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身に覚えのない理由で婚約を破棄され、第二王女の身代わりで隣国に人質に差しだされてしまいました。ですが、隣国の第三皇子はそんなわたしを溺愛してくれるようです ※コミカライズ化

作者: ぽんた

「わたしベルベルト・スタインは、本日をもって第十王女アキ・ランカスターと婚約を解消し、第二王女マグノリア・ランカスターと婚約をいたします」


 ある寒い日の夜、わたしはベルベルト・スタイン侯爵子息に婚約を破棄された。




 その夜、大勢のゲストがわたしの婚約者であるベルベルト・スタイン侯爵子息のお屋敷に集まった。


 隣国ハナーク帝国と今にも戦争になりそうな緊張をはらんだ空気の中、気分屋のベルベルトが「ぼくらのことで発表したいことがある」と突然言い出し、パーティーを開いたのである。


 突然のパーティーにもかかわらず、これだけの貴族たちが集まったのには驚いてしまう。


 きっと、だれもが退屈しているにちがいない。


 婚約者ベルベルトのお父様であるスタイン侯爵もベルベルトも、軍に所属している。とはいえ、二人ともこの王都にいて情報集めたりしている。スタイン侯爵はその頂点に君臨しているため、ベルベルトもその恩恵に授かって現在の階級は大佐らしい。


 実は婚約と言っても、ベルベルトとはまだ数回しか会っていない。

 彼は、最初からあからさまにわたしのことをみくだしていた。というのも、わたしの亡くなった母は王宮の使用人の一人で、現国王が手をつけた結果できた娘だからである。


 この夜のパーティーも、いつものようになるべく目立たないよう、大広間のすみに立っている。そこから、主役であるベルベルトのことをじっと見ている。


 その横には、だれもがハッとする美貌の持ち主である第二王女のマグノリアがぴったり寄り添っている。


 この大広間にあらわれたときから、ずっと二人は一緒である。

 ベルベルトが王女の一人と婚約をしていることは、周知の事実である。


 ゲストたちは、当然二人が婚約者どうしだと思っているだろう。


 その時点で、わたしは予感していた。


 いまもゲストたちはベルベルトとマグノリアの周囲に集まり、口々にその美しさや気品の高さを褒めたたえている。


 きらびやかな衣装と装飾品に身を包み、最高の笑顔を振りまくマグノリア。キリッとした顔立ちに、最近の流行りのデザインの正装姿のベルベルト。


 ここにいるどのカップルよりもゴージャスである。


 それにくらべ、わたしは王女たちのおさがりのドレスに身を包んでいる。ドレスは横も縦もまったく合っておらず、ぶかぶかしている。それを紐で結んだり折ったりして、かろうじて着用している。


 たしかにこんなわたしなら、つり合いがとれない。ベルベルトも、わたしに横に立たれたらイヤなことでしょう。


「みなさん、きいてください。発表したいことがあります」


 そのとき、ベルベルトがゲストたちの注目をひいた。


「わたしベルベルト・スタインは、本日をもちまして第十王女アキ・ランカスターと婚約を解消し、第二王女マグノリア・ランカスターと婚約をいたします」


 彼は、声高々にそう宣言をした。


 やっぱり……。


 それが、正直な感想。


「アキは、わたしにとって実に不誠実でした。出自を偽ったばかりか、王女様方に邪険にされていると虚言を弄しました。それは、マグノリアら王女様方にたいしても同様です。身のほどをわきまえぬ傲岸不遜な態度で、王宮内の人々を困らせているそうです。わたしは、いろいろ悩みに悩みました。その相談にのってくれたのが、マグノリアなのです。親身に寄り添い、わたしを助けてくれました。そして、わたしは一大決心をしたしました」


 彼は、いっきに主張した。


 空いた口は、ふさがりそうにない。


 出自以外は大嘘であることはいうまでもない。

 その出自に関しても、だれでも知っていることで、秘密でもなんでもない。


 だからこそ、王女の中でも最下位なのである。


 わたしの周囲にいるゲストたちが、わたしを見ているのを感じる。


 そのほとんどが、今の彼の主張を信じてはいないでしょう。

 わたしに向けられているのは、好奇と憐みの視線である。


 わたしは大理石の床を見つめるだけで、だれとも視線を合わせられずにいる。


 マグノリアは、勝ち誇った笑みとともにわたしを見ているでしょう。ベルベルトは、あいかわらず蔑んだ笑みを浮かべてわたしを見ているでしょう。


 気がついたら大広間を飛びだし、クロークで自分のコートをひっつかんでいた。そのままスタイン侯爵家の裏口から裏庭へと出る。


 その瞬間、寒気がコートにまとわりついてきた。それを体から振りはらうかのようにして、足早に裏門へと向かう。


 目を夜空へむけると、月と星々がきれい。


 涙でよく見えないはずなのに、なぜかそれだけはわかっている。


 侯爵家の使用人たちも、今夜ばかりはパーティーで忙しくしているのでしょう。裏門までだれにも会わずにすんだ。


 裏門は、開いたままになっている。


 そこから飛びだした。


 かんがえもなしにここまでやってきたけど、ここから徒歩で王宮まで戻るの?という考えが頭をよぎった。


 が、それも一瞬のこと。王宮まで歩けない距離ではない。


 あのままあそこにいて、好奇の目にさらされるのは耐えがたい。しかも、帰りの馬車でマグノリアと二人っきりになるのはさらに耐えがたい。


 それなら、寒風にさらされながらでも歩いて戻った方がずっとマシである。


 そんなことを考えていたものだから、足許にだれかがいるなんてことにまったく気がつかなかった。


 何かを踏んづけてしまった。


「痛いっ!」


 同時に、小さな声がきこえてきた。


 門を出てすぐの歩道の暗がりに、だれかがうずくまっていたようである。


「まあっ!」


 まさか、こんなところに?


 わたしも、小さく叫んでしまった。


「ご、ごめんなさい」


 二、三歩後退し、わけがわからないまま謝っていた。


 門に設置している淡いランプの下、黒い塊が二つ並んでいる。


 すぐにピンときた。


 街に溢れかえっている、路上で生活をしている人たちかもしれない。


 最近、不景気や戦争の噂の関係で、そういう人たちが増えている。今日も馬車の中からそういう人たちがいるのをこの目で見た。


 それを見ながら、どれだけ虐げられ蔑まされていようと、わたしはまだずっとずっとマシな生活を送っているのだと、つくづく思いしらされた。

 

 わたしたちは、こういう人たちの犠牲の上に胡坐をかいているんだ、と同時に感じた。


「いや、いいんです」


 わたしが踏んづけてしまった方の人が言った。

 その声は、意外に若い。


「街に戻ろうとしていて、連れの調子が悪くなってしまったものだから」


 彼らは、汚れやいろんなもので全身真っ黒である。その中で、白い歯が光っている。


「それは、大変ですね。ですが、ここでは寒すぎます。そうだわ。そこの公園に東屋があります。あそこなら、風くらいなら防げますよ」

「……」


 若いであろう男性は、しばらくだまっていたけれど一つうなずいた。


「おい、歩けるか?お嬢様のおっしゃるところに行ってみよう」


 若い男性は、具合の悪い連れの人を立たせようとした。


「手伝います」


 とっさに体が動いていた。とはいえ、非力だからどれだけ力になれるかはわからない。


「いや、いいんです。おれたちは汚れているから……」

「かまいません。さあ、はやく」


 彼が言うのをさえぎり、具合の悪い人のもう片方の肩に腕をまわし、歩きはじめた。

 

 馬車道を横切り、公園に入ってゆく。


 以前、元婚約者のベルベルトがお屋敷に不在の際、この公園で待っていたことがある。だから、東屋風の休憩所があることを知っていたのである。


 今にして思えば、ベルベルトは意地悪をして、ここで待つよう使用人たちに申しつけていたのね。


 いまさら、だけど。


 東屋だから、窓があるわけではない。だけど、路上に横になるよりかはいくらかでもマシのはずよね。


 具合の悪い人を、ベンチの上に横たえさせた。


 公園内にところどころ設置している街灯の灯で、具合の悪い人も若いことがわかる。


「お医者さまを呼んだ方がいいかしら?」


 そう言ってから、失言であったことに気がついた。


 医者を呼ぶお金があるわけがない。


「ありがとう。大丈夫。腹が減りすぎて動けなかっただけだから」


 踏んづけた方の男性が、白い歯を見せながら言う。


「ごめんなさい。わたし、お金を持っていなくて……」


 どちらにせよ、この時間帯だとパブしか開いていないかもしれない。


「そうだわ。お役に立つかどうかわからないけど……」


 王女のだれかのおさがりの真珠のネックレスを首から外し、彼に手渡そうとした。


「一食分にでもなるといいのだけれど。あたたかい物を食べれば、きっと元気になりますわよね?」

「そんな大切なネックレスをもらうわけには……」

「いいのです。どうせ、もう身につける機会はないでしょうから」


 彼の手にネックレスをおしつけ、ベンチで横たわっている人に「お大事に」と言って去ろうとした。


「あの、お嬢さん。せめて名前だけでも教えてくれないだろうか?」


 隠す必要もない。


「アキ・ランカスターです」

「ランカスター?王族と同名だね」

「ええ。一応、王女ということにはなっています」


 ほんとうに一応、だけれども。


「王女?」


 彼にすれば、いろいろ疑問に思うわよね?


 とりあえずは、なぜ裏門から一人でこっそり出てきたのかって疑問がわいたに違いないわ。


「信じられませんよね。ああ、そうでした。踏みつけてしまって、本当にごめんなさい。お連れの方、お大事にしてください」


 それだけ一気に告げると、そこから去った。


 いまさらだけど、わたしもお腹がすいている。


 だけど、彼らのお蔭で大分と気持ちが落ち着いてきた。


 その後は、なるべく彼らの無事を祈ることだけに集中して王宮まで歩いた。



 国王から隣国の皇子の一人に嫁ぐよう命じられたのは、婚約を破棄された十日後のことである。


「人質を差しださねばならない。断われば、武力を行使される。この国のために、行ってくれ」


 国王は仰った。


 謁見の間に、宰相とマグノリアもいる。


「実は、隣国は第二王女を指名してきている。が、マグノリアは婚約をしたばかりだ。それに、隣国のその皇子のことは、いい噂をきかん。三将軍の一人として活躍し、乱暴で武骨で女嫌いらしい」


 国王の言葉の一つ一つは、わたしに呆れを通りこしてあきらめをあたえてくれた。


 マグノリアの婚約のことも皇子の噂のことも、わたしにはどうしようも出来ない。


 ただ、わたしも一応は国王の血を継いでいる。


 それなのに、そんな皇子のもとに人質にやるという。


「まぁ人質だからな。どんなことをされても、耐えるしかない」


 すでに、わたしの居場所はなくなったというわけね。


 耐えるのは、あなたではなくわたし。

 殺されても仕方がない。


 これでは、人質というよりかは生贄ね。


「わかりました。まいります」


 そう応じるしかない。


「アキ、よかったわね。お父様のお役に立てて。それに、第二王女って名のれるわよ。光栄に思いなさいよ」


 マグノリアは、嫌らしい笑みを浮かべている。


 それを無視し、国王にお辞儀をして謁見の間をあとにした。


 王宮に、というよりかはこの国から見捨てられてしまった。


 これ以上、失うものは何もない。


 そう思うと、ふっきれた。


 わたしは、死を覚悟して隣国へと旅立った。



 わたしの身柄は、国境で隣国ハナーク帝国の軍人に引き渡された。


 わたしを送ってくれたレスタ王国の軍人たちは、国境に隣国の部隊がひしめき合っているのを見ると、回れ右をしてさっさと去ってしまった。


「レスタ王国のマグノリア・ランカスター第二王女ですな?」


 わたしを出迎えてくれたのは、童顔の将官である。


「ラルフ・ノートン少将です。ライル・へズモンド将軍閣下の参謀を務めております。あいにく、閣下は帝都まで出向いております。この近くに閣下の別荘がございますので、そちらでごゆっくりいただくよう、申しつかっております」


 ラルフが指を鳴らすと、四頭立ての立派な馬車がやってきた。


「王女殿下、どうぞ」


 ラルフはわたしの手を取り、立派な馬車に乗せてくれた。


 それから、その別荘とやらに向かった。


 窓外に流れてゆく景色は、色とりどりでとてもきれいである。


 殺されるのだろうか。それとも、暴力をふるわれるのだろうか。


 ふっきれたつもりだったけど、やはり怖いものは怖い。不安でたまらない。


 そのとき、窓をノックされた。見ると、ラルフが馬をよせてきている。


 窓を開けてみた。


「そこに籠があるでしょう。パンとチーズと葡萄酒が入っています。どうぞお召し上がりください。あー、できれば、葡萄酒を少しいただきたい……」

「少将、だめですよ。それは、将軍閣下が王女殿下のために準備されたものです。それに、あなたは王女殿下の護衛でしょう?」


 馭者台からだみ声が飛んできた。


「ちぇっ。少しぐらい見てみぬふりをしてくれればいいだけじゃないか」


 ラルフは、童顔の頬をふくらませていじけている。


 それがかわいくて、つい笑ってしまった。


「王女殿下、素敵な笑顔ですね。どうかご心配なく。あなたにとってわが国での生活は、きっと素晴らしいものになりますよ」


 ラルフは、ウインクをしてから馬を下がらせてしまった。


 彼のお蔭で少しだけ元気がでてきた。同時に、お腹がすいてきた。


 籠にかけられている布をとると、ラルフが言った通りパンとチーズと葡萄酒の壜とグラスが入っている。


 先ほど馭者が言ったことが本当だとすれば、第三皇子がわざわざこれらを準備をしてくれたことになる。


 まだ見ぬ第三皇子は、噂とは少し違うのかしら?それとも、最初だけ礼儀を示しているだけなのかしら?


 頭の中でいろいろ考えてしまうが、空腹では余計に悲観的になってしまう。


 とりあえず、いただくことにした。

 自分でもびっくりするほど食べ、飲んでしまった。


 パンもチーズも葡萄酒も、すごくおいしかった。



 第三皇子の別荘は、丸太を組み合わせて建てられている。そんなに広くはない。大きめの居間、それから食堂に調理場、寝室が三部屋にゲストルームが二部屋ほど。こじんまりとしている。大きさとシンプルさに驚いてしまったけど、第三皇子のお世話をしているのが初老の夫婦とその娘夫婦の四人だけだというから、さらに驚いてしまった。


 別荘まで送ってくれたラルフは、任務があるからと去ってしまった。


 亡くなった母が王宮の使用人であったため、王女とはいえ王宮の使用人たちからも陰口をたたかれ、疎まれていた。

 他の王女たちのような扱いは、一度も受けたことがない。


 だからこそ、四人のわたしにたいする歓待ぶりと扱いに当惑してしまう。


 とにかく、あれこれと世話を焼いてくれて気をつかってくれる。


 これが、人質にたいする扱いなの?


 死にゆく者への憐憫なのかしら、とかえって怖ろしくなってしまう。


 数日、別荘で過ごす間に、四人とすっかりうちとけてしまった。


 彼らは、わたしが人質だと知らされていなかった。


 驚くべきことに、彼らはわたしのことをライル・へズモンド将軍閣下、つまり第三皇子の正妃であるときいているという。


 どういうことなのかしら?


 ますます戸惑ってしまう。


 だけど第三皇子について、わたしがきいている噂とはずいぶんと違うということもわかった。


 どうやら第三皇子は女性が嫌いというわけではなく、不器用でうまく接することができないらしい。だから、女性にたいして構えてしまい、不愛想になってしまう。


 それでもハナーク帝国の帝都では、貴族令嬢の憧れの的らしい。


 四人とも、わたしが第三皇子の正妃になることをよくぞ了承してくれた、と感謝してくれている。


 さらにさらに、わけがわからない。


 とはいえ、ここでのわたしは、これまでの生活とはくらべものにならないほどリラックスできている。


 四人とおしゃべりをしたり、いっしょに家事をしたり、ときには近くの町まで買い物に行ったり、村に卵やミルクやチーズをいただきに行ったりと楽しくすごしている。


 この生活が、ずっと続けばいいのにとまで願ってしまう。


 だけど、そうはいかない。


 第三皇子が、帝都から戻ってくるという。


 その前日の夜、わたしは自室のベッドで眠れぬ夜をすごした。



 そしてついに、彼がわたしの前にあらわれた。


 長身で燃えるような赤い髪に金色の瞳。褐色の肌が赤い髪にぴったり合っている。


 顔は、よすぎて表現のしようもない。


 これがハナーク帝国の第三皇子であり、三将軍の一人であるライル・へズモンド……。


 容姿端麗と表現するには物足りない、というのが第一印象。

 でも、雰囲気からは不愛想とか乱暴とかいうことは、まったく感じられない。


「わたしは、ライル・へズモンド。招いておきながら一人にさせてしまい、申し訳ない。ラスタ王国の第二王女マグノリア・ランカスターだね」


 長身の彼は、わたしを見下ろして尋ねた。


 わたしも緊張をしているけど、彼からも緊張が伝わってくる。


 彼に尋ねられ、一瞬迷った。


 本当のことを告げなければならない。


 だけど、告げれば戦争になるかもしれない。


 そうなると、王族はともかく国民はどうなってしまうのだろう。それでなくても、搾取されてその日の糧も得られぬ人々が多いというのに、そういう人がさらに増えてしまうかもしれない。戦争で、という以前に、餓死や病気で多くの人が死ぬかもしれない。


 そう考えると、本当のことを告げることがはばかられる。


「将軍閣下、マグノリア・ランカスターでございます」


 結局、偽ってしまった。


「マグノリア。きみは、便宜上人質ということにはなっている。しかし、わたしはそうは思ってはいない。きみは、自分の意に添わずここにいてくれているのだろう。だが、しばしわたしと過ごし、わたしを知ってほしい」


 彼はわたしの手をとり、そこに口づけをした。


 わたしの手をとる彼の手が、わずかに震えていることに気がついた。


「おっと失礼。慣れないもので」


 彼自身も、そうと気がついたみたい。

 顔が真っ赤になっている。


 緊張がほぐれてきた。


 そこではじめて、どこかできいたことのある声のような気がしてきた。


 でも、隣国の皇族に会ったことはないはず。かりに会ったことがあっても、これほどの美形に会ったのなら、ぜったいに忘れるわけがない。


 ただの気のせいね。


 その日から、二人ですごした。


 お世話をしてくれる四人は別荘の別棟に住んでいるので、まったくの二人っきりではない。


 食事や散歩、それから乗馬を教えてもらって近くの湖や草原、森の中を駆けまわった。


 乗馬服は、ナタリーのお母様がライル様の乗馬服をわたし用にと丈を詰めて作り直してくれた。


 ナタリーはわたしよりも三歳年上で、いまではいい友人である。それと、彼女は妊娠している。


 素敵なことだって、心から思う。

 夫のニケとも仲がよくって、すごくしあわせそう。


 一方、わたしは第三皇子と過ごすうちに、彼がとても不器用であることに気がついた。決して不愛想というわけではない。どちらかといえば、照れ屋さんである。


 彼との間に会話がないことも多い。それでも、側にいてくれているという安心感が心地いい。


 とくに何をするでもなく、ぼーっとすることもある。


 そんなときでも、しあわせを感じる。


 こんなことは、はじめてのことだわ。


 何より、かれはわたしと真摯に向き合ってくれる。一人の女性として、見てくれている。


 でも、わたしの中でいつも後ろめたさがつきまとっている。本当のことを告げるかどうか、毎日葛藤している。

 良心の呵責に苛まれると同時に、本当のことを告げたら国民はどうなるのだろう、わたしはどうなるのだろう、と不安におしつぶされそうになる。


 ここに来るまでは、死を覚悟していた。だけど彼を知ってしまってからは、死にたくない、彼と離れたくないと願うようになっている。


 だからこそ、告げようと口を開きかけてはやめてしまう。


 そんな毎日である。


 そんなある日、最初に別荘まで送ってくれたラルフ少将がやって来た。


 彼は、まずわたしに挨拶をしてくれた。


「それで、もう告げられたのですか?」


 湖の見えるデッキで、三人で紅茶を飲んでいる。


 ラルフは、童顔にいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「まだですよ。じれったいったらもう。母と閣下の背を押しているんですけど、まだおっしゃらないのです」


 ナタリーが、ビスケットののっている皿をテーブルに置きながら言った。


「なるほど。やはりまだでしたか。ですが、お膳立ては整いました。明日にも彼らは国境に到着いたします」

「そうか。はやかったな、少将」

「当然です。わたしは、あなたの参謀ですよ。なんなら、あなたのプライベートなことも、わたしがやりましょうか?」

「わかった、わかったよ。これは、わたし自身の口から告げなければ意味がない」

「では、さっそくどうぞ」

「だったら少将、ナタリー、二人とも下がってくれ。告げにくい」

「ちぇっ!見物みものだったのに」

「まあっ、残念ですね」

「いいから、はやく下がれ」


 第三皇子が怒鳴ると、ラルフとナタリーは慌てて退散してしまった。


「あー、マグノリア。きみに告げたいことがあるんだ。その前に、先に知らせておきたいことがある。明日、きみの国の宰相たちが国境までやってくる。王族やかれらが約束を守らず、わたしを、ひいてはわがハナーク帝国の帝王をだましたからだ。場合によっては、首でもってその責を償わせることになるかもしれない。だが、心配にはおよばない。戦争はなるべく避けたい。なぜなら、戦争で害を被るのは王族や上流階級ではない。国民、つまり中流以下の人々だ。そのようなことは、わたしも帝王も本意ではない」


 わたしは、うなずくことしかできない。


「それで、告げたいと言うか、何と言うか……」


 彼の顔は、真っ赤である。不意に席を立つと、テーブルの横を行ったり来たりしはじめた。


 そうだわ。このチャンスに、わたしも彼に告げなければ……。


 わたしは、彼が行ったり来たりしているのを見ながら決意をした。


「マグノリア……」

「ライル様……」


 二人のおたがいを呼ぶ声が重なった。


「きみからどうぞ」

「ライル様からどうぞ」


 また重なってしまった。


「いや、きみから先に」

「いいえ、ライル様からお先に」


 またまた重なってしまった。

 き、きりがないわ。


「あらためて、わたしと婚約してくれないか、アキ・ランカスター」

「わたしは、第二王女ではありません」


 またまた重なってしまった。


 え?


 彼はいま、何て言ったの?


「きみの告げたいということは、そのことだったのかい?」


 彼は椅子をどけ、わたしの前に片膝をついた。


「わかっている。きみが第十王女であることは、知っていたんだ。まあ、きいてくれないか?」


 口を開きかけたけど、彼に止められてしまった。


「きみが第二王女の身代わりで来ることを、わたしは最初から予測していたんだ。というよりかは、そうなるよう第二王女を指名した。つまり、きみに来てほしくて第二王女を指名したんだ。レスタ王国に付け入る隙を与えたかったからだ。だが、それだけではない。何より、きみに会いたかった。しかし、きみ自身を指名するには第十王女ではあまりにも不自然だからね。アキ。わたしはきみに会い、きみに一目惚れした。こんなことははじめてだ。だから、何が何でもきみに来てもらいたかったんだ。そして、わたしを知ってほしかった」


 彼は、ジャケットの内ポケットに手を入れると、何かを差しだしてきた。


 なんてこと……。


 くたびれはてた真珠のネックレス……。


「あの夜、わたしと少将は、浮浪者に身をやつして協力者に会いに行った。協力者というのが、きみの元婚約者のスタイン侯爵とその子息なんだ。その協力者の屋敷で協力者がでてくるのを待っていたとき、きみが飛びだしてきた。きみに踏みつけられ『大丈夫か?』ときかれたとき、連れの具合が悪いととっさに嘘をついてしまった。その連れは、少将だったんだ。それはともかく、あのときにきみが泣いていたということに気がついた。その瞬間、わたしの胸が痛んだ。きみの悲しみやつらさが、なぜかわたしの心を痛めた。きみに興味を持ってしまった。そして、きみのやさしさと思いやりにふれ、わたしはきみのことが忘れられなくなった。だからそのすぐ後少将に命じ、あの夜きみの身に何が起こったのかということやきみ自身のことをすべて調べさせた。もちろん、王宮内でのこともね。その上で、戦争を回避したければ第二王女を人質を差しだすよう、王族に持ちかけたんだ。きみを身代わりによこすだろうと確信していたからね」


 手にのせられたネックレスに目を落とした。


 彼の体温であたたかくなっている。


「それは、あの夜以降わたしのお守りになっている。きみに会ってきみに愛していると告白するまで、肌身離さずもっていようと決心した。この数週間で、きみのことをより一層好きに、いや、愛するようになった。アキ、愛している。わたしはこの通り武骨で不器用だが、きみを愛し、大切にする。ぜったいに悲しませるようなことはしない。わたしにたいして気に入らないことがあれば、いくらでも踏みつけてくれていい。だから、わたしと婚約をしてくれないか?」


 ネックレスから、片膝をついている彼に視線を移した。


 涙でよく見えない。婚約を破棄された、いいえ、彼とはじめて出会ったあの夜のときと同じように。


「わたしの母は、王宮の使用人で……」

「そんなこと関係はない。わたしが愛しているのはアキ、きみ自身だ。出自を愛するわけではない」


 彼は、わたしの手に口づけをしてくれた。


「わたしも、わたしも愛しています」


 勝手に口から出ていた。


 その瞬間、拍手がきこえてきた。それから、はやし立てる声も。


 ラルフやナタリーたちの笑い声の中、彼はわたしをしっかりと抱きしめてくれた。



 その翌日、国境で宰相と元婚約者のベルベルト・スタイン、それからベルベルトのお父様のスタイン侯爵、そして、本物の第二王女であるマグノリアと会った。


 わたしは、彼が準備してくれたきらびやかなドレスに身を包んで彼とそこへ出向いた。


 別荘に向かったときと同じ四頭立ての馬車から、ライル様に手をひいてもらって降り、彼女たちの前へと導いてもらった。


 マグノリアもベルベルトも、唖然としている。


 たしかに、こんなわたしがこんな華やかなドレスを身にまとい、もったいないくらいの美形にエスコートしてもらって登場するなんて、彼女たちは想像もしていなかったでしょう。

 

 まずライル様は、わたしのことは人質ではなく婚約者として丁重に扱っていると宣言した。その上で、彼女たちがだましたことを憤った。ただし、わたしが真実を告げたのではなく、違う協力者からの密告によって、わたしが第二王女の身代わりだと知ったと説明した。


 さらには脅しをかけた。この裏切りの代償は、戦争ではなく王族とそれに仕える者どもに償わせてやる。だから、首を洗って待っていろと恫喝した。


 宰相は、哀れなほど震えあがっている。


 スタイン侯爵とベルベルトは、協力者として優遇してもらえるとタカをくくっているみたいだった。


 だけど、ライル様は容赦がなかった。


 売国奴に用はない。だが、協力してくれたことに免じて、わが国による制裁は勘弁してやる。自国で国を売った罪を裁かれるがいい、と。


 レスタ王国の王族や宰相たちは、情報を流して国を売った彼らを決して許さないだろう。


 そして、マグノリアは……。


 急にしおらしくなったと思いきや、ライル様に媚びを売りはじめた。


 が、ライル様は彼女にも容赦はなかった。


 身代わりの人質をよこした罪は重い。この場で、その罪をつぐなってもらうと断言した。


 気の毒な彼女は、ライル様の剣幕に怯え卒倒してしまった。


 もっともライル様のそれは、ただの脅しだったようである。


 ベルベルトが気絶した彼女を馬車に乗せた。それから、ライル様の親衛隊の将兵たちに二頭立ての馬車の周囲をかためられ、王都へと戻っていった。


 王宮は、大騒ぎになるに違いない。


「将軍閣下の婚約が決まったぞ」


 彼女らを見送ってから、ラルフがライル様の精鋭部隊に大声で宣言をした。


 大歓声が、森や空に響き渡る。


「彼らは、わたしの家族同様だ。それぞれに家族があるから、大家族というわけだ」


 ライル様はそう言ってから自分の馬にわたしを乗せ、ライル様自身はわたしのうしろに跨った。


「将軍閣下、妃殿下、おめでとうございます」


 なんてこと。すでに婚儀が決まったみたいになっている。


 でも、「おめでとうございます」の歓声がうれしくて、思わず泣いてしまった。


「さあ、将軍閣下。美しくて素晴らしい妃殿下に、口づけを。あっ、手の甲ではありませんよ」


 ラルフが馬をよせてきた。


 あの運命の夜、空腹で倒れたという彼の演技は完璧だった。


「アキ、愛しているよ」

「ライル様、わたしも愛しています」


 耳にささやかれたので振り返った。


 やさしく口づけをされた。もちろん、手ではなく口に。


 彼はもう震えてはいない。

 そして、わたしも震えてはいない。


                           (了)

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