大天使の頼み
ちょっと焦ったけど何とか問題を乗り切った僕は、無事ラツィエルの手で屋敷へと転移させてもらった。
もちろんあのままだと防御魔法が転移を弾いちゃうから、やむなく解除して今は完全に無防備な状態になってる。例え目の前でダイナマイトが爆発しようが無傷でいられる無敵状態だったのに、今は剣で心臓を一突きされればそれだけで死んじゃう虚弱な状態だ。それが普通とはいえちょっと恐ろしく感じてしまうあたり、慣れって怖いなぁ。
しかし何だろうね、この感じ。例えるならコートの下は素っ裸みたいな、言いようのない不安と微かな快楽を感じるよ。僕は露出狂だった……?
「さて。お茶も全員に行き渡ったことだし、早速本題に入ろうか」
そう口にするラツィエルは、クッソ豪華な一人用ソファーに座って優雅にカップを傾けてる。本当に一部のお姉さんたちに受けそうな奴だよなぁ、コイツ。
えっ、魔獣族であるリアとミニスにまでお茶を出してくれるなんておかしいって? 大丈夫、だってアイツらはこの場にいないから。屋敷の前に転移させてもらった後、『ゴミをこんな立派な屋敷に入れるなんてとんでもない!』的なことを言って、しばらく外で待機させることにしたんだ。正体がバレるとマズいから、ついでにキラに引率を任せてね。冴えてるでしょ?
あ、そうそう。顔面が石畳にめり込んで鼻血出してたはずのミニスなんだけど、ハニエルが治したのか顔は綺麗なもんだったよ。ただ何かハニエルの僕を見る目がやたら刺々しくて、ミニスの方も今にも漏らすんじゃないかってくらい怯えた目をして僕を見てたね。やっぱり女の子だから顔じゃなくて、鳩尾でも蹴り飛ばした方が良かったかな?
「えっ、本題って何ですか? ラツィエルさん?」
「私たちを屋敷に招いた本当の目的ですよ、ハニエル様。幾ら何でもこの街の守護や他のお仕事でお忙しいラツィエル様が、勇者とはいえ私のようなものを訳も無く招くわけがありませんからね」
「その通り。君はなかなか頭が回るね。ハニエルとは大違いだ。彼女は昔からこんな有様でね。きっと君たちに数えきれないほど迷惑をかけたことだろう。彼女に代わって僕が謝罪しよう」
謝罪しよう、とか言うだけで頭は下げないラツィエル。
というか終始偉そうだよね、コイツ。僕にショタ趣味は欠片も無いけど、滅茶苦茶泣かせてやりてぇなぁ……。
「いえいえ、そんなことはありません。彼女の優しさと慈愛は、私たちの心の癒しとなっていますから。いつもありがとうございます、ハニエル様」
「えっ、あ、はい。ど、どういたしまして……?」
僕がしっかり頭を下げてお礼を口にすると、困惑気味のハニエルも首を傾げながら頭を下げる。
しかし一体何にそんなに困惑してるんだろうね? ハニエルに敬語で話してる僕? それとも僕の口から垂れ流されてる心底似合わない言葉? まあ普通に考えてどっちもか。
「それでは今度こそ本題に入ろう。クルスくん、君はこの街への旅路の最中、あの卑しい者共からの襲撃を受けたかい?」
「はい、一度ですが確かに襲撃を受けました。皆が寝静まった頃に不意を突かれたこともあり、少なくない犠牲を出してしまいました。自身の無力が嘆かわしいです……」
とりあえず適当に無力感に打ち震えている感じの演技をしておいた。実際は目の前で聖人族が殺されても素通りしたけどね。
「戦いに犠牲は付き物だ。気にするなとまでは言わないが、あまり思いつめないようにしたまえ。生き残った我らは過去より未来を見据えて歩かなければならないんだよ」
「はい、ご忠告痛み入ります……」
何か心に響きそうでいまいち響かない忠告を適当に受け取っておく。
そもそもこの世界で僕ほど未来を見据えてる奴なんていないでしょ。敵を滅ぼすことに躍起になってるような救いがたい奴からの忠告なんて、あまりにも痛々しくて話半分にも聞けないよ。
「すでに君も知っての通り、この辺りは国境に近いせいで潜伏している魔獣族が多数存在する。そしてどうもその一部が、この街の北東に存在するタウラスの森を根城にしているようなんだ。僕としては森ごと焼き払って消毒したいところなんだが、森は様々な自然の恵みを授けてくれる大切な場所だからね。さすがにそれは損害が大きすぎて実行できない」
そりゃあねぇ。気持ちは分かるけど仮にも天使が環境破壊はいかんでしょ。
あ、僕なら躊躇いなくやるよ? でもその前に、一人ひとり見つけて潰す楽しさと面倒くささを秤にかけて考えてからね。楽しさが勝るならサーチアンドデストロイ、面倒くささが勝るなら森ごと消毒って感じ。
「ならば僕が一匹一匹潰して行きたいところだが、この街の守護という重要な役目を放り出すわけにはいかない。しかしケダモノ共が好き勝手に森を荒らし、僕の街の平和を乱し、民の安寧を脅かすというのなら放置もできない。そこで勇者たる君に白羽の矢を立てたというわけさ」
「なるほど、事情は了解しました。つまり、代わりに私にゴミ掃除をして欲しいというわけですね?」
一瞬『嫌だっ!』って言いそうになったけど何とか我慢した。『テメェの街のゴミ掃除くらいテメェでしろ!』とも言いそうになったよ。
でも僕は表向きは聖人族の傀儡勇者。素直な返事以外は許されてないのが悩みどころ。
「その通り。君の実力は知らないが、曲がりなりにも君は勇者だ。雑兵に負けはしないはずだろう? それに前の勇者は酷く無礼な奴だったが、腕だけは確かだったからね」
「そうですね。確かに夜襲の時のように不意を突かれなければ、ゴミ掃除くらいは容易いと思います。あの時は襲撃があるとは考えもせずに油断していましたし、何より戦う力の無い方々もいましたから。私と私の仲間たちだけでなら、何も問題は無いと思います」
「頼もしい答えだ。それでは、君たちに頼んでも良いかな? もちろん相応の報酬は出そうじゃないか」
感謝してくれたまえよ? 的なムカつく笑顔を浮かべて尋ねてくるラツィエル。
別にお金はいらないんだよなぁ。魔法で幾らでも偽造できるし。それよりもっとこう、労働力と言うか、可愛い女の子で支払ってくれるとありがたい。僕への支払いは魔獣族でもオッケーだよ?
「あー……ひとつ良いですかい? 大天使様?」
「構わないよ。何だい?」
でも僕が素直に頷こうとすると、その前に僕の隣で押し黙ってた筋肉ダルマが初めて声を上げた。
というかさ、今まで努めて気にしないようにしてたんだけど、右にはクラウン左にはハニエルが座ってるからすっごい邪魔なんだよね。片やむさ苦しい筋肉、片やクソデカい翼。この二つに挟まれてる僕の気持ち分かる? 一番端で優雅にお茶を味わってるレーンを引っぱたいてやりたいよ。
「そのゴミ共は、皆殺しにしても良いんですかい? 捕虜とかそういうのが必要だったりは……?」
「必要ないよ。見かけたら全て殺してもらって構わない」
「……よっしゃぁ!」
気になる点はそこだったらしく、クラウンは叫びを上げながら拳を握る。
皆殺しとか無いわー。生かしてた方がもっと有効活用できるのに。労働力しかり、性奴隷しかり、人体実験の被検体然り。いやまあ今回は皆殺しなだけで、実際はしっかりやってるんだろうけどさ。
「そちらのお嬢さんは何か質問があるかな?」
そしてラツィエルが視線を向けたのはレーン。
ここで初めてレーンは紅茶のカップとソーサーを置いたよ。あ、ソーサーってのはカップを乗せる皿のことね。ていうかコイツ、声をかけられなかったらずっと黙ってお茶してたんじゃなかろうか……。
「では私からも二つほど。タウラスの森を根城にしていると仰りましたが、あの森はとても広大です。拠点としている場所はもう判明しているのでしょうか?」
「いや、それは分かっていない。ただあの森の中には幾つか深い洞窟があったはずだ。拠点にするとすればそこだろう。後で目ぼしい洞窟の位置を記した地図を渡そう」
「了解いたしました。もう一つは掃討の目安です。あの森を根城にしている集団が一体どれほどのものか想像がつきませんが、どの程度の数を掃討するべきでしょうか?」
「そうだね。大きなゴミの塊を掃除できればそれで構わないよ。ゴミを片そうとすれば埃が散ってしまうのはどうしようもないことだろう?」
「了解いたしました。私からは以上です」
ぺこりと頭を下げて、再び紅茶に耽るレーン。そんなに気に入ったなら後で茶葉でも貰ったら?
それはともかく、正確には潜伏場所を把握してないのか。まあそういうのは僕が魔法で調べられるから別に良いんだけどさ。人にこんな命令を出すならもうちょい詳しい情報を用意しても罰は当たらないと思うんだ。
「さて、他に何か質問はあるかな? ああ、ハニエル。君には聞いていないよ」
「あ……は、はい……」
何やらそろっと手を挙げようとしたハニエルが、そのままそろっと手を降ろす。
たぶん皆殺しじゃなくて多少は捕虜を取るべきとか言おうとしたんだと思う。思ったよりは頭お花畑じゃなかったとはいえ、かなり正常な思考を持った常識人であることは否めないしね。まあ過激派や殺人鬼に比べれば、どんな奴も正常に見えて当然か。
あ、そうだ。せっかくだからちょっと質問してみようかな。せっかくハニエルがそういう奴だってことを知ってるのがいるんだし。
「では一つよろしいでしょうか、ラツィエル様」
「うん、何だい?」
「ハニエル様は仰っていました。全ての種族が手を取り合い、平和に暮らす世界が自分の夢なのだと。ラツィエル様はそんな世界の実現が可能だと考えますか?」
質問の内容は『真の意味での平和は実現するかどうか』。
あの何とか王を除けば、大天使は聖人族内で実質トップの立場にあるはず。これはそのトップの考えを知るいい機会だからね。ハニエルは参考にならん。
ラツィエルも過激派とはいえ、仮にも民を治める上に立つ者。言わば施政者だ。自分の思想や好悪を抜きにして、民のことを考えなければいけない存在。だから世界から争いが無くなるなら、宿敵への憎悪も殺意も飲み込んで笑顔で手を握り合うくらいはしなきゃいけないはずなんだけど――
「ふふっ、もちろん不可能だよ。あんなゴミ共と手を取り合う? 仲良く笑いあい、平和に暮らす? あの邪悪でおぞましい悪魔どもと? 穢れた畜生どもと? 万が一そんな世界が実現してしまったら、僕はそれを受け入れた全ての者共を殺せるだけ殺してから自分の首を掻き切って死ぬよ」
あー、こりゃ駄目だ。これは絶対に分かりあえないタイプだ。
一般聖人族たちの総意がこの発言ってわけでもないだろうけど、少なくともラツィエルだけは真の平和が訪れた世界には適合できない異端者確定ですね。せっかくの平和が乱されたら困るし、その内殺して後顧の憂いを断っておこう。はい、決定。
「さて、他に質問はあるかな?」
「いえ、ございません。ラツィエル様の貴重なお時間を浪費させてしまい、申し訳ありませんでした」
「なに、僕からの頼みなのだから謝罪の必要はないよ。では今夜はこの街で英気を養い、明日はゴミ掃除に向かってくれ。期待しているよ、クルスくん?」
「お任せください。必ずや、平和と安寧を脅かすウジ虫共を皆殺しにして見せましょう」
ソファーから立ち上がって跪いて頷くと、レーンたちも同じように続く。何気に慌ててハニエルも続いてるのがちょっと気になるね。
ていうかお前一応は大天使なんだし、立場は同じなんじゃないの……?