【コミカライズ】黒の鴉に嫁入りした世界で一番美しい公爵令嬢
むかしむかしあるところに、イーテンツオ王国という国に、美しくて、可愛くて、お菓子みたいで、宝石みたいで、お花みたいで、とにかく可憐なご令嬢がおりました。
むかしむかしあるところに、異形の者と恐れられ迫害された部族がありました。
ひっそりと暮らす鴉の里に、砂糖菓子のようなお嬢様が嫁いできた物語です。
*
「本日からよろしくお願いいたします」
優雅な礼をしたのは、リヴィア・フェレール。
日の光に当たるとキラキラ透き通る髪と白い肌に、レースがふんだんに使われた水色のドレスはよく似合いました。彼女の耳や首元には宝石が輝き、甘い香りが漂っています。
ですが、この場は舞踏会の会場でも、貴族の邸宅でもありません。
平民の住む里でした。ドレスの長いトレーンが動くたびに、土ぼこりがたちました。
「本当に来たのか」
呆れた口調でリヴィアを見つめるのは、鴉の長・アキト。リヴィアの夫となる男です。
彼はイーテンツオ王国に住むどんな男性とも異なる容姿をしていました。
黒い長髪に黒くて鋭い瞳。黒い大きな鳥の羽。足は人間のものではなく、獣のように大きな鉤爪が光ります。
「ここに嫁ぐだなんて、正気か?」
「ええ。女に二言はございません」
黒の鴉。イーテンツオ王国より更に北の山を住処としている百名足らずの部族です。
半分獣のような、鳥のような、とにかく人間の姿とは大きく異なる異形の者として、忌み嫌われ不吉なものとして迫害されていました。彼らに闘争の意志はなく、ひっそりと山の中で暮らしています。
そんな鴉の里にやってきたのは、王都から出たこともない純真培養箱入りお嬢様でした。
変なことになった。アキトは天を仰ぎました。
まさかこんな貴族のお嬢様が嫁いでくるだなんて、夢にも思わなかったのです。
*
むかしむかしあるところに美しくて、可愛くて、お菓子みたいで、宝石みたいで、お花みたいで、とにかく可憐なご令嬢がおりました。
彼女の名前はリヴィア・フェレール。フェレール公爵家の五女で、八人兄弟の末っ子でした。可愛い可愛いお嬢様は、愛情深い両親と優しい兄と姉に目に入れても痛くないほど可愛がられ、すくすくと健やかに育ちました。
そんなリヴィアですから、婚姻が可能となる十六歳になった頃には、たくさんの婚約の打診が届きました。彼女のデビュタントの日は一目彼女に会おうとたくさんの令息が足を運んだそうです。
しかし、十七歳になったリヴィアは未だに婚約者が決まることはありません。六人目の候補を家から追い出したところでした。
「リヴィア……! 彼の何が悪かったか父に教えてくれ。家柄的にも申し分ないし、誰が見ても彼のことは美しいと口を揃えるだろう」
フェレール公爵は眉を下げ困り果てた表情で娘に訊ねました。今回こそ、と思って用意した面会の場だったのです。
彼は大変に困っていました。愛娘を甘やかしすぎたと反省もしておりました。彼女を可愛い可愛いと愛で、彼女が望む美しいものを与え続けた結果、リヴィアの「可愛い」「美しい」の基準は天ほど高くなってしまったようです。どんな男性も「NO」と跳ねつけ「美しくない」と一刀両断です。
「彼のどこが美しいのかしら」
相手の前では言っていないからいいでしょう、とも言いたげなリヴィアは窓の外を見つめています。
「私にはお前の好みがわからん」
フェレール公爵は様々な男性を紹介したつもりです。見た目の美しさだけでなく、リヴィアに美しいものを与え続けることができる経済力のある貴族。爵位関係なく自身の力で成功した実業家。リヴィアを守ることができる騎士。
「お父様には見る目がありませんので、次は自分で足を運んで選びます」
「そうだ、近く王の生誕祭があるんだ」
「あら。それは楽しみですわね」
父の思惑から背を向けてリヴィアは窓の外を見下ろしました。お断りした男性がお帰りのようです。
彼らを見送りながら「はあ、本当に醜い」とため息をついたのでした。
*
それからしばらく時が経ち、リヴィアは八人目の候補者とデートに出掛けることになりました。
父と政治的な繋がりがある令息で、一度だけでも、と押し切られる形で出かけることになったのです。それが人生を変える出会いに繋がるとも思わずに。
「貴女は美しいものがお好きだと聞いたから」
八人目の候補・ダニエルはリヴィアと従者たちを連れて、小高い丘にやってきました。そこは一面花が咲き乱れていて空は近く、海を見下ろすことができて、地平線が遠くに見えて、確かに絶景でした。
「本当にとても素敵です」
リヴィアは心から喜んでいるように――少なくともリヴィアの侍女のアンは思いました。
ダニエルはリヴィアにたくさんのものを贈りました。ドレス、宝石、お菓子、お花。どれもリヴィアが好みそうなものでしたし(フェレール公爵が好みを伝えたのでしょう)物だけではなく、景色までプレゼントするとはなかなかセンスも感じられます。
リヴィアはくるくるとその場を踊り本当に楽しそうでしたし、即興ダンスの可憐さにダニエルや従者たちは目を奪われたものです。
その時、びゅうと風が吹きました。
小高い丘――そこは崖でもありました。登ってきた方はゆるやかな草原でしたが、海が見える先端は崖です。
「リヴィア、気を付けて」
ダニエルは優しくリヴィアの手を引き寄せました。寄り添った二人は絵画のように美しく、従者たちは二人が結ばれるものだと確信しました。
次にあがったのは悲鳴でした。
「きゃあ! カラスだわ!」
一行の一人が空を見て叫びました。一同に緊張感が走り、護衛の従者が剣を構えました。
「……カラス?」
リヴィアは聞きなれない言葉に、皆が見上げる方を向きました。そこには、鳥? 獣? それとも人間?
大きな黒い羽根をバサバサとはためかせながら、黒い影が五つ、こちらに向かってきています。
「い、異形だわ!」
アンが叫びました。確かにそれは異形でした。顔は黒く光り、鼻先は鳥の嘴のように鋭くとがっています。
背中の大きな黒い羽根は飾りではありませんし、大きな足は獣の鉤爪のようです。着ている服もまるで見たことがありませんが、全身を見ると人間のようにも見えます。
人間が空を飛ぶ。そんなことをリヴィアは知りませんでしたので、目を瞬かせました。
『カラス』と呼ばれた一味は、地上の騒ぎに気づいたようですが、あまり興味なさそうに頭上を通り過ぎようとしました。
しかし、ダニエルが「撃て!」と従者に命令し、すぐに騎士が矢を放ちました。
カラスの一味はそれをひらりと簡単にかわしました。
そして集団から一人のカラスが飛び出し、ぐるんとこちらに向きを変えて、騎士めがけて真っすぐ飛んできます。
「うわあああっ」
騎士は再度矢を放ちますが、またしてもかわされて。
その場にいた人間が惨劇を予想して目を瞑り、もう一度目を開いた時には、騎士が構えた矢の上にひらりと男が立っていました。
「――攻撃をやめろ。俺たちは戦う気はない」
大きな鳥の羽がついてますが、彼の身体を今空中に留めているのは大きな足の鉤爪でした。鉤爪で細い矢に器用に止まっているのです。
他の騎士が剣を抜いたのを見ると、カラスはもう一度飛び上がりました。そして手に持っている扇子を騎士に向かって投げました。風を切る音と同時に、騎士の剣先が綺麗に折れました。
「うわ、うわわわわ」
「異形だ……! に、にげろ!」
「お逃げください、ダニエル様!」
従者たちが口々に声を上げると、呆けていたダニエルは正気に戻りました。そして――。
「えっ?」
気の抜けた声がリヴィアから漏れました。
ダニエルは我が身かわいさに、カラスに向かってリヴィアを突き放したのです。さながら生贄のように。
「リヴィア様……!」
アンの叫び声が聞こえます。ダニエルは混乱していたので、リヴィアを突き放した方角を気にしていませんでした。
つまり、リヴィアは崖に向かって突き出されていたのです。
「あら」
リヴィアは崖から海に向かって身を投げることになりました。
(でも醜い男の妻になるくらいでしたら。美しい光景のなかで最期を迎える方がわたくしらしいかもしれません)
しかし、リヴィアの思った最期にはなりませんでした。次の瞬間にはリヴィアはカラスの腕の中にいたのですから。
「大丈夫か……!?」
がっしりとリヴィアを抱きしめて男は言いました。
先ほど獣の顔だと思っていたのは、黒い仮面でした。
仮面の奥から、黒い瞳が覗きました。そこには獣らしさなどまったくありません。ただリヴィアを気遣う色だけがありました。
カラスは、上昇し先ほどいた場所にリヴィアをそっとおろしました。
「リ、リヴィア様……!」
先ほどの場所にはアンだけが残っていました。畏怖よりも、主の無事を確かめる気持ちが上回ったようです。転がる勢いでアンはリヴィアのもとまでたどり着きました。
「ご、ご無事だったのですね……!」
「この方が助けてくれたわ」
「お怪我はありませんか」
「ええ。傷ひとつないわ」
「残っているのはお前の従者だけか」
二人のやり取りを見守っていたカラスは静かに尋ねました。見える範囲にダニエル一行はいないようです。
「リヴィア様を置いて逃げるだなんて」
「いいのよ、これで結婚をお断りする理由ができたから」
リヴィアは気にすることなく言いました。
「おい。歩けるか?」
カラスはリヴィアを見て訊ねました。リヴィアはぺたんと座り込んだままでしたので起き上がろうとしましたが、うまくいかないようです。
「腰が抜けております。わたくしとしたことが驚いてしまったみたい」
「女を捨てて逃げるとは……」
カラスは眉を寄せて怒った顔をします。羽や鉤爪はよくよく見ると恐ろしいですが、髪や瞳が黒い以外は普通の人間のように見えます。
リヴィアはカラスをじっと見つめてから、言いました。
「お願いがあるのですが」
「なんだ」
「わたくしと結婚していただけませんか」
「はあ?」
カラスの目が大きく見開かれました。アンの口も大きく開きました。リヴィアだけがいつもと変わらない美しさで微笑んでました。
*
むかしむかしあるところに、異形の者と恐れられ迫害された部族がありました。
人間と獣――鴉が混ざった姿をしているために、人間とくに貴族に忌み嫌われていました。
鴉は、女子が生まれることがほとんどなく、そのために彼らは人間を攫っては妻にする、と人間から恐れられていました。
鴉の長であるアキトは、人間の妻を見つける気が起きないまま二十になっておりました。
そんなときに自ら嫁入りを志願する人間が現れたのですから、リヴィアの嫁入りは里の者からすれば大歓迎です。
アキトは「貴族のご令嬢がまさか本当に嫁いでくるわけがない」とその場限りの世迷い言だと思っていたのですが、数日後には正式な婚姻の打診が届きました。
リヴィアからではなく、リヴィアの父・フェレール公爵からの正式なものでした。
「本人はともかく、父親も許可するだなんて何を考えているんだ」
「調べてみたけど。彼女、公爵家のご令嬢だ。持参金はたくさん持ってきてくれてるみたいだし、何か企みがあるわけでもない、命を助けてくれた男に恋する夢見る夢子ちゃんだ。断る理由なんてないだろ」
部族の一人・ケンは言いました。それでも首を縦に振らないアキトに続けて言いました。
「それにあの子、国に戻ってももう貰い手ないんじゃないのか? 異形の者に襲われた「傷物」扱いだぜ、彼女」
アキトはようやく頷きました。そして本当にリヴィアは里に嫁いできたのです。
「本日からよろしくお願いいたします」
「本当に来たのか」
「ここに嫁ぐだなんて、正気か?」
「ええ。女に二言はございません」
里に似つかわしくないドレス姿のリヴィアは微笑んでいます。
鴉の里は住居や食べ物はイーテンツオ王国と大きく変わりませんが、ルーツを倭の国に持ち着物や下駄などを里で作り愛用しています。
「あんたほどの美人、国で引く手あまただろう」
「そうですね」
謙遜という言葉をリヴィアは知りませんので当然のごとく答えました。
「わざわざこんなところに嫁がなくとも」
「わたくし、あなた以上に美しい男性を見たことがありませんから」
「な……」
アキトは言葉に詰まりました。今まで人間には「醜い」「異形」「化け物」と言われていましたから。
命の恩人と言われることは予想していましたが、「美しい」と言われるとは思ってもみなかったのです。
「言っておくが……俺は別にあんたのことを愛していないぞ」
アキトは一応気遣いとして、定番の台詞を告げました。恋する乙女に期待をさせてもいけません。
「存じております。貴族の結婚も同じようなものですから、それは問題ありません」
「恋愛じゃなくてもいい、と。それならなおさら自国の貴族の方がいいだろう」
「でも、貴方がいいのです」
「俺が」
「わたくし、欲しいと思ったものは絶対に欲しいので」
リヴィアははっきりと答えました。欲しい。恋に恋するおままごとにしては、直接的な表現です。
あまりの視線の強さにアキトはたじろぎました。
「これからわたくし達、夫婦になっていけばいいのですから。今アキト様のお気持ちがなくても問題ありません」
「まるでその言い方だと俺がこれからあんたを好きになっていくみたいだな」
「はい、そうですよ」
挑戦的な目がアキトを射抜き、今度こそアキトは目をそらしました。
「すごい自信だ」
「はい。わたくし美しくて可愛いので」
「……まあ確かに一般的にはあんたは美しくて可愛いんだろう。でも貴族の美しさは俺にはよくわからない」
自分は見た目で決めるわけではない、皮肉も込めてアキトは言ったつもりでした。
「ですが、わたくしが美しいというのは揺るぎない事実ですから」
思っていた以上にリヴィアの我が強いことに気づいたアキトはそれ以上言及するのはやめました。
そして里や屋敷を案内しました。きっと彼女の理想とは異なるはずですから。一周回ったころには帰りたいと言い出すと思ったからです。
アキト邸は、会合なども行うので他の住居より多少は広いですが、装飾品のようなものはありませんし、彼女の生家より何十倍も小さいでしょう。
「どうだ? この里や屋敷はあんたには合わないだろう」
「……そうですね。可愛さやきらめきは足りません」
「無理なら帰ってもいい。まだ間に合う」
「いえ。わたくしの可愛いを作ればいいだけですから」
「はあ」
彼女の言う『可愛い』がアキトにはわかりませんでしたが、最後にもう一度確認しました。
「本当にいいんだな? 鴉の里は人間の妻を求めている。望むのなら歓迎する」
「はい、もちろんです! よろしくお願いいたします」
「はあ……鴉の妻に自分から志願するなどどうかしている」
「わたくしは自分の意志で、アキト様のもとに嫁ぎたいのです」
アキトはもう何も返せずに、リヴィアを見つめ返しました。宝石のような瞳が真っすぐアキトを見つめています。
「我が里に来てくれたことを感謝する」
短い言葉でしたが誠意を感じる言葉に、リヴィアはふわっと微笑みを返しました。
*
「ドレス、ではなくシロムクですか……」
「ああ、そうだ。鴉の里の式では花嫁はこれを着る」
到着早々ではありますが、結婚式を行う運びとなりました。アキトは鴉の里の花嫁が代々結婚式で着ている白無垢を用意させました。里の女性たちがアキト邸にやってきて、リヴィアの支度を行います。
「リヴィアの国の風習と異なるかもしれないが、ひとまず我が里の結婚式を行わせてもらう。これで夫婦として認められるからな」
「はい」
イーテンツオ王国の結婚式は白いドレスに教会で神に愛を誓ったはずです。アキトの心配をよそにリヴィアは目の前の白無垢に夢中のようです。
「これは……初めて見ます。一枚の布に見えますね」
桐の箱に入った着物をリヴィアはじっと見つめました。里の女性が着物を広げていきます。
「すごいわ……! あんなに薄くたたまれていたのに……! ドレスと違って場所を全然取らないのね、すごい発明品だわ!」
リヴィアが目を輝かせてはしゃぐ姿にアキトは驚きました。どこかすましていてお嬢様ぶっていると思っていたのです。まあリヴィアは本当にお嬢様なのですが。里の女性がリヴィアの肩に白無垢を乗せます。
「着てみるとずっしりと重いのね」
「リヴィア様。とってもお似合いですよ」
女性に促されて姿見を見たリヴィアの顔がぱっと華やぎました。それはお世辞ではなく、本当によく彼女に似合っていました。
「どうですか、アキト様!」
「……ああ、いいな」
「足は少し開きにくいけれど、ドレスよりも裾が気にならないです。重いけど、ドレスよりも楽だわ。ここでの生活はこちらの方が合うかもしれませんね」
軽く帯を締められたリヴィアは身体を動かしながら、また感嘆の声をあげました。
「そこは順応するのか」
「わたくし着物とても気に入りましたから。美しいです」
どうやらリヴィアの美しいは、派手で華美なものだけではないらしい。そう思うとアキトは少し安堵しました。
アンがリヴィアの髪の毛を結いあげていき、里の女性が朱色の化粧をリヴィアに施しました。鴉の里伝統の化粧もよく似合いました。
すぐにアキト邸には里の面々が集まり、二人の結婚を祝福しました。
自宅で行う結婚式は簡略的で、里の者にリヴィアを紹介して、お酒を振る舞うくらいのものでしたが、リヴィアが終始ニコニコと嬉しそうにしているのを見て、アキトも心がまた軽くなりました。
その日の夜。夫婦としての最初の夜が訪れました。
アンが用意してくれていた紅茶を飲みながら二人は向かい合って座っていました。アキトはおずおずと切り出しました。
「里に来てくれたことを感謝する、大切にする。しかし、俺は正直、女性は得意ではないんだ。どう扱えばいいのかわからん」
正直なアキトにリヴィアは頬を少し緩ませてから、小さく手を上げました。
「ではわたくしの希望を言ってもいいですか」
「ああ。できる限り叶えよう」
「まず朝食と夕食は一緒に取りたいです」
「わかった」
「お仕事で家を空けられるとき以外は一緒に眠りたいです」
「ぜ、善処する」
それらは夫婦として当たり前のことなのでしょうが、自分に嫁が来ることを全く想定していなかったアキトにとっては大変難しいことに思えました。
「わたくしの国では結婚式の際にキスをするのですが」
「はあ」
「今日の式では行いませんでした」
「そうだな」
「今、していただけますか」
アキトは面食らってリヴィアを見ました。彼女はこんな時でも涼しい顔をしていて、とてもキスをお願いした女性とは思えません。
本当に自分のことが好きなのだろうかとアキトは思ったほどです。
「そうだな、夫婦としては、そうだな……そうかもしれない」
アキトは意を決して立ち上がるとリヴィアのすぐ近くまで向かいました。やはり花のように甘い香りが鼻をくすぐります。
立ってするのが正解か、座った方がいいのか、アキトが悩んでいるとすくっとリヴィアが立ち上がりました。
「小さい」
アキトからぽつりと感想が漏れました。
リヴィアは少々高圧的なオーラがありますので、本来のサイズ以上に大きく思えていましたが、こうして近くで見下ろしてみると驚くほどリヴィアは小さかったのです。
そっと肩に触れると、リヴィアの肩がぴくりと反応しました。アキトを見上げた頬は赤く染まっていて、その表情にまたアキトは驚きました。
「あんたでも照れたりするのか」
「アキト様のお側にいるときは、いつも照れていますよ……!」
リヴィアはむくれたように睨みました、確かにこれは世界で一番かわいいかもしれない、アキトはそんなことを思ったのです。
それから腰を曲げて、リヴィアの唇に自分の唇を寄せました。
それはほんの一瞬のことでしたが、お互いの心臓の音を聞いた気がしました。
「……俺は女心に疎いからこれからもはっきり言ってもらえると助かる」
「ではいつの日かで構いませんから。義務的なものではなく、わたくしのことを本当に好きになってくださいね」
「あ、ああ。善処する」
何を善処するのかわからないままにアキトは答えました。
「済まない。約束したばかりだが、明日から少し里を離れないといけないんだ」
「では抱きしめてもらってもいいですか」
「……わかった」
アキトは言われるがままに恐々と小さな身体を抱きしめました。
恋や愛というものもわかりませんし、妻というものを想像すらしていませんでしたが。腕の中にいるリヴィアのあまりのあたたかさに、明日から里を離れることを名残惜しく思う気持ちはありました。
*
一週間ほど里を離れて、戻ってきたアキトは目を丸くしました。
アキト邸の隣にピンクの可愛らしい小屋が立っていたからです。
リヴィアは「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」ですし「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」の人でした。
イーテンツオ王国からたくさんの職人が訪れて、あっという間に彼女の理想の城を作り上げていたのです。
庭師も呼んでいましたから、アキト邸には薔薇のアーチができました。一緒に里に戻ってきたケンはそれを見て大きな声をあげて笑いました。
「どういうことだこれは……」
「全力で馴染もうとしてるんじゃないか?」
「ケン、面白がってるんだろ」
アキトはげんなりした表情で言いました。好みが合わないことはともかく、こんな小屋を建てるには多額の費用がかかったはずです。たとえそれが公爵家から出たお金であっても、金銭感覚があまりにもアキトとは異なりますから。好きに過ごしていいとは言っていましたが小屋を建てるとは思っていませんでした。
長期不在にしていたときは、戻ってすぐに里を一周するのがアキトのお決まりでした。
ピンクの小屋はひとまず見なかったことにして、畑や製糸場の様子を見に行くことにしました。
鴉の里は絹産業で主な生計を立てています。アキトが不在にしていたのも里の男たちと商人のもとに運んでいたからでした。
ちょうどお昼どきでしたので、製糸場では女性陣が昼食を取っているところでした。彼女たちは鴉ではなく、元々はイーテンツオ王国に住んでいた人間たちです。
アキトの姿に気づくと、数名の女性がアキトのもとにズカズカと向かってきました。
「アキトさん!」
リーダー格の女性が鼻息荒く、アキトとケンに詰め寄りました。
「あの方はどうしたのですか!」
「リヴィアのことか……?」
「そうです。聞けば、公爵家のご令嬢じゃないですか!」
「どうしてこんな里にいらしたんですか!」
女性たちにあっという間に囲まれました。こんなことは今までなかったので、何事かと背中に冷たい汗が流れます。
「リヴィアが何かしたのか……?」
里のいる女性たちは、貴族のリヴィアとは全く違う世界に生きてきた人たちでしょう。
「まさか、美しくないと言われたとか?」
ケンが冗談交じりに訊ねると
「ええ、そうですわ!」
リーダーの女性が大きな声を出しました。そして自身の手を二人に見せつけました。
「私の手を見て、あの方は美しくないと言いました」
仕事や家事に追われる彼女たちの手は赤切れや傷がたくさんついています。
リヴィアはきっと重いものを持ったことすらないでしょう。傷ひとつない美しい白い手をアキトは思いだしました。
「それはすまなかった。俺の妻が失礼な――」
「あの方は……本当に美しい方です!」
リーダーの女性がそう叫んで手を顔で覆うと、後ろからすすり泣く声まで聞こえました。
「見た目が美しいだけじゃ、どうしようもないよな」
ケンは彼女たちを慰めようと声を掛けましたが、
「リヴィア様は内面も美しい方です」
「え?」
リーダーの口からは予想外の言葉が出てきました。彼女は自分の手を大事そうに握りしめて話し始めました。
「私たちの手を見てリヴィア様は美しくないとおっしゃいました。そしてすぐにご自身の化粧クリームをたくさん持ってきてくださって、あの美しい手で私たちの手に塗り込んでくださったんです」
「こんなに汚れている手を気にすることなく」
「みっともない手で申し訳ありませんと言いましたら、素敵な手だ、と仰ってくださったんです」
アキトとケンは予想していなかった話の展開に首をひねりました。
「美しくないと言ったのではないのか?」
「ええ。自身の手を大切にしないことは美しくないことだ、と言いました。素敵な手なのだから、大切にするように、とクリームをたくさん下さったのです」
「なるほど……」
女性陣はうっとりとした口調でつづけました。
「フェレール公爵家といえば、私たちでも知っている上位貴族様です」
「リヴィア様の一番上のお姉さまは王妃様ですよ」
「なんだって……」
貴族の爵位などにまるで興味がないアキトにとって貴族は男爵だろうが公爵だろうが皆同じでした。ですが王妃を輩出する家となれば別格なことくらいわかります。
「そんな方が私たちに気軽に話してくださるだけでもありがたいのに」
「アキトさんの奥様がリヴィア様だなんて……」
その場にいた女性陣はいかにリヴィアが美しいかを語り始めました。リヴィアは自分よりよっぽど長向きかもしれない。女性陣の支持率は抜群でした。
「……リヴィア信者ができていたな」
その場を離れ、ケンはおかしそうに言いました。
自分たちが里を外している一週間のうちにこうなっているとは思っていませんでした。
ケンと別れて、自分の家の前まで来るとピンクの小屋が目に入ります。それを見るとアキトの心は重くなりました。
「あ、アキト様! 戻っていらしたんですね! おかえりなさいませ!」
ピンクの小屋からリヴィアが出てました。相変わらずこの里に全く似合わないドレスと風貌です。
「アキト様。わたくしの部屋が完成したのです。御覧になってください」
リヴィアは自慢げな顔で言いました。
毒気が抜かれるというのはこういう表情を言うのでしょう。あまりにも楽しそうな顔で、アキトは何も言えませんでした。
リヴィアに手を引かれて、アキトがピンクの小屋に入るとそこは別空間でした。
「わたくしのお気に入りをたくさん持ってきましたの」
そこにはイーテンツオ王国のリヴィアの部屋そのものがありました。白を基調とした部屋は花の香りが漂い、見るものすべては明るく鮮やかな色でした。
天蓋付きベッドにドレッサー、可愛らしいテーブルとチェア。花瓶や絵画もたくさん飾られています。
落ち着いた色で統一されてほとんど物のない質素なアキトの部屋とは正反対でした。
「どうですか?」
「……すごいな。だが、あんたの好きな可愛いものや煌びやかなものはこの里にないと思うが……」
「確かに可愛いものはあまりないかもしれませんね。お菓子も売っていませんし。でもそれらはイーテンツオ王国から持ち込めば問題ありません」
侍女のアンが部屋に紅茶を運んできたところでした。アキトの前には、繊細な細工のティーカップが置かれました。食べたことも見たこともないような可愛いお菓子も。口の中にいれてみるとほろりと溶けて甘さが口いっぱいに広がりました。
「費用はどうするんだ」
「わたくし、お金はたくさんありますから」
にこりと笑うリヴィアはアキトは眩暈がしそうでした。
「里の者と仲良くやってくれているようだな。化粧クリームを喜んでいた」
「ええ。あのクリームはとてもよく効くんですよ」
リヴィアからは甘い香りがします。きっと彼女も同じクリームを使っているのでしょう。
「手荒れはない方がいいですから」
「美しくないからか?」
彼女の美意識に反したのだろうか。そう思ってアキトは訊ねました。
「いえ、単純に傷があると染みて痛いからです。彼女たちの努力の勲章ですから醜いとは思いませんが、それを美徳としてそのままにすることは全く美しくありませんから」
アキトはリヴィアが自分の手を見つめていることに気がつきました。彼の手も泥で変色し、傷はたくさんついています。
「アキト様にもしっかり塗りますからね……!」
どこからかクリームを取り出したリヴィアはアキトの手を取ってどんどん塗り込んでいきます。小さな白い冷たい手が自分の手を撫でていくと、女性陣の気持ちがわかった気がしました。
*
「暇ね」
王国にいた頃のリヴィアはやることは案外あったのです。
昼前に起きて、夜会のお礼の手紙を書いて、家庭教師から学んで。情報交換のためにお茶会に参加して、夜会のためのドレスや宝石を決めて、夜には夜会に出かけました。
鴉の里には夜会などありませんし、お茶会をする友人はいませんから。鴉の里の女性は皆働いています。
「ドレスデザイナーや宝石商でも呼びますか?」
アンは焼き立てのお菓子をリヴィアの前に並べながら聞きました。
「わたくし、最近は着物の方が気に入っているのよ」
今日もリヴィアは着物を着ていました。着物には宝石より簪の方がよく合いました。先日アキトが贈ってくれた朱色の簪をリヴィアはいたく気にいっていました。
「それに……」
リヴィアは購入した宝石を見せた日のアキトの表情を思いだしました。
「アキト様はあまり宝石がお好きでないのかしら」
「好き嫌いというより興味はなさそうですね。――リヴィア様はこれからもここでの暮らしを続けるおつもりですか」
声を潜めてアンは訊ねましたが、リヴィアは迷うことなく頷きました。
「だって、わたくし恋に落ちてしまったんだもの」
「……私にはわかりません。フェレールの名前を捨ててまで」
「お父様の腰は大丈夫かしらね」
リヴィアが鴉の里に嫁ぐと決めた時、フェレール公爵は腰を抜かしてしまいそのまま立ち上がれなくなってしまったのです。
リヴィアが一生に一度のお願いを発動して、泣き落とし、脅し…………アンはあの日のことを思い出すと背筋が凍りつくのですが。まあとにかくフェレール公爵は最後は頷いてくれました。
「私にはどうしてアキト様なのかわかりません。ダニエル様は――大きな問題がありましたけど。それ以外の方は皆素敵に見えました」
「そうね。ご自身で富を築かれている方もいたし、力自慢の方もいらっしゃったわ。だけどわたくし、ほんの少し見る目があるのよ。何か違う、と心が言うの。ダニエル様は自分が一番可愛い方でしたね。他の方も、汚いお金に手をつけていたり、力の矛先を間違えたり。それから結婚を断られたからと言って、わたくしの大切な花を踏みながら帰った方もいましたわね」
「ではアキト様はどうなのですか。鴉は人間を――」
「アンは実際にこの里に住んでみてもそう思うのかしら?」
リヴィアの問いにアンは「……いいえ」と答えました。
鴉の里の女性は皆、貧しい村からやってきた平民でした。間引かれた子供や身寄りがない女性。
仕事や行くあてのない者を見つけては連れてきていました。男性もいますし、鴉と結婚しない者もいました。皆、鴉の里で仕事に就き、人間らしい生活を送れるようになっていたのです。
「アキト様は自分の立場では妻を選べないと仰っていたと聞いたわ」
「なぜですか」
「長が選べば、女性側は断れないからよ」
リヴィアはいたずらっ子のような笑みをアンに向けました。「わたくし、人を見る目は確かなの」
そして、リヴィアは首をかしげました。
「アキト様はわたくしのことをどう思っているのかしら。正直に言ってほしいの。どうしてわたくしはこんなに可愛いのに好きになってもらえないのかしら」
「では正直に申し上げます。アキト様は、リヴィア様と住む世界が違うと思っていらっしゃるのではないでしょうか」
「どういうことかしら?」
リヴィアは理解できずにきょとんとした表情を浮かべます。
「アキト様は質素な生活を送られていたようですし。リヴィア様のお金の使い方に驚かれている節はあります。誰にも求婚できなかった優しい方ですから、リヴィア様がこの里では幸せになれないと思っているのではないでしょうか。この里の様子を見てもそこまで余裕があるとは思えませんから」
「なるほど。でもアキト様といたいけど、可愛いものは集めたいわ。お金があるからいいのではなくて?」
「そこに複雑な感情がおありなのでしょう。そのお金はフェレール公爵家の物ですし。可愛いものを与え続けてくれる男性と一緒になったほうがいいと思われているかもしれませんね」
「ロマンス小説では、お金持ちの男性に見いだされた女性はハッピーエンドなのに。どうして立場が逆だと受け入れてもらえないのかしら」
リヴィアは少し考えてから思いついたように手を叩いて、満面の笑みを浮かべました。
「ようするに、お父様のお金ではなくて。わたくしのお金、いえ里の収入になるのならいいのよね?」
*
「お願いがあるのです」
帰宅したアキトに開口一番リヴィアは言いました。
「わたくし、働きたいのです」
「リヴィアが働く……?」
リヴィアと「労働」それはかけ離れたものに思えました。目を丸くしているアキトにリヴィアは続けます。
「わたくし可愛いものには囲まれていたいのです。宝石もお花もお菓子も大好きですから。でも里の者に伺いましたの。『働かざる者食うべからず』と」
「はあ」
「ですから、働いて得た収入で好きなものを集めればよいのですよね?」
キラキラと目を輝かせながら詰め寄られ、アキトはじりじりと後ずさりしました。
「製糸場で働くというのか? リヴィアの好きな宝石を買うのならば何年もかかるぞ」
「いえ。わたくしの得意な戦場は、製糸場ではなく夜会ですわ……!」
リヴィアは今夜は華やかなドレスを着ていて今にも夜会にいけそうです。しかし――。
「すまない、意味が分からない」
「着物を売るのですよ……! この里には素晴らしい職人がたくさんいますから」
「着物をすぐに受け入れて好む貴族はリヴィアだけだ」
「ですが、わたくしは流行を作れます」
リヴィアは首元を撫でて自信満々に言いました。首元までレースが美しいエレガントなドレスです。
「このドレス、わたくしが作らせたドレスなのですが。わたくしが夜会で着た後、この形が大流行しました。この里で作られた美しい着物を着て夜会に赴けばいいのです」
「そううまくいくか? 着物だぞ」
「アキト様はわたくしの美しさを知らないのですよ」
初めて会った日のような挑戦的な瞳がアキトを射抜きました。
「この里の絹と職人の素晴らしさとわたくしの美しさを持ってすれば、流行など簡単ですわ」
「はあ……」
「それからアキト様。この里で作られた絹は最高級品です。なのにどうして貴族ではなく街の商人にだけ卸しているのですか?」
リヴィアの真っすぐな質問にアキトは目を伏せました。
「貴族が鴉の里の名産を受け入れると思うか?」
「なるほど、そういうことでしたのね。では、貴族向けにも販売しましょう。街の商人に卸す数倍の値段で」
「なに?」
「こちらが適正価格だと思いますよ。街の商人への値段は変えずとも結構ですが。わたくしの実家の力を使って販売をすればよいのです」
「しかし……」
「アキト様。あなたの謙遜の心は美しいと思います。しかし、正当な報酬を得てください、この里の名産は本当に素晴らしいのですから。里のみなさんのためにも利用できるものは利用すればよいのです」
「女性を利用するなど」
リヴィアはアキトの手を取りました。反射的にアキトはそれを振り払います。帰宅したてで、自身の手に泥がついていたからです。
「すまない」
「いいえ。わたくしアキト様のそういうところをお慕いしています」
リヴィアはアキトの手をぎゅっと握り直しました。
「見ててください。わたくし、きっと成功させますから」
力が籠もった声に、アキトは気が抜けたように笑いました。
「リヴィアを見てると……いろいろと考えていたことがくだらなく思えてくるよ」
「そうでしょう? わたくしのこと好きになってくださいましたか?」
「あはは。目は離せないな」
「ではずっと見ていてくださいね」
リヴィアが笑いかけると、アキトは降参したように小さな身体を抱きしめました。
*
それから数か月後。夜会にリヴィアは颯爽と現れました。
「アキト様にエスコートしていただきたかったわ」
「本日は着物を見せるのだろう。鴉がいればそちらに目が取られる。段階が必要だ」
「そうですわね。でもいつか必ずアキト様と参加してみせますわ。わたくしの素敵な旦那様を見せびらかしたいですからね!」
エスコートしているのは彼女の父・フェレール公爵です。
突然実家に現れたリヴィアを見て、戻ってきてくれたのか!と喜んだのもつかの間、今回の計画を押し付けられました。
ですがフェレール公爵は優秀な経営者でもありますから。上質な絹を見て利益になると気づいたようです。全面的に協力を得ることが出来ました。
リヴィアが公爵とともに会場に入ると、波を打ったようにシンと静まり返りました。
「あれはリヴィア様かしら……」
「あのお召し物は一体」
「珍妙で……いえ、個性的ですわね」
リヴィアは堂々と会場を歩いていきます。ぴんと背筋を伸ばして歩く姿は凛としています。
淡く艶やかな桃色の着物には、同系色の淡い小花が咲いていて、黄蘗色の帯もアクセントになっていました。
ゆるやかにまとめた髪の毛にはパールが輝き、そのすぐ近くにはアキトからもらった簪を刺しています。パールと簪の相性はよく、簪まで宝石のように思えました。
「お久しぶりです。オリヴィア様、本日も素敵なドレスですね。レースがとても可愛いわ」
リヴィアが顔見知りのご令嬢に晴れやかな挨拶をすると、彼女も
「リヴィア様のお召し物もとても素敵で……恥ずかしながら初めて目にしました」
「わかってくださいますか!?」
リヴィアはぱっと明るい顔を向けると、しなやかにその場でくるりと周りました。その仕草はあまりにも上品で艶やかでご令嬢たちは息を呑みました。
「これは着物といいますの。ドレスとは異なる気品があるでしょう。わたくし最近着物のデザイナーを知りまして。よければオリヴィア様もいかがかしら……?」
「まあ、ぜひ紹介していただけますか」
「もちろんよ。今度フェレール家の館にいらして」
リヴィアが歩くだけで、皆の注目を浴びました。リヴィアは目の端にダニエルを見つけました。ダニエルは凝視したまま動けなくなっていましたから、リヴィアは薄く微笑んでその場を通り過ぎました。
リヴィアは持ち前の社交性を発揮しながらたくさんのご令嬢に話しかけています。どのご令嬢にも平等に。
ご令嬢は話しかけられると嬉しそうにはにかみ、去っていくリヴィアを見る瞳には羨望が浮かびます。
「そうか、彼女は信者を作りやすいんだった」
窓の外に、鴉が二匹いました。彼らは獣の姿になることもできましたから、はたから見ればただの鳥にしか見えません。
「本当にどうにかなったな……」
アキトがつぶやくと「すごい嫁が来たもんだ」とケンは笑いました。
「ああ。彼女は世界で一番美しいらしいからな」
「お? ほだされているな」
「リヴィアといたら誰だってそうなる」
「アキトも信者になっていたか」
「妻に夢中になることは悪いことではない」
アキトはそれだけ言うとバサバサと空に向かって飛びたったので、ケンは慌てて後を追いかけていきました。
*
「おほほほ!」
リヴィアの笑いは止まりません。ご令嬢たちからの着物の注文が殺到していたからです。
「収入を得ました。ですから、ソファを購入しました!」
今日運び込まれたばかり花柄のソファはふかふかで二人で座るのにちょうどいいサイズでした。
「向かい合わせではなく、隣に座りたかったんですもの」
そう言ってリヴィアはアキトの肩に自分の頭を添えました。
「………っ」
「いけませんでしたか?」
「構わない」
「うふふ」
リヴィアから鈴の音のような笑い声が漏れました。アキトは注文リストを見ながら
「注文が殺到したことで、人員不足なんだ」
「ではまた人間を攫ってこなくてはなりませんね」
「ああ。ありがとう」
次に攫う人間の目星はつけていました。里の女性たちから仕事がなく困っている人の話を聞いていましたから。これからますます鴉の里は賑やかになっていくでしょう。
「アキト様。お礼を求めてもいいですか?」
リヴィアが小さく手を挙げて言いました。
「ああ。かなり収入も増えるから、リヴィアの好きな宝石もひとつくらいなら買えるだろう」
「いいえ。キスしてほしいのです」
「……」
「いけませんか?」
アキトは隣に座るリヴィアに膝を向けました。彼女が目を閉じて、長いまつ毛が震えています。頬は桃色に染まり、同じ色をした小さな唇が待っていました。
「……ソファはいい買い物だったかもしれないな」
「ええ。ずっとひっついていられますからね!」
アキトにはリヴィアが世界で一番、誰よりも美しくて、可愛い、お姫様に見えていました。
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