役立たず
⋇残酷描写あり
⋇ハニエル視点
長く苦しい国境越えも、残す所あと半分――いえ、まだ半分もあると言うべきかもしれませんね。
この六日間は、本当に地獄のような日が続いていました。クラウンさんに魔獣族の方々が意味もなく痛めつけられる光景を、その命が無残に散っていく光景を、ずっと目の前で見せられていましたから。
もちろん彼らを治療することも、意味の無い暴虐を止めることも私にはできませんでした。ここはすでに戦場。下手に情けをかけようものなら、次の瞬間には牙を剥いて襲い掛かってきてもおかしくありません。
でもその結果として私が殺されるのなら、それくらい望むところです。例え殺されても構わない。私の命で目の前の命を救えるのなら、喜んで命を差し出したかった。
けれど、今の私は一人ではありません。周りには何人もの仲間たちがいます。そしてここは戦場です。私が勝手に行動を起こして、そのせいで勇者様たちが死んでしまったら……そう考えると怖くて堪らなくなって、結局見て見ぬ振りをすることしかできませんでした。
この旅の果てに真の平和が訪れると勇者様は言っていましたが、本当にそうなのでしょうか? 目の前の命を弄び、残酷極まる死を与えておきながら、本当に手を取りあえるのでしょうか? 正直な所、先行きはとても不安です。
「――さて、満腹になったところで皆にお知らせだ」
美味しいご馳走をたくさん食べて、気分もほんの少し上向きになった頃。勇者様は唐突に立ち上がり、私たちを見渡して言いました。
「ここから先は聖人族の国よりも、魔獣族の国に近い場所だ。その分、敵の数も攻撃も増えると思う。今回は運が良かったみたいであんまり遭遇しなかったけど、中間地点を通ればどう頑張っても激戦になるはずだ。ここからは更に気を引き締めないと足を掬われるだろうね」
その発言に、私は思わずごくりと息を呑みました。
敵の数も攻撃も増えるということは、傷つき倒れる人たちが増えるという事。今のところは魔獣族の方々しか傷ついていませんが、ここから先もそれが続くかどうかは分かりません。もしかしたら私の仲間たちの誰かが傷つき、倒れてしまうかもしれません。
見知らぬ魔獣族の方々が倒れて死んでいく光景だけでもう限界が近いのに、その頻度がここから更に増えて、そのうえ勇者様たちまで傷つき倒れてしまうかもしれない。そう考えるだけでお腹の中からせり上がってくるものを感じて、私は反射的に口元を押さえました。
「――というわけで、足を引っ張るだけの邪魔な役立たずはここで処理していこうと思うんだ。幸いこの森の中でなら幾らでも誤魔化しが利きそうだからね。奮戦虚しく魔獣族に殺されましたー、ってな感じに」
「……えっ?」
そして勇者様が口にした言葉に、小さな驚きの声が零れました。
驚きが小さいのは、言われた瞬間はその内容が上手く理解できなかったからです。その言葉を理解するにつれて、私の中では先ほどの吐き気よりも不安と恐怖が高まって行きました。
「僕としても心が痛いけど、世界を平和に導くにはくだらない優しさや甘さなんてものは邪魔なだけだからね。後顧の憂いを断つためにも、情け容赦なく切り捨てさせてもらうよ」
「そ、そんな……!」
その言葉を理解して、そして更に勇者様が続けた言葉も加わって、叫び出したいほどの恐怖が私の中で膨れ上がります。
私はこの旅が始まってからというもの、勇者様たちの足を引っ張ってばかりで、何のお役にも立てていません。この先を安全に進むために足手まといを切り捨てるというのなら、それは間違いなく私でしょう。正に私の存在は百害あって一利無しなのですから。
「というわけで、お前にはここで死んでもらうよ。悪いね?」
「っ……!」
その証拠に、勇者様はぞっとするほど冷たい笑顔を私に向けていました。謝罪を口にしていますが、その瞳には罪の意識なんて欠片も浮かんでいません。私という人間を見ているかどうかすら定かではない、そんな恐ろしい目をしていました。
「へへっ。逃がさねぇぜ、大天使様よぉ? 俺らの足を散々引っ張った挙句、面倒をかけまくった罪、あんたの身体と命で償ってもらうからな?」
反射的に逃げようと後ろを振り向くと、そこには私の逃げ道を塞ぐようにクラウンさんが立っていました。それはもう嫌らしい笑い方をしながら、私の胸元に視線を注いで。
きっと勇者様たちは私の身体を弄んだ上で殺すつもりなのでしょう。あまりにも酷い仕打ちに涙が溢れ出てきます。
けれど、勇者様たちは何ら間違った事は口にしていませんでした。私が今まで足を引っ張っていたことも、面倒をたくさんかけたことも、これから先も足手まといになることも事実です。そして勇者様は私なんかとは違って、この世界の真の平和のために本気で動いているお方です。だからここで私を始末するという考えも、十分に理解できました。だって、私は本当に役立たずだから。
「……そう、ですね……私、勇者様たちの足を引っ張るばかりで、何の役にも立てませんでしたよね……勇者様は世界を平和にするために行動しているのに、私は何にも行動せず、ただ勇者様についていくことで、自分も行動しているような気になって……」
私は勇者様に導きを求めて、旅に同行することを決めました。この人についていけば、平和のために私も何かができると思って。
でも実際は、単なる自己満足に過ぎませんでした。願うだけで行動しない偽善者と罵られたことから、それを否定するためにも同行を決めたのですから。私一人では何もできなくても、勇者様がいれば何かができると思ったから。
「ふふっ、笑っちゃいますよね? 結局私は世界の平和をただ願うだけの、何もできない役立たずなんですから……」
そして何もかも勇者様任せにした結果が、この有様です。私を殺したくなるくらい怒りを溜めるほど散々仲間の足を引っ張り、面倒をかけてしまいました。
皆同じ気持ちのようで、レーンさんもリアちゃんも、ミニスちゃんも何も言いません。きっと彼女たちも、私を役立たずだと思っているのでしょう。私もそう思います。耳心地の良い理想を口にするだけで、行動の伴わない偽善者。足を引っ張り、迷惑をかけることしかしない邪魔者。それが私、ハニエルという存在なのですから。
きっともう、私には生きている価値なんて無いのでしょう。勇者様は私をここで切り捨てると決めたのですから、もう見放されてしまったに違いありません。三千年間、何も行動せずにいたツケがついに回ってきたのでしょうね……。
「……そうですね。こんな役立たず、ここで切り捨てた方が良いと思います。身体を弄ばれ穢される罰を与えられた上で、ゴミのように朽ち果てれば……勇者様方は、私を許してくれますか?」
殺されるのは怖い。犯されるのも怖い。でも私は恐怖に震えながらも何とか笑顔を浮かべて、勇者様たちにせめてもの許しを求めました。どうせ殺されるのなら、せめて私の罪を赦して欲しいと思ったから。
もちろんここから逃げることも、少しだけ考えました。でもここは国境の森の中、それもお互いの国の中間地点です。例え勇者様方に手を下されなくとも、私はこの森の中から一人で生還することなどできないでしょう。
それに私は腐っても大天使なので、魔獣族の方々は楽には死なせてくれないはずです。それこそ私を捕え、精神的な死を迎えるその時まで慰み者にすることだってあり得ます。それなら犯されるとしても、ここで死なせてくれる勇者様方の仕打ちの方が救いに思えました。
「ああ、許してやるぜ? その前に――死にたくなるくらいに痛めつけてやるけどな!」
「がっ……!?」
クラウンさんが叫んだ。そう思った時には、私は頬っぺたに焼けつくような痛みを覚えながら地面に転がっていました。
たぶんクラウンさんに殴られたのでしょう。歯が頬っぺたの内側を切ったのか、口の中にじわじわと血の味が広がっていくのを感じます。
「何が殺しちゃいけませんだ! 何が命は平等だ! 何が手を取り合って仲良くしましょうだ! ふざけやがって、このクソ女が! 聖人族の恥さらしが! 大天使の面汚しが! 死ね! 死ね!!」
「あぐっ! うっ、ぐううぅぅっ! ああぁぁぁっ!」
そして、丸太のような太い足で何度も何度もお腹を蹴られます。ブーツのつま先が鳩尾に深く突き刺さり経験したことのない激しい痛みに襲われ、抉りこむような一撃をお腹に叩き込まれて凄まじい吐き気を催し、蹴り飛ばされて近くの樹の幹に背中からぶつかり、全身の骨が軋みを上げました。
痛い。苦しい。どうして、私がこんな目に合わなければいけないの?
思わずそう嘆いてしまいますが、これらは全て役立たずで無価値な私への罰。甘んじて受け入れなければいけないのです。平和を望むだけで自分からは何もしない、他者に頼るだけで何もできない、そんな救いようのない私でも、サンドバッグになるくらいはできるはずだから。
「俺らに散々迷惑かけてイラつかせた分、テメェの身体を滅茶苦茶にしてやるよ。覚悟しとけ」
「ごめ……なさい……ごめん、なさい……ごめんな、さいっ……!」
ぐっと髪を掴まれて無理やり引きずり上げられた私は、すすり泣きながらただひたすらに謝罪をしました。
本当に、どうしてこんなことになったのでしょうか。勇者様についてきたのが間違いだったのでしょうか? それとも私のような何もできない役立たずが、世界の平和などという大きな夢を抱いたのがそもそもの間違いだったのでしょうか?
今となっては何が間違いだったのかは分かりません。でも、こんなことになるのなら私は早い内に自ら死を選んでおくべきだったでしょう。だって私が死んでしまえば、誰も私の理想論に振り回されることはありません。誰の迷惑にもなりません。私の死を悲しんでくれる人もいないでしょう。やっとそれが分かりましたが、気づくのが少々遅かったようです。
今の私にできるのは、勇者様方からの罰を甘んじて受け入れる事。怒りと鬱憤を少しでも晴らしてあげること。それだけなのですから。
だから私は胸元に伸びてくるクラウンさんの大きな手を、後悔と謝意に満ちた心持ちで眺めていました。