ハニエル・ネツァク
供物こと処女のキスを捧げた後、レーンは自らの住所を記したメモを僕に渡して去っていった。
住所って言っても郵便番号とか書いてなくて『この街のこの辺、こんな感じの家』的なことしか書いてないけどね。そもそもこの世界に郵便番号とか住所とかあるのかな?
どこかふらふらとした危なっかしい足取りだったのは、まあ処女には刺激が強かったということでしょ。かくいう僕も実は穢れなき……いや、何でもない。
何はともあれ初っ端からの危機を乗り越えることができた僕は、そこからしばらくは女神様から授かった力の検証をしてたよ。自分自身の時間を操作する力はとっても役立つし、まずはこれだけでもある程度できることを把握しておかないといけないしね。
その結果として分かったのは、どうもかなり自由度が高い力ということ。具体的に言えば自分の時間全体だけじゃなくて、肉体だけとか精神だけとか部分的に時間を操ることもできた。反射神経を加速して、傍目には無理のない動きで驚くほど素早い反応をする、とかね。少なくとも立派な勇者として振舞う間はこの方式にした方が良さそうだね。常時三倍くらいに加速しておこう。
「――勇者様、お時間よろしいでしょうか?」
そうして満足が行く程度に力の把握を行ったあたりで、また誰かが訪ねてきた。
一瞬そんなに時間が経ったのかと驚いたけど、考えてみれば時間の加速だけじゃなくて減速も試してたから、時間の進みは差し引き等倍ってところかな。腕時計を見る限りだと二時間くらい経ってるね。
そういえばこの部屋、時計無いな。技術的にまだ作成できないとか? だとすると腕時計が壊れないように気を付けないとな。
「はい、構いませんよ。どういったご用でしょうか?」
作り笑いを顔に張り付けて扉を開けると、そこに立っていたのは何と可愛らしい天使だった。
比喩での天使じゃなくて、背中から左右で四枚の純白の翼を生やした本物の天使。目の錯覚か輝いて見えるほど綺麗な緑色の髪が、流れるように腰元まで伸びた美少女だ。目なんか本当にエメラルドが埋まってるんじゃないかと錯覚しそうなくらいに綺麗で輝いてた。あんまり綺麗だから抉り出したくなっちゃうくらいだよ。
というかこの子、翼デカいなぁ。さっきのメイドさんのは身体に合った大きさだったのに、この子のは大体三倍くらいあるんじゃなかろうか。しかもそれが四枚とか、日常生活に支障をきたしそう。あ、デカいといえば胸も結構デカいですね。鷲掴みにしたい。
服装に関しては、ローブというよりは法衣って感じの深い青を基調とした衣服だね。それに金糸でかなり豪華な刺繍がされてるあたり、もしかするとこの子は結構偉い立場の人なのかも。やだなぁ、目ざとい奴の次は偉い奴かぁ……。
「はい、私はハニエル・ネツァクと申します。勇者様にこの世界の知識をお教えする重要な役目に志願させて頂きました。それに勇者様はこの世界のことで知りたいことがきっとたくさんおありでしょうから、私で良ければ勇者様の疑問や質問に何でもお答えしますよ?」
「じゃ、まず年齢教えてくれるかな?」
あっ、マズイ。何でも答えるとか言うからつい反射的に変なこと言った。女の子に年齢聞くとかちょっと失礼だ。
「えっ、私の年齢ですか? えっと……今年で二百十歳ですね」
「あ、はい。二百十歳。うん」
でも特に気分を害した様子もなく答えが返ってきたから問題なし。予想の十倍弱くらいの年齢だったけど、天使は寿命かなり長いみたいだし普通にあり得るよね。
「あっ!? も、もしかして私のことをおばあさんだと思ってるんですか!? そんなことないですからね! 人間で言えばまだピチピチの年齢ですよ!」
「ピチピチとか言う時点でアウトじゃないかな、と思ったけど言わないでおこう」
「い、言ってます、勇者様! 口に出てます!」
何だか酷くショックを受けた顔をしながらも、拳を握って力説してる天使の女の子(二百十歳)。
やっぱりこういう素直で分かりやすい反応をしてくれる女の子はいいねぇ。さっき僕のとこに来た女の子はめっちゃ取っつき辛いタイプだったからね。あー、心が癒される。
「まあそんなことはともかく、確かに僕も知りたいことがたくさんありますね。お願いしてもいいですか? ピチピチさん?」
「それ名前じゃないです! さては勇者様、意外と意地悪なんですね!?」
ぷりぷりと可愛らしい怒り方をするピチピチさん。
実に弄りがいのある反応をしてくれるのは嬉しいんだけど、でかい上に左右で二対四枚の翼をバサバサするせいで風圧がすごい……。
「それでは改めまして。私はハニエル・ネツァク、王国の治癒魔術師部隊に所属する天使です」
レーンとは正反対に感情豊かな天使ことハニエルは、ぺこりと頭を下げて眩しい笑顔で自己紹介をしてくれた。
何だか直視できない笑顔なのはきっとあまりにも眩しいせいだね。決して僕が穢れているわけではない。と思う。
「ご丁寧にどうも。僕はカガリ・クルスと言います」
相手が頭を下げたからこちらも同様に頭を下げる。日本人としての本能だね。
「カガリ・クルスさん……勇者様とお呼びするべきでしょうか? それともクルス様の方がよろしいですか?」
「どちらでも構いませんよ。僕はピチピチさんと呼ばせていただきますね」
「だ、ダメですっ! いつまでも引っ張らないでください!」
気を付けてはいたけど僕はちょっとSが入ってるから、ついついからかって弄っちゃう。一番の理由はこの子が凄くそそる反応をしてくれるからなんだけどさ。気になる子はついつい苛めちゃうタイプです。
「そんなどうでもいいことはさておき、聞きたいことがあるんですけど大丈夫ですか?」
「どうでもよくないです! 勇者様、お言葉は丁寧なのにすごく毒舌じゃないですか!?」
「ハッハッハ、そんなことないですよ。それで、とりあえず魔法についてを聞きたいんですけど」
「全くもう……私、何だか勇者様の性格が理解できたような気がします」
まだ何でかぷりぷり怒ってたけど、頼まれたからには断れないのか一つ咳ばらいをして佇まいを正すハニエル。
絶対この子損をする性格っていうか、皆にからかわれるような性格だと思うんだ。
「えっとですね、魔法というのは簡単に言えば『術者のイメージを魔力を用いて具現化する術』のことです。イメージの規模が大きければ大きいほど必要な魔力が増加して、イメージが詳細であればあるほど必要な魔力が少なくなる傾向にあります」
「イメージの、具現化……」
なるほど。つまりこの世界においての魔法は極めて自由度の高い奇跡のような代物ってことか。疑似的に無限の魔力を持ってる僕からすれば、できないことは何もないはずだ。これは無双するのに困らんわ。
でもさ、これイメージを具現化させるってことは決まった魔法とか無いってことだよね? どうりでレーンを封じるための魔法があんな幾つも簡単に使えたわけだ。『俺は天才だ!』って喜んでたのが馬鹿みたいじゃん。
というか女神様、全ての魔法が使える力も授けてくれたんだけど……完全に無意味じゃない? だって魔力さえあれば誰だって全ての魔法が使えるってことだし。そもそも自分の時間を加速させるっていう力も、こんな自由な魔法があるなら必要なかったんじゃ……?
「例えばこのように小さな炎を創り出す魔法ですが、純粋に燃え盛る炎としてイメージするよりも、色合いや燃え方まで細かくイメージした場合の方が、消費する魔力は少なくて済みます。もちろん炎を大きくすればそれだけ魔力も必要になりますよ」
そう言って、ハニエルは肩を竦めるような格好で両の掌の上に小さな炎を生み出した。右手に普通の炎、左手に青い炎。更には右手の炎の大きさを変えつつ、左手の炎の形を円錐形にしたり立方体にしたりぐにゃぐにゃと変えてる。
ニコニコ笑いながらやってるけど、普通に考えてあれって結構高等技術じゃないかな? 左右で全く別のイメージを絶え間なく変化させるって、脳が二つ無いと無理じゃない? とてもじゃないけど自分の作り出した炎で翼の先っぽ焦がしてる子の技量とは思えないね。何か香ばしい匂いがしてきた。
「ただ注意点として、魔法で生み出したイメージは具現化させている間はずっと魔力を消費し続けます。現象ではなく物体を創り出すことも可能ですが、そうなるとやはり維持するための魔力がとても多くなるので――あっ、熱い!? やだ、焦げてる!?」
「なるほど。つまり魔法はコスト的な観点から瞬間的に運用するのがベスト、ということですね――治癒」
「あ……ありがとう、ございます……」
試しに治癒の魔法を思い浮かべて、翼の先っぽを焦がしたハニエルにかけてみる。彼女の身体を治癒の光が包み込んで、僅かに黒く焦げていた翼の先っぽを元通り真っ白に戻した。
なるほど、これは便利でいいな。治癒の魔法に限っても不思議な光で癒したり、対象の自然回復力を促進したり、怪我を負う前に時間を巻き戻したりと、色々と奥が深そうだ。
「ええっと、それとですね、作用させる対象によっても必要な魔力は変化しますよ。具体的には自分自身に作用させるのが最も少なく、逆に他者に直接作用させるのが最も大きく、それ以外の場合はこの中間といった具合です」
「へぇ。それじゃあ他人の傷を魔法で癒すのも、結構魔力が必要ということですか?」
「そうですね。普通に考えればそうなると思うんですけど、他者の治療に関しての魔法だけは、自分にかけるのとほとんど遜色ない魔力消費になるんですよ。私はやったことがありませんが、直接他者を害する魔法はよほど凄まじい魔力を持っていない限り、発動できないくらいに魔力を消費するらしいです。不思議ですよね?」
ニコニコと天真爛漫に笑うハニエル。
たぶん治癒の魔法が簡単に他者に発動できるのは、怪我をしていない通常の状態に戻そうとする行為だからじゃないかな。女神様に聞けば詳しく分かるかもしれないけど、あの女神様だいぶポンコツだから分からないって可能性もありそうなのが困る。
それにしても、治癒の魔法は他者にかけやすいのか。過剰回復で相手の身体を腐らせて殺すとかできそう……できそうじゃない?
「そうですね。本当に不思議ですねー」
もちろんそんな外道な攻撃方法を考えてることなんておくびにも出さず、こっちもにっこり笑って頷く。
別に消費魔力とか気にしなくていいんだから、わざわざそんな攻撃をする必要も無いしね。精々仲間を回復しようとしてうっかりやっちゃうくらいじゃない? 事故だよ、事故。
「はい、不思議です! それでですね、魔法は個人個人で色々と個性が出るので同じものはほとんど無いんですけど、大まかに分けると攻撃魔法、回復魔法、補助魔法の三つがありまして――」
そうしてしばらくの間、僕はハニエルから魔法についての知識を引き出していった。
正直なところレーンの方が知識がありそうな気がするけど、この子と話してるのは楽しいから問題なし。何よりどこか抜けてて安心できるからね。やっぱり速攻で何かあると見抜いてきたアイツがおかしいんだよなぁ……。
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