第八十話
聴取って言ってたから、風紀室に行くのかなと思ったんだけど。二見は、今回は「声かけ」で終わったから調書は要らないって言ってさ。
「てゆーか、聴取ってのも嘘。一回話して見たかっただけだよ」
と、ぺろっと悪戯っぽく舌を出して、二見は去っていった。
本当に食えないって言うか、マイペースだなあ。良い奴っぽいけど。
六限の授業が終わった後、代田先生に片づけを頼まれた。
例によって、鳶尾とふたりだ。
すっげえ、気まずい。
でも、こないだ断って帰ったら上級生に絡まれたし、ここは徳を積んでおくほかないぜ。
ささっと終わらして帰ろう。
で、プロジェクタをしまって、黒板を拭いて、花瓶の水を換えて。あとはモップをかけて終わり、って振り返ったら。
「あれ?」
鳶尾が、箒を持ったままボウッと立っている。足の周りには、掃き集めたっぽい塵がわだかまってた。
いつもテキパキしてる奴なのに、珍しい。
ちょっと迷ったけど、結局ちりとり持って、近づいてみる。
「なあ。俺ちりとりやるから、掃いてくれよ」
「……」
「鳶尾?」
顔の前でブンブン手を振ってみる。……こんなんして、嫌みの一つも飛んでこないとか、いよいよおかしいぞ。
すると、ふいにグラッと鳶尾の体が傾いだ。
「うお!?」
咄嗟に広げた腕の中に、鳶尾が倒れ込んでくる。けど、かなしいかな体格差のせいで、受け止めきれずにもろとも倒れ込んだ。
「いっだ!」
思いっきりケツを打って、じんじんする。その上、思いっきり鳶尾が乗っかってて、身じろぎもできない。
「おーい、鳶尾! どうしたよ?」
返事がない。
マジ、なんなんだ? 肩をゆすぶると、頭がぐらんと傾ぐ。鳶尾の頬が、俺の米神にぶつかってきた。
ヒヤッとする。……っていうか、やたら冷たい。
「え、大丈夫なん。おい、意識あるか? ちょっと!」
なんとか鳶尾の下から這い出して、体を仰向けに横たえてやる。
やっべえ。顔が真っ青を通り過ぎて、真っ白になってるじゃん。どうなってんの?
冷たい頬をぺちぺち叩いてみても、反応ないし。
「だ、だれかー!」
廊下に向かって、大声で呼ばってみたものの。誰か通りそうな気配もない。
田野先生呼ぶにも、こいつ放置していけないし……。
俺は、医務室までの距離を思い浮かべると。覚悟を決めて、鳶尾を背中に担いだ。
「いやぁ吉村くん、ご苦労様だったねえ。意識のない子って重いでしょ。でしょう? そこで座って休んでなさいね」
「あ、ありがとう、ございます……」
俺は、ゼイゼイしながら丸椅子に座り込んだ。
つ、疲れた。元運動部でも、自分よりデカい奴負ぶってくるのはきついわ。医務室が近くって、まだ良かったぜ。
腰をトントンしながら、ベッドに目をやる。
鳶尾が、シーツの上にぐったり横たわってた。その周りを、田野先生が忙しく動いて、面倒を見てる。
「先生。鳶尾、どうしたんすか?」
「んん? ――おそらく貧血だねえ。あと、過労気味かな。この子、ずいぶん無理してたんじゃないかな」
「はあ」
貧血と過労。そういえば、鳶尾の奴、このところ大人しかった気がする。具合が悪かったのか。
「最近ね、すっごく多いんだよ。貧血ぽくなって、医務室くる子。今年は、決闘制限があるから、患者が減ると思ってたんだけどねぇ。いや、不摂生はいけないよ。どんなに忙しくても、よく食べてよく寝なくちゃね。ね?」
「そうっすね」
せかせかと心配されて、神妙に頷いた。
俺はともかく、イノリのことが心配になってくる。あいつ、忙しそうだけどメシ食ってるかなあ。
「吉村くん、この子と同じクラスなんだよね。葛城先生に言ってきてあげてくれる?」
「あ、わかりました」
田野先生に言われて、立ち上がろうとした。けど、ツンと後ろに引っ張られて、怪訝に思って振り返って――目が真ん丸になった。
鳶尾の布団からはみ出した手が、俺の服の裾を掴んでる。ちょ、なんで?
「おやおや」
田野先生が俺の背をのぞき込んで、微笑ましそうな声を上げた。それから、えびす顔をますます和らげて、立ち上がる。
「やっぱり、僕が内線しときますよ。君は病人についててあげなさい」
「えっ、ちょ」
俺の困惑をよそに、先生は得々と去って行く。遠ざかる丸い背中と、鳶尾の手を見比べて、仕方なく座りなおした。
まじまじと、鳶尾の寝顔を眺める。
……険しい寝顔だな、おい。
でもさ。偉そうにしてる奴でも、悩んだり疲れたりすんのかって思うと、ちょっと親しみがわくような。
うっかり俺のシャツ掴むくらい、弱ってるみたいだし。
ここはひとつ、人助けと思ってじっとしてるかぁ。
そんな博愛の精神を発揮して、十数分後。
「はあ? お前何してんの。人の寝顔をのぞき込むなよ、気色悪い」
目を覚ました鳶尾に、理不尽な罵倒をかまされるっていうね。
この野郎、言いがかりにもほどがあるわ!