、珍獣でも見るような目で私をご覧になっていたけど。
「分かった。妥協しよう。ラヴィニアが分別のつく年頃になれば、何でも好きなものを読ませるといい」
最後のほうはぐったりしたご様子で、椅子にもたれかかっていたわ。
勝った! ……のかしら?
よく分からないけれど、とりあえず振り出しに戻ったことだけは確かね。
部屋に戻っても寝付けないので、今こうして手紙を書いています。
私は明日(もしくは今日中にでも)、荷物をまとめて公爵邸を出ることになるでしょう。
雇用主に逆らうなんて許されないことだもの。
ミレーネさん、こんな結果になってしまってごめんなさい。
貴女の顔を潰すようなことをしてしまって、本当に恥ずかしいわ。
次の仕事は自力で探すつもり。
これ以上、貴女に迷惑をかけないと誓うわ。
貴女の腹心の友であり続けたい、ドリス・ミラーより。
***
五月二日 ミレーネ・マリア・フランシーヌ様へ
聞いてちょうだい、ミレーネさん。
信じられないことが起きたの。
どうやら解雇されずにすみそうなのよ。
というのも、今朝、荷物をまとめて屋敷を出て行こうとしたら、お庭を散歩していらした公爵様に引き留められたの。昨夜、君に言われたことをずっと考えていたと開口一番に言われたわ。
君の言動は好ましくて愉快だとか、君のような女性に出会ったのは初めてだとか、娘のために必死になってくれて感謝しているだとか、長々とお世辞めいたことおっしゃっていたけど、話が長くなるから結論だけ伝えるわね。
私の言い分が正しいと認めてくださったの。
認めてくださったのよ!! (興奮してごめんなさい)
なぜなら、ラヴィニアには他人を思いやる心が欠けているから、ですって。確かにお父様の前ではいい子ぶりっこしているけれど、使用人や下級貴族に対してはあたりが強いわね。公爵様がそのことに気づいておられたのは意外だった。
その原因が想像力が足りないせいだと公爵様は思い込んでおられるようだけど、それだけではないと私は思うの。ラヴィニアは寂しいのよ。早くにお母様を亡くされて、公爵様はあの通り、厳しい方でしょう? 愛情があっても、娘を甘やかすなんてことは絶対にしないと思うの。
現にラヴィニアはお父様のことをとても怖がっているもの。それと同じくらい愛情にも飢えている。思うに、公爵様の愛情がうまくラヴィニアに伝わっていないことが原因なんじゃないかしら?
ラヴィニアは、弱い自分を隠すために、強い口調や態度で武装しているだけ。
以上が私の勝手な想像よ。真に受けないでね。
何はともあれ、仕事を失わずにすんで良かったわ。
この件でやきもきしているだろう貴女に早く知らせなければと思い、筆をとりました。
今夜はぐっすり眠れそうよ。(昨夜はほとんど寝ていないの)
今もなお貴女の腹心の友であるドリス・ミラーより。