レーンカルナ
「さて、まずはもう一度自己紹介といこうか。私の名はレーンカルナ。この国に仕えるしがない魔術師の一人だ」
テーブルを挟んで向かい側のソファーに腰を下ろした、謎の魔術師ことレーンカルナ。大切な事なのか、やっぱり感情が窺えない声音で再度の自己紹介をする。
本当はくびり殺して不安要素を断つつもりだったけど、予想外にタイプの子だったからやむなく僕は彼女を部屋に上げた。仮に殺したとしても証拠隠滅はできると思うよ? でもまだ授かった力を何も試してないから不安が残るしね。別に敵意は感じないし大丈夫、と思うのはさすがに油断しすぎかな?
「先程も伺いましたが素敵なお名前ですね、レーンカルナ様。私はカガリ・クルスと言います。カガリでもクルスでも、お好きな方でお呼びください」
「ではクルスと呼ばせてもらおうか。君も私のことはレーンでもカルナでも好きなように呼ぶといい。敬称も別にいらないよ」
「分かりました。では、レーンさんで」
正直丁寧に喋るのは面倒くさいし、敬称もいらないって言われたから呼び捨てにしたいところだけど、今はこれぞ勇者って感じの演技をしないといけない。
それにしても面倒くさい状況だなぁ。でもこの子タイプなんだよなぁ……。
「レーンさん、先程私と二人きりでお話したいと仰っていましたが、一体どのようなお話でしょうか?」
「そうだね。君もだいぶ無理をしているようだし、単刀直入に行こうか。君は――何者だい?」
その問いを投げかけられた瞬間、世界は凍り付いた。
だけどそれは比喩としての意味じゃない。いや、どちらかと言えば比喩だけど、僕の思考や意識が凍り付いて停止したって意味じゃないよ。凍り付いたのはレーンを含めた、僕以外の存在全てだからね。
「……ぶっつけ本番だったけど、成功したみたいだな。良かったぁ」
思わずほっと息を吐いて立ち上がる。だけどレーンはそれを咎めないし、視線すら向けてこない。だって彼女はまるで凍り付いたように停止してるから。
これは僕が女神様から授かった力――時間の流れを操る力を用いた結果だ。でも正確に言えばレーンは時間停止を受けているわけじゃない。レーンの時間は正常だし、周囲の時の流れも変わってない。変わってるのは僕の方。僕自身の時間を一万倍に加速させてるから、相対的に僕以外の時間があたかも停止してるように見えるだけ。疑似的な時間停止ってところかな。
普通に時間停止させた方が楽なんだろうけど、女神様から授かれたのは自分自身の時間の流れを操る力だから無理なんだよね。何でも世界の理を乱してはいけないからとのことで、世界全体の時間の流れを操る力は貰えなかった。まあ似たような結果が出せてるから別にいいか。
それにしても、まさかこんなクリティカルな質問を投げてくるとは思わなかったなぁ。絶対に何か僕を怪しいと思ってない限り、勇者として召喚された存在にあんな質問をぶつけてくるはずがないし。一体何がまずかったんだろう?
「うーん。できればこの間に裸に剥いて、縛って目隠し耳栓猿轡したいところだけど……」
本当にそれをやって大丈夫かがいまいち分からない。だってこれは厳密に言えば時間停止じゃなくて僕自身を超加速させているだけだから、僕が何かに触れたら問題なく相互作用するはず。ただし僕は普段と変わらず普通に動けてても、傍から見れば一万倍加速された動きをしてる。いや、一万倍に加速された動きは捉えられないだろうけどさ。
だから僕がレーンの額にキスしたとすると、どんなにゆっくりキスしたとしても向こうからすれば通常の一万倍の速度のキスだ。僕にとって秒速一ミリでも向こうからすれば秒速十メートル、時速換算で三十六キロのキスだ。死にはしないだろうけど殴られたくらいの衝撃はあると思う。
これはうかつに触れることができないぞ。だから色々検証したかったのになぁ。
「仕方ないから魔法的に拘束させてもらおっかな。でもその前にまずは練習しないとね」
やむなく魔法で拘束することに決めて、しばらくは魔法の練習に精を出すことにした。
これも練習する時間が無いばかりか、そもそもこの世界の魔法の原理とかも知らない。でも僕は女神様からありとあらゆる魔法を使える力を授けられてるし、魔力が減らない疑似的な無限魔力ももらったし、練習すればいけるでしょ。
あ、ちなみに何で疑似的かっていうと、万一魔力の大きさを見分けられる奴がいたら大変なことになりそうだからだよ。
しかし自分自身の時間を操る力だけでも相当なのに、疑似的な無限魔力と全ての魔法が使える力とか、女神様の本気度合いがうかがえるね。こんな力、欲深い奴とか危ない奴に渡したら一体どうなることか……。
それはともかく、時間は無限にあるわけじゃないからさっさとやることをやらないとね。これは疑似的な時間停止でレーンの側でも時間は流れてるけど、向こうの一秒はこっちにとっての一万秒。力を見抜かれない程度に抑えるとすれば、向こうにとってのコンマ一秒くらいにするのが妥当かな。
となるとこっちでの時間は千秒だから、十六分弱ってとこか。何だ、結構あるじゃないか。よーし、張り切って魔法の練習をするぞ!
「これは……」
たっぷりと魔法の練習をして、しっかりと魔法的に拘束を終えてから自らの時間の加速を解除する。
一拍置いて状況を認識したレーンは、驚きなのか感嘆なのかよく分からない声を零してた。表情もあんまり変わってないから分かんないや。大物なのか感情が薄いのか……どっち?
「様々な効果を持つ四重の……いや、五重の結界かな。まさか今の一瞬で発動の兆候すら見せずにこれほどの結界を展開するとはね。恐れ入ったよ」
特に変わりのない平坦な声音で賛辞を口にするレーンは、打つ手が無いのかソファーに座ったまま身動き一つしない。というよりできないんだと思う。この五重の結界は一定以上の大きさの音を外部に届く前に遮断して、内部の敵の動きと魔法の使用を封じて、なおかつ破壊不能で脱出不能な半球状の結界だからね。
それに包まれているレーンは文字通り何もできない……はずなんだけど、変わらない表情のせいで余裕に見えるんだよなぁ……。
「褒めてくれてどうも。それで、君はどうして僕を怪しいと思ったのかな? ボロを出してないっていうか、そもそも何かを悟られるような時間も無かったと思うんだけど?」
「どうやらその口調が君の素のようだね。先程までの貼り付けたようなおかしな丁寧さよりも親しみやすくて、私はそちらの方が好みだよ」
「それはどうも。お世辞は良いからさっさと教えてくれないかな? 自分で喋ってくれれば、苦しまないように死なせてあげるからさ」
別に殺すことは難しくない。でも殺すしかないなら、その前に僕をおかしいと感じた理由を聞き出すべきだと思うんだ。この場面を乗り切った後に、もっと上手く勇者を演じるために必要な情報のはずだからね。
ん? 殺人への忌避感や葛藤は無いのかって? ハハハ、もちろんあるに決まってるでしょ。本当だよ?
「教えるのは構わないよ。けれどその前に、今の君にとって一番重要なことを教えてあげよう。私はここに来る前に、何通かの手紙を城の者に預けてきた」
「……は?」
手紙? それが一番僕にとって重要なこと? いや、待った。もしかしてコイツ……!
「その手紙は一見何の変哲もない内容の手紙だが、私が死ぬと『私が近日中に死んだ時、もしくは行方不明になった時は勇者に殺されたのだ』という内容が浮き出るよう魔法をかけておいた。さて、この意味が分かるかな?」
コイツ、やりやがった! 僕に殺されないように、あるいは殺されても僕が勇者じゃない真っ黒な犯罪者だってことを知らしめることができるように備えてやがった! あー、召喚されてまだ一日も経ってないのにこれだよ。こちとらまだ城から一歩も出てないんですが?
女神様にはいろんな力を貰ったけど、この状況をひっくり返す方法は思いつかない。一応この女と城の人に渡された手紙をこの国ごと消し炭にするという方法があるにはあるけど、召喚直後にそれは後で女神様に怒られそうだしなぁ……。
「ちっ、食えない女。それで、お前の目的は?」
だから僕はレーンを捕えていた結界を解除してやった。
こんな状況に陥った時点でもう拘束してても意味はないし、彼女の機嫌が悪くなるだけだからね。せいぜいご機嫌を取っておかないと。
「先程も言ったが君と話をしたくてね。いや、それはどちらかと言うと目的のための手段か過程と言うところで、目的ではないね。私の真の目的は――」
そこで一旦言葉を切り、レーンはローブの袖に隠れた右腕を軽く一振りした。何のつもりかと思えば、僕とレーンを包むように結界が展開されたのが感覚的に理解できた。これはさっき僕も張ったから分かる。たぶん遮音の結界だね。
わざわざこんな結界を張るって事は、誰にも聞かれたくないことを口にするんだと思う。それがどういった理由からなのかはともかく、聞き逃さないよう僕は彼女の言葉に耳を傾けた。
「――世界の平和だ。全ての種族が手を取りあい協力して、穏やかに暮らすことができる世界を作ることだよ」
「……えっ?」
あれ? もしかしてこの子、僕のお仲間?