門口
「あーあーあー」
不意に男は横を向き、枯れた声を張り上げた。咳払いをひとつする。
「俺の話は通じるか?」
男は床に座り込んだまま、壁に背を預けてそう訊ねた。痩せた男だ。針金細工のように手脚が長く、肉付きが貧相で頼り気がない。見れば両手首に手枷が嵌められていた。伸びた鎖は頭上で二ヵ所、急拵えの金具でしっかりと固定されている。
鬱陶しい前髪に隠れて目許はよく見えないが、男は思いのほか若かった。線が細く、だが輪郭は硬い鋭角で、尖った顎には疎らな不精髭が浮いている。身に着けているのは国軍の支給服ではなく、魔術師の胴衣に似た長い灰色の外套だった。
勿論、見目に魔術師からはほど遠い。あえていうなら盛り場の客引きだ。
「何とか言いなよ。やっぱり巨人か?」
「何者だ」
言うに事欠いてと舌打ちし、シグルドは誰何で男の口を遮った。重甲冑の鳴らした音量に、男が思わず首を竦める。知らず大声が出たようだ。甲冑に備えた外向けの発声管は、割れて聴き取りにくいうえ、肉声に対応するため調整に難がある。
「こちらは北溝デルタ七八分隊だ。救難要請で立ち入った。ここで何があった?」
喉に残った苛立ちを宥めて、シグルドは改めて茫洋と見上げるその男に問う。
「何だ、兵隊か」
男は無意識かも知れないが、シグルドにとってはいちいち棘のある言葉を返す。
「連邦認可兵だ」
男は小首を傾げて口を曲げ、暫し考え込んでから、はたと嬉しそうに顔を上げた。
「ああ、猟兵ってやつだな。なるほど」
「質問に答えろ」
男はまた顔を顰めた。
「乱暴な奴だが、まあいいや」
一拍むっつりと間を置いて、拗ねたように息を吐く。
「最初は大勢いたが、どたばた騒いで、みな消えた」
「消えた?」
「少し前にな」
男の話は何やらさっぱり要領を得ない。
救援要請は確かにあった。ただし、発信は何かの拍子に再生された可能性もある。ならばこの男はいったい何だ。いつからここにいるのだろう。懲罰を受けた囚人にしても、こんな馬鹿げた様はない。拘束が雑に過ぎる。まるで獣の扱いだ。
「敵は?」
「巨人のことを言っているのか? それとも俺をここに繋いだ将校のことか?」
惚けた顔で言って、シグルドに手枷を振って見せる。
「何があったかなんて俺に訊くなよ。この様でわかる訳がないだろう?」
蹴りたい衝動を辛うじて抑え、シグルドは大きく息を吸い込んだ。惚けた口許、
前髪の向こうに覗く悪戯な黒い瞳が、どうにもシグルドを苛立たせる。胸元がざわついて冷静でいられなかった。この男とは根本的に相性が悪いに違いない。
「おまえ」
「クランだ」
苛立つシグルドを遮り、悠々と男が名乗る。
「いやクライン、は駄目だ。ええと、そうだなクラウンだ。クラウンと呼ぶといい」
指摘する気力も失せるほど、あからさまに怪しい。クラウンは子供のような顔で笑っている。まるで意味がわからなかった。シグルドの混乱と苛立ちに拍車が掛かる。ただひとつ、このまま関わっていては行動に支障を来す。それだけは確かだった。
「了解した、クラウン」
そう言ってシグルドは映写盤を切り替えた。
「ずっとそこで繋がれていろ」
ようやく伝声管に意識を戻し、シグルドはネルソンに呼び掛けた。
「今から溪谷側に出る」
『今のところ生存者その男だけだ。尋問を続けないのか』
「放って置く。こいつはただの阿呆だ」
ぽかんと口を開けたクラウンを見捨て、シグルドは騎体を倉庫の開口に向けた。戸口に備えられた重機用の把手を探す。加工場と同様、扉の横に並んだ巻き上げ扉は、溪谷から吹く強風に煽られ、微かに波打っている。
「あ、待て。こいつを外してから、」
慌てたクラウンがシグルドを追い掛け、鎖に引かれて背中から転んだ。後背の映写盤でその様を一瞥し、シグルドは鼻を鳴らした。ふと、緩んだ自分の口許に気づいて頬を強張らせる。そのまま渓谷に続く扉を引き開けた。
視界が青く突き抜けた。遠くに灰色の山稜と空。溪谷の向こう岸まで見渡せる。足許は開けた岩棚、その先は断崖だ。二基の巨大な鉄塔が目についた。吹きつける風が装甲を擦り過ぎる。一見して敵影はどこにもなかった。
岩棚の中ほどに建つ鉄塔は、電信塔にしては形が微妙だ。根元の部分が深く掘り下げられ、太い格子で組まれた基部が剥き出しの状態だ。まだ埋め戻されてもいない基礎を見るに、施工の途上で遺棄されたのだろうか。
思い描いた大裂溝が、その先に口を開けている。人と巨人を分かつ境界は、思いのほか狭い。確かに地図の溪谷は、幅もわずか十数長。地続きであれば二〇歩に満たず横断できる。それでももっと遠いと思い込んでいた。
渓谷の向こうに目を遣れば、眼前に建つ鉄柱と同じものがあった。上端には幾束もの鋼索が渡されている。どうして思い至らなかったのか。ようやくこの施設の意図を理解した。国軍はここに橋を架けるつもりだったのだ。
意識的な距離感が、架橋の可能性を避けたのか。知らず猟兵の見識に視野が狭められていたのかも知れない。これは即ち巨人世界への進攻、マグナフォルツ連邦の掲げる言葉に沿うなら、人類圏の奪還を意味している。
『軍の連中、いつの間にこんなものを』
ネルソンの割れた声がした。大方の猟兵はマグナフォルツ連邦国軍を国軍と呼ぶが、ネルソンは古巣を、ただ「軍」と呼び捨てる。
猟兵と軍隊は根が異なる。それがネルソンの持論だった。シグルドの父と共に国軍を退役し、七八分隊を立ち上げたのが、父とベルタとネルソンだ。彼が国軍に対して使う言葉には、シグルドに推量れない含みがある。
シグルドは崖の縁に沿って視界を巡らせた。岩棚の縁は断崖で切り落とされ、浅い半円形を描いている。両翼の施設の壁が縁まで迫り出し、岩棚を囲んでいた。シグルドの遠く向かい側に、重甲冑と軽装甲が歩み出る。
『これはまた大層な代物ですね。開通したら、どれほど通行料を取る気でいたのかな』
カッセルが呟いた。分隊では、経理を盾にベルタを負かせる唯一の人材だけあって、彼の視点もまた少し特異だ。確かに、国軍が溪谷の先に新たな進攻拠点を設けたとして、猟兵に課せられる対価は馬鹿にならないだろう。
「先はともかく、今は機密に違いないな」
シグルドは呟いた。先を思うと気が滅入る。
『これは、面倒に巻き込まれましたな』
ネルソンの声も気難しげだ。巨人の地を見たいと言うシグルドに、最後まで渋ったのが彼だった。押し切られたことを後悔しているのだろう。しかし、他の隊員からすれば、彼がシグルドの我儘を聞かないずがなかった。
『わざわざ来てやったのに、そりゃあない』
口調に察してアルヴィンが泣き声を挿んだ。
救援要請を出す事態は起きたかも知れない。だがその時はとうに過ぎ、既に収束して久しい。残されたのは建設途上の橋梁だけだ。シグルドはその理由を思案した。見れば巨人の痕もない。予算か。方針の転換だろうか。
渓谷の向こう、巨人の領土に目を遣れば、二基の鉄塔には梁が掛かっている。渡された鋼索の先には、巨大な箱が吊るされていた。輸送用のゴンドラだ。資材を運び込むために使っていたのだろう。何故、巨人の側にある。
『隊長』
呼び掛けるネルソンを制し、シグルドは鉄塔に近づいた。周囲は基礎の深い穴だ。収音板が音を選る。風音に混ざり、微かに鉄を擦る音がする。深く掘り込まれた穴の縁に立ち、シグルドは腕の補眼で縦穴を覗き込んだ。
映写盤には覘くのは、深く入り組んだ鉄骨の檻だった。柱の影が幾重に掛かり、穴の底は見通せない。隙間の暗闇が、ふと足を踏み込んだ泥地のように畝った。眇めたシグルドの視線に反応して補眼が絞られ、像を結んだ。
竪穴の底に無数の板金鬼が蠢いていた。
「敵だ」
『敵性認識は』
映像を繋いでシグルドが告げるや、ネルソンは反射的に問う。機獣が敵対するのは優先行動次第だ。場合によっては即、戦闘になる。同時に自身はもう一方の鉄塔に向かって駆けていた。周囲には同様の竪穴がある。
「今はまだない。炙り出す」
蠢く板金鬼を睨んでシグルドは言い捨てた。奴らは橋脚の下で何をしている。習性に任せて鉄塔を解体し、資材の回収にかまけているのか。何よりどこからやって来た。そこに考えが及ぶと、シグルドは悪寒に震えた。
『待て待て待て。奴らがまだこっちを見ていないなら、準備を整えてからだ』
見掛けにそぐわないネルソンの慌てた声に、シグルドはしぶしぶ榴弾を射出口に留めた。
板金鬼はどこにでもいる機獣だ。巨人の眷属ではあるが、数以外の脅威はない。厳密には巨人と機獣にも明確な境はなく、巨人種も大きさによる区分はなかった。人型で強靭、知能の高いものが巨人と俗称されている。
ネルソンはヴィヴィとアルヴィンにも指示を飛ばした。カッセルが走って行く。格納庫の開口と施設の動力を確保するためだ。車輌には投射砲を積んでいる。充分な動力さえ用意できれば、薬式弾頭より有効な支援兵装だ。
巨人、機獣の装甲は硬い。名の通り、板金鎧のように身体中に鉄片を纏う板金鬼は特にそうだ。威力の低い薬式榴弾に殲滅までは期待できない。巨人やその眷属に有効なのは、装甲を掻い潜った急所へ近接攻撃だけだ。
『国軍の施設を壊すと高くつきますよ?』
焦れるシグルドにカッセルが釘を刺す。
「放って置いても奴らの餌になるだけだ」
『アルヴィン』
ネルソンが口許で笑って砲手を格納庫に呼び寄せた。隊長が聞かないのみな知っている。
施設の炉心殻が生きているなら、
「ハスロ、アルヴィンとヴィヴィの支援を」
シグルドは加工場跡から岩棚に現れた軽甲冑に声を掛けた。直通の扉を見つけたらしい。大喰らいの投射砲は動力さえあれば蓄動器の遣り繰りで連射ができる。ただ、砲身が持たない。その交換にはハスロの手が必要だ。
榴弾で穴から追い出し、個々に潰す。投射砲で削りつつ、倉庫に追い込めば殲滅も楽だろう。そこまで描いて、シグルドは呻いた。
『シグルド?』
黙ったシグルドにハスロが怪訝な目を遣る。
「少し待て。忘れていた」
珍しく、動揺したような素の声を上げ、シグルドは倉庫に向かって重甲冑を走らせた。