表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
供千様  作者: 鍋島後尺
本章
22/24

第21話

 そんな、なぜこうなってしまったんだ。

 僕は今石祠を向いて立っている。

 つまり、僕の正面が山側で、背後は里側。

 僕は恐る恐る、ゆっくりと振り返る。

 首筋に、あのときと同じぬるい風が通った。

 聞き間違いであってくれ。

 ただの風の音、木々が擦れる音、Sの声であってくれ。


 そうだ、僕に供千様の声が聞こえるはずない。

 16など遠い昔、僕はとっくに大人になっているじゃないか。

 気の所為に決まっている。

 気の所為、そう、振り返ってもそこにあるのは道だけだ。


 ああ、やめてくれ。

 こんな非情な、現実離れした現実があって良いはずがない。

 僕の悲痛な心の叫びとは裏腹に、僕の目には”それ”が写っていた。

 墨絵は無慈悲なほど姿形に忠実だった。

 ”それは”手足の長い人間が四つん這いになったようで、巨大な左手を僕に向けていた。

 目は不自然にぎょっと開かれている。

 この世のものではないことだけは確かだった。


 僕は全く身動きが取れなかった。

 ちょうど猛獣と対峙したときのように、寸分たりとも体が動かない。

 脳内で危険信号が鳴り響いている。

 逃げなければ。

 だがやはり手足は氷のように固まっており、表情さえ変えることはできない。

 僕はそこに立ちすくんでいることしかできなかった。


 「くっち。」


 供千様がまた口を開き、僕を見てつぶやく。

 K神主には同情する。

 そして、この村の人間にも。

 この恐怖には従わざるを得ないのだ。

 しかし今の僕には彼に与えられるものなど何一つなかった。


 何秒経っただろう。

 僕には永遠に感じられたその時、携帯の通知音が鳴り響いた。

 すると供千様がハッとして首を里へ向けた。

 そしてゆっくりと左手を下ろし、首を動かさずに身体を方向転換させた。


 「くっち、くっち!」


 供千様はけたたましい叫び声を上げたかと思うと、脇目も振らず山道を駆け下りていった。

 助かった。

 ああ、まるで悪い夢を見ていたような気分だ。

 たった今自分の身に起こったことだというのに、理解が追いつかない。

 あれが供千様だったのか。

 だが、それが幻覚ではなかったことを汗でビッタリと背中に張り付くシャツが示していた。


 僕は携帯を開く。

 こいつのお陰で間一髪助かった。

 通知の主はSからのメッセージだった。

 「村に寄ってから帰りたいから、先に山を降りる。

 明日の昼にバスが来るそうだ。

 俺はそれで帰るから、今日は先に帰ってくれ。

 ついてきてくれてありがとう、助かった。」


 僕はこれからこの村にどんな悲劇が起こるのか知らない。

 だが、痛ましい悲劇が起こることだけは知っている。

 でも僕にできることは何もない。

 もし僕がいま供千様を追いかけて村の人々に伝えたとして、彼らが悲劇を免れることは決してない。

 もう”それ”を食い止める手立てなどないのだから。


 これはある種の報いだろう。

 無知の報い、子殺しの報い。

 悲劇を避けられるのなら、そして僕がそれを助けられるならそうするだろう。

 だが僕にできることは何もない。

 出所の分からない悔しさを噛み締めながら、僕は帰路についた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ